3
身を揺るがすような爆音が聞こえた。それから全てが始まった。一度起きた爆音は次々と音を重ねていく。東西南北いたるところから嫌な音が聞こえた。思わず耳を塞ぎたくなる。
ガルと数人の男女が立っている。今いるのは、デグローニという組織のアジトである店だ。薄暗いここで、目の前の数人は辺りを探っている。そうかと思えばいきなりその内の五人が入り口から出ていこうとする。まるで今の今まで何か会話があったかのようだった。脳で会話する能力を使っていたのだろうか。グローリーシティの人がそういう能力を持っていることは、オババから知らされている。
「エリー、行くよ」
若々しい青年ジャギーがエリーの戸惑いに気づき、口から声を出す。モエギ族に興味のあるらしい彼は、普段は明るく朗らかで、エリーの前では常に興奮しているような人だった。しかし今は重々しい表情を浮かべ、普段の様子は微塵も感じられない。
いよいよ始まってしまったのだと、実感する。
エリーは詳しいことを何も聞かされていないが、これからグローリーシティが破壊され、たくさんの人が傷つくことだけはわかる。そんなところは見たくない。ここから出ていきたくない。
本能的に足がすくむ。指先が震える。
「仲間を」
肩に手が置かれる。
「少しでいい。救ってやってくれ」
その手はガルのものだった。祈るように力がこもる。それは少し痛いくらいだった。
物々しい武装で身を固め、その表情は若干硬い。その声には仲間に対する情愛がにじみ出ていた。この人はソウを引き合いに出してエリーを従わせるような人間だ。それでも今この瞬間の言葉は嘘ではない。仲間を愛し、そのためなら非情になれる。きっとデグローニはそういう集まりなのだ。
「……はい」
本当は戦闘なんて見たくない。前にさらわれたときのように、おぞましい傷をたくさん見ることになる。それでもこの先に苦しんでいる人がいるなら、見過ごしたくない。
エリーは自らの掌を見つめた。この手は、人を救うことができる。思いを閉じ込めるように、指先を握りこむ、
ガルが先陣を切って外に出ていく。そのあとに二人続いた。ジャギーはその後ろ姿を見送り、別方向へ向かう。一緒に行動しないのかと驚いてしまう。
「おれらは後方支援。シティの警備隊と衝突しているやつらを救援するんだ」
ジャギーが短く言って口元を布製のマスクで覆う。エリーも事前に渡されたそれを身につけた。ジャギーが先頭に、その後ろにエリー。エリーを囲うように三人が左右と背後についた。
晴れ渡った空に、灰色の煙が立ち上っている。焦げた匂いが遠くからしている。爆発音は一時おさまっているようだ。その代わり短い間隔の破裂音のようなものが聞こえる。おそらくこれは銃撃音なのだろう。普段とは異なる異質な状況だ。
一方で本来そこに響くはずの、人々の恐怖の叫びや逃げ惑う声は一切聞こえない。不気味だった。
ジャギーはグローリーシティと外とを隔てる壁の方へ向かっている。煙を見る限り、爆発が起こった場所のようだ。細い路地を通り、物陰に隠れ、五人は進む。建物と建物の隙間から、通りが見える。そこでは人々が列をなして進んでいた。その中には怪我をしている人もいる。それでも表情は無だ。
治療をさせられていた時と、同じ顔。
モエギ族とは全く異なるものに気を取られてしまったのだろう。一瞬歩みが滞ったとき、偶然路地に目を向けた少年と視線が交わった。猫のようにしなやかな動作で、少年はこちらに向かってくる。エリーよりよほど幼い少年は、冷たい意思を瞳に宿している。その視線に貫かれ、足が全く動かない。少年は太ももから鮮やかにナイフを抜きとる。太陽の光を受け、刃先が不気味に光る。
今にも殺されそうな状況でエリーができたことは、目を瞑ることだけだ。すぐ後にナイフとナイフがぶつかる音がした。エリーに向かっていたナイフを、デグローニの女性が止めている。たしかコウコと名乗っていた。少年は精一杯力を込めているようだが、やはり成長途中で成人の力には敵っていない。少年とコウコの攻防の間にジャギーが背後に回り、頭に拳を振り下ろした。少年の目から光が消え、その場に体が倒れる。エリーは慌ててその下に手を差し伸べた。腕に感じる重みは、まだうら若い体のものだ。きっと十歳にもなっていない。
グローリーシティでは、こんな少年も、戦わされる。
「エリー」
ジャギーの声が聞こえる。エリーの視線は少年から離れない。白く弾力のある頬。艶めく金髪。不自由のない暮らし。戦闘。ナイフ。訓練。怪我。
「非常時、一般市民は中央広場に向かうよう言われている。けどその途中で明らかに怪しい人間を見かけたら、即拘束することになっているんだ。あと、シティの人間は脳だけで会話ができるから、意図せぬ行動をすることがある。当たり前すぎて伝え忘れてた。ごめん」
口布が大きく揺れる。ジャギーを見る。その言葉が飲み込みきれない。脳で話せることは知っています。その一言すら出なかった。今、その言葉を放つことに、意味も見いだせなかった。
住む世界が違う。生きて、見て、感じたことが芯から違う。エリーは、正真正銘ここで一人きりだ。そこから感じる恐怖が、全身を強張らせていく。そうして鈍った思考はコウコが振り上げたナイフで一気に動き出した。
「やめて!」
エリーは金切り声を上げて少年の体を抱える。コウコのナイフはエリーの体に刺さる寸前で止まる。
「殺さないわ。ただ動けないよう脚をやっておこうとしただけ。必要最小限よ。私たちはシティでの虐殺を望んでいるわけじゃない」
その女声は冷静で、澄んでいて、綺麗だ。それなのに言葉の意味はとても冷たい。グローリーシティを変えようとしている人たちも、グローリーシティに染まっている。
エリーは怯えたような目でコウコを見て、首を左右に振る。
「このシティを変えるには、多少の傷は必要なの。私たちも負う。相手も負う」
「この子に傷をつけることが、必要最小限だとは、思いません」
震える唇で言葉を紡ぐ。
「武器を取り上げ、縛るだけではだめなのですか」
コウコは不思議なものを見るような視線を向けてきた。そして眉を顰め、ナイフを見る。
「……エリーの言う通りだよ。武器を取り上げて、縛ろう」
ジャギーが助け舟を出してくれる。口元が思わず綻んだ。
「そうね」
コウコもジャギーに特に逆らわず、ナイフを腰に戻した。音一つ立てない滑らかな動作だ。
そして二人は少年の体から隠した武器を取り上げていった。両方の靴にナイフ。腕にナイフ。最初のナイフを合わせれば四本も隠し持っていたことになる。このような非常時に武器を持ち、誰かに攻撃することを強いられる。まるで現実とは思えない場所だ。
コウコが手際よく少年を縛る。その体を通りから見えない位置に横たえた。周りを見張っていた二人も戻ってきて、歩みを再開する。
壁がいよいよ近づいてきたところで、ジャギーが手を横に出した。エリーたちを止め、自分だけ通りに出ていく。爆発がすぐ近くであったのだろう。美しい建物が無惨にも崩れ、煙がすぐ近くで立ち上っている。口布越しにも臭いが感じられる。焦げた匂いと……血の匂いだ。
ジャギーはすぐに戻ってきた。がれきの向こうから手招きしている。
駆けつけるとそこには、凄惨な現場が広がっていた。
爆発で崩れた建物のがれきがそこかしこに転がっている。無事だったであろう建物も、無数の穴が開いて、今にも壊れそうだ。通りを飾る美しい電灯や緑の植木は折れ、倒れ、見るも無残な姿だ。そしてその中で、人が倒れている。赤い、赤い血が、路面にたくさん落ちている。崩れた建物の隙間から、人の手が覗いている。脚だけが地面に転がっている。
ここでは戦闘が起き、今は終息しているのだろう。動いている人がいない。
恐ろしい光景に目を見開いたまま固まる。コウコが仲間の元に駆け寄っていく。エリーの後ろについていた二人がエリーに合わせて立ち止まる。スラグとデリカだったはずだ。スラグがエリーの手に背を当て、進むよう促す。服越しに人の手の温もりが感じられた。エリーは促されるまま歩き出す。
最初にコウコの元へ行った。コウコは男性の頭の下に手を差し入れ、容体を見ている。腹に大きく穴が開いていた。エリーは考える間もなく手をかざす。手に水色の光が灯る。
「おれ……」
「口で喋らないで。伝えたいことがあるなら、脳で」
男性は顔を歪めた。笑ったのかもしれない。でも口から噴き出した血でかき消されてしまった。
「デグローニが、死にかけの時に……脳を使うかよ……」
コウコは口では何も言わなかった。その目は怒りと悲しみに満ちている。
圧政を行い、幼い子ですら戦いに向かわせるグローリーシティ。それを変えようと立ち上がり、敵ならば殺してしまうデグローニ。どちらが悪か、きっと誰にも決められない。両者は互いの信じたものに従っているだけだ。誰かが信じたものを他人が悪だと思っても、本人の意思を曲げることなどできない。
水色の光が徐々に小さくなっていく。男性の腹の傷は元通りになっていた。失った血の分青白い顔をしているが、一命はとりとめるはずだ。
「……ありがとう、エリー」
「傷は塞ぎましたが、この人はもう動けません」
エリーの言葉にコウコが頷く。
「後方救援隊に預けるわ」
「エリー、こっちも頼みたい」
ジャギーが手を振っている。そちらにも重傷者がいるらしい。スラグとデリカはまだ歩ける者に肩をかし、ジャギーのところへ向かっている。すぐさまジャギーのところへ行った。壮年の男性がその横に寝かされている。脚が変な方向へ折れ曲がっている。思わず目を瞑りたくなったが、助ける方が先だ。
そうしてその場に置いていかれたデグローニの面々を治療していった。一通り終わると、ジャギーたちは押し黙る。おそらく脳だけで会話しているのだろう。除け者にされているのが少々悲しいが、今は何かを考え、喋る気分にもなれないからちょうどいい。
立ち上がって、付着した血や埃を軽く落とす。そしてふと目を向けた先に、グローリーシティの警備隊がいた。全員縛られ、武器を取り上げられ、一か所に集められている。エリーに治療の暇など与えてくれなかったため、怪我をしたまま無理やり押さえつけられている。口から声こそ出していないものの、痛みに歪んだ顔がたくさんあった。
エリーはその一団に近寄り、全員に向けて光を放つ。柔らかく温かな光が複数人を包み込み、傷を癒していく。マホメガに無理やり治療をさせられていたときに習得した技術だ。ここで役立つとは、皮肉なものだ。
急に痛みが遠のいたのだろう。まだ意識のある警備隊の人が、驚愕の眼差しをエリーに向ける。若い男の人だった。エリーはその若者に向かって微笑む。本人は何が起きているか理解できないようで、傷とエリーの表情を交互に見た。
「なにしてる」
エリーの手から光が消える。スラグがエリーの手首を掴んでいた。エリーは全く揺らいでいない瞳でスラグを見た。
「傷ついた人の治療をしています」
「でもそいつらは……」
「あとで、殺すんですか?」
嫌な響きだった。『殺す』なんて言葉、使いたくなかった。でもきっとそうする気がした。
スラグが何とも言えない表情で口をつぐむ。思った通り、全てが終わった後でそうするのだ。全員ではなくとも、必ず死人は出る。それがこの人たちにとって『必要最小限』なのかもしれない。
「私には、わかりません」
スラグの手を掴む。少し力を入れただけで、あっさり外れた。
「こんな簡単に人を傷つけられる気持ちが。グローリーシティでは、そういう教育があるのだとは思います」
一人の青年の姿が浮かぶ。腕に深い傷を負い、血を流していた姿が、鮮明に浮かぶ。あんな傷を自ら作ったとは、今でも信じられない。自分の身や他人の身を傷つけることが、当たり前の世界で生きてきた人。でも、エリーのことを必死に守ろうとした。
「だからデグローニの皆さんは、今、ここにいる。そしてそのためにこの人たちを、助けてはならない。誰かを平気で傷つけ、見捨てる姿は、私には同じに見えます。グローリーシティの人も、デグローニの人も、怖いです」
四人がエリーのことをじっと見つめている。
コウコはいとも簡単にナイフを振るった。でも酷く心配そうに仲間を見ていた。スラグの手は温かかった。でも治療の手を止めた。人間は簡単じゃない。けして一面だけでは測れない。
「こいつらは、わたしの恋人を殺した。デグローニだからという理由だけで。だからわたしたちも殺すの。シティの人間だからという理由だけで」
コウコが苛立ちを見せる。その姿に怯えの心が目を覚ます。それでもエリーは口を開いた。
「それじゃあいつまでも、争いは続いてしまいます」
「そんなのわかってる。でもこの気持ちはどうしたらいい? その力で、癒してくれる?」
「……癒せません」
「だったら!」
コウコが今にも拳を振り上げそうな勢いで叫ぶ。
「でも、同じだから」
エリーはその言葉を遮った。
苦しんでいる人がいるなら救いたかった。この大きな力なら、普通の人より強い力なら、助けられると、漠然と思っていた。救いたい。その気持ちだけあれば、全員助けて、笑い合えると思っていた。
青白い顔が脳裏に浮かぶ。もう冷たくなっていたあの人は、どんなに力を注いでも、二度と動かなかった。
助からない人はいる。癒せない人もいる。
風が吹いた。暗い煙と、埃と、エリーの髪の毛が空に舞い上がる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます