第1章 エヴァルス帝国

「起きてください。夕飯の時間ですよ。」

 優しい女性の声で声を掛けられ、俺は眠い目を擦って起き上がった。

「着替えられているということは、1度目を醒まされたということでしょうか?痛いところとかありますか?」

「あ、いえ。そういうのは、無いですけど・・・」

 意識が徐々に覚醒していき、俺は起こしに来てくれた女性の顔を見て、思考が停止した。

「え、入谷さん?」

「イリヤサン?どなたかのお名前ですか?」

「あ、いえ、何でもないです。すいません。」

 そう、彼女の顔がとても憧れの入谷さんに似ていた。双子かってくらい。

 黒髪で目鼻立ちが整っている。今にもトランペットを吹きだしそうな、そんな感じ。どんな感じだよ。

 その「入谷さん似」の女性は俺が脱いで適当に畳んだ服を回収し、室内を見渡し、そして俺に向き直って

「私は、この家に住まわせてもらっているミレアと申します。失礼ですがお名前伺っても?」

「あぁ、私は墨野英司と申します。こういうものです。」

 そう名乗ってから制服の胸ポケットから警察手帳を取り出して見せた。すると、まあ案の定って感じだけど

「スミノエイジ・・・珍しいお名前ですね。しかしすいません、これに書いてある文字?は私には読めないです。言葉は同じだと思うのですが、出身はどちらですか?」

 苗字と名前が1つの塊になって発音しているせいで自分の名前だけど他人のような気がしてきてしまう。

「ええと、東京出身です。八王子ってご存じですか?」

「トウキョウ?ハチオウジ? ・・・すいません存じ上げないですね。後で父にも聞いてみるとします。」

「え、東京知らない?」

「?? ええ、知らない地名ですね。」

 この瞬間、俺には様々な疑問が思い浮かんだ。

 いくらここが国外であったとしても、ついこの前オリンピックが開かれた都市で、世界でも有名な国であろう日本の首都である。

 彼女の発言に嘘をついている感じは全く感じられない。そしてもし本当に正直に話をしているのであれば、少なくともここは日本ではないことは確定(さすがに日本人で東京を知らない人はいないだろう)。

 そして同時に大分日本から離れた国であることも確定しただろう。おそらく日本が身近ではない国だ。相当日本から離れたところに来てしまっているみたいだ。

 でも、であればなぜ日本語で会話ができるのだろうか、日本語話者なのに日本の首都を知らない・・・謎だ。

 もしこの予想が本当なら東京というか日本には容易には帰れないだろう。そもそも職務中だし、海外に行ったこともないからパスポート持ってないので、これは不法入国で捕まってしまうのではないだろうか。でもそうなら強制送還されるだろうから逆に簡単に帰れるのでは?

「あの、スミノエイジさん?聞いてますか?」

「あぁ、ごめんなさい。考えごとしてました。何でしょう?」

「こちらに呼びに来たのは夕食ができたからってことをつい忘れてしまいました。下の階に降りてきてください。父と母も待ってますので。」

「わかった。じゃあトイレ寄ってから行きたいんだけど、案内してもらってもいいかな?」

 承知しました。と言って彼女は部屋を出ていった。俺もそれに続く。

 やはりというべきか、廊下や階段は薄暗く、見回しても電球やスイッチの類は見つからない。

 トイレに着くと、これも案の定と言ったらいいのかもしれないけど・・・まあ水洗式じゃなかった。水洗式トイレってのは機構次第では電気なしでも動かせる。だけどそうじゃなかった。つまり水洗式トイレや電気の概念が生まれる前の文明力の国か地域ということになる。いよいよここがどこだかわからなくなってきた。いっそ神様が「ここは異世界なのじゃ」って言ってくれた方が納得がいく。今ここで現れる神様はトイレの神様だろう。

 トイレから出て、入る前にミレアさんに言われていた方へ進むととてもいいにおいと歓談の声が聞こえてきた。

 部屋に入るとミレアさんと壮年の男性、それからもう一人女性の方がいらっしゃった。この二人がミレアさんのご両親というのは容易に想像がついた。

「目が覚めたかい?」

「あら、元気そうじゃない。何よりだわ。」

「さあ、席についてください。お食事にしましょう。」

「あ、すいません、失礼します。」

 そういって俺は用意されていた席(お誕生日席)についてお食事をいただく。ちなみに、この時俺だけが手を合わせて「いただきます」と言い、あとの3人は「じゃあいただこうか」的なことだけ言って食事を始めた。どうやら食事に関するマナーに関しても日本式ではない。というかミレアさんは黒髪の日本人風だけど、明らかにご両親は欧米人だ。目鼻立ちが日本人じゃない。

「そういえば、君の名前を聞いてなかったね。」

「あ、僕は墨野英司と申します。」

「スミノエイジね。僕はギロックス、こっちが妻のイレーネ。ミレアとはもう自己紹介し合ったかな?」

 俺がうなずくと、ギロックスさんは話を続けた。

「それにしてもスミノエイジ君、君はどうして川原で気を失っていたんだい?なにか心当たりはあるかい?」

「え、僕が川原で気を失ってたんですか?」

 ギロックスさんから聞いた話は色んな意味で衝撃の連続だった。

 まとめると、昨夜「ヨーハ川」なる川のほとり「ヨーハ公園」にある川原の広場で俺がぶっ倒れていて、意識を確認したら反応なし、でも脈もあるし息もしている。んで、とりあえず自宅に運んで看病してくれていたということらしい。事実であれば感謝感激だ。そしてこちらも嘘をついているようには見えない。

 あまりにも俺の置かれた現状が見えなくなってきたので、話を一通り聞き、お礼を伝えたところで、俺はこう尋ねてみた。

「あの今更で申し訳ないんですけど、ヨーハ川とか公園とか、僕は存じ上げないんですけど・・・ そもそもこちらはどこなのでしょうか?」

 すると、俺以外の3人は顔を見合わせて、それからイレーネさんが優しく答えてくれた。


「そうかい、記憶を失くしているのかねぇ。ここはエヴァルス帝国の首都・エヴァルスの郊外のハリヤという街よ。」


 ここで俺は考えることを放棄したのであった。


               ***


 知らないことだらけの食事会を終え、俺は一度部屋に戻った。

 結論から言うと、どうやらここは異世界のようだ。100%俺の知っている世界ではない。いくら世界地理に疎くても、一般常識として地球上に一定規模の大きさを持つ「国」として「エヴァルス帝国」なんてところが「無い」ことくらいは分かる。

 西洋人風の人と日本語でペラペラ話せること自体は正直違和感を感じなかった。日本語ペラペラ外国人は最近とても多いから。

 知らない国名、質問したところ日本を知らない様子、この国が現在イーストリアとアシュタリア帝国に攻め込まれそうになっているという情報 ―そもそもその2つの国名も知らないし、戦争状態であれば日本でもニュー スにくらい取り上げられるはずだ― そのあたりを考慮すると、ここは異世界であると言えるだろう。

 ここで「俺、異世界に転生しちゃったんだ」とか呑気に考えられる環境であればいいんだけど、そうはいっていられないので、当面の目標を「火急速やかに仕事を見つけ、家に迷惑を掛けないようにする」に決めた。「日本に帰る方法を探す」とか余計な事やってるうちに戦争になったり、テルマエ何とかみたいに元の世界に帰れる確証もないのに居候を続けさせてもらって途方もない実験をするのはよろしくない、という判断だ。

 ちなみに、この世界に苗字的な概念は無いらしく、地域や血族という関係でゆるーく繋がった人間関係となっているようだ。みな隣人的な?

 突然だが、こちらの世界での暦の概念をご説明しよう。日数のカウントや日が昇って、もう一回昇ってきたら次の日的なおおよその概念は細かいところの違いはあれど日本と同じような感じみたいだ。そして、こちらの世界に則ると、現在は「大陸暦1398年 はじまりの月 6の日」らしい。暦の詳しい説明をすると長くなるので、こちらは追々するとして、年はともかく月日に関しては「1月6日」と思ってよい。

 まあ、文化の違いを理解するのは得てして時間が掛かるものなので、徐々に慣れていこうと決心しお風呂をお借りしようと部屋を出ようとして、さっきの話を思い出した。

曰く「お風呂なんて金持ちの家にしかない」という話。基本的には近所にある公衆浴場に行くんだとか。お金が掛かるということだったので、しばらくは風呂なしかぁと思ったら、明日の朝にみんなで行こうという話になった。しかも、明日はみんな休みだから街の中を案内してくれるという話になった。感謝しかない。

そして俺はギロックスさんから借りた寝間着に着替え、リビングに向かい、一家3人に就寝の挨拶をした。

「おやすみなさい」が共通言語であったことに感謝して、眠りについたのだった。


               ***


 この世界の朝は寒い。窓を開けようと金属製の枠に手を掛ければ、危うく低温やけどするかと思うくらいの冷たさ。そんな気温の中で布団掛けただけで凍死せずに済んだ寝間着の温かさに感謝しつつ、着替えてリビングへ向かった。

 こちらも万国共通であったらしい「おはようございます」の挨拶をすると、リビングにはミレアだけがいた。

「おはよう。もう少ししたらご飯ができるから、食べたら公衆浴場に行きましょう。」

 そういって台所でテキパキと朝食の準備をする。「何か手伝おうか」と声を掛ければ「テーブルをこのふきんで拭いて、ここに並べてある食器をテーブルに並べてもらえる?」というすごく的確な指示を受けた。

 話によると俺と同い年らしい。そのあたりも入谷さんと同じだからびっくりする。

 準備をしていると夫婦がやってきた。挨拶をかわし、そしてミレアの作った朝食を食べる。これがとても美味しい。洋風なテイストで、ちょっとお高い洋食屋さんとかで出て来そうな感じ。家庭料理とは思えない。「このご飯、とても美味しいね」と伝えたところ、とても喜んでいた。

 食事のあとはお待ちかねのお風呂の時間。街中は平和であると聞いていたので、こっちの世界に一緒にやってきた拳銃は部屋においておき、念のために警棒だけ荷物に忍ばせて、これまたギロックスさんの服を借りて外出した。

 街の中は驚くほどきれいで、ザ・中世ヨーロッパ的な感じであった。石畳の道、家々には煙突があって他の家も朝食の準備をしているのか、煙がモクモク吐き出されていた。どうやら俺が居候させてもらっている家は近所でも比較的高台にあるようで、坂をずっと下っていく。

 5分ほど歩くと、住宅ではないような建物と白い煙を吐き出す建物に着いた。

「エイジ、ここが公衆浴場だ。深夜はやってないけど、それ以外は基本的にやってるから、気晴らしに入りに来るのもおすすめだ。」

 とは、ギロックスの説明。

 ちなみに、「スミノエイジ」と呼ばせるのは長くて申し訳ないし違和感があったので「エイジ」と呼んでほしいとみんなには提案した。向こうからするとあだ名的な認識だと思う。こっちの方が違和感が無くてよい。

公衆浴場の中は、さすがに男女別になっていた。200年前は混浴だったという情報も聞いたが・・・

俺はもちろんギロックスさんと一緒に男風呂へ。番頭さんにお金を渡して男女別の更衣室に入っていくこの形は、日本の古の銭湯の形なのでとても分かりやすかった。何やら銅貨でやり取りをしていたが、通貨の概念について聞くのを忘れていたと思い、あとで聞くリストに加えておいた。

ここの公衆浴場にはサウナがない。岩盤浴もない。体を洗うスペース(隣との仕切なんてものは無い)と2つの大きな浴槽というシンプルな構造だ。俺たちは体を洗い、そして浴槽に入った。

少しぬるめであるが、そのおかげで長風呂しやすい。聞いたところによると、ぬるさ故の居心地の良さが公衆浴場が近隣の住民との交流の場、集会場のようになっているということらしい。だからか、浴槽に浸かってから何人もの人たちがギロックスさんに声を掛け、流れで俺も自己紹介をするということが繰り返されている。

異世界生活2日目朝にして近所にたくさんの知り合いができました。

さて、温泉からあがればコーヒー牛乳と相場は決まっているが、残念ながら自販機も商品もない。文明の進み具合で「進んでいる」とか「遅れている」とかそういう評価を下すのはあまり好きではないが、コーヒー牛乳が無いのは、人類としてどうかと思ってしまった。そしてそれと同時に、コーヒー牛乳屋を全国に沢山あるという公衆浴場で開けば大儲け間違いなしなので、職に困ったらそれで行こうと決めた。

着替えたら外で女性陣を待ち、合流してから俺は街の中に繰り出していった。


 街のメイン通りも、よくある中世ヨーロッパ的な見た目であった。

 驚いたことに、馬はそのまま馬として存在していてくれた。大きさ的にはサラブレットよりもポニーに近い小さめの馬ではあったが。自転車やバイク、もちろん車なんてものは街の中でも見かけることはできなかった。

 帝国の首都だけあって中心街や王宮、貴族街周辺は豪華な装飾や立派な兵士がたむろしていた。

 別にそんな気はないが聞いてみたところ王宮周辺やその周辺に広がっている貴族街の入り口には衛視がいて容易に立ち入れないそうだ。

「まあ、俺みたいに貴族街より内側に職場がある奴は容易に中に入れてしまうんだけどね。」

「へぇ、ちなみになんの仕事をされているんですか?」

「簡単に言うと軍だね。俺は作戦立てる部署の所属だから中に入れるけど、首都警察隊の市街地担当の若い奴らは同じ軍の所属でも中には入れないよ。」

「作戦立案なんて軍隊の中では重要な役割じゃないですか。すごいですね。」

「いやぁ、ここまで来るのも大変だったよ。俺は頭が良くなかったから中等学校卒業して士官学校に入ったんだけど、そこを出て最初の配属は山の中にある片田舎の駐在員だぞ?」

「というか、軍が治安維持もやってるんですね。なんか軍政の国みたいで少し怖いですけど」

「ほぉ、詳しいねぇ、記憶をなくす前は何か政治関係の仕事でもしてたのかね?」

「うーん、いやーどうでしょうね?でも知識だけは記憶に残ってたみたいですねー」

 正直に「異世界人で前の世界では警察でした」と言ってもいいんだけど今は話を複雑にすべきではないと思い、適当にごまかしてしまった。しばらくは本当のことを言えないだろう。

 それからしばらく色々なこの世界に関する話を聞きながら街を歩いていると

「折角だから、もう1つのお父さんの職場見せてあげたら?」

「あれか?特に見て楽しいものでもないだろうよ。」

「あなたいいじゃない。もしかしたら入ってくれるかもしれないわよ?」

「まあお前らがそこまで言うなら寄って行こうか。」

 ということになった。俺には「もう1つの職場」というところの詳細が伏せられたまま、10分くらい歩いて街のメインストリートから少し外れた建物にやってきた。

 建物に入り細い階段を1列になって上がっていくと何かのエンブレムと文字の書かれた表札が掛かっていた。ギロックスさんは迷わずにその扉を開けて中に入っていった。そのすぐ後ろにいた俺も部屋の中に入った。

 そこは学校のちょっと広めの教室くらいの床面積で、壁一面に棚が作られていて、ほぼすべてに何か荷物が入っているという光景が広がっていた。

「ここは何ですか?」と俺が質問すると、ギロックスさんは恥ずかしそうな表情で

「ここは軍の音楽隊の練習場所なんだ。数十年前まで、ここは音楽隊の楽器保管庫だったんだ。けど、イーストリアの独立とか国境での戦況が厳しくなってきたら音楽隊の人数削ってでも戦地に兵を送り込んでいったから、今は保管庫で練習できてしまうんだよ。」

「今は何人くらいが所属されているんですか。」

「12人だね。みんな首都勤務の兵で、かつては専任だったけど、今は全員兼任になったから週に1回か2回一緒に練習するくらいしかできなくなっちゃってね。特に管楽器演奏できる奴が少なくてね。全くメインだっていうのになぁ。」

 これはチャンスでは?と思わざるを得なかった。こんなチャンスを目の前にして見逃すわけにはいかない。

「えーっと、つまりギロックスさんはこの音楽隊にも所属していて、なおかつ人が少ないから人員募集中ってことですか?」

「うん、まあそういうことになるね」

「ちなみに、音楽隊にはどのようにすれば入隊できますか?」

「この隊に!?うーんそうだなぁ、えーっと・・・」

 少し頭を抱えて考えた後に、こう教えてくれた。

「とりあえず帝国陸軍に入隊する必要があるね。本来は難しくて長ったらしい試験とか士官学校卒業とか条件があるんだけど、今は常に人材不足だから軍の望む素質が備わっていれば「戦時特別採用」で入隊できる。」

「その「素質」とやらには格闘技も含まれますか?」

「ああ、もちろん。今時の戦争じゃ近接格闘なんてしないけど、今は戦える力に優劣をつけていられるほど余裕はないからね。どんな形であれ軍のためになる戦闘力があれば要件は満たすだろう。」

「格闘技には自信があるので、そこは自力でなんとかします。それで音楽隊には?」

「であれば、音楽隊入隊の方がもっと簡単だ。今は音楽隊隊長の了承さえ得られれば入隊できる。まあ、首都勤務じゃないとほぼ活動には参加できないけどな。」

 何ということでしょう。異世界に来たら目の前に音楽隊の仕事が転がってきた。元々、警察音楽隊を目指していた者とすれば、市民の音楽隊でなくても軍の音楽隊で軍の仕事と両立とかでも全然良い。

 こうなったら、俺の進む道は1つしかないだろう。当面の目標の部分もクリアできるしな。

 俺の中で決心をつけ、「もしや・・・」的な目を向けるギロックスさんに俺はこう告げたのだ。

「では戦時特別採用にて軍への入隊を目指しますので、入隊できた暁には俺を音楽隊隊長に会わせて頂けないでしょうか」

 さあ、俺の異世界軍隊&音楽隊ライフのスタートだぜ。多分。

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