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(訓練開始。訓練開始)
無機質な女声が空間に響き渡る。頭上から雨が降りだし、辺り一面、靄で視界が遮られる。場は雨天時の森を想定している。剥き出しの岩や木々、草花が仮想空間に描かれている。ダストリーシティのそばにある森を考えてのことなのだろう。
オババの言う通り休戦協定など知らぬ存ぜぬな訓練内容だ。ソウたち新世代は戦争を知らないが、休戦などないものとして育ってきた。成績が悪ければ、想像の中でしか知らない戦争に駆り出され、その命を盾にすることになる。だからこそ皆どこかで、捨て駒になることに怯えている。
ソウの脚は速やかに森の中を進んでいく。今日の訓練は『森における立ち回り【雨天時】』だ。森に向かって攻めていく側と、森で待ち伏せ、迎え撃つ側に分かれる。この場合前者がグローリーシティ、後者がダストリーシティを想定している。今日のソウはファイブ。そしてグローリーシティ側の立ち位置だ。相手の人数はわからないが、仲間の人数は五人だと知らされている。当然迎え撃つ側の方が人数は多いだろう。殲滅訓練なので、致命傷を負ったとみなされるか、気を失うまでは、離脱とならない。
相手側がダストリーシティを想定しており、迎え撃つというならば、当然罠が張り巡らされているはずだ。辺りに視線を巡らせると、地面に僅かな凹凸を見つける。
仲間は五人。それぞれの位置。
(停止。前方に罠のおそれ)
一瞬で設定して届けた声に、今日のチームメイトは全員足を止める。誰か一人が僅かな水音を立てる。音の方向からしてツーだろう。
(気を付ける)
すぐにツーの声がした。
(この天候じゃつま先だけで歩くのもきついだろうから、若干足を滑らせるようにすると音が紛れやすくなるはず)
(……了解)
声を出した人物の方に視線をやる。リンヤだ。今日の番号はスリー。運がいいのか悪いのか、偶然同じ訓練の同じ班だったのだ。今日も変な様子はなく、ただ目の前を見つめている。靄がうっすらとその顔を隠している。
気づかれないうちに視線を外し、辺りを観察する。凹凸は一つだけだ。一つ分かりやすい罠を見せることで、油断させる魂胆かもしれない。目を凝らすと、靄の隙間に不自然な位置で止まる雫があった。体をずらして光を調節すると、僅かにワイヤーが見える。
(全員その場で待機してくれ)
一声かけると他の罠に気をつけつつ、ワイヤーの近くまで行く。ひざ下あたりの位置に張られている。近くで見ると、雨粒のおかげでより光って見える。加工も何もされていないものだ。
ソウは眉を顰め、ワイヤーの裏を覗き込む。一つ目のワイヤーを乗り越えたらちょうど踏むような位置に、別のワイヤーが仕込まれている。こちらは黒塗りされており、今日のような悪天候ではおよそ気づかない加工だ。
(普通のワイヤーに隠して、黒塗りのワイヤーがある。同様の罠が仕掛けられている恐れがある)
(一列縦隊で進むか?)
フォーが提案する。
今日の仲間の動きを思い出す。散会して動いていたため、詳細に観察できたわけではないが、ある程度の力量は測れる。森の中での動きに慣れているのは、言わずもがなソウとリンヤだろう。ワンは物静かだが、人の声をよく聞き、冷静に対処している。ツーは足音を抑えるのは得意でなさそうだが、観察眼がある。フォーはソウがいても怯まず発言できる意志の強さがある。
(ファイブが一番前になる。スリーは二番になり、作った道を補強しつつ、見逃した罠を見つけてほしい。フォーは真ん中で、僅かなものでも危険を察知したら全員に声掛けを。ツーは四番目で、スリーとワンのサポートを。ワンはしんがりになり、後方を中心に警戒してほしい)
(了解)
皆がほぼ同時に頷く。四人が素早く縦に並んだのを見て、歩みを再開する。
地面の僅かなサイン。不自然な光。視界の端をよぎるもの。幼い頃から叩き込まれた隠密技術は、さしたる労力もなく行われる。
疑似的な雨粒を頬に受け、噴射された靄をかきわける。ぬかるんだ地面を踏み固めると、仮想空間の床も連動してへこむ。何も知らなければ、本物の森と変わらないように思うのだろう。だが違う。雨音も匂いも感触も、本当の森とは違う。
リンヤと歩いた。エリーと笑った。マホメガと語った。あの森とは違う。全て紛い物だ。
グローリーシティにあるものは、ことごとく偽物だ。
軽く息を吐き、思考を無理やり止める。場の設定が森であるせいか余計な思考に引きずられてしまう。前までの自分ならこうはならなかった。確実に自分自身が変化している。そしてそれが何をもたらすか、ソウ自身気づいている。
(罠の数が減っていないか)
(ああ。一旦停止)
スリーことリンヤの言葉に短く返す。後ろの四人も音もなく止まった。罠の数は確実に減っている。気づきにくいように少しずつ減らしているようだが、それに騙される者はこの班にはいなかったようだ。
現在の位置は森の中心部に差し掛かるところだ。
(これこそ罠じゃないか)
ソウの考えに先んじるかのようにフォーがつぶやく。その視線は辺りを注意深くねめつけている。
雨粒が木々をすり抜けて地面に落ちる。軽やかな音が鳴る。視線は感じない。通常と異なる音も聞こえない。
(自分たちの場だからと減らした可能性もある)
(自らの罠も把握できないやつらがこの手法を取るのか?)
(森は岩場などと違って障害物が多いだろう)
フォーの言葉を皮切りに、皆がそれぞれ話し出す。可能性の話を作戦中に続けているのはただの時間の無駄だ。
(二手に分かれよう)
話を遮るようにソウが言う。リンヤがちらりとこちらを見た。
(囮?)
(ああ。近接戦が得意な二人。残る三人は銃で追撃。何も起こらなければまた進めばいい)
(スリーとファイブが囮側でどうだ?)
囮作戦に誰も異論がないと見るや、スリーであるリンヤが提案した。思わずリンヤの方を見てしまう。作戦中に隊員に目を向けるなど、滅多にしない行動だ。他のメンバーが不思議そうな視線を一瞬向けてくる。
ソウは何事もなかったかのように周囲に視線を戻す。
(異論ない)
理由を問いたかったが、訓練場では全ての音声が機械によって拾われてしまう。たとえリンヤ一人に向けようと、教官にも聞かれるのがおちだ。
変な意図はない。ソウは近距離、遠距離問わず戦闘が得意だし、緊急事態への対処も優れている。だから囮となるには最適だ。リンヤの近接戦の得手不得手はわからないが、雨の中の行動は少なくともこの中では優れている。かつソウとの二人行動も慣れている。冷静に判断すれば、囮に選ぶのはこの二人だ。
些細な言葉一つに惑わされすぎだったのだろう。オババへの軽い承諾も、あとから考えれば最善の手だ。
まだ喉につかえているような違和感がある。無理に骨を飲み込むように、小さく喉を鳴らした。結局はソウもグローリーシティの人間なのだ。
(ワン、ツー、フォーは散って待機)
(了解)
三人が背中から銃を取り出し、各々散っていった。
(ファイブが前に出る)
(了解)
ソウは腰から訓練用ナイフを取り出すと、歩き出した。背後にリンヤの気配を感じる。音もなく二人は進むので、その息遣いさえも聞こえてしまいそうだ。この静かな『森』だとなおさら。
しばらくは何事もなく進んだ。そしてそろそろ銃の飛距離から出てしまうので、引き返そうと思ったときだ。葉擦れの音と同時に五人が茂みから飛び出してきた。
(接触。五人)
ソウの目の前でナイフを振りかざす敵を、体を捻ってかわす。動くと同時に、ワン、ツー、フォーに声を送り、捻った勢いで敵に手刀を叩きこむ。糸が切れたように敵は倒れていく。
(アインスりだ)
機械の女声を最後まで聞き取る間もなく、背中側から二人襲い掛かってくる。振り返って片方の首に訓練用ナイフを滑らせ、その隙に背後に回った一人のナイフを飛んでかわす。
(フンフ離脱。ノイン離脱)
間髪入れずに背後に蹴りを繰り出し、その敵は倒れる。その敵の心臓にリンヤがナイフを叩き入れる。リンヤが二人。ソウも二人。
(ツヴァイ離脱)
リンヤの姿を一瞬捉えてから、残る一人に向かって駆ける。
(ソウ!)
その瞬間、聞き慣れた声が脳の中に流れ込んだ。
咄嗟にしゃがむ。ゴム弾が頭のすぐ上を抜ける。泥の上を足が滑る。目の前の敵がソウに向かう。
その距離一メートル半。銃に手を伸ばす。抜くと同時に、相手にゴム弾を放つ。心臓部に命中する。
(ゼクス離脱。アハト離脱)
どうやらソウにゴム弾を放った敵は、リンヤがやったようだ。まだ訓練終了の合図はない。
(残る敵は潜んで銃で攻撃してくる模様)
(今探っている)
ワン、ツー、フォーに報告すると、フォーからすぐに返答が来た。リンヤが茂みから戻ってくる。軽く目配せをして、ソウとリンヤも敵を探りに茂みへ踏み出した。
(整列)
教官の声にその場の全員が整然と並ぶ。
結果として、ソウたちのチームの勝利だった。ツーとフォーが離脱という結果になったが、相手の人数が十人だったことを考えれば上出来だろう。
教官が十五人の生徒をゆっくり見回す。感情のない瞳が捉えたのは、リンヤだった。
(一班スリー、リンヤ)
(はい)
(後半、ファイブ、ソウに対し、実名で呼びかけたな。その理由について述べよ)
淡々とした教官の言葉に、緊張が走る。訓練中、実名で飛ぶことはそこまで重大な規律違反ではないものの、卒業を控えた生徒がやるのは珍しい。
(我々の方が戦力的に不利な戦いで、ファイブを失えば勝機はありません。そのためより素早く正確に伝わる呼びかけをすべきだと考えました)
(確かにそれも一理ある。そうは言っても訓練中は番号で呼ぶものだ。実際の戦場でもそうなる。そのことは心すように)
(はい)
リンヤと教官の会話はあっさりと終わる。あのリンヤの行動は、戦況に悪影響は与えていないため、形として問うただけなのかもしれない。ソウの過ちで、リンヤが糾弾されずに済み、安堵する。
普段なら指摘されずとも容易にかわせる弾だった。気にしていないつもりでもどこかしらでリンヤを意識してしまっていたのかもしれない。戦闘中に他に意識を向けるなど、言語道断だ。即、死につながる。
(今日の優秀者はソウ。前へ)
急に教官の声が聞こえ、顔を上げる。
(はい)
皆の前へ出る。教官から鈍色のバッジを渡される。その色はいつもよりくすんで見えた。
(有難うございます)
バッジを握りしめ、踵を返す。リンヤと目が合う。ソウの方から先に視線を逸らす。生徒の列で一つ空いたスペースに並びなおす直前、抑揚のない声が脳にかかる。
(この後、帰らず残るように)
教官がソウだけに向けた声だった。
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