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「どれ、今日はお前の親について話してみようか」
しわがれた声が口から漏れ出ていく。今発した言葉に、エリーは驚いて言葉を失う。オババの代わりに鍋をかき混ぜていた箸が止まる。
エリーに両親のことを話したことはない。彼女自身の底知れぬ優しさ故に、両親のことについて尋ねられたこともなかった。
「ど、どうしたの……急に」
驚きでどもるエリーに普段通りの笑みを浮かべる。感情が表に出やすく、喜怒哀楽を素直に見せるこの孫は、どう考えても母に似たのだろう。つまりはオババの娘に、そっくりということだ。
「気まぐれじゃ」
無論エリーは馬鹿ではない。幼い頃から集落の者に敬遠され、それなりに人間というものを学んできた。そしてグローリーシティに連れ去られ、苦い現実というのも見たはずだ。故にこの前の出来事がきっかけなのは気づいただろう。
エリーは顔を隠すように俯いて、椀に鍋の汁物をよそう。渡された椀を素直に受け取る。そこに入っている量は、エリーのそれと比べて随分と少ない。
「単刀直入に言ってしまうとな、お前の母親はグローリーシティにいる」
椀の中身を軽くすする。塩味が程よく効いたいい味付けだった。弱った体でも美味しく食べることができる。
静かに嚥下してからエリーを見る。思った通りその体は驚きで凍り付いていた。
「グローリーシティからやってきた者と恋に落ち、双子を産み、出ていった」
率直で、短いオババの説明に、エリーは口を震わせる。
「……な、なんで、私は置いていかれたの……」
エリーが食いついたのは後者だった。無理もない。オババ自身、エリーに愛情を注ぐよう努めていたが、親からもらうそれと、祖母からもらうそれでは全く異なる。
孫の細く白い手が、恐怖と哀しみで震えだす。手振りで椀を置くよう指示すると、エリーは恐々それを床に置いた。
「お前のその立派な力は、生まれた瞬間から発現しておった。お産の時にの、どこからか侵入した虫が死んだ。隣に落ちてきた虫を、赤子のエリーは生き返らせたのだ。赤子の時点でそれでは、グローリーシティの中では隠しきれぬと思ったのだろう」
「そう、なんだね……」
エリーが掌を目の前に持ちあげ、笑いを漏らす。悲痛に染まった表情を見て、胸が痛まないわけはない。だがいつかは話さなければならないことだ。そしてその役目は担うのはソウではない。娘を止めきれず、孫も守り切れない老婆の役目だ。
「先程双子を生んだと言ったな」
「ああ……うん。その子は、連れて行ってもらえたってことだよね。男の子? 女の子? オババは知ってる?」
答えようとした矢先、喉が詰まる。咳が出そうだ。落ち着いた動作で椀に口をつけ、咳ごと汁を飲みくだす。
「わしは知っておる。……それにエリーも知っておるよ」
「え……?」
エリーは目を丸くしてオババを見る。それから視線を空中に彷徨わせた。その間のエリーの表情は、驚いたり、悲しんだり、訝しんだりと、忙しなく変わった。
最終的に見せたのは、悲しみだった。オババに否定してほしいと表情が言っている。
「ソウか、リンヤ、じゃないよね……?」
エリーに聞いた話によると、ユニコーンの命令で、大勢のグローリーシティの者を治したらしい。だからエリーが出会ったグローリーシティの人間の数はかなり多い。だが二人共通の知り合いと言えば、選択肢は絞られてしまう。
「当たりじゃ。ソウの方だ」
エリーの口が開く。勢いよく言葉が飛び出しそうな雰囲気だった。受け止めようと待ったが、何の音も聞こえない。様々な言いたいことを飲み込んだ末に、エリーは「……そっか」と小さく呟いた。
エリーはとても優しい。だからこそ、今も感情のままに否定しようとした自分を、止めたのだ。全ての反論を飲み込んで、オババの言葉を信じた。
痩せ衰えた孫の姿を改めて眺める。この痩せ方では、力の暴走を起こすのも頷けてしまう。他のモエギ族と比べてかなりの力を持っているはずなのに、その力が枯渇し、生命にまで手を出した。昔も今も、グローリーシティの人間は変わらない。骨と皮になった手が、無意識に拳を形作る。
「ソウには……力があるように見えなかったよ。すごく優秀な人だから、使う必要がないなら別だけど……」
エリーはどこか諦めたように話し出した。ソウとエリーは目の色や顔立ちが似ている。そのことはエリーも認めているのだろう。そもそもソウと双子でもきっとさしたる問題ではない。エリーを傷つけているのはそんなことではないのだ。
伏し目がちに話すエリーを見つめる。一人で育ててきた愛しい孫が、目の前にいる。小さく息を吐き、新しい空気を肺の中にたくさん取り入れた。
「そうだな。それはわしにもなぜだかわからん……。エリーが全て持っているのか、ソウが力に気づいておらんのか。なにせお前は……」
『選ばれし子』
そう言おうとして口を閉じる。エヴァルト家に何代かに一度生まれる強大な力を持つ子。だが事実はそれだけではない。もはやこの言葉は、オババにとっても、エリーにとっても、呪いのようなものだ。
「選ばれし子、だよ。私は」
エリーが顔を上げた。その表情は傷ついた心を表している一方で、どこか毅然としていた。ずっと見てきたからこそ、彼女の何かが変化したことがわかる。
「だからもう、ソウとリンヤには会わない。オババはそのためにこの話をしてくれたんだよね?」
そう言って微笑む孫の顔は、随分と大人びている。グローリーシティに連れ去られ、友に裏切られ、不本意ながら世の中を知ってしまった少女。
寂弱と喜びが同時に押し寄せる。エリーにばかり辛い思いをさせてしまうことが不甲斐なくて仕方ない。
「エリー……」
その言葉を全て紡ぐことはできなかった。心臓が強く締め付けられ、大きな咳が止まらなくなる。椀が床に落ち、液体をぶちまける。
「オババ!」
大声のはずが遠くに聞こえた。
不甲斐ない。エリーも、ソウも、守ってやるべき存在なのに、老いはこうも体を蝕む。二人に何か、してやりたい。
強い思いとは裏腹に、目の前は霞んでいき、やがて何も見えなくなった。
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