第7章 己が道

 寂れた店のドアを五回叩く。それからしばらく待つ。

 待てど暮らせど返事は来ない。店内に人の気配はある。デグローニの面々は、このドアの前にいるのがソウだとわかっているのだろう。

 もう一度ドアを叩く。今度は先より強く。

 返事はなかった。

 リンヤのいないデグローニにソウの居場所はない。ソウ自身も、もうデグローニとは別の道を行っている。だからこのドアは開かない。

(ドアを開けなければここで声を出す。わかっていると思うが、痛い目を見るのはそちらだけだ)

 ドアの中の部屋の大きさは既に把握している。そこに満遍なく行きわたるよう範囲を設定して声を放った。そしてまた待つ。

 しばらくして細くドアが開けられた。閉められないよう先に足先を入れ、それからドアに手を掛けた。ソウの行動とは裏腹に、特に抵抗なくドアは動いた。普段のように体を滑り込ませるようにしてアジトに入る。後ろ手にドアを閉める。鍵を閉めずに一歩前に踏み出したが、周りの人間は誰一人動かない。

 店内には十人ほどの男女が集まっていた。無論中心にガルがいる。リンヤに連れてこられた時のような明るい雰囲気は微塵もなく、重苦しい空気が空間を埋めていた。これが本来のデグローニ、否、デグローニの憎しみの面なのだろう。

 陰鬱とした瞳が全てソウに向けられている。

「リンヤはどこにいる」

 ソウはその空気を切り裂くかのように、力強くはっきりとした声を出した。素早く視線を巡らすも、誰の表情も動かない。よく訓練されているグローリーシティの人間と同じだ。

「リンヤはデグローニを抜けた」

 ガルがテーブル席に腰掛けたまま言い放つ。静かな声音だったが、不思議とアジト全体に響くようだった。

「そのままにしていいのか?」

 ソウは敢えて嘲るような笑みを浮かべた。ガルではなく、近くにいる人間の表情が小さく動く。ジャギーだ。モエギ族に興味を示していた男。

「リンヤは抜けたあと、ここの存在をばらすような小さな奴じゃあねぇよ」

 ガルは表情を変えず、平静な声音で返してくる。アジトの暗い電灯がチカチカと明滅する。

「なら、リンヤはどこに行った。そこまでの仲だ。知らないわけあるまい」

「あいつにはあいつの自由がある。そこにおれが干渉する権利はない。そういう仲だ」

 ガルはテーブルのグラスを手に取り、小さく回す。手の甲の傷が光の反射でくっきりと浮いて見えた。手の動きに合わせ、氷が涼やかな音を立てる。ガルはその酒に口をつけることはなかった。

「リンヤは存在を消された」

 氷の音がやんだタイミングで、ソウは言う。ソウの声がまるでその余韻のように、店内に響いていく。周りの人間が小さく息を飲む。今度はジャギーだけじゃない。

 ここに来た目的は二つある。一つはリンヤの居場所の断片でも探ること。今の様子では、ガル以外のデグローニの面々は、リンヤの居場所は知らないだろう。

「それでもデグローニは、放っておくのか」

「だから、リンヤはもう……デグローニじゃねぇ」

 ソウはガルに視線を向けつつ、意識は周りの人間に向けていた。

「捨て駒だったのか? 所詮シティと同じか」

「おまっ!」

 ジャギーがこぶしを握り、立ち上がる。椅子が高らかな音を立てて倒れた。

「ジャギー」

 周りの人間が止める前に、ガルが手で制する。ジャギーはその手を見つめながら、唇を噛みしめた。その顔には、混乱ともどかしさが渦巻いている。ソウはデグローニを何も知らない。それに苛立っているジャギーも、今、何も知らない。

 きっとガルしか知らないのだ。それでも何も聞かない。それはガルのことも、リンヤのことも、信じているからに他ならない。そこに土足で踏み込み、無礼をかますソウに怒らないわけがあるまい。それでもガルは、表情を変えない。

「そんな浅はかな挑発にのるように見えたか?」

「欲しい情報はもう得た。だから改めて聞く。リンヤはどこにいる」

 ガルは目を細める。その腕が静かに下りていく。

「贅沢な奴だ」

「リンヤに会いたいんだ」

 ガルの片頬が小さく動く。

「そういうことは軽々しく口にしねぇ方がいいって、習わなかったのか? 『九代のソウ』さんよ」

 小さく首を傾けたガルは、馬鹿にしたような視線をソウに向けてきた。その声音には苛立ちがにじんでいる気がした。

「まだこっちに来て日が浅い。わからないことだらけだ」

 軽く肩をすくめる。その仕草をガルはじっと見ていた。

 ガルに歩み寄っていく。周りの人間は歯がゆそうな顔をしながらも、止めることはなかった。ここはもうガルとソウの場だ。それはわかっているのだろう。

「だからこそ、この気持ちを捨てない」

 ガルの目の前で止まる。大柄なガルをソウは見下ろす。置かれたグラスの下に、水たまりができている。

「お前はこのままでいいのか。リンヤの安全は保障されていない」

 ガルが顔を上げる。底の見えない瞳が顔の中心に一対あった。リンヤと同じ目だ。その奥底には憎しみが渦巻いている。

「リンヤを……我が子のように思っていたのではないのか」

 ガルはソウから目をそらさない。暗い瞳にソウが映っている。

 憎しみに囚われた人間は、情より復讐を選んでしまうのだろうか。そんな一つの悲しみが、胸に浮かぶ。

 ガルはゆっくり瞬きをした。

「……憎しみでのつながりは、そんな簡単じゃねぇんだ」

 ガルの言葉が鉛のように重く心にのしかかる。想像が現実となって、口が動かせなくなる。

 こんな時、脳での会話なら簡単だ。いくら心が重くとも、一瞬で声を出せる。だがそれでは何も変わらない。ソウは『九代のソウ』のままだ。

「これは、俺のわがままだ」

 ひどく乾いた声が出た。ガルは淀んだ瞳のまま、目を細めた。

 ガルを見下ろした顔に、長い前髪が落ちてくる。それはソウの顔に影を落とす。

 リンヤの顔が頭に浮かぶ。なぜか笑顔は出てこなかった。軽薄な笑みばかり見ていたはずなのに、浮かぶリンヤの顔は憎悪に満ちたものばかりだ。

 リンヤの復讐はきっとまだ、終わっていない。ソウはリンヤが何をしようとしているのか知りたい。その行動はリンヤの復讐を止めることにつながるだろう。リンヤにとっては救いでもなんでもなく、ただの邪魔立てだ。それでもリンヤに会って、話を聞いて、その身の内の思いを分かち合いたかった。

「このわがままを、今は貫いてみる」

 ガルは黙っていた。他のデグローニの面々も黙っていた。

 リンヤを想う気持ち。デグローニの一員であること。ここにいる皆、立場は同じ。その中でソウだけ、前者が大きい。たったそれだけの違いだ。

 ガルに背を向けた。出口に向かって歩き出す。

 万が一にかけてみたが、もう聞き出せることも、見いだせることもない。短いやり取りで十分わかった。

 電球がジジッと音を立てる。薄暗い店内が一瞬暗闇に包まれ、また元に戻る。出口の前に着く。

「おれも、リンヤも、胸の内にある憎しみは、変わらない」

 ガルの低い声が耳に届いた。口から出す声は、感情を色濃く見せる。

「ああ。それでいい」

 ドアノブに手を掛ける。周りの人間は誰も動き出さない。無論ガルも動かない。

 ここに来たもう一つの目的は、デグローニがソウを殺すかどうか確かめるためだ。いくらソウでも大人数を相手にすれば勝ち目はない。そしてデグローニの悲願達成のためには、ソウの存在は邪魔だ。それでも動かないのは、何かしらの命令が働いているということだ。

 ドアを開けると、オレンジ色の光が目を刺した。ソウは夕日の中に身を落としていく。橙色の光の中で、ソウの頭にはリンヤと、マホメガの姿が浮かんでいた。

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