腹のあたりに力を入れると手に熱が集まる。淡い水色の光が手に灯り、目の前の不自然に腫れた腕が通常の太さに戻っていく。

「動きますか?」

 エリーが問うと、目の前の男性がじっと見つめてくる。

「……はい」

 おかしな沈黙のあと、掠れた返事が返ってきた。時々、こういう人がいる。まるで声を出すことを知らないかのようだ。

 男性が一礼して去っていく。また次の人が来る。

 こうして何日経ったのだろう。日の光の入らないこの部屋では、今がどれくらいの時刻なのか判然としない。そんな部屋でエリーは様々な傷を治した。切り傷、打ち身、骨折、内出血。表面に傷がないものでも、治せてしまった。

 何を治せて、何を治せないのか。まるでそれを試されているかのようだ。毎日市長に見られながら、何人もの傷を治す。今のところ治せないものはなかった。

 今までこれほど連続で力を使ったことなどなかったため、自分の力の大きさに驚いている。同時に拭いきれない疲労が、徐々に溜まっていることも分かった。逆らう気力は奪われ、ただ目の前の作業をこなす。それくらいの力しかエリーには残っていなかった。

「エリーさん、次はこちらをお願いできるかな」

 顔を上げる。

「ひっ」

 ひきつった声が口から洩れた。

 次に来た人は女性だった。右手で肘より先の左腕を持っている。その女性の左腕は、肘から先がない。自分の腕を持っているのだ。女性はぼたぼたと血を床に落としながら、こちらに向かってくる。

 女性は無表情だった。きっと酷く痛いだろうに、顔を一つも歪めない。エリーの前にひざまずき、自分の腕をくっつけた。隙間から未だに血が漏れている。心なしかむわっとした熱気が漂っている気がする。まだ切断されたばかりなのだろうか。

 震えを必死に抑えながら、手をかざす。腹のあたりに強く力を入れる。その力が体を伝い、腕に達する。光が灯る。

 グローリーシティが怖い。どんな訓練で、どんなことをすれば、このような怪我につながるのだろう。

 力を込める。ゆっくり、ゆっくりと、女性の腕が癒えていく。骨がつき、神経が結ばれ、皮膚がつながり、血が止まる。永遠にも思える時間が過ぎ、女性の腕は何事もなかったかのようにつながった。

 どっと冷や汗が噴き出す。普段以上に疲労を感じる。

「……この傷は、どうして?」

 思わず女性に尋ねてしまう。女性はエリーを見つめ、「ありがとう」と答えた。女性は腕をひと撫ですると、立ち上がる。

「あの……」

 何に対するありがとうなのだろう。

「素晴らしいよ、エリーさん」

 エリーの言葉を遮るように市長が前に出る。その手が奏でる拍手が、真っ白な部屋に響き渡る。

「切断された腕までも治せてしまうのだね」

 市長は眉根を寄せ、笑顔を浮かべ、今にも感動で泣きそうな表情を作る。細められた瞳は妖しく光り、エリーは口を閉ざす。

「それとも切断から時間が経っていたら難しいのかな。もしくはエリーさんじゃないと治せない?」

 一歩ずつ近づいてくる市長。胸の中心から全身へ恐怖が染みわたっていく。

 逃げ出したい。逆らってはならない。怖い。逃げたい。逆らえない。

 様々な感情が交錯する。足は床に張り付けられたように動かない。

 市長は穏やかで、優しげな声を出す。エリーの寝床や食事は欠かさず用意するし、適度に褒めてくれる。でも、恐ろしいのだ。本能的な部分がずっと警告を発している。この男に出会ったときからずっと。そんな人間に日々監視され、体力を使う作業を強いられる。

「いずれにせよ、素晴らしい力だよ。誇っていい」

 市長の指が顎に触れる。無理やり顔が持ち上げられる。市長の淀んだ瞳の中に、エリー自身の顔が映っていた。随分やつれて見えた。

「マホメガ……」

「ん?」

「マホメガには、いつ、会えますか……」

「……きっともうすぐ会えるさ」

 市長の指が離れる。急に興味をなくしたように、その顔からは笑みが消えた。

「でも今日まで一度も……」

 エリーが言い募ると、市長は手で制する。そして耳に手を当てた。そこには黒く丸い機械が入っていた。市長は何度か頷くと、再び笑みをにじませた。エリーに素晴らしいと告げた笑みと同じだった。

「すまないね。今日はこれで失礼するよ」

 言うが早いか、市長はエリーに一瞥もくれずに壁の中に消えた。

 あっさり取り残されたエリーは、真っ白な壁を見つめた。そこには何も描かれていないし、何も浮かんではいない。

 目の前が歪む。めまいがした。エリーはよろけながら茶色の椅子に座る。

 一生ここで過ごすのだろうか。

 そんな辛い想像が脳をよぎる。先の見えない不安に涙がにじむ。みんなに無性に会いたくなった。マホメガ。オババ。ソウ。リンヤ。前のような日常に戻りたかった。

 そんな願いを切り裂くように、壁が開く。エリーは緩慢な動作で顔を上げる。二人の人間が担架を運んできた。その人たちは無表情で、エリーの前に担架を下ろす。

 当たり前だが、一人の人間がそこに横たわっている。目を閉じ、穏やかな顔で寝ている。その顔には血の気がない。

「……えっ」

 その人が、否、それが何かを悟って、椅子からずり落ちる。

「こ、この人、死んで……」

「治してください」

 無機質な言葉が返ってくる。言葉を発した人間を見つめる。グローリーシティで見た人々と同じ表情をしていた。何の感情もない。先程の女性と同じだ。

「でも、死んだ人は……」

「治してください」

 まるでそれしか言葉を知らないように、繰り返される。エリーは仕方なく死体の前に座り、手を掲げる。淡い光がその人の体全体を包んだ。

 何が原因で亡くなったのかはわからないが、もう息をしていないなら、脳か心臓に重点を当てればいいのかもしれない。感覚でそれを悟り、脳と心臓部分の光が強くなる。目の前が揺れる。頭が痛い。それでも、力を入れた。

 だがその体は動かない。その口元は閉ざされたままだ。たくさん注いだ。それでも変わらない。

 無機質な二対の瞳がこちらを見ている。まるで責められているようで、さらに力を入れた。頭に鈍器で殴られているような痛みが降りかかる。指先が強張る。痩せた手の甲に骨が浮いている。

 それでも、何も、変わらない。

 ふっと光が消えた。二本の腕が床に落ちる。

「……治せません」

 発した声が、遠くから聞こえた。

「この人のことはもう、治せません」

 死体を見つめる。穏やかな表情をしていた。この部屋の中で一人だけ、自然な表情をしていた。その頬に触れる。とても、とても、冷たい。

「治せないんです……」

 熱い涙が、一筋零れ落ちた。


               〇 ● 〇

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