2
デグローニの拠点から、モエギ族の森に直接向かった。見よう見まねで壁を開け、窮屈な都市から抜け出す。
静かだった。機械音の代わりに、生物の声が占める森。それでも静かに感じた。こういう時にいつも隣にいた存在が今日はいないからだろうか。リンヤは今、どこで、何をしているのか。何を考えているのか。薄暗くなっていく空は、何の答えも与えてはくれない。
誰にも見つからないよう森を進み、集落の近くまでやってくる。エリーの家は集落の一番奥。左右に立ち並ぶ家々のその先にあった。他の家より大きく、天井も高い。
ソウは森を迂回して、エリーの家の裏手に回った。夕刻の集落はひと気がなかった。夕餉時なのだろう。家の中から子供のはしゃぐ声や、家族の談笑が漏れ聞こえてくる。
そこでソウは待った。食事を終え、家族の時間を過ごし、そして寝静まるまで、待った。
夜空の頂点に月が浮かぶ頃、ソウは動き出した。茂みに隠れつつ、今までで一番集落に近づいた。手ごろな石を拾い、親指ではじく。勢いよく飛んでいった石は、エリーの家の壁に当たる。小さな音を立てて、地面に転がった。そこまでを見届けると、ソウは踵を返す。集落が見えないくらいまで離れ、伐採によって少し開けた空間を見つけた。手近な切り株に腰を下ろす。
少しの間その場で待っていると、足音が聞こえてくる。
「来るのが遅い」
「……すまない」
オババの理不尽な物言いに苦笑が漏れる。その表情を見て、オババは満足そうに微笑んだ。
「それは何の謝罪だ? ここまで老体を歩かせたことかい?」
「その方がオババにとっても都合がいいだろう?」
「生意気なことを」
言葉とは裏腹に怒った様子のないオババは、ソウの向かいの切り株に座る。力強い光を宿した瞳が、こちらを射る。ソウと同じ若紫色の瞳だ。
「時の力とはなんだ」
オババが片方の口角を上げる。めくれた唇の隙間から、欠けた歯が見えた。
「たしかにわしは頭がきれるが、少しは何を知っているのか話せ」
「確かなことは何も」
簡単な一言で片づけると、オババは先を促す視線を向ける。ソウが母を巻き込まないことなど、とうに予想済みだったのだろう。
「あくまで予想だが、俺はモエギ族の血を受け継いでいる。だから時の力が使える。そしてこの力が使えるのは、長の家系のみではないか……。こんなところだ」
「リーヴルと違ってお前は随分頭が切れる。父親の血か」
オババの口から自然とソウの母の名前が漏れる。言い慣れたその様子は、ソウの予測が合っていることを示している。
「つまり、父はグローリーシティの人間なんだな」
「ああ。そうだ。お前たちお得意のスパイとして、森を偵察していたらしい。そこで二人は出会い、やがて双子を授かった」
オババはそこで一呼吸置く。ソウの感情を案ずるように見えた。だがソウにそこまでの動揺はなかった。予想が現実になっただけだ。
「そして両親は俺だけを連れ、シティに越し、全てを知る父は殺された……」
それを示すように、オババの言葉を継ぐ。オババは嘆息する。
「当然、長としてリーヴルを追い出すしかなかった。それすらもグローリーシティの思惑だったのかもしれんな。出ていったその後は知らなんだが、ソウの言う通りなんだろう。モエギの血を持つ者だけ手元に残すのは都合がいい」
「そしてそれが……俺だったのなら、なおさら」
ソウの低い声が漏れ出ていく。その音は暗い森の中に吸い込まれた。組んだ指先に力が入る。短い爪が手の甲に僅かな引っかき傷を作った。
「……エリーのような強大な癒しの力を持った子が、わしらエヴァルト家に何代かに一度生まれる」
オババが静かに話し出す。対面して座るソウを射る視線が、何を示しているのかわからなかった。暗闇ではそこに浮かぶ色さえも曖昧だ。
「だが稀に、強大な癒しの力と時の力が同時に生まれる。つまり双子が生まれる……と言われている。遠い遠い言い伝えだから、お前たちを見るまで半信半疑だったがの。そもそも時の力を操る子すら見たことがないわい」
「なら俺は……」
掌を見つめる。この皮膚の下、無数に伸びる静脈や動脈の中に、モエギ族の血が流れている。闇に目が慣れてきたのか、自身の手にできたまめが見えた。訓練で使い古された手。殺しも、脅しもやってきた手。グローリーシティに染まった手だ。
「いわば俺はハーフだ。単純に血が薄められ、力を持たずに生まれたのではないのか」
オババが切り株に片足を乗せる。薄い靴底がかすれた音を立てた。
「何か心当たりがあるからここに来たんだろ? 逃げるな」
オババの言葉が胸を強く打つ。ただ可能性を潰すためだけのつもりだったが、寧ろオババにはソウの本心が透けて見えたらしい。身の内にそのような感情があったことに驚く。こぶしを握る。
「エリーを助けに行ったとき、時が止まった。あの状況を思い返すと、マホメガたち……マホメガとは」
「知っておる。エリーから聞いた。ユニコーンじゃろ」
「ああ。そのマホメガと市長は、エリーより俺を求めているようだった。俺の中の何かを、求めていると言った方が正しいか」
オババは小さく頷いて、ソウの胸元に視線を向ける。癒えかけている傷の上に、もうネックレスはない。
「ネックレスは?」
「すまない。マホメガに壊されたんだ」
「やはりな」
「やはり?」
眉を顰める。オババはソウの疑問にすぐ答えを出す。
「あの石はな、お前の力を抑えるために渡したのだ。翡翠というのはモエギの力を抑える効果がある。なんとなく、お前に将来会う気がしていた。だからエリーに渡さずに取っておいたのだ」
オババの目はどこまで先を見ているのか。祖母を呆然と見つめてしまう。
守られているような感じがしていたのはそれが理由だったのだろう。マホメガにネックレスを壊されてから、体の中の力が強く感じられるようになった。あの内側から溢れ出る衝動。今でも思い出せる。荒れ狂う波のように腹から体中を駆け巡り、抑えがたくなる。
指先が震える。隠すようにもう片方の手で覆った。
「……リンヤが、存在を消された。だからここに来た」
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