第8章 最後の戦い
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目の前にそびえるバシリアスを睨みつける。
前に潜入した際の構造から、経路を何通りも考えた。もうデグローニの協力は望めないので、この体にはナイフしか仕込まれていない。腰に手をやり、最も扱い慣れたナイフに触れる。準備不足は否めないが、今できうる限りのことはやった。あとは臨機応変な対応だ。訓練で散々やった。
夜の街に身を溶け込ませ、以前と同じ搬入口に近づく。偽造職員証を取り出し、カードリーダーに読み込ませた。ドアは開く。
前回、唯一取り上げられなかったのがこれだ。薄い物だし気づかなかった可能性も捨てきれないが、意図的に取り上げなかったのかもしれない。ソウは今、みすみす敵の罠にかかりにいこうとしているのだ。
リンヤに対する身勝手な欲。罠と知りながら挑む稚拙さ。自覚はしても脚は止まらない。
薄暗い通路を進んでいく。前と構造は変わっていない。リンヤと来た時に見つけた階段を、今日は上に向かって進んでいく。ソウの静かな足音が、壁に吸い込まれて消えていく。
一階、二階……と踊り場の数字が増えていく。三十階を超える頃には脚が痛みだしていた。浅い息が口から漏れる。
(認証を行ってください)
最上階まであと一歩のところで、階段内に声が響く。踊り場の横に設置された機器が声を発している。パスコードかカードで認証することになっているようだ。認証機器がこれほど少ないのは、この都市に反抗する者はいないということだろう。
ソウは目の前の機器を見つめる。前回はここを通っていないためパスコードはわからない。この偽造職員証も低階層にしか行けないとリンヤが言っていた。進みたい方向へ目を凝らす。特に違和感はない。つまり目に見えないセンサーが張られているはずだ。通った瞬間、その場で拘束されるだろう。
一旦引き返し、一つ下の階に降りる。途中にあるドアから出る。細長い廊下は静かにソウを出迎えた。奥に広いフロアが見える。人の気配はない。
(認証を行ってください)
フロアに出る直前で再び同じ音声が脳の中に飛び込んできた。先程見た機器と全く同じものが、廊下の壁に設置されている。
マホメガとリンヤがソウを呼んでいるなら、この装置の設定を切っておけばいい。逆に侵入を拒みたいなら、より強固な防衛手段がある。つまりあの二人は、ソウを試している。ここまで上がってこられないようなら、会う価値はないということか。
マホメガの視線を感じた。あの何をも見通すかのような空色の瞳だ。おそらくソウを求めているのはマホメガだろうに、こんな状況を用意する。マホメガにとっては全てがお遊びなのかもしれない。
偽造職員証を取り出す。一つの案として、一か八かこれを使い、警備兵が来れば蹴散らすというのはどうか。ナイフの数は、左右の腕に一本ずつ、左右のももに二本ずつ、腰に一本、左右の靴底に二本ずつ、胸元に小型を一本、計十二。そこまで多くはないし、それ以外の武器もない。唯一の好条件は狭さだけだ。多勢に無勢では、前回侵入したときと同じ状況に陥るだろう。そして今回は前回のように市長室まで連れて行ってもらえるとも思えない。
リンヤと出会ってから今日までのことを思い返す。いくらソウ相手でも、ヒント一つ提示せずにこれを解決しろと言うわけがない。何か隠されているはずだ。一つのヒントも見逃してはならない。リンヤは何を言った。マホメガとどんな会話をした。
頭の中に雪崩のように記憶が押し寄せる。必要なものだけ選択して確認する。その作業は、リンヤのある表情を思い出したところで停止した。口角を横に引っ張るようにして笑ったリンヤ。普段の軽薄な笑みとは違ったため、印象に残っている。
今思えばあの表情は、この未来を想像するときに、していたのではなかったか。
リンヤがああやって笑った瞬間を一つ一つ思い出す。そこまで数は多くない。
苦笑が漏れる。
「……リンヤ」
笑いと共に、仲間の名前が口からこぼれた。
気まぐれだったのか。優しさなのか。どこかで助けを求めているのか。マホメガと同じでお遊びなのか。リンヤの考えなどわからない。それでもリンヤはあの笑みと共に、ヒントを残した。
――俺は出会ったあの場所、あの時間に、感謝してるよ。
エリーを助け出したあの日、何の脈絡もなく放たれた言葉。あれはこの瞬間のためのヒントだったのだ。
一旦階段を上り、最初に見つけた機器の元へ行く。白く無機質なそれを見つめ、機器だけを範囲指定する。
(パスコードを入力する)
(パスコード。パネルが光ったら、六桁の数字を入力してください)
機器からの返事で確信が強まる。数字パネルが淡い緑色の光を灯す。
リンヤと出会ったのは、裏通り三十八。ソウが捕えられた時刻は十八時四十三分。『381843』と、慎重に入力する。パネルの光が消える。沈黙がその場に訪れる。痛いほどの静けさは、ソウの息の音さえ殺していく。
(認証、確認)
数秒の後、機器が言った。そしてその活動を停止する。ソウは再び駆けだした。
この前の侵入から計算すると、市長室は四十階にある。外から観察したバシリアスは四十階建てだったことも考えると、あながち間違っていないだろう。今通り過ぎたのは三十五階。
ソウは大きく息を吸った。残りの数階分を一気に進む。階段が途切れた。壁に『40』と刻まれている。廊下に出る。フロア直前で壁に張り付き、周りを観察する。市長室がある階とは思えないほど、静まり返っていた。マホメガの存在を隠すために元から手薄なのか、今日だけなのか。理由はどうあれ、ソウにとっては都合がいい。
フロアに一歩踏み出す。攻撃は来ない。すぐ右手に以前乗ったエレベーターがあった。左手には市長室がある。広いフロアを徒歩で行き、重々しいドアの前に立つ。
(認証を行ってください)
ソウの脳に言葉が降ってくる。部屋の中にいる二人にも聞こえる範囲指定だろう。
(パスコードを入力する)
機器の言葉を待たず、あの日警備兵が入力したものと同じコードを入力する。
(認証、確認)
機器の光が消える。自動ドアが左右に開いていく。腰のナイフを抜き、つばを飲み込む。ドアがすべて開き切ると共に、市長室に侵入した。瞬時に部屋が前と同じ構図であること、市長の遺体がソファに横たえられていること、マホメガが市長の机の横に、リンヤが机を挟んだ反対側に立っていることを把握する。
すぐさま襲いかかってきた赤い光線を右に飛んでかわす。次の光線が別で放たれた。身をかがめてかわすと同時に、一歩踏み出し、リンヤに近づく。その動きに合わせてまた光線が放たれる。
動きや見た目からして、殺傷力のある光線ではなく、拘束用だろう。上下左右四か所にある丸いボール型の機械が、ソウの動きを観察して攻撃している。
左後ろに飛びのく。背中側から伸びてきた光線をしゃがんでかわす。右手に持ったナイフを腰に戻しながら、左のももからそれより小さいナイフを取り、投げる。光の出入り口にぶつかり、左下の機械が停止した。下から攻めてきた光線を跳ねてかわし、その勢いで左腕に装着しているナイフを右上に投げる。当たる直前で光線にはじかれる。着地と同時に右下の光線がソウの足を絡めとる。体勢を崩された瞬間に、両手もそれぞれの光線に捕まった。左足以外を拘束され、ソウは大の字で宙に浮いた状態になる。
(やはり素晴らしい動きだね)
マホメガが賛辞を表現するかのように軽くいなないた。鋭い角が部屋の明りを受けて煌めく。
「さすが俺の見込んだ男」
リンヤは小さく肩をすくめた。そして口角を横に引っ張るように笑う。やはりそうだ。リンヤがそうやって笑う時は、いつだってマホメガと共に歩む未来を見ていた時だ。リンヤは最初からずっとマホメガ側だったのだ。
哀しみがふっと盛り上がり、溢れて広がっていく。
「リンヤ、これから何をするつもりだ」
「そんなのソウが一番知ってるでしょ」
リンヤの口調は乱れない。エリーやソウと過ごしていた時と、今と、何も変わらない。
「違う。俺は……」
「まさか仲間とでも言いたい? あのソウくんが?」
リンヤに図星を突かれ、言葉に窮してしまう。
グローリーシティでの仲間とは、その場だけのつながりでしかなかった。訓練で偶然組んだ者。やがて戦争で小隊を組む者。急ごしらえのつながりで、いかに良い成果をあげるかが、あそこでは重要だった。ソウもそれに準じて生きていたし、他の人間などどうでもよかった。リンヤと組んだのもほんの少しの反発心から。そしてエリーを利用しようとした。そこに相手を大切に思う気持ちなどなかった。
「ねぇ、ソウ。仲間って、なに? それで自由が手に入る? 口で話せる? 復讐はできる?」
リンヤの言葉が鋭いナイフのように耳に突き刺さる。口から出す声というのは、容易く感情を乗せる。
ソウが今リンヤに対して抱いている『仲間』は、リンヤの問いに全て首を振ることになるものだ。そうとわかってここまで来たはずなのに、いざ目の前にすると本当に胸を張っていいものかわからなくなってしまう。
リンヤはソウのことを見つめていた。宙に浮き、言葉を探すソウを、静かに観察していた。
(……お前、変わった。昔のソウの方が、好きだったよ)
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