異世界軍の音楽隊

炭酸そーだ

プロローグ

 俺、墨野英司は高校時代、初恋をした。

 相手はクラスも違うし部活も違う。出身中学校だって違う顔見知りでもない子。

 でも彼女が夕方、校舎の屋上で吹いているトランペットの演奏を聞いて、その子に一目惚れした。

 名前を入谷若葉さんという。おしとやかで可愛らしい憧れの人だった。

 結局高校卒業式まで声を掛ける機会も度胸もなく終わってしまった。

でも卒業式が終わった後、入谷さんから声を掛けてもらえたのだ。奇跡的に。

「墨野くん、柔道すごい強いんだよね。いつも表彰されていてすごいなぁって思ってたの。ずっとお話ししてみたかったの」

「あ、ありがとうございます。これからもがんばります。」

 いい雰囲気で話が続くかと思ったら人気者の入谷さんは、友達に手を引かれてその場を去って行ってしまった。

去り際には「これからも柔道頑張ってね!」と言ってもらえた。

 結局・・・という言い方が正しいだろう。結局これだけしか話すことはできなかった。

 でも、この声がいつも俺の背中を後押ししてくれていた。


 高校を卒業したら、なんだかんだ小学生の頃から続けていた柔道の力を活かすために高卒で警察官になるつもりで、実際もう試験は合格していた。卒業後、順当に警察学校での訓練の日々に追われることになったが

「すごいなぁって思っていたの」

「頑張ってね」

 この2つの言葉のお陰でキツかった訓練も無事に終えることができた。


 警察学校での訓練の日々を終え、俺は地元から少し離れた街で交番勤務をすることになった。

 遺失物管理、道案内、巡回、補導、交通整理、事故の処理、果ては「隣の部屋から変な臭いがする」という通報で行ってみたら孤独死の現場だったとか、そういう事件もあった。新人はパワハラほどじゃないけど、ちょっと雑に使われることもあって相当に忙しい日々だった。

 だけどそんな俺には休みの日に日課があった。それはトランペットを吹くことだ。

 警察学校にいても給料は貰えるし全寮生活だから浪費することもない。高校からの貯金もいくらかあったので、警察学校を出た後にちょっと大きな買い物をしたんだけど、それが10万くらいするトランペットだったのだ。

 そして休みの日には近所の楽器屋さんがやっているトランペット教室に通っていた。一人暮らししている寮から自転車なら15分くらいで行けるところにあり、教えてもらえる環境が近くにあったこともトランペットを始めた理由の1つだ。

 何より、大好きだった入谷さんの音色に少しでも近づけたらと思い熱心に練習していた。入谷さんは中学の吹奏楽部に入った時から始めたらしい。これは入谷さんと同じ中学出身の友達から聞いた話だ。別に盗み聞いたわけでは無い、誓って。つまり入谷さんは少なくとも3,4年以上練習していた計算になる。レッスンに通い始めて1年も経ってない俺じゃまだまだだ。

寮内で練習すると近所迷惑になってしまうので、レッスン以外では近所の広めの公園で迷惑にならなさそうな時間帯を狙って行って練習していた。学校の音楽の授業は学科の息抜きついでに割と真剣に受けていたので楽譜を読むことへの苦労はそんなに無かった。だからか簡単な曲はすらすら演奏できるようになった。レッスンでお世話になっている先生にも「教えたことをすぐにできるからすごい」とほめてもらえた。

 寮内には警察学校の同期や歳の近い人もいる。ちょっと珍しい趣味だからか、俺がトランペットできる事は寮内で有名になり、たまにみんなの前で演奏なんてこともしていた。

 周りにいる人たちが笑顔になってくれて、俺も褒めてもらえて嬉しかった。そして先輩警官が俺にかけてくれた一声で、俺のささやかな警察官としての夢が生まれた。


 警察音楽隊に入隊する


 無論、難易度がとても高い。だけど高い壁ほど目指す価値があるってもんだ。

 まずは一人前のトランペット奏者になって、それから音楽隊に顔を出してみようなんて先のことを妄想してニヤニヤする生活は俺が「事件」に巻き込まれる1カ月前くらいから始まった。



 20〇〇年 1月4日 都内某所

 警察官に年末年始のお休みなんてものは存在しない。俺の場合は12月31日から1月1日にかけても仕事だったし。でも、俺はすぐ目の前にある楽しみのために頑張って働いた。

 それは来週に控えている成人式、の前日にある高校の同窓会だ。

 なんて言ったって入谷さんに会える可能性があるのだ。楽しみで仕方ない。

 そこで俺は大胆にも入谷さんと連絡先を交換し、一緒に有名なトランペット奏者の方の演奏会に誘い、あわよくば俺の演奏を入谷さんに聞いてもらおうとしている。強欲とはまさにこのことだろう。

 そして、俺が入谷さんの掛けてくれた声のお陰で訓練や日々の仕事を頑張れていることも伝えたい。

 好きです、と伝えるにはちょっとまだ早いだろう。付き合えるものなら早く付き合ってみたいものだが、高校の時に友人が一目惚れした女子に速攻告白して「ちょっと早くない?そんなに彼女欲しいの?」と真顔で言われて撃墜されているのを見てしまった身としては早まったことはできない。あの女子の声色と顔色は無関係の俺でもトラウマになった。

 それはともかく、年末年始から普通の平日に放り出された人々にあふれる街の中を俺も職場に向けて移動した。

 交番勤務でも一旦は警察署に向かわなければならない。めんどくせぇ。仲の良い交番勤務の奴らとは寮から少し離れた警察署まで一緒に出勤する。署について制服を着て上司の話を聞き、そして勤務する交番へ移動する。

 署から俺が配属された交番までは少し離れているので移動に時間が掛かる。ここもめんどくさいポイント。

 交番に着いたら引継ぎを済ませて交替。ちょっと栄えている街中にあるものだから、ちょこちょこ交番を訪れる人がいる。基本的には道案内と遺失物を預かったり返したりなのでそんなに大変ではない。

 職場環境も恵まれていて、今日一緒に働く一回り年上の藤野さんはとても優しい方で仕事も真面目にこなす人だ。あと奥さんがめっちゃ美人だ。

 他にも3つ年上の安治さんとか5つ上の高良木さんは女性だけど男勝りの格闘技を持っている。大井さんは同じ寮に住んでいる人ですごい強面だけど、イケボで地域の人気者である。笹堂さんもイケメン警官で頭がとても良い。

 労働環境上、未だにパワハラもあるって話は聞くけどうちはそんなことないとても仲の良いところである。

 午前は藤野さんと一緒に交番内でのお仕事。昼食の後、俺は地域の見回りに出かけることにした。ここの地域はお年寄りも多く住んでいる。範囲を決めて一軒ずつお宅に伺ってお話をする。都内ではあるが郊外なので近所愛にあふれる優しいおじいさん、おばあさんが多いのでこの仕事も苦ではない。

 孫が来てくれたとか、餅をのどに詰まらせそうになったとか、まだ初詣にいけてないとかそういうお話を聞きつつ、犯罪予防のお話をしたり、俺目線ではあるが最近の街の様子の話をしたりして次の家へ、というのを何軒もやった。

 気づけば辺りはもう暗くなっていて、時計を見たら6時を回っていた。暗くなったら帰ろうくらいに考えていたので、予定していた訪問がすべて済んでいることを確認して、寒いけど自転車を押しながら街の中を歩いて交番に戻ることにした。

 街を見回せば親子で手を繋いでにこやかに会話をしながら歩いている家族。

 着物姿の若者カップルが破魔矢を抱えながら歩いている。

 あのご老人たちは市民プラザで行うと聞いていた敬老会主催の新年会に参加した帰りの様に見える。

 こうやって街中の人々が幸せそうに生活しているのを眺めるのが密かな俺の楽しみである。

 自分がこの街の平穏で幸福な生活において、その一端を担っていると思うと責任感が湧いてくると同時に俺自身もとても幸せな気持ちになれるのだ。


 事件はそんなときに起こった。

 丁度俺が大きめのショッピングモールの近くを歩いているところだった。

 フードを目深にかぶった青年が激しく周りを見回しながら走って店内から飛び出してきた。あまりにも不自然な感じだったので片側1車線の道路の向こう側の様子であったが目についた。怪しかったので様子を見ていると、青年は駆け足で1台の自転車に近づくと鍵を外し、そして服の中から大量の何かを前かごにぶちまけて、まるで何かから逃げるようにすごいスピードで駐輪場から出ていった。

 俺は、あの青年が万引きをして逃げたと確信した。店員さんが追ってこない当たり、恐らく店側はまだ気付いていないのだろう。一瞬の判断で彼を追跡することに決めた。

「こちら南沢交番、墨野です。応答願います。」

「こちら南沢交番、藤野。墨野どうした?」

「ヨーカドーから万引きしたと思われる青年が1名自転車で市役所方面に逃走しましたのでこれより追跡します。」

「了解、気を付けて。」

 そんな業務上の手短な会話を行った後に、俺は全速力で自転車を漕いだ。

 幸い、青年は警官に追われているとは思っていなかったらしく、向こう側の横断歩道の前で律儀に信号待ちをしていた。青になると、全速力で住宅街の方へ走っていった。俺も対向の歩道にいたけど、全速力で追いかける。今、遠くから止まれと声を掛けたらなおさら追跡がめんどくさくなりそうと判断して、しばらく静かに追いかけることにした。

 柔道をずっとやっていたとかいう以前に警官には一定以上の体力が求められる。全速力で住宅街の中をチャリンコチェイスするくらいではへこたれない。住宅街に入ってから1分くらい経ったころ、青年の方が疲れたからか、それとも現場から大分離れたからか、速度を緩め始めた。

 俺はチャンスとばかりに一気に近づこうとした。

 それは静かな住宅街だからこその弊害であろう。青年はガシャガシャと全力で漕がれている俺の自転車の音に反応してしまい後ろを振り返った。白い自転車、誰でも分かる青系の制服。これを見れば警察に追われていることに気付くことは容易であろう。実際に青年も血相を変え、さっきより速く逃走を再開した。

 俺も青年を追いかける。細かく左右に曲がると細い川沿いの遊歩道に出た。

 少し行くと車止めがあった。青年は極限状態だったのだろう。減速せずに通り抜けたせいでバランスを崩して遊歩道を抜けた先の車道に転倒した。

 この後が俺の人生最大のミスだろう。

 車止めと転んだ青年に集中していたせいで俺からみて左側の死角からやってきた車に気付くのが遅れた。

 具体的にどのくらい遅れてしまったかというと、青年を避けて俺の方に来た車にはねられて、衝撃で吹っ飛んだ時まで何が起きたか気づけなかった。

 当たってみると時速20キロくらいの軽自動車でも結構な力を持っていることがよくわかるだろう。でもくれぐれも実験なんてしないでいただきたい。物理の計算だけで留めておいてほしい。

 吹っ飛ばされた俺は軽々橋の欄干を越えて川に落ちていき・・・


 水面に叩きつけられた瞬間から俺は意識を失った。


                  ***


 目が覚めた俺はベットの上に横になっていた。

 思い出せる一番最後の記憶は車とぶつかって川に落ちたところまでだ。寝覚めで回らない頭を頑張って回して、ここが病院であるという結論に至った。

 少し目を瞑って気持ちを落ち着かせ、深呼吸をしてからゆっくり体を起こしてみた。

 するとここが病院であるということが間違えであったことに気付く。

 まず、俺はよくある病院服ではなく、黒いズボンに白いシャツを着ていた。これは警官としての制服とは別のものだ。証拠として、俺の最後の記憶の時に来ていた服は隣に畳んでおいてある。

 次に俺は包帯にも巻かれていないし、点滴をされている訳でもない。心電図のパッドが張り付けられてもいない。普通意識のない人間は色んなものを体に付けられるはずだけど、俺には何もつけられていなかった。

 そしてかぶっていた布団から出ると更に大きな違いに気付く。

「うわ寒っ」

 そう、すごい寒い。多分氷点下に近いだろう。俺は直ぐに布団をかぶり直した。気を失っていた期間がどのくらいかはまだ分からないが、確かに1月の東京は冷え込む日もある。でも東京にいるとしたら事故ったあとに病院ではないどこかにいるというのも不思議な話だ。段々と頭はオーバーヒートに近づいていく。

 改めて起き上がり部屋を観察してみると内装が日本ぽくないことに気付いた。偏見に近いが、ヨーロッパみたいな感じ。そもそも病院でこんな内装ってことはないだろう。勉強机のようなものがあってその上には書類の山。まさか交番の人たちが俺の仕事に必要な書類を病室に置いていったってことはないだろう。

 その書類を見た瞬間、俺は完全に動きが止まり、思考も止まった。


 まったく知らない言語で書かれた書類であったからだ。


 これが何か偶発的な間違い、例えば外国人と俺が運ばれる病室を間違えられてしまったとかが起きていない限り、日本人の部屋ではないだろう。では、俺が水面に気を失って浮いているのを見て、人の好い外国人が俺を自宅に連れて行って面倒を見ていてくれたのだろうか。

 もし本当にそうであればありがたい限りだが、客観的に見れば誘拐に等しい行為である。いくら外国人でも日本でそんな場面に合ったら警察とか救急車を呼んでくれるだろう。多分。

 オーバーヒート直前の頭を寒さで冷やしつつ、部屋を物色していると室内に窓があることに気付いた。俺は恐る恐る外を見て、そして見なければよかったと後悔した。なぜなら


 そこには明らかに日本ではない街並みが広がっていたからである。


 全体的に赤めな建物たち。歩く人たちは遠目に見ても分かる。あれは白人だ。日本人と顔が全然違う。

 では外国人に国外まで誘拐されてしまったのだろうか?

 まさか現代日本の東京においてそんなことは多分できないだろう。あんなことがあったから楽器ケースに人間を詰め込んだって税関で見つけてくれるだろう。

 俺は「なんらかの未知の手段によって何故か国外に連れて来られてしまった」と仮定して、行動を起こすこととした。

 着ていた服を脱ぎ、畳んであった制服に着替えて・・・

 部屋を出ようと思ったけど現状把握のために頭を使って疲れたので体は自然とベットに向かった。

 このタイミングで車にぶつかったはずなのに体に傷1つ、痛み1つないこと、そして天井に電球の類が1つもないことに気付いたが、もうどうでも良くなって、俺は眠りについた。

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