二度目の初恋。

サイトウ純蒼

1.小説を書く老婆

「さて、続きはどこからでしたっけ」


都市郊外にある民間のお洒落な高級老人ホーム。

その日当たりの良い二階の一室で、ここに暮らす老婆と施設の職員である初老の男性が向かい合って座っている。


男性の問いに老婆が答える。



「ええっと、確か……、う~ん、少女が出会ったところだったかしら?」


老婆は首を傾げながら男性の質問に答える。

日差しも暖かくなってきた初春。窓から入る風は春の香りを告げるように心地良い。

初老の男性はテーブルの上に置かれたノートを開いて指差して言った。



「そうですね。少女が男の子と出会った場面です。覚えていますか?」


老婆は更に首を傾げて答える。


「う~ん、忘れてしまったわ。ごめんなさいね、また教えて頂けるかしら」


「ええ、喜んで」


初老の男性はそのテーブルに置かれたノート、老婆がここで書いている小説を手にして話始めた。






「日高っ、早くそっちやってくれ!!」


「はいっ!!」


日高ひだか 啓介けいすけは初めてのバイトに悪戦苦闘していた。

高校に入っての初めての夏休み。期待に胸を膨らませながら迎えた夏休みだったが、啓介は色々なバイトの掛け持ちで心身共に疲れ果てていた。


「はい、どうぞ!! 綿菓子です!!」


今夜は1週間続く夏祭りの出店のバイト。

最終日の今日は打ち上げ花火もあるせいか、いつもより人出が多い。啓介は売れ行きの良い綿菓子を汗を流しながら作っていた。



(高校の夏休みも、これで終わっちゃうんかな……)


啓介は忙しさと共にやりがいのアルバイトを楽しんでいたが、思春期ならではのそんな一抹の寂しさを感じていた。その啓介の目にひとりの少女の姿が目に入る。



(え、綺麗……)


その少女は啓介がいる出店の前をふらりと通り過ぎて行く。

長く綺麗な黒髪。凍り付くような白い肌。大きいがぼんやりとした黒い瞳。やって来ている女の子の多くが浴衣を着てお洒落を楽しむ中、その子だけはなぜだが寝巻のようなラフな格好でひとりで歩いていた。



「ちょっと、トイレ」


啓介はそう別のバイトに言うと、一直線にその女の子に向かって走って行った。

賑やかな男女が楽しく歩む中、啓介はその女の子に戸惑いなく声を掛けた。



「ねえ!!」


声を掛けられ立ち止まる女の子。その声に反応して周りも少しだけ顔をむける。



「なに?」


女の子が振り向いて答える。長い黒髪がふわりと揺れる。啓介はそんな仕草ひとつにどきっとする。



「あの、俺さあ、そこの屋台で綿菓子作ってるんだけど、ひとり? 良かったら、俺と花火見ない?」


啓介は話しながら支離滅裂だと思った。

いきなり知らなない男に声を掛けられ付いて来る女などいない。話の脈略も滅茶苦茶。女の子は啓介を少し見つめてから言った。



「いいよ。花火見よ」


「え?」


逆に驚く啓介。女の子が言う。


「でも、お店はいいの?」


「あ、ああ……、大丈夫」


大丈夫な訳がない、ただ咄嗟に啓介はそう答えた。未だ信じられない啓介が尋ねる。



「ほ、本当に良かったの? 知らない男だよ、俺?」


女の子が首を振って答える。



「知ってるわ、綿菓子屋の人なんでしょ? 綿菓子売る人に悪い人はいないから」


女の子はそう言ってクスッと笑った。

啓介はこの女の子を見て綿菓子のような不思議な子だと思った。






「不思議な子、ですね」


老婆の前に座った初老の男が言う。老婆は少し微笑むと首を振って答えた。



「そんな事ないですよ。純粋に何を知りたかっただけ。それだけなんです」


「そうですか。で、この後の展開は?」


老婆が答える。



「少女の設定を書こうかしら。ちょっと辛いお話だけど……」


初老の男は黙って頷いた。






「お嬢様、真理恵まりえお嬢様っ! またお出かけですか?」


上品なワンピースを着た黒髪が美しい少女、真理恵は笑顔で答えた。



「そうよ、出かけてくるわ」


呼び止めた中年のメイドっぽい女が言う。


「あまり出歩かれては旦那様がまたご心配に……」


真理恵が答える。



「大丈夫ですわ。門限は守るし、今日のお勉強も全て終わらせてあるでしょ?」


「は、はあ。そうですが……」


真理恵に言われ、それ以上何も言えなくなるメイド。真理恵は軽く頭を下げると微笑んで出て行った。



真理恵は名門一条家のひとり娘として生を受けた。子に恵まれなかった一条夫妻にとって、晩年にようやく生まれたたったひとりの子供。それは大切に大切に育てられた。


真理恵もそんな両親の期待に応えるべく、勉強に運動に必死になって取り組んだ。

ただそうは言っても高校に入り思春期を迎えた年頃。学校の友達と遊びに行きたいし異性にも興味はあった。


そんな真理恵は、偶然クラスの友達がネットの掲示板に書いた書き込みを見つける。



『夏祭りの最終日、みんなで花火見よ!! 集合場所と時間は……』


夏祭りの花火。

とても素敵な響きに真理恵の心は高揚感に包まれた。ただ実際に行く事は簡単ではなかった。



「花火? ダメだ、そんなもの!!」


真理恵の父は話を聞くなり否定した。



そして迎えた夏祭り最終日。

真理恵は自宅から見える花火をぼんやりと眺めながら涙を流した。


(行きたい。私もあそこへ行ってみんなと一緒に見たい。ひとりはイヤ……)



真理恵はほぼ無意識のうちに屋敷の外へ出た。庭園用のサンダルに室内着を着たまま走り、花火会場へ向かう。



(集合場所ってどこだろう?)


スマホなど持って来なかった真理恵。

時間も集合場所も分からない。そもそもこの会場すらあまり来たことのない場所である。



(どうしよう……)


ひとり夏祭りの会場を歩く真理恵。

周りはカップルや家族連れなど賑やかで楽しそう。夏祭りの音楽が大きくなればなるほど、真理恵の心は寂しくなった。


その時、後ろから声が掛かった。



「ねえ!」


振り向く真理恵。

綿菓子を売っているという同じぐらいの男の子が立っている。初めて会う人なのに真理恵は思った。



――ああ、私、この人に会う為にここに来たんだわ。


真理恵は啓介を見て不思議とそんな感じがした。

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