4.二度目の初恋。
「日高さん、このところずっと付きっ切りですよね~」
初老の男性が務める高級老人ホーム。その休憩室で若い女性達が噂話をしていた。
「そうだね。何かふたりを見ているととってもいい感じがして、『まさかのまさか』があるかもよ!」
楽しそうに話す女性職員。
「え、それって、再婚とか!?」
「ううん、違うよ。日高さん、ああ見えてずっと独身だったそうよ」
「ええっ!? そうなんですか? てっきり奥さんに先に逝かれたのかと」
「そうよね。もういいお歳だけど中々渋いイケメンだし、若い頃は相当モテたんじゃないかと思ってたわ。かなり意外~」
「本当、そう思いますよね!」
女性達は笑いながら昼食を食べた。
「一条さん」
「はい?」
初老の男性は老婆を見つめて言った。
「もしよろしければ、今度映画を観に行きませんか。素敵な恋愛映画がやってるんです」
「まあ、映画ですって」
「はい、映画はお嫌いで?」
老婆は首を横に振って答える。
「いいえ、昔は映画ってただ時間を過ごすだけでつまらないと思っていたこともあったんですが、大切な人と同じ場所で同じ映画を見て、同じ感動を共有できる。とても素晴らしいことだと思うようになったんです」
男性が言う。
「そうですね、その通りだと思います。それで私と行って頂けますか?」
男性の言葉にちょっと照れながら老婆が尋ねる。
「それはデートのお誘い、かしら?」
「そう取って貰っても構いません。その後、星が綺麗に見えるカフェにご案内します」
老婆は頷いて言う。
「まあ、日高さんは、女性の扱いがお上手なこと。これまで一体どれだけの女性とお付き合いされて来たのでしょうか?」
初老の男性は少し笑って、人差し指を一本立てた。
「10人ですか? それは……」
「いえ、違いますよ」
老名が目を大きくして尋ねる。
「では100人とか……?」
「いえいえ、ひとりです。たったひとりだけです」
初老の男性は笑顔で答えた。老婆が尋ねる。
「たったひとりの割には随分女性のもてなしがお上手で」
初老の男性が窓の外を見て答える。
「ええ、それには自信があります。何せそのひとりの女性のことをずっと考えて、彼女をどうやって喜ばせるか、何をしたら彼女の笑顔が見られるか、どうすれば会えるのか、寝ても覚めてもその事ばかり。そんな風に数十年も過ごしてきましたから」
「まあ、それはその女性は幸せな人ですね」
「そう思いますか?」
「もちろん。日高さんのような方にそこまで思って貰える女性に、お恥ずかしながらわたくし、少しだけ嫉妬してしまいそうですわ」
初老の男性が自虐的に言う。
「嫉妬をしていたのは私の方ですよ。見知らぬ男性、居もしなかった見知らぬ男性に嫉妬し、ずっと苦しんできたんですから」
「……どういう意味でしょうか?」
「何でもありません。こちらのことです」
初老の男性が笑って答える。そして言う。
「一条さん、ひとつお願いがございます」
老婆が言う。
「いいですわ。だけど、その前にわたくしのお願いも聞いて下さるかしら」
「何でしょう?」
老婆は頬を少し赤く染めて言う。
「わたくしのことは『真理恵』とお呼びになって頂けませんか」
その言葉を聞いた瞬間、初老の男の目に涙が溜まる。
「はい、喜んで。私のことも『啓介』と呼んで頂けますか?」
「ええ。そうさせて貰うわ。啓介さん」
老婆の顔が笑顔になる。そして尋ねる。
「で、お願いと言うのは何でしょうか?」
初老の男が言う。
「ええ、今度映画を観に行く時なんですが、駅前の広場に少し立ち寄ってもいいですか?」
「駅前の広場?」
老婆が首を傾げる。男が言う。
「ええ、あそこに忘れ物をしてしまいまして。取りに行きたいと思っていたんです」
老婆が笑って言う。
「まあ。啓介さんったらお子様みたいですね。いいわ、取りに行きましょう、その忘れ物」
「ありがとうございます」
「で、何をお忘れになったんでしょうか? 傘? それとも鞄でしょうか?」
「とても大切なものです」
「大切なもの? お財布とか? じゃあ、早く行かなければ……」
男性が笑って言う。
「大丈夫、誰かが持って行けるようなものではありません。そんなことはさせません」
「ああ、そうですか。しっかり者に見える啓介さんでもそんな忘れ物をされるんですね」
「ええ、幾つになっても私は子供です。ずっとあの時から時間が止まっているんです」
不思議そうな顔をする老婆。男性が言う。
「それからこの小説ですが、この先どうしますか?」
老婆は手にしたノートを持って少し考える。そして言った。
「とりあえず書きたいことは書いたのでこれでおしまいにしようかと思いますが……」
それを聞いた男性が言った。
「よろしければ、これから私と一緒にこの続きを書いていきませんか?」
「え?」
驚く老婆に男性が言う。
「色々書きましょう」
「色々?」
「ええ、カフェに行ったり、映画を観たり、星空を眺めたり。それから夏祭りに行って花火を見て、綿菓子を買ったり、そんなの全部。あ、私綿菓子作るの上手いんですよ」
「まあ、そんな特技をお持ちで」
「ええ、あの時見た綿菓子を食べて微笑む顔を、もう一度見たいなと思いまして」
「いいですわね。それならわたくしは、ボーリングに水族館に公園、そしてカラオケにクリスマス、初詣なんかも全部行きたいですわ。ふふっ、よろしければわたくしを連れて行って頂けませんか?」
「全部……」
少し驚いた顔をする男性。老婆が言う。
「ええ、わたくしとっても欲張りなんです」
男性は老婆の両手を握りしめて笑顔で答えた。
「はい、喜んで」
少し照れた顔をした老婆が言う。
「ねえ、啓介さん。わたくし、いつかこの小説の題名をつけたいと思っているんです……」
男性が答える。
「ああ、実はもう考えてあります。『二度目の初恋』というのは如何でしょう」
「なんて素敵な題名でしょう! それにしましょう、啓介さん」
初老の男性が握った老婆の手に力を込めて言う。
「真理恵さん、私はこの小説をあなたとずっとずっと書きたい。ノートが無くなってもまた新しいノートを買って、ずっとずっと最後までずっと。楽しいこと、苦しいこと、幸せなこと、好きなこと。すべてを書いていきたい。あなたに起こること、そのすべてを私で満たしたい。もしよろしければ、最期まで私に付き合って頂けますか?」
老婆の目に涙が溢れる。
「あら、いやだ。どうしたのかしら、わたくし……、真面目なお話をしているのに急に涙が……」
じっと自分を見つめる男性に老婆が尋ねる。
「いいですわ、とても素敵です。……それで、啓介さん。その小説の一番最後はどうなるんでしょうか?」
老婆の質問に少し考えてから男性が答える。
「最後ですか? ええっと、そうですね。最後は時を経た少年が少女に出会い、そして想いを告げる。なんてのはどうでしょうか?」
「まあ、なんてロマンチックな結末でしょう! ……でもね、啓介さん」
「はい?」
老婆は男性を見つめて言う。
「女性ってそう言う言葉はすぐにでも聞きたいもんなんですよ。今すぐに」
「ま、参りましたな。これは……」
照れ隠しをする男性に、老婆は真面目な顔をして言った。
「啓介さん……」
(えっ)
その時男性の脳裏にある景色が浮かぶ。
それはあの時、あの夜行くことのできなかった駅の広場。冷たい風が舞う中、やっとそこにたどり着いた自分。そこには目の前には寒さに身を震わせながら立って自分を待つ少女、真理恵がこちらを見つめている。
(やっと来て下さいましたね、啓介さん……、ずっとお待ちしておりました……)
男性の頭で微笑みかける真理恵。
男性はそのまま老婆を抱きしめて心の中で言った。
(ごめん、ごめんな、真理恵、あの時行ってあげられなくて……、俺が悪くて、俺が、本当にごめん……)
「啓介さん……、どうなされましたか?」
男性は小さく肩を震わせながら言った。
「真理恵、君を愛してる。ずっと……、これからも……」
「……はい」
老婆も頬に涙を流してそれに答えた。男性が言う。
「これからまたたくさん思い出を作りましょう、真理恵さん」
老婆は何度も頷いてそれに答える。
「はい、喜んで」
寒かった冬のあの夜。そんな冷たい風に吹かれ、まるで冷え切った体をお互い温めるかのように、ふたりは強く抱きしめ合った。
二度目の初恋。 サイトウ純蒼 @junso32
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