3
気づくきっかけは連絡先だった。バシリアスから帰ってきて、僅か一日後のことだ。
エリーに会いに行く日取りを決めるため、リンヤと会う必要があった。そこで連絡を取ろうと連絡用端末を耳に取りつける。
(リンヤに連絡を)
端末の内部にだけ向けて声を出す。
(登録名、リンヤ。存在しません)
端末からは無機質な言葉が返ってきた。無意識に体が揺れ、座っている椅子が軋んで音を立てる。耳に直接入り込んだその音で、心臓がいやにしめつけられる。
これが何でもない日なら、連絡先を変えたのだろうで済んだはずだ。だがこの時は押さえつけていた違和感が、ソウの頭の中に次々湧いて出てきた。
なぜバシリアスにあっさり踏み込めたのか。なぜ中で捕まってから規定とは違うルートをたどったのか。市長はなぜソウを求めていたのか。マホメガの数々の発言はなんだったのか。
市長とマホメガの目的が同一とは限らないが、二人の掌の上で転がされていた感じがある。そして時が止まったあの瞬間もおかしい。マホメガが止めたと思っていたが、本当にマホメガの力だったのか。
嫌な想像をしつつ、ソウはその日の訓練に向かう。
訓練控え室に着くと、そこには普段通り準備をする生徒たちがいた。特に変わった様子はない。
今日は演技とスパイに関する訓練のはずだ。さも予定を確認するかのように、ソウは予定表の前に行った。予定表には一か月分の訓練日と、一週間分の詳細予定が記載されている。
全ての予定にくまなく目を通す。体力強化、不利状況での対応、死刑囚殺人訓練、アインスは誰、フォーは誰、名前、色々な名前。ソウの名前。訓練内容。日付。
たどる。たどる。たどる。
ない。一つもない。
リンヤの名前が、ない。
これはつまり、そういうことだ。リンヤの存在が完全に消された。この前の一件で殺されたのなら、ソウも同じ道をたどるはずだ。だがソウは生きている。
心臓が大きな音を立てている。脂汗が頬を伝い、首筋まで垂れていく。不快だった。
ちょうどその時、教官が教室に入ってきた。あれはあの時、ソウをバシリアスに連れて行った教官だった。時計を見る。まだ訓練開始まで時間はある。ソウは教官のもとへ向かう。無表情を作った。
(おはようございます)
(おや、ソウくんか。おはよう)
(予定表に関してお聞きしたいことがあるのですが、お時間よろしいですか?)
(ああ。構わないよ)
教官は嫌な顔一つせずに頷いた。寧ろソウが自ら話しかけてきたことに好感すら抱いているように見える。表情豊かな人間たちに囲まれて、自然と察しがよくなったのだろうか。
(リンヤ……という生徒がいたと思います。以前教官の訓練時にわたしの名前を呼んで注意された者です。予定表に名前がないので、不思議に思いまして)
(ふむ。些細なことにも気づけるのはよいことだね。ソウくん)
教官はわざとらしい笑みを浮かべて、ソウを見つめた。ソウも教官を真似するように、小さめの笑みを浮かべる。二人の間に流れる空気が若干冷える。
(不思議なことも、あるんですね)
(ああ。わたしでさえわからないことは多いよ)
教官は目を細め、そっと控え室の角に視線を飛ばした。
この教官は秘書課にいる。そこにすら知らされていない。秘書課はただリンヤという存在を『完全になかったもの』にするよう指示を受けただけなのだろう。それならば関わっているのはマホメガ以外にいない。
(つまらぬことを聞きました。忘れてください)
(ああ。今日の授業も含め、ソウくんは頑張るようにね)
(はい)
背筋を伸ばして礼をする。そして教官の元を離れた。
まだ何一つ終わっていない。寧ろ始まっている。リンヤは何に巻き込まれたのか。否、何をしようとしているのか。そしてソウはどう向き合えばいいのか。
ソウの元には情報の断片や憶測ばかりしかない。行動を起こす前に、これらをできる限り確実なものにしていく必要がある。そうだとすれば会いに行く人々はおのずと決まってくる。
ソウは静かな生徒たちの真ん中で、小さく、小さく、息を吸った。
〇 ● 〇
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