6
一人の少女が眠っている。つい先程リンヤが置いていった。肩くらいまでの髪の毛を床に広げ、穏やかな表情で吐息を立てている。敵地のど真ん中でするはずのない表情に、ガルは何とも言えない気持ちになる。
眠りは平等だ。どんなに強い憎しみでも、深く眠れば忘れられる。ある意味最も残酷なものかもしれない。
「本当のモエギ族だ。あれ伝統衣装かな? 起きたら癒しの力見せてくれっかな」
ジャギーが興奮を隠すことなくまくし立てている。それをコウコがあしらっていた。こうなることを踏まえ、ジャギーはエリーから一番遠い席に座らせてある。
ガルは二人を一瞥してから、視線をエリーに戻した。その幼い表情を見つめていると、テーブルから耳障りな音が鳴る。無意識にひっかいていたようだ。古い木の皮がめくれている。手を離し、指先についた汚れを軽く落とす。そうすると必然的に手の甲の傷が眼に入った。甲を横断するように刻まれている。デグローニの粛清の際に負った傷だった。
果敢に立ち向かっていった仲間。目の前で撃たれた仲間。お前だけは逃げろと叫んでいた仲間。捕らえられ、皆の前で処刑された仲間。掴めなかった妻の手。両親の死の前で立ち尽くすリンヤ。
今でもありありと思い出せる。この憎悪は復讐をなすまで焔を消さない。復讐を果たしたとして、晴れるとも思わない。
――ガルさん、取引をしよう
リンヤの言葉が浮かぶ。澄み切った青磁色は、今や暗黒に染まっている。リンヤは馬鹿ではない。復讐の先に待っているものは何となくわかっている。それでもこの胸の内の思いは、消せやしないのだ。
だからリンヤはガルを利用し、ガルもリンヤを利用する。
その結果、手に入れた少女を見つめる。小さく身じろいでうっすらとまぶたを持ち上げていく。誰かを彷彿とさせる若紫色の瞳が露わになる。エリーはぼんやりとしたまま天井を見つめ、次の瞬間に飛び起きた。
「お目覚めか」
一つ異様に興奮した視線を加え、多くのデグローニの視線がエリーにだけ注がれる。注目を集めた少女は、怯えたような目で最終的にガルを見た。その口から紡がれる言葉はまだない。
「ここ、どこだかわかるか?」
立ち上がると、エリーはガルを素直に見上げた。長身でガタイのいいガルを見て、エリーは更に怯えたように見える。数歩分だけ近づき、そこでしゃがむ。
「……グローリーシティ」
ガルの動きを観察してから、静かに言葉を放った。たおやかで愛らしい少女の声が、寂れた店内に響く。随分とこの場に似つかわしくないそれは、デグローニの全員がしかと聞き取ったことだろう。
「その通り。また来てしまったってわけだ」
ガルの言葉にエリーの眉が上がる。すぐに引っ込めはしたが、なぜ知っているのかと思ったことは容易にわかる。リンヤの言う通り、感情が読みとれやすい人物のようだ。
「……あなたたちは、誰ですか」
「デグローニ。反グローリーシティ組織……って言った方がいいか?」
エリーは表情を歪め、口を引き結ぶ。膝に置かれた手が、小さく震えている。それを隠すそぶりも見せない。育ってきた環境がここにいる奴らとまるで違う。
「なに、殺しやしない。ただ少し手伝ってほしいだけだ」
疑いの視線が向けられる。迂闊に喋らないのは意図的か、ただ怖いだけか。
「まぁでも。帰るってのも止めやしないさ」
手伝う内容がくると予想していたのだろう。エリーの唇が開かれ、ガルの顔を見つめる。ガルはエリーから視線を逸らし、店内をゆっくり見回した。デグローニの面々は、無表情のまま二人のやり取りを見守っている。良心などはグローリーシティには必要ない。
「その代わり、ソウに手伝ってもらうがな」
エリーが目を見張る。どうやら効果はあるようだ。
リンヤが言っていた。ソウもリンヤもエリーを裏切っていたことに変わりはないが、ソウは本気でエリーを守ろうとしていたと。そしてそれはエリーも知っている。加えてグローリーシティという地獄を知らない上に、お人好しの性格ときた。
「お前だったら前線に出すつもりはなかったが……ソウは優秀だからな。どこでも使える」
エリーに視線を戻す。
「手伝ってくれるか? エリー」
次々と与えられる情報。仲間の危機。エリーはおそらく初体験だろう。
ガルに見つめられ、デグローニに見つめられ、エリーは必死に心を保っている。そんな人間が次に口に出す返事は、一つに決まっていた。
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