2
漏れかけた声を、喉に押しとどめる。
エリーが泣いていた。森の木立を見つめ、声もなく涙を流していた。まるでそこから、誰かが出てくるのを待っているかのように。
「また、会いに来る」
エリーが一対の瞳を大きく開く。若紫色が光を受けて、宝石のように輝いた。
「俺たちでよければ、だが」
「その一言は余計すぎ」
リンヤが肘でソウのわき腹を突く。自分でも言った後に後悔したので、情けなくて笑ってしまう。まだまだ会話能力には改善すべき点があるようだ。
「ありがとう、二人とも」
エリーがおかしそうに笑う。
欠けてしまったものはあるが、ここからまたやり直せばいい。
「エリー、集落の近くまで送ろう」
「うん」
立ち上がって尻についた土を払う。
「ごめん、俺パス。デグローニに報告したりとか、色々あるからさ」
リンヤが顔の前に左手を出し、謝罪の意を示す。復讐をやめるとすれば、デグローニから抜ける必要などもあるのかもしれない。いずれにせよ一人で行かせてやった方がいい。
「ああ。わかった」
「あ、ソウ。俺は出会ったあの場所、あの時間に、感謝してるよ。これからもよろしく」
「どうした、急に」
「別にー」
リンヤが小さく肩をすくめ、口角を横に引っ張るようにして笑った。そして軽く手を振って森の木立の中へ消えていった。覚えのある表情に記憶の蓋を開けようとする。
「二人は仲良いんだね」
それはエリーの言葉によって遮られた。
「いや……」
仲が良いの基準はどういうものだかわからない。それでもあの日リンヤに出会わなければ、今のソウはいない。それで傷つくこともあったが、変わった自分のほうが好ましく思う。リンヤもそう思っているなら、少し嬉しいかもしれない。そのことだけは確かだ。
リンヤが森の奥に消えていくのを見送る。そしてエリーと歩き出した。
森の様子や、マホメガと運んできたという発言から見て、グローリーシティ側に近い位置だろう。北西に向かって歩き出す。エリーも大人しくついてくるので、方向は間違っていないようだ。
脇にいるエリーを見る。気丈な表情をしているが、完全に元の姿に戻るには、しばらくかかるかもしれない。気づかれない程度に、歩く速度を緩める。
「オババ、元気かな」
エリーが呟く。
自然とあの豪胆な老婆の姿を思い浮かべていた。エリーがさらわれてから、結構な時間が過ぎている。危険を冒すわけにはいかなかったので、ソウたちは特に進捗報告にも行っていない。心労で弱っているだろうか。想像してみようとしたが、そういった姿は全く浮かばなかった。
「前にオババから、エリーを助け出すよう頼まれた」
「オババに会ったの?」
「ああ。エリーがシティに行ったあと、会いに行ったときに。全て見抜かれていて驚いた」
素直な感想を口にすると、エリーは笑い声を漏らした。
「オババを騙すことなんてできないよね。ソウとリンヤに会ったことも一瞬でばれちゃったし」
「違いない」
二人で密やかに笑い合う。きっと想像しているものは同じだ。じっとこちらを見つめ、煮詰めた声音で問いかける。そんなオババの姿。
「オババは、エリーのことをすごく心配していた。愛されているんだな」
オババが見せた、必死な表情を思い返す。エリーの話によると、外に出ることもままならないのに、ソウとリンヤを探して森まで出張ったのだ。その行動一つ一つから、エリーへの愛情が垣間見える。表に出さずとも、深い愛情がその奥に根差している。
エリーはソウの言葉を聞いて、照れくさそうに微笑んだ。その足取りが力強くなる。ソウも静かに笑んで、一歩を踏み出す。
それからは少しだけ進む速度が速まった。とりとめもない話を繰り返しながら、モエギ族の集落へ向かう。
三十分ほどで集落の近くまでたどり着いた。人々のざわめきが微かに聞こえてくる。
「ここでいいか」
「ごめんね。中、入れなくて……」
「いいんだ。オババに早く会いに行くといい」
「うん」
エリーが手を振って森の中に消えていく。ソウは踵を返し、グローリーシティに向かう。
木々が風に揺られ、さわさわと音を立てている。時折聞こえる草を踏む音は、何の獣だろうか。もうこれからは隠し事もなく、ここでエリーと関わっていく。リンヤと二人で森について色々教わるのもいいかもしれない。
ソウは未来を想像しながら、微かな笑みを口元に浮かべた。自由な未来。それはグローリーシティにいるだけでは、決して掴めないものだ。それでもいつか、グローリーシティにもそんな未来を作りたい。ソウが変われたなら、他の人々も変われるはずだ。この不確かで僅かな可能性に、今だけは賭けてみたい。
ゆっくりと森を辿っていく。朝の森の空気は清々しい。大きく息を吸うと、身の内から浄化されていくようだ。
疲労と思い込みから形成されていたこんな感情は、後日あっさり崩れ落ちる。リンヤの存在が消されることで。
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