「グローリーシティってどういう場所なの?」

 突然エリーはソウとリンヤに問うた。いつも答えているのはこちらだから、今度は私の番と言わんばかりの表情だった。グローリーシティを怪しんでいるというより、純粋な興味なのだろう。森で生きるエリーにとって、機械に満ちた都市というのは想像できない。

「こことは全然違うよ。自然は少なくて、どこを見てもビル一色」

「ビルってすごく高い建物のことよね? すごいなぁ……! ね、マホメガ?」

(そうだね。エリーが見たら、上を向きすぎて首を痛めるのではないかな?)

「そんなことないよ!」

 マホメガの言葉にエリーがむくれて、その大きな腹を軽く押した。マホメガはびくともせずに、穏やかな表情でエリーを見ている。

「リンヤもソウもその高い建物で暮らしてるの?」

「エリーの暮らしている家よりかは高いかな」

「リンヤまで……! マホメガのがうつったんだ、きっと」

「ごめん、ごめん」

 そんなやりとりを眺めていると、気分が凪いでいく気がする。生き物が森を駆け、木々が風で揺れる。静かに流れていく時間の中で、何でもない会話をして笑い合う。いつか終わりが来るとわかっていても、今はそれを享受していたい。

 リンヤやエリーを見ていると、そう思う。

「ソウは? グローリーシティのことどう思う?」

「……そうだな。厳格な場所ではある。エリーと初めて会ったときみたいに。医療体制や食糧供給に関しては安定しているが」

「あ、そっか。二人とも追われていたんだよね」

「逆らったら、おおっ、怖い! ってなもんだねぇ」

 リンヤの言葉にエリーが吹き出す。何でもないやり取り。日常的な風景だ。

 しかし心の片隅に、目的はずっと居座っている。こうして穏やかに過ごしながら、引き込む方法をどこかで考えている。まずは仲良くなること。さりげなくグローリーシティへの反感を植え付けること。

「今までにグローリーシティの中で、他に怖いこととかあった?」

 エリーが問う。リンヤが口を開く。耳から声が入ってくる。

 ソウは静かに空を仰いだ。木々の隙間から抜けるような青空が見える。頭上高く、甲高い鳥の鳴き声がこだましていた。






 廊下に響いていた靴音が止まる。考え事にふけっていたソウは、その音で現実に引き戻される。

 目の前には教官がいる。その前には白い簡素なドアがある。中は見えない。

 教官に声をかけられたあと、その車に揺られ、グローリーシティの中央部まで連れてこられた。中央部にあるのは、バシリアスという建物。市長や総務部の人間が働く場所であり、グローリーシティのかなめだ。関係者でもなければ寄り付くことすら憚られる場所だ。教官はあっさりとそこに入り、ソウを先導して高階層までやってきた。

 エレベーターからここまでは一直線。窓は等間隔に据えられ、昼間は日差しで明るく照らされるのだろう。今はブラインドカーテンが下ろされ、乳白色の電灯が灯っている。

(ここは総務部秘書課のオフィスなんだ。そもそも私が秘書課の者だと知っていたかな?)

 教官に話しかけられて周囲の観察をやめる。教官は柔和な微笑みを浮かべ、ソウを見ている。本心なのかもしれないが、どうにもわざとらしく見えてしまう。グローリーシティの人間の笑みは、皆このようなものだったろうか。

(……いえ。ただ訓練のたびに講評がわかりやすいので印象に残っていました)

(『九代のソウ』くんは世辞も上手みたいだ。もっとも、この呼び名は嫌いかな)

(あくまで人を識別するための名称ですし、大して気にしたことはありません)

 返答を聞いて教官は笑みを深める。そして目の前のドアを開けた。

 中もシンプルな構造だった。薄くしか開かない窓がいくつかあり、全てブラインドカーテンが下ろされている。デスクが向かい合わされた島が二つ。壁際に打ち合わせ用らしき机が一つ。そのすぐ横の壁にはダストリーシティ周辺の地図が貼ってある。

 職員は無言でパソコンに向かっていた。ソウたちが入ってきたのを一瞥した者もいたが、微動だにしない者もいる。無意識に息を詰める。デグローニの時と状況は同じだ。だが空気感が違う。ここに漂うのは冷ややかで、触れたらこちらが切れてしまいそうなものだ。人間味を排除した冷酷な空気。

(人数が少ないと思ったかね?)

 教官の言葉にソウは小さく頷く。

(まあ、総務部に属する人間がいるのはこの部屋だけじゃない。ただこの部屋の人間は普通の総務部とは違い、ここを使う)

 教官はそう言って頭を指で突いた。

(ではここには市長もいらっしゃるのですか?)

(さすが頭の回転が速いね。確かにここでシティの方針や今後の施策を決めている。だが市長はお忙しい方だ。指示が来るだけさ)

 教官がゆったりとした歩幅で歩き出す。ダストリーシティ周辺の地図の前に立つ。ソウも同じように立って、それを眺めた。

 グローリーシティと同じくらいの面積だ。グローリーシティ側にはまるで防波堤のように森が生い茂っている。実際にそれは防波堤になるのだろう。

(……仮に休戦協定が破られるようなことがあったら、ここで作戦を考える。そして下に伝わり、実行されるはずだ)

 ソウは熱心に地図を見るふりをして、何の反応もしなかった。

 こうしてわかりきったことを隠すために、言葉を取り繕う意味はあるのだろうか。グローリーシティは協定を破るつもりで動いている。そしてこの部署にいれば戦禍は免れる。言いたいのはたったこれだけだ。そして――

(ソウくんも、もしここに配属されることがあれば、そうなるよ)

(……他の方々も、こうして?)

(いや、君は優秀だからね)

 教官はゆっくりと、静かに、頷いた。

 グローリーシティはやがて戦争を再開する。そしてソウはその時ここで、この安全な場で、働いている。

 それがもう約束されているのだ。市民にとってこれほど名誉なことはないだろう。約束された安泰に、ソウも昔なら素直に従っていたかもしれない。あるいは多少感動していたかもしれない。だが今は、デグローニの作戦を有利に進める一要素でしかなかった。ともすると、この招待は些か危険でもある。つまり中枢部はいつでもソウを観察しているのに他ならないからだ。とはいえそのようなことはグローリーシティで生きる時点で慣れ切ってもいる。

(配属発表はいつなんだい?)

(予定ですと、今年の冬とのことです)

(そうか。その際にまた君に会えることを祈っているよ)

 教官がわざとらしく微笑んで手を差し出す。ソウは握り返す。

 その手は、ねっとりと汗ばみ、どこか冷たかった。


                〇 ● 〇

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