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(……お前、変わった。昔のソウの方が、好きだったよ)
それはソウにだけ向けたかったのだろうか。感情を乗せたくなかったのだろうか。
どちらにせよ、今のリンヤはとても小さい。一人取り残された子どものように、不安げな表情をしている。リンヤはいつまでも過去に縛られている。そこで置いていかないでと泣いている。
「そんなの……知るか」
声と同時に左足を振る。かかとに隠しておいた刃が、右下の機械めがけて飛んでいく。右足が自由になる。
(器用なことだ)
マホメガの静かな声がした。そしてマホメガはソウに向かってくる。その距離僅か二メートル。馬の脚はたおやかに動くが、速い。機械を壊していては間に合わない。
焦りが頭をもたげた瞬間、腹の底で何かが蠢く。じわりと熱が広がっていき、徐々に膨張していく。これは、市長室で感じたあの熱だ。
マホメガまで一メートル。
ソウはその力を無理やり押さえる。自ら出ていこうとする前に、ソウが力を引きずり出した。体から熱が四方に散っていったような感覚になる。
まずマホメガを見る。その体の動きが奇妙な状態で停止している。リンヤもまばたき一つしないまま止まっている。どうやら時の力を扱うことに成功したようだ。
ソウは足を軽く振り、両足のつま先から刃を引き出す。足を同時に振ると、刃二本がそれぞれの方向へ向かっていく。
(わたしの動きまで止めるとはさすがだね)
「……!」
マホメガの声が脳から、機械が壊れる音が耳から入ってくる。手が自由になると同時に、機械からの音が停止する。どうやら時を止めている最中に、ソウが何かを傷つけることは可能だが、ソウが手を加えたすぐ後に再びその物の時は停止するらしい。
着地して、腰のナイフを抜き取る。最も使い慣れたそれは手の中にしっくり収まる。ナイフをかまえた状態でマホメガを観察したが、動く様子はない。ソウの力で止まっているのは本当のようだ。
「マホメガ、お前は何がしたい」
腹の中に残った力の欠片が、じわじわと減っていくのがわかる。おそらくこれが完全に消えた時、時が進み出す。そして自らの力でこれを全て放ってしまえば、時の停止はその瞬間に終わる。
腹とマホメガ両方に意識を向ける。
(君もなんとなくはわかっているだろう? わたしはかつてアテンダに助けられた。だから彼の望む通り、ダストリーシティを壊す。そのためにエリーやソウの力が……)
「違う。それは市長の望みだろう」
(市長とわたしは共にあるんだよ)
あくまで白を切るマホメガに一歩近づく。マホメガは当然動けないので、いつでもその体を刺し貫くことができる。だがマホメガに動じた様子はない。そもそも動けないのだから動じるも何もないが、このマホメガが殺されるくらいで動じるとも思えない。
飛びすされば一撃をかわせる位置で止まる。
「市長は、リンヤが来ることを知らなかったろう。つまりお前が独断で行動をしたということだ。本当の望みはなんだ」
ソウの声。ソウの息遣い。ソウが立てる音以外、何もない。耳に痛いほどの静寂の中、マホメガは白銀の毛を一ミリも揺らさず、佇んでいる。
(人間になど理解できようもないよ)
「それでもいい。答えろ」
(破壊を欲し、破壊を得る。それだけさ)
マホメガの言う通りその言葉の意を理解できず、眉をひそめる。
「ユニコーンはヒトを見守るための存在じゃないのか」
(言い伝えに準じる必要はないと思うが……そうだね、わたしは見守っているだけさ。ヒトに寄り添い、時に言葉を交わし、その行く末を見ている)
悪びれない様子に苛立ちが募る。確かにこれまでのマホメガは物理的には誰も傷つけていない。あくまで周りの人間を焚きつけ、言葉巧みに操っているだけ。だがそのマホメガの行為が傷を増やしたことは紛れもない事実だ。
「罪の意識……なんてものは聞くだけ無駄か」
(そのようなもの、シティにありはしないさ。ソウ、君もそうだろう)
腹の熱がもう残り少ない。マホメガの言葉を無視し、ソウは腰に巻いていたロープをほどく。ユニコーンの巨体を一人で動かすことは難しいため、前後の足をそれぞれ二本ずつ束ねて縛る。
次にリンヤの元へ行き、後ろから体を拘束する。首にナイフを当ててから、腹の力の欠片を握り潰す。粉々になったそれらが体から抜け出ていく。
周りの音が聞こえ始める。壊れた機械が出す電磁音。空調が立てる微かな音。リンヤの息遣い。
「……へぇ、時の力ってやつか」
リンヤはさして驚いた風もなく呟いた。
「俺の力を目覚めさせ、今日マホメガに引き渡すまでが条件か?」
「少しは驚きなよ」
「それはこちらのセリフとも言える」
首にナイフを当てられた状態とは思えない軽い口調だ。
思えばリンヤは出会った頃からずっとこうだ。軽口で身を固め、作り笑顔で心を守る。きっとソウに心など許していなかった。その事実に胃のあたりが苦しくなる。
「たかだか市長への復讐のために……って思う?」
「いや、リンヤの気持ちもわか」
「嘘だね」
リンヤがソウの言葉を遮る。一段低くなった声を耳が捉える。
(わたしも仲間に入れてくれないかい)
その声の意を探る前にマホメガが動き出した。鋭い角を前足のロープの隙間に差し込み、あっさり引きちぎる。自由になった前足の力を用いて、後ろ足のロープも引きちぎろうとする。
「ぐっ!」
マホメガの動作に一瞬気を取られた隙に、リンヤの踵のナイフが脛につきたてられた。反射的にリンヤの拘束を強める。
「さっすが、痛みじゃ動じない、ね!」
リンヤがソウの脛から勢いよくナイフを引き抜く。その痛みと反動でほんの一瞬力が緩んだ隙を見逃さず、リンヤは無理やり拘束を抜け出す。首元にあったナイフが若い喉元に傷をつける。
リンヤの血が宙を舞う。リンヤは一目散にマホメガの元へ向かう。滑らかな動作で右肩からナイフを抜き取る。マホメガが後ろ足のロープを引きちぎると同時に、リンヤが合流した。
血が舞った。
目の前の光景を処理できず、ソウは目を見開く。リンヤの血ではない。リンヤが持つナイフが、照り輝く刃先が、貫いて出した血だ。マホメガの心臓を、貫いて。
(急所は少し、外したね)
深々とナイフが突き刺さっているのに、マホメガの声は少しも乱れがない。まるでそうなることがわかっていたようにさえ見える。
「リンヤ、なぜ……」
「言ったでしょ? 何も変わらないって」
リンヤはマホメガの体からナイフを引き抜いた。刃先にべっとりと真紅の血がついている。マホメガの脚が震え、体が倒れた。巨体が起こす振動がソウの足の裏にまで響いた。
「リンヤの復讐は、マホメガも含んでいたのか」
「そうだよ。ユニコーンを殺すまでが、俺の復讐。こいつがいなけりゃ脳での会話も生まれなかった。父も母も死ななかった。シティがここまで狂うことは、なかったんだ。今のこいつがいなけりゃ」
リンヤの憎しみに満ちた視線がマホメガに注がれている。傷口からは血が次々とあふれ出し、口元から苦しそうな吐息が漏れている。
マホメガと出会ったあの日から、リンヤはこの時のためにずっと動いていたのだ。エリーを助けようとしたことも、ソウをここまで呼んだのも、そのためだった。
「いくら復讐のためとはいえ、自分の身をここまで危険にさらすのか」
リンヤの瞳が細められる。
「大丈夫さ。だって、ヒトを傷つけることができないんだから。そうだろう?」
少し視線をずらしマホメガを睥睨するリンヤ。それはまるで生き物でもなんでもない汚物を見ているかのようだった。
(気づいていたんだね)
「気づくさ。ヒトより強い力。賢い脳。自分でやった方がよほど早い」
「……だが、ヒトをいいように操ってそれを傍から眺めるのが楽しかった、とも考えられる」
リンヤがソウに視線を戻し、片方の口角を少し持ち上げる。
「まあね。でも確信がないから止まるなんて、俺には無理だった」
吐き捨てるような声音に、胸が締め付けられる。自分の身をそうまでして軽く扱うことに、身勝手な怒りを感じる。
グローリーシティでは自分の命ほど軽いものはない。命は駒。尊ぶものではない。その思想の上でリンヤとソウは育った。そうとわかっているのに、大切な存在があっさり命を投げ出そうとする姿に、なぜ胸が苦しくなるのだろう。
「結果としてリンヤは生きている。そうだとしても万が一ということもある。デグローニだっていただろうに、どうして一人で危険に向かう」
「言ったでしょ。仲間がいたら、復讐はできる?」
リンヤの視線がソウの胸元に注がれる。視線が合うようで合わない。
「俺が今言いたい仲間はそういう意味じゃない」
「俺は生きている。可能性の話をあれこれするのは無駄だ」
リンヤは声の揺れを抑えるように、一音一音はっきり発音する。
「俺は、リンヤが、自らの命を軽く扱ったことに、怒っている」
リンヤの言うことはもっともなのだ。今投げかけている言葉はソウのわがままでしかない。そもそもここに来ることから、全てソウのわがままだ。
リンヤの口から馬鹿にしたような笑い声が漏れた。
「言った通りだ」
眉根を寄せる。リンヤはソウの顔を見ていないが、どのような表情をしているのかわかったのだろう。次の言葉をすぐに続ける。
「嘘だねって言葉。その通りじゃん」
「いや、俺だって父をシティに殺されている。知ったのは最近だが、それでもリンヤの気持ちは」
「何もわかってないって」
リンヤの口元に浮かぶ笑みはそのままだ。いつも通りの薄い笑み。形のいい唇が弧を描き、そこから軽口が次々飛び出す。
しかし今は、その笑顔が、泣いている。
「だったら軽いなんて言葉は出ない。出るはずがない」
リンヤとの小さな、そして決定的な違いを指摘される。
ソウだってグローリーシティを憎らしく思う。真実を知った今ならなおさらそうだ。だが復讐に走るかと言われれば、きっと違う。リンヤの気持ちを理解できても、おそらく同調はできなかった。
「なら、今、気分は……晴れたか」
リンヤの口元が震える。
「晴れたよ!」
絶叫が耳に届いた。リンヤの視線が胸元に突き刺さっている。
「晴れたに決まってんだろ! ほんとにソウは何もわかっちゃいない!」
リンヤの声が次々と耳に入り、脳みそ全体を揺らす。その揺れがソウの脚を突き動かす。まっすぐリンヤの元へ向かう。
「わかるわけないだろ!」
リンヤの胸ぐらを掴み、叫び声を投げつける。咄嗟にソウの腕を掴んだリンヤは、やっとソウを見た。その表情は歪んでいる。それはきっと首を絞めつけられているからではない。
「リンヤはずっと隠してばかりだ! 俺に色々なものを与えるだけ与えて、一人で消えていく! 共に過ごした日々は全て作られたものだった! 復讐だけ見て、本当のことは何も言わず、ただ一人で生きる! そんな人間のことわかるわけがない!」
リンヤはずっと仲間ではなかった。それはソウにとって、悲しい。同時にリンヤがソウにとって大切な存在なのも、変わらない。
そしてリンヤにとっても、きっとソウは、何でもない人間ではない。そうでなければ、ソウが胸の傷を負ったとき、あんなに怒るはずがない。
様々な感情が混ざり合って喉元をせりあがる。
「だから俺は、ここに来たんだ!」
ソウより少し背の低いリンヤは、強い視線でこちらを見上げ、睨みつけている。獰猛な光を宿した瞳は、生々しい痛みを露わにしている。リンヤの手に力がこもる。思わず呻きたくなるほど強い。それでもソウは目を逸らさなかった。若紫色の瞳と青磁色の瞳が、憎悪と怒り、思いやり、喜び、全てを粉々に砕き、溶かし、混ぜ合っていく。
先に諦めたのはリンヤだった。ふっとその手が重力に従う。
「手、離して」
かすれたその声に素直に従う。リンヤの足を床に下ろすと、何度か咳をして喉を整える。
「ソウって、ほんとにさ……」
すっかり落ち着いた声がリンヤの口から落ちていく。その言葉を、遮るものがあった。
グローリーシティ中に爆音が轟いた。
〇 ● 〇
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