2.約束のクリスマス
「うーん、楽しかったね!」
「ああ、楽しかった」
土曜の午後。
それは真理恵が1週間で唯一自由になれる時間。夏祭りで啓介と知り合ってから真理恵はこの土曜日を楽しみに日々過ごしていた。
恋愛映画を観たふたり。啓介が言う。
「俺、最初は真理恵と映画を観るのやだったんだ」
「どうして?」
街を歩きながら話す啓介に真理恵が不思議そうな顔をして言う。啓介が答える。
「真理恵と居られるのは嬉しいけど、もっと喫茶店とかでたくさん話をしたり、手を繋いで遊園地とか行った方がいいと思ってた」
「ふ〜ん」
真理恵が頷く。
「でも、こうやっていい映画を観て、感情を共有できて、思い出にもなる。それも悪くないよな」
「そうだね。私は啓介と一緒なら何でもいいよ」
そう言って真理恵は微笑んで啓介を見つめる。啓介は照れながらもこの笑顔を一生守りたいと思った。
それから啓介は真理恵を色々なところへ連れて行った。
ゲームセンターにカラオケ、ネカフェにボーリングなど真理恵が関心を示す所は全て行った。根っからのお嬢様で何も知らなかった真理恵にとって、外の世界、特に何でも知っている啓介と一緒にいる事は楽しくて仕方がなかった。
「じゃあね。また来週!!」
「ああ、また」
土曜日の門限午後7時。しっかりと時間を守って真理恵を送り届ける啓介。一度だけ手は繋いだが、それ以上のことはできなかった。奥手だと思いつつもそれで楽しかった。ただ真理恵と居られるだけで良かった。
真理恵も啓介と別れる土曜の夜だけは寂しかったが、次の日からワクワクで朝を迎えられる。
(朝が来たわ。また啓介と会える日が1日近付いた!)
真理恵は初めて経験する幸せな日々に毎日感謝をしていた。こんな時間がずっと続けばいい。いやずっと続くものだと思っていた。私は幸せになりたい、なってもいいんだと初めて真理恵は思った。
ただ、そんな幸せと言うものは注意していても、気付くとその手の上から流れる砂のように消えてなくなるもの。
ふたりが出会って半年ほど過ぎたクリスマス。ついにその日がやって来た。
「ここからは辛い展開なんです。これ以上書けるかしら……」
老婆の顔に寂しそうな表情が浮かぶ。初老の男は立ち上がり、温かいミルクを持って老婆に渡し言った。
「少し休憩しましょうか。無理をする事はないですよ」
「そうね。少し休みましょうか」
老婆は温かいミルクを少し口にして答える。初老の男が言う。
「どうですか、気分転換にお庭でも歩きませんか?」
「ええ、喜んで」
老婆は嬉しそうに答えた。
老婆がこの施設にやって来たのは1ヶ月ほど前。
原因不明の病にかかり記憶を無くしてしまったとのことだった。裕福な家だったのか、最初は自宅で療養していたが「ひとりは寂しい」との理由で、男が働くこの施設へ入所した。
顔が広いためだろう、入居と共にやって来る訪問客。最初はその全てに対応していた老婆だが、記憶が無いため話が噛み合わず、やがて誰とも会わなくなった。
無口になり、表情がなくなる老婆。
そんな彼女が唯一心を開いたのがこの初老の男だった。ふたりは話をする中で、いつしか小説を書くようになる。治療の手助けにもなると思い、男も進んでその手伝いをした。
「クリスマスのお話、書けるかしら。わたくしに」
老婆は庭に置かれたお洒落なチェアーに腰掛けて言う。初老の男が尋ねる。
「辛いお話、なんですね」
「ええ、とっても」
春の訪れを喜ぶ小鳥が舞う庭園。そんな穏やかな景色とは対照的に、そう口にした老婆の顔が曇る。それでも老婆は顔を上げて言う。
「でも大丈夫ですよ、きっと。今日は何だか書けそうなの!」
「そうですか、無理はなさらずに」
「ええ、ありがとう」
老婆は隣に座る初老の男の横顔を見て言った。
「クリスマス? いいけど、大丈夫なの?」
啓介は真理恵の言葉を聞いて、心配そうに答えた。真理恵が言う。
「ええ、クリスマスの日は家でパーティがあるけど、翌日は大丈夫。夕食一緒に行こうよ」
クリスマスの翌日は土曜日ではない。それに夕食まですると門限は超えてしまうだろう。啓介が言う。
「真理恵、嬉しいけど、それはちょっと無理なんじゃ……」
「一緒に居たいの」
「え?」
真理恵が珍しく真剣な顔で言う。
「翌日でもいい。啓介と一緒にご飯食べて、星を眺めたいの」
「真理恵……」
そう言われると啓介に断る理由など何もなかった。ふたりはクリスマスの翌日、駅前の広場で待ち合わせる約束をした。
(だいぶ先に来ちゃった。ちょっと早すぎたよね……)
真理恵は約束の時間より1時間以上も早く駅前にやって来た。スマホの時計を見て苦笑いする真理恵。駅前は既に暗くなっており、帰宅を急ぐサラリーマンや学生の姿が目に付く。
(寒いなあ、でも嬉しい……)
真理恵は空に輝く星を見つけてにっこりと笑った。
(……もしかして、私、振られちゃったのかな?)
駅前に行き交う人々の影は随分と少なくなった。
約束の時間から既に2時間が過ぎている。真理恵は未だ来ない啓介の顔を浮かべて空を見上げた。
(連絡ぐらい欲しかったな……)
手足は長時間冷たい風にさらされ既に冷え切っている。ひとりで待っている間に数名の男に声を掛けられたがすべて断った。スマホで啓介へ連絡するも返事はなし。
(啓介、何やってるのかな。今頃……)
結局真理恵は終電近くまで啓介を待ち続けたが現れず、深夜に帰宅して両親より酷く叱られた。
「それだけでしょうか?」
「ええ、それだけです」
老婆が書く小説を隣で見ていた初老の男性の質問に答えた。
散歩を終え、再び部屋に戻ってきたふたり。また小説が書きたいと言い出した老婆の隣に座って男性は、その文章を読んで難しい顔をしていた。男性が言う。
「もし、もし差し支えなければ、その部分の補足を私に書かせてはくれませんか」
「補足?」
「ええ。それではあまりに寂しいので。私に書きたいことがございまして」
老婆は少し考えたがすぐに頷いて言った。
「ええ、どうぞ」
初老の男性は老婆から渡されたペンを持って、ノートに文字を書き始めた。
「あなたが啓介さんでしょうか」
クリスマスの翌日。真理恵との約束のため駅に急いで向かっていた啓介に、黒服の男数名が声を掛けた。立ち止まる啓介。やや警戒しながら答える。
「そうだけど……」
黒服の男は少し頭を下げて丁寧に言った。
「真理恵様より伝言を預かっています。少し宜しいでしょうか」
(真理恵!?)
啓介はその言葉に無条件に反応する。そして黙って男達の後に付いて駅裏の方へと歩く。
ドン!!
(うっ!?)
人通りもほとんどない駅の路地裏。
そこに辿り着くと男達はいきなり啓介の腹に強烈な鉄拳を食らわした。
「な、何を……!?」
すぐにひとりの男が啓介の後ろに回り込み羽交い絞めにして口を押える。そして目の前にいた黒服の男が近付いて言う。
「これ以上真理恵様に近付くな。いいか?」
啓介は身動きが取れないまま今起きていることへの状況整理を必死に考えた。
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