2
太く、力強い。何者にも屈しないであろう声音だ。
「オババ……どうして!」
エリーの叫びと同時に振り返る。そこには大きく肩を上下させる老婆がいた。巻き衣から覗く脚は相も変わらず骨と皮だけだ。顔には汗をかくことすらできていない。長年の苦労が積もった浅黒い肌が、青白くさえ見える。ここまで来るのに相当な体力を使ったのだろう。リンヤは素早くオババに体を寄せる。ちょうど崩れてきた体を支えた。
「お前に色々言いたいことはあるが、とりあえずあとだ。ユニコーンの近くまで連れていけ」
「……わかった」
随分と軽いその体を、半ば持ち上げるようにしてマホメガのそばに連れていく。そこでオババは胡坐を組む。
「オババ、大丈夫?」
「ソウ、エリー、わしの背に手を当てろ」
有無を言わせぬ口調に、二人は大人しくその場にしゃがむ。そして薄い老婆の背に片手を当てた。しおれた両の手が、マホメガの心臓のあたりにかざされる。
そしてオババの口から、特有の節回しの詩が紡がれる。
「 昔々のその昔
ヒトとユニコーン
交わった
癒しか時か
選べよ ヒトよ
愛する者と
未来のため
ヒトは選んだ
癒しの力
昔々のその昔
ヒトとユニコーン
交わった
ヒトは力を
授かった 」
これはエリーが前に語ったモエギ族の伝承だ。マホメガより随分昔のユニコーンがモエギ族に与えた力について教えている。マホメガはその片方である時の力――ソウの力を目覚めさせるために、市長を操り、リンヤを利用し、エリーを捕えた。今なぜここでそれを言うのか問う前に、オババはまた口を開く。オババの声は途切れない。
「 昔々のその昔
ヒトとユニコーン
交わった
やがて生まれる
二人の子供
癒しか時を
身に持つ双子
我に捧げよ
転生のため
昔々のその昔
ヒトとユニコーン
交わった
ヒトは命を
贄にした 」
声が終わる。その余韻が市長室を満たした。
ソウがはたと気づいて真っ先に手を離す。その動作でリンヤもオババの為そうとしていることを悟る。
どうにかして二人の身代わりになるつもりだ。リンヤもソウも手の先を見た。ソウの手から漏れる光はもうオババの体に注がれてしまっている。途切れることはない。ソウの横顔が絶望に打ちひしがれる。
「ソウ、手を戻せ。疲れる」
「……わかった」
「オババ、それ……伝承の続き、だよね……?」
エリーにしては珍しく、ソウの言葉に重ねるように声を放った。ソウの行動からエリーも何か察したのだろう。普段柔らかな声は不安に揺れている。
「そうだ。エリーに教えたことはないな」
「どうして! だってこれ、この内容……」
「そうさな。ユニコーンの転生の折、主らのような双子が生まれる。転生の糧とするために双子は死ぬ。このことを言っておろう」
また叫ぼうとしたエリーを、ソウが肩を掴んで止める。ソウの顔を見て、エリーは静かに涙を流し始めた。
完全に部外者のリンヤにもわかる。孫の死を確信した人間が歩む人生は酷以外に表す言葉はない。伝えることは残酷すぎるが、自分一人で抱えるのも重すぎる。オババはきっとソウとエリーが生まれた瞬間から、悩み続けていたのだろう。そしてこの日のためにずっと、力の扱いを学んできたに違いない。
「最初は半信半疑じゃった。だがのう、ソウの力が目覚めたことで、確信したのだ。もう抗えないこともな。だからここまで来た」
そこでオババが激しく咳き込む。ソウとエリーから流れている光が弱まる。ただでさえ弱っていた体に鞭打っているのが伝わってきた。二人から流れる力の間に入ることは、相当なエネルギーを消費するのだろう。二人から力を吸い取り、さらにはその力をマホメガに流す。自然な流れを捻じ曲げているのだから、疲労するのは当然のことだ。だからたとえここで命が尽きなかったとしても……。
エリーはわからないが、ソウは少なくとも想像がついているはずだ。
リンヤはすばやくオババの横につく。体と手で、折れそうになった体を支えた。
「俺だけ仲間外れはやめてって」
背後の二人に笑みを投げかける。エリーはそれを見てさらに涙を落とす。ソウは悲しみを必死にせき止めている顔を、若干緩めた。
「よいな。これこそ仲間じゃ、仲間。わしの命をこの絆を守るために使えるとは、真に幸せなことじゃあないか」
オババは豪快に笑った。それは心からの笑いだった。
「オババ……」
エリーがオババの背に額を乗せ、すがりつくように泣く。
「エリー。顔を上げろ」
オババの口から厳しい声が漏れた。
「……はい」
反射でエリーが顔を上げる。顔は涙でぐちゃぐちゃだが、声は毅然としていた。オババとの積年のつながりが感じられた。
「お前は優しい。優しすぎるからこそ、弱い。だから長になれるのか心配しておった。だがな、今は自信を持って言えるぞ。これからのモエギは、エリーがいれば安心だ。よく成長してくれた」
「……はいっ」
エリーの目からさらに涙がこぼれる。それでもその瞳は背中から逸れない。薄紫色の瞳が涙で艶めき、まるで宝石のようだった。
目の端でオババが満足そうに頷くのを捉える。リンヤの位置からならオババの表情が見えるが、あえて横は向かなかった。
「リンヤ」
「えっ、はい」
オババがリンヤを睨みつけてくる。きっとそれは今、腑抜けた返事をしたからではない。
「わしの孫たちによくもひどい仕打ちをしたな」
「ははは……」
体は紙のように軽く、背中は曲がり、息も絶え絶え。それでも下から睨みつけられると、心臓が縮み上がりそうな迫力があった。頭を掻きながら、かろうじて空笑いを口から漏らす。
「まあ、よい。ずっと一人きりで寂しかったんだろう。だがもう……大丈夫だな」
オババの目元にしわが寄る。その視線がリンヤからマホメガに戻る。
「ああ。大丈夫」
小さく頷いて、リンヤもマホメガを見る。オババから注がれ続ける光で、その体は光り輝いていた。眩しさで体の輪郭がぼやけている。対してソウやエリーから出ていく光は少しずつ少なくなっていた。
「そして、ソウ」
「はい」
「グローリーシティとモエギの中間に生まれたお前が、これから歩む道は、とてつもなく険しく、厳しいものとなろう。時に惑い、時に逃げ出したくなり、この道を選んだことを後悔しそうになるかもしれぬ。だがな、お前はもう仲間の意味を知っておる。だから……」
オババの声が途切れる。ソウの視線を感じて振り返った。凪いだ薄紫色の瞳が、リンヤを見つめている。ソウは小さく頷いて、エリーを見た。エリーもソウを見つめ返す。ソウはまた頷く。
「ああ。俺は進める。何があっても」
最後にオババを見て、芯を持った声で言う。オババも大きく頷いた。
「わしの人生、とても良いものじゃった。何の悔いもない」
その言葉と同時に、ソウとエリーの体から水色の光が消える。残るはオババに灯っているものだけだ。オババもマホメガと同じように、まばゆいばかりに光っている。
ソウもエリーもオババの背から手を離し、その隣に並ぼうとする。
「そうだ、そうだ」
その二人を止めるかのようにオババが声を上げた。
「リーヴルによろしく伝えてくれ。お前はわしの愛する娘だと」
「わかった」
ソウが頷いたところを見るに、ソウの母のことなのだろう。
ソウの返答でオババは満足そうに微笑んだ。その体がいよいよ光り輝いていく。リンヤが支えていた体重がふっと消える。オババの体は、もう質量を持っていない。光の粒子が集まって、オババの輪郭を形作っているだけだ。
「生きろ、若人たち」
力強く、豪胆なその声が、ソウとリンヤとエリーの耳に降り注ぐ。
光の粒子は飛散し、マホメガの体に吸い込まれていった。既にオババのように光の粒子となっていたユニコーンの体は、光を一点に集中させていく。小さな球体になったそれは、やがて四方に弾けた。
市長室に静寂が残る。リンヤはぼんやりとオババとマホメガがいた空間を見つめた。血だまりが残っているだけで、そこに何かがいた形跡はない。
うまく動かない首を回し、後ろの二人を視界に入れる。二人も呆然と目の前の空間を見ていた。そっと腕を伸ばす。ソウとエリーの肩を抱き、二人の体を抱き寄せた。
その体は温かかった。生きている者の温かさだった。
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