グローリーシティの市民が続々と中央広場に集まってきている。非常時は中央広場へ集まること。それに誰も逆らわず、粛々と従う姿にガルはどうしようもなく苛立ちを感じた。一方でそれを歓迎する自分もいる。上から押さえつけられ、鬱屈とした気持ちは、一度火をつければ盛んに燃える。デグローニにとっては好都合だ。

 デグローニで用意した壇上に仁王立ちをして、市民が全員集うのを待つ。

 もう爆破の音はおさまっていた。元々街外れにあるグローリーシティの施設を全て破壊するためのものだから、その役目は終えている。グローリーシティはその施設をあくまで敵侵入対策と称しているが、休戦中の今は市民を満遍なく監視するためのものになっている。そこを破壊することで、デグローニの改革は始まる。

 姿こそ見えないが、遠くで仲間の放つ音が聞こえる。最も危険な対警備の部隊が、各地で敵を食い止めてくれている。率先して志願してくれた仲間の顔が次々に浮かんでは消えていく。双方死は避けられないだろうが、こちらにはエリーがいる。きっと少しでも多くの仲間が、帰ってきてくれるはずだ。

 さっと視線を走らせる。中央広場には数えきれないほどの市民が集まっていた。市民は壇上に立つガルを不思議そうに見ている。それでもざわめきは一切なかった。誰一人声を発してはいない。それが今のグローリーシティだ。

 ガルは護衛に目配せをする。その合図で中央広場付近に散らばった面々が警戒を強めた。ガルを守る者。中央広場に向かう者を阻止する者。市民の暴動に目を光らせる者。各自用意が整ったと見て、ガルは足元の拡声器を手に取る。

 今から始めるのは、旧時代の演説だ。

 息を吸う。放ちたい音の形に口を作る。

「市長は死んだ!」

 ガルの第一声が中央広場に轟いた。拡声器でがさついた声が、反響して街中に響いていく。

「我々を駒として扱い、我々を支配していた市長は、死んだんだ!」

 人々の内の大半は咄嗟に頭を押さえた。今やグローリーシティの人間は、赤子の泣き声以外耳から声を聞くことがない。押さえるべきは耳だとわかりもしないのだ。たった二十年で人間はここまで変わってしまう。

 そんな群衆を静かに見渡す。わんわんわん……と響いていた音が徐々におさまっていく。市民の表情にはまだ困惑も浮かんでいない。

 ガルは拡声器のスイッチに再び指をかける。

「我らはデグローニ! 市長の圧政に立ち向かおうと集まった! 口から声を出すことを禁じ、年齢関係なく戦争に参加させ、逆らう者には死を与える。暮らしに不自由はないが、自由もない。そんな現状を変えるために、今ここにいる!」

 広場全ての、否、グローリーシティ全ての耳が、今、この声を聞いている。

 口から出す声は、感情をよく乗せる。死んでいった仲間の顔が、妻の顔が、否応なしに浮かんで、声になる。後悔や悲哀、憤りや怒り、そんな言葉では簡単に言い表すことのできない感情を、口から出す声に全て乗せる。今この場で感情を表すことは、決して恥じゃない。命取りでもない。

 ガルはただ群衆を見つめた。周りの警戒は仲間を信じ、ガルは目の前の市民との対話に心を投下する。

「死ねと言われれば、死ぬ。戦争で命をかけて戦えと言われれば、戦う。子供も、大人も、老人も、関係ない。我らは等しく駒だ! シティの駒だ! それをおかしいと思ったことはないか?」

 群衆の表情は動かない。明らかに新人類ではない世代の者でさえ、無表情でこちらを見ている。だがここで誰一人ガルたちを捕えようとしないことこそ、その思いを如実に表しているのではなかろうか。それとも命令がないからまだ動かない。そこまでここの市民は腐ってしまったのだろうか。

 いずれにせよ、その心境を変えられるかどうかはガルにかかっている。息を吸う。唇を動かす。

「おかしいなどと口に出せば殺される。覚えてはいないか。十年前の悲劇を! シティに対する反逆者を討伐したという知らせを! それがデグローニだ。口で話すことを禁じたことから始まり、シティはどんどん狂っていった。それを止めるために立ち上がったデグローニを、市長はあっさり殺したのだ。逆らう者には、死を。そうしておかしいと感じる心さえ、殺されているんだ!」

 中央広場を隅から隅まで見ていく。ふと一人の男性と目が合う。ガルと同世代だろう。長年の疲労が蓄積したその顔をガルは見つめる。

 お前は動くのか? おかしいとは思わないか?

 男性は蛇に睨まれた蛙のように固まる。やがてふいっと隣に視線を移した。そして隣の人と何やら会話をしているようなそぶりを見せる。その男性が一人目だったようだ。中央広場の中でぽつぽつと似たような様子を見せる人が増えていく。自ら考え、口に出す。それがただ不安を暴露するだけのものでもいい。ガルに対する文句でもいい。何でもいいのだ。思いを口にし、強固なものにする。それが革命の二歩目になる。

 聴衆の中にデグローニは潜ませていない。きっと暴動の方へ誘導する人間がいれば、市民は一気にそちらに傾く。だがそれではグローリーシティとやり方は変わらない。デグローニは別の道を行かねばならない。

「なにも仲間を殺されていなくてもいい。シティに勝手に能力を評価され、未来を決められる。優秀なものには異様なほどの報酬を。そうでないものには汚物を。決められた枠の中を歩かされ、どんな不遇も自己責任。そんな経験ならば、誰しもあるだろう! それを指示していたのは、市長。ただ一人だ!」

 気分が昂っていく。狂っていくグローリーシティを眺めながら、歯噛みしていた日々は終わる。積年の思いを、今この場で口にできる。

 ガルの熱意に押されているのか、人々は少しずつ表情を変えていく。まだ無表情の者も多いが、ほんの少し目元を歪めたり、口元を引き結んだりしている者もいる。

 思い出せ。二十年前、誰もが思っていたことを。知らないのなら考えろ。この都市の異常さを。

 拡声器を地面に落とす。肺の中に空気をため込む。

「だが市長はもういない!」

 感情のままに叫ぶ。グローリーシティ中に轟く声だった。

「我々を押さえつけていた人間はいないんだ! 今こそ! 立ち上がる時だ!」

 こぶしを振り上げる。それに対する返事はなかった。中央広場はしんと静まり返っている。それでも何も動きがないわけではない。こぶしを下ろし、腕を組む。目を閉じ、人々に向けていた瞳を隠す。

 誰の声も聞こえない中、ガルは静かに待っていた。

(しょ、証拠は! 亡くなったという証拠はあるのか!)

 一人の勇気ある人間がそう叫んだ。ガルは目を開ける。最初に目が合ったあの男性だった。立場や状況が違えば、きっとデグローニに入っていただろう。そんな気がする。

 その男性の声に同意するかのように、皆がガルをじっと見ている。

「証拠はある」

 ガルはポケットから小さな機械を取り出した。立方体に小さなスイッチがついているだけの簡素な機械だ。録画と編集、そしてホログラム映像の再生をすることができる。もう録画は済んでいる。スイッチを押すと、三方向に向かって同じ映像が浮かび上がった。

 市長の顔と胸元が映っている。市長は誰かに押し倒されている。そして撮影者はこの押し倒している人物――リンヤだ。エリーを受け取る際に、リンヤから渡された。こうなることを見越して、事前に仕込んでいたらしい。

 リンヤから多くは聞いていない。市長を殺す手助けをする人物が現れたこと。武器を貸してくれれば革命時にエリーを差し出すこと。この二つの情報があれば、もう十分だった。リンヤはバシリアスの中から、ガルは外から革命を完遂するのみだ。

 小型機械の映像の大きさを微調整した後、再生を開始する。押し倒され、狂気的に笑う市長の体に、ナイフが深く突き刺さった。群衆が息を飲む。グローリーシティの人間で急所を知らない者はいない。どくどくと流れ出ていく血。力の抜けていく市長の体。そこで映像は途切れ、また最初から再生された。

 死の場面を何度か繰り返したあと、機械を止める。緩慢な動作でポケットにしまった。衝撃的な映像に皆は固まっている。

 市長、そしてその下の秘書課。グローリーシティのリーダーには、絶対服従が常だ。逆らう者には死しかない。それに逆らった者がいる。今まで唯々諾々として逆らってこなかった市民たちには、夢にも思わない光景のはずだ。この衝撃を乗り越えた者から、動き出す。デグローニの望む方向へ。

 ガルは静かに周りを見渡す。先程の男性がまた最初に動くだろうか。

「待ってください!」

 その時、中央広場に少女の叫び声がこだました。一度だけ聞いたことがある。この穢れを知らない声は、エリーだ。

 声の出所を探す。エリーは中央広場後方、北西側の通りから飛び出してきた。意外に敏捷な身のこなしをする。見張りの腕をすり抜けた少女は、人々の中に突っ込むことで、手出しをできなくさせた。そうしてガルのいる壇上までたどり着く。

 その足が一歩階段を踏む。エリーを止めようとした護衛を手で制す。エリーと正面から見つめ合ったまま、ガルは壇上に登り切るのを待った。エリーは緊張した面持ちでガルと対峙する。

「このまま争いを始めるのは、どうかやめてください。また無用な血が流れてしまいます」

 不思議な衣装を着た新たな人物に、再び民衆は動きを止める。いくつもの瞳が、一人の少女に全て注がれている。エリーは居心地の悪そうな表情をしながらも、ガルから視線を逸らさなかった。

「仲間の治療はどうした」

 エリーの肩に手を置く。その肩に指が食い込む。エリーの表情が歪んだ。無意識にかなりの力を入れていたようだ。

 それも無理はない。エリーがここまで来れたということは、護衛につけていた四人は何かしら戦闘に巻き込まれた可能性が高い。そしてここにエリーがいるということは、今なお傷を受け続けている仲間が、そのまま放置されているということだ。これはガルの采配ミスでしかない。

 しかしそれを無理やり巻き込んだ少女にぶつけるのは間違いだ。指の力を緩める。勝手な行動をしないよう手は置いたままにする。その動きに気づいたのか、エリーがやっと口を開く。

「私は傷を治すことはできます。ですが、傷を防ぐことはできません。だからここに来ました」

 エリーの指先が震えている。それを隠すかのように拳を作った。声音は存外しっかりしていて、震えはない。中央広場に行きわたるように大きかった。弱く、お人好しで、人の命令には逆らえない。そんな少女ではなかったようだ。もしかしたら凄惨な現場が、変化をもたらしたのかもしれない。そうだとしたら皮肉なものだ。

「傷を防がなくていい。モエギ族に求めるのは治すことだけだ。シティに傷つけられた仲間を、治すだけでいい」

 薄紫色の瞳がガルを見ている。ガルの言葉にもエリーはひるまなかった。緊張や怯えの色が見えるものの、逆らう強さが見て取れる。

「私は、モエギ族ではありません」

 意図の読めぬ言葉に眉を顰める。

「私は、エリー・エヴァルトです。あなたがデグローニではなく、ガルのように。私はモエギ族ではなく、エリーです」

 続く言葉が何となく察せられる。ガルは黙って続きを待つ。

「私は前にもグローリーシティに連れ去られました。そこでグローリーシティに住まう人々を見て、少しの間、時を共に過ごしました。だからグローリーシティが怖かった。命令さえあれば、どんな残虐なこともできるあなたたちが、怖かった」

 人々がじっとエリーの言葉に耳を傾けている。おそらく会話も誰一人していない。全ての視線が少女の元に集まっている。

「今またグローリーシティに連れてこられ、たくさんの人を見ました。デグローニの方々と、グローリーシティの方々との戦いを間近で見ました。好んで誰かを傷つける人。仲間のために戦う人。命令だからと仕方なく動く人。そこには色々な人がいた。グローリーシティ。デグローニ。モエギ。そうやって一言で全員を呼ぶことなんてできないと、わかりました」

 エリーが苦しそうに息を吐きだす。必死な様子がよく伝わってくる。それでも話すことはやめない。

「私たちは皆、同じ、人間です。癒しの力が使える。脳で会話ができる。そういった違いはあっても、痛みを感じる心は同じ。死が訪れるのも同じ。グローリーシティの人だから痛くない。デグローニの人だから痛い。そういうわけではありません。同じ人間だからこそ、同じように痛いと感じることができる。同じ人間だからこそ、千差万別の考えを持っている。私はそう思うんです。だからここまで来ました」

 エリーの肩から手を離す。中央広場の人々に、そして何よりガルに訴えていたその視線を、ガルの方から逸らした。

 エリーは全体ではなく個を見る。一人一人と向き合い、大切にすることができる。ガルたちだってきっと最初はそうだった。そして大切な一人を奪われて、絶望した。だから個を集め一つにし、グローリーシティに逆らうことにしたのだ。

「言いたいことはそれだけか」

 いくら変わったと言えど、そもそもの経験が違いすぎる。

「私たちはそれぞれ異なる一人の人間です。そこを誤って罪のない血を流すのは……」

 慌てて言い募るエリー。伸ばされた手を軽くはたく。ガルの視線はもうエリーには向かない。

「なら俺たちの憎悪はどこへ持っていく!」

 腹の底から叫ぶ。中央広場全ての瞳が壇上を見ている。ガルを見て、ガルの叫びを聞いている。エリーの言葉はいい材料になった。人々の目に浮かぶ感情が先程とは異なっている。

(そうだ! その男の言う通りだ!)

 やがて一人の男性がこぶしを掲げた。先程の男性だった。その表情には怒りや憎しみが表れている。

(ただシティの言いなりになるだけの人生なんてあんまりだ! 立場が上なだけで威張り腐る人間どもが憎い! 本当はそう思っていた!)

 その言葉に周りの人間の決意も固まっていくように見えた。その言葉がさざなみの如く広がっていく。このままデグローニの望む方へ、民衆は動く。

 悲願達成に笑みを浮かべた瞬間、

「――その憎悪は、俺の元へ」

(――その憎悪は、俺の元へ)

 こぶしを振り上げた人の隣に、急に人間が現れた。小さな声だったが、耳にも、脳にもよく響く。広場全体に浸透していく。

「……ソウ」

 エリーの口からその者の名前が小さく漏れた。


               〇 ● 〇

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