エレベーターにリンヤと揺られる。目の前には一人の警備兵が残っているだけだ。手は金属製の手錠で後ろ手に拘束され、とてもじゃないが腕力だけで破壊できそうにはない。隠し武器は全て取り上げられた。この狭いエレベーター内では抗ったところで、最上階に到着した段階で再び拘束されるのみだ。

 胸元がちりちりと痛む。命令だったのか、包帯だけの応急処置はされた。血のにじみ具合を見ると、血は止まりつつあるのだろう。害はないと判断され取られなかった翡翠のネックレスが、切れた服の隙間から顔を出している。無意識に触れようとするが、手錠が小さく音を立てただけだ。

(動くな)

 兵がソウを見ることなく、声をかけてきた。姿勢を正す。

 その場で即処刑や投獄されず、市長のもとに連れて行かれるということは、まだ希望はある。判断さえ間違えなければ、突破口が開く。

 隣を見る。青磁色の瞳はじっと兵の背中を見つめていた。その奥に、静かな憎悪を湛えながら。

 リンヤがなぜ、グローリーシティを崩壊させようとしているのかはわからない。ただリンヤの憎悪の到達点に、今向かっていることは確かだ。おそらくリンヤは冷静ではいられない。

 ぐっと歯を食いしばる。

 その時、エレベーターが到着の音を鳴らした。最上階だ。

(ついてこい)

 兵士の指示に従って、エレベーターから出る。広いフロアの真ん中に、ぽつんと一つ自動ドアがあった。兵士はそこに向かい、パネルに暗証番号を打ち込む。もしものためにその腕や指の動きを脳に叩きこむ。認証の音が鳴り、ドアが左右に開いていく。

 小さく舌を出し、唇を湿らせる。まばゆい光が目を刺す。

(入れ)

 一歩下がった兵士が、ソウとリンヤを促す。二人で光の中に踏み入れた。

 幾度か瞬きをして目を慣らす。中は正面がガラス張りの解放感溢れる部屋だった。グローリーシティの夜景が一望できる。向かって右手にはソファとローテーブルがあり、わたの飛び出した人形がいくつか放置されている。正面には、デスクがある。そしてそこに――市長がいた。

 ジャケットを着こみ、髪は後ろに撫でつけている。組んだ両手に顎を乗せ、油断ならない視線をソウに向けている。

「会いたかったよ。……ソウ」

 真紅の瞳が細められる。若干の好意を含めた視線を受け止めるより先に、ソウの視線はその隣に向かってしまった。

 馬がいた。

 置物でも、絵画でも、はく製でもない。本物の馬だ。そしてその額には、細長く鋭い角が、生えている。

「マホ、メガ……」

「おや、マホメガは人気者だね」

 当たり前のように口で話す市長に、マホメガは柔らかく微笑んだ。

(そうするように言ったのは君だ)

 生唾を飲み込む。小さく息を吸う。

「……エリーが簡単に連れ去られたのは、マホメガのせいか」

(彼には命の恩がある。だから少し手伝いをしているのだ)

「いったい何を」

「マホメガだけじゃなく、こちらにも興味を持ってくれないかね。ソウ」

 マホメガから市長に視線を移す。楽しそうな笑みを浮かべ、ソウだけを見つめている。まるで新しく手に入れたおもちゃに早く触れたくてたまらないかのようだ。

「いいご身分だな。アテンダ・ウィル・シンシア。流れ者の部外者め」

 市長の顔から一瞬で笑みが消える。つまらなそうな視線をリンヤに向けた。ひくりとその片頬がひきつる。

「余計な虫がくっついているが。どういうことだ、マホメガ」

(……誤算、だね。でも作戦に好影響じゃないかい)

「……そうかもしれんな」

「市民には口を封じておいて、お前は堂々と喋るんだ」

「随分不躾な虫だ」

 リンヤは市長の視線を真っ向から受け止めている。激しい憎悪を隠そうともしていない。リンヤのまとう空気は鋭くとがり、手枷がなければ市長を今にも殺してしまいそうだ。

「……デグローニの粛清。覚えているか」

「なんだね。それは」

 市長はリンヤの問いに、全く興味なさげに答えた。その返答にリンヤの視線がより鋭くなる。

「反グローリーシティ組織を一斉処刑しただろう。それを行ったのはお前だ。お前が市長になったからあんな悲劇が起こったんだ」

「ふむ……そういえば、邪魔者を殺すよう命じたかもしれんな。よく覚えてはいないが。それで君はあれか。親族でも殺されたのかね? そもそも当時、なぜ血族全てを殺さなかったのだろうな」

 リンヤの怒気とは真逆で、市長はさらりと答えていく。リンヤなど欠片も気に留めていない。リンヤもそれがわかるのか、普段の仮面なんか投げ捨てて、市長を睨みつけている。その脚が一歩前に出る。

「お前が市長になってから全てが狂い始めた。市民に自由を禁じ、ただの駒として扱い、ただ決まったレールを歩かされる。口で喋ってはならない? なんだそれ。それに何の意味がある。人間らしさを封じて残るものはなんだ? 俺らは、人間として当たり前のことを主張していただけだ。それなのにお前は……お前は皆を殺した!」

 リンヤの叫び声がソウの耳を貫く。激しい怒りは熱を伴い、こちらまで伝わってくるようだ。怒気に満ちたリンヤの手足は、こらえきれずに震え続けている。

「当たり前だろう。あの方が残したこの街を……彼の思いを、守らねばならない。グローリーシティは、あの方、の街は、未来永劫繫栄すべきなのだ。だからその途上に現れる虫を殺して、何が悪い? わたしは、わたしを救った……彼のために行動しているだけだ」

「誰かを殺すことが他人のためになんのかよ!」

 がしゃんと音が鳴る。手錠が床に落ちる音だ。

 音より先に走り出したリンヤが、市長のデスクに飛び乗る。勢いを殺さず市長に殴りかかった。二人がもつれあいながらデスクの向こうに消える。椅子の倒れる音が空間に響き渡る。

「リンヤ! 今はそんなことしてる場合じゃ……!」

「マホメガ。呼べ」

 ソウの声を遮って市長が言う。攻撃されているとは思えないほど、平静な声音だった。ソウの叫び声などゆうに縛り付けてしまうものだ。

(ああ。……入りなさい)

 マホメガの返答も静かなもので、その場の空気が一気に静まる。

 マホメガの横の壁が音もなく口を開ける。隠し扉になっているようだ。そこから出てきたのは、一人の警備兵と、

「エリー……?」

 エリーだった。

 その目にはもう光がない。目元が落ちくぼみ、くまができている。頬がこけ、髪は乱れたままだ。兵に促され壁の中から出てくるが、歩き方がたどたどしい。花開くように笑うエリーの面影はなく、今にも倒れてしまいそうだった。

 思わず拳を作ると、爪が掌に食い込んだ。腹の底がうねり、叫びだしたい衝動に駆られる。

 一秒遅れて、これが怒りなのだと悟る。

「エリー」

 怒りを表に出さないよう、口から声を出す。口での会話は、感情が容易にその音に乗ってしまうから、難しい。

 ソウの再度の呼びかけにエリーはゆっくりこちらを見た。

「ソウ……」

 その顔に明るさが僅かに蘇る。それで初めて自分のいる場所を認識したのか、部屋を一周するように顔を回していく。

 ソウを見て、ローテーブルを見て、デスクを見て。エリーの位置からはリンヤと市長が見えるのだろう。少し驚いたような表情をしたが、すぐにその隣の存在に気づく。

「マホメガ……!」

 マホメガを見た瞬間、エリーの顔に笑顔が戻る。

(久しぶり。エリー)

「よかった……やっと……」

 駆け寄ろうとしたエリーの体は、不自然につんのめって元の位置に戻る。よく見たら兵がエリーの腕を縄で縛り、押さえつけている。

 さっと全身を嫌な予感が駆け抜ける。

(違うよ。エリー)

「えっ?」

 マホメガに先手を取られる。

(君はここにいるみんなから騙されていた。だからそんなにやつれているんだよ)

 マホメガの表情は崩れない。普段と同じ、穏やかで、全てを見通しているかのような目線で、エリーを見つめている。

「どういうこと……? もう帰れるんじゃないの?」

 エリーが笑顔のままマホメガに問う。ソウの方を見ない。エリーはマホメガだけを見ている。

「エリー、違う」

(わたしはエリーの力が欲しくて、近づいただけだ)

 ソウが言葉を言い切る前に、マホメガがエリーに冷たく言い放った。すっとマホメガの纏う空気が変わる。普段エリーに向けた温かさも慈愛も、何もかも感じられない。そこにいるのは得体の知れない知的生命体だった。人間などに興味はない。冷たくこちらを見下ろす存在。誰も知らないマホメガの姿だった。

 エリーの笑顔がひきつる。顔の動かし方を忘れたかのように、その瞳はマホメガを見つめたままだ。

(ここでリンヤともみ合っている市長にね、命の借りがある。彼が癒しの力が欲しいというから、エリーと仲良くしていたんだ)

「でも、初めて会ったとき、怪我して……」

(その方が警戒されないだろう?)

「それは……」

 エリーの顔が歪んでいく。彼女の中では、作戦のために自らを傷つけるなどという発想はないはずだった。このグローリーシティで翻弄されるうちに、それを学んでしまったのだろう。

 リンヤとエリー。今助けるべきはどちらか。リンヤは強い。放っておいてもある程度は平気だ。だが丸腰の人間と、恐らく何かしら武器を持っている相手では、やがて不利になる。エリーは重要な力を持っている。その力を保持することは後々有用だ。一方で失ったところで、大きな問題でもない。

 昔のソウなら、そうやって冷静に分析していたのだろう。だがもう二人は、ソウにとって大切な存在になってしまっていた。中途半端に人間らしさを得たソウの頭は、この状況に混乱していく。

(思えばソウとリンヤも同じ手を使ったんじゃないかい)

「ソウは……怪我してた、けど」

(あの二人も同じように考えたのさ。二人の目的も、エリーではない。エリーの癒しの力だから)

「やめろ、マホメガ!」

 ソウの絶叫が部屋に響き渡る。慣れない行動に喉が痛む。腕を無理やり揺らすが、手錠は外れなかった。

(自らの復讐のために)

 マホメガの声は止まらなかった。

「ソウとリンヤも……?」

 エリーがこちらを見た。その瞳は疑心に染まっている。まだかろうじて保ってはいても、確実にマホメガの方に倒れかけている。

「……違う。俺たちは本気でエリーを助けたくて」

(ではなぜ今、リンヤは、市長と争っている?)

 焦りを帯びたソウの声とは異なり、マホメガの言葉は落ち着いていた。自然と視線がマホメガに向かう。

「それとこれとは別だ。偶然リンヤの仇が」

(不自然ではないかい。エリーと出会ったときのナイフでできた傷。そんな近距離までシティの者に追われたのに、エリーと悠長に会話する暇があったのかい? 一度禁を破っておいて、シティで不問になることがあるかな。市長に復讐する。そのために有利な手が欲しいから、腕を切った。その方が、辻褄が合う気がするよ)

 ソウの言葉をまたも遮ったマホメガは、ゆっくりと語った。その響きは反論をさしはさむ余地がなく、ソウもエリーも黙って聞いてしまう。マホメガはエリーの方へ、顔を向ける。

(そう思わないかい。エリー?)

 エリーの口が小さく開く。そこから言葉は何一つ出てこなかった。

(皆、エリーではない。エリーの力しか、見ていないよ。少なくともわたしはそうだ。君に取り入って、力を得る。シティのためにその力を使わせる。そのためだけに近づいたんだ)

「やだ……」

 か細い声がエリーの口から発せられる。

(君に気に入られるよう行動した。独りぼっちで淋しいエリーは、簡単に受け入れてくれた。初めての友達だ、なんて言ってね)

「聞きたく、ない……いや……」

(会いに行くたび嬉しそうなエリーを見て、わたしも嬉しかったよ。ああ、これでエリーの力が手に入る、と)

 エリーが小さく首を振る。その目から涙が溢れだす。

 衰え、やつれた今のエリーがその仕草をすると、酷く痛々しかった。

「マホメガ。エリーに気に入られることが目的なら、なぜ今話す。そんなことをしたらもう力は手に入らない」

 マホメガはソウではなく、エリーの後ろに立つ警備兵に目を向けた。

(そこの警備兵。死になさい)

 冷徹な言葉に、兵は小さく頷く。エリーの腕の縄をほどき、床に落とす。エリーは支えを失って、その場に座り込んだ。

(さて。エリーは温かい死体なら、治せるかな)

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