第3章 ユニコーンとの出会い

 エリーに会った次の日、リンヤと集合して約束した場所に向かう。景色と行動内容を思い出しながら難なくたどり着くことができた。エリーは既に到着していて、膝を抱えて座っていた。前髪がその顔に影を落としている。

「エリー」

「あ、おはよう。ソウ、リンヤ」

 顔を上げたエリーは笑顔を浮かべる。口の動きと共に目元や頬が自然と動く。グローリーシティの人間とは違う顔の動きに、まだ少し慣れず、気を取られてしまう。

「おはよう。……今日は手ぶら?」

「うん。毎日取る必要もないから」

「そうか。ああいうのを調合して薬にしてるのか?」

 さりげない雑談をしながら、リンヤはエリーの前に座る。ソウもならいつつ、二人のやり取りを眺める。

「そう。グローリーシティの人からしたら見慣れないかな」

「そうだな。シティの中にはあまり植物もないし、治療は機械使って終わりだから。でもモエギ族は癒しの力を持っているのに、どうして?」

 欲している情報へ話を誘導する姿に舌を巻く。情報収集能力に関しても訓練に入っているが、訓練と実践は異なる。誰が見ても自然な口調は、リンヤの潜在能力も影響しているのだろう。

「あ……えっと、癒しの力は万能じゃないから。たとえば体の回復力を高めたいとか、そういうときはどうにもならないの」

「そうか……なら」

「あの」

 リンヤの言葉をエリーが遮る。膝に置かれた手が握りこまれている。前髪で表情はあまり見えないが、まるで体を守るような姿勢で、何か問題が起きたことは察せられる。

「今日でここに来るの終わりにしてほしいの。質問には答える。だから明日以降は来ないって、約束、して……」

「え……」

 か細いエリーの声。すうっと森の木々に吸い込まれ、消えていく。リンヤは思わずといった風に声を出して猶予を稼ぐ。幸いエリーは罪悪感が勝っているのか、俯いたままでこちらを見ようともしなかった。

(何かと理由をつけて通う手段を得た方がいいんじゃないか)

(いや、それで綻びが生まれる可能性は否めない。今日聞くだけ聞いて終えるのも手だ)

(引き入れる話はどうする)

(エリー以外を当たる。もし失敗しても元々モエギ族の力は計算に入ってない)

 リンヤと脳内で素早く言葉を交わす。視線はエリーに注いだままだ。

 何があったかはわからない。いくらでも予想は立つが、理由を知らなければ動けないなんてことはないし、そもそもあってはならない。グローリーシティで育った二人にはそれが当たり前のことだ。

(わかった)

 ソウの返答にリンヤは軽く頷き、今度は口を開こうとする。そこに息が吸い込まれた瞬間、

(おや、エリー。どうしたんだい)

(……!)

 リンヤのものでない声が、脳内に注がれてくる。

「マホメガ!」

 声の主を捉えようと視線を上げる。エリーが遮るように立ち上がる。その巨体はエリーの細い体では隠しきれるはずもなかった。

 そこには、馬がいた。正しくはユニコーンだろうか。白銀の毛に、立派な体躯、そして額から生える角。あくまでおとぎ話の中の存在でしかなかった生き物が、目の前にいる。あまりの状況に、さすがのソウでも思考が止まってしまう。

「どうして出てくるの! あ、いや、モエギ族ではないけど、でもモエギ族じゃないから……」

(大丈夫だよ、エリー)

 エリーがユニコーンを押し戻そうとするが、ユニコーンは首を下げ、エリーの頬に自身の頬をすり寄せる。エリーの表情はまだ険しかったが、明らかに安堵の色が瞳に浮かんだ。エリーはユニコーンの体に添えた手をどける。ユニコーンは木々の間から出てくる。

 ソウもリンヤもその様をじっと見つめる。すると少し上にあったユニコーンの視線が、ソウにしっかりと向けられた。空色の瞳がこちらを――

「うっ!」

 同時に腹に衝撃が走る。

 エリーと会ったときと同じだ。腹が突き刺される。何かで刺される。引き抜いた臓物をこねて押し戻され、また突き刺され、かき混ぜられているようだ。蹲って腹を抱える。

「ソウ!」

 エリーの声が聞こえた。視線を上げる。朦朧とする視界の中で、エリーがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。その横で、ユニコーンとリンヤが視線を通わせている……。

「あがっ……!」

 痛みが酷くなり、思わず目を閉じる。歯を食いしばる。ぎりぎりと歯が鳴る。

「ソウ、大丈夫?」

「ソウ!」

(大丈夫かい?)

 エリーの声が聞こえた。リンヤの声も聞こえる。ユニコーンの声も。肩に熱を感じる。これは、エリーだろう。その隣の気配は、リンヤ。

 痛みが引いていく。徐々に思考ができるようになる。腹から手を外し、前を向く。先程と何ら変わらない森の景色が見えた。無意識にためていた息が口から出ていく。

「もう、大丈夫だ」

「でも昨日もお腹を……。何かの病気かな」

(わたしの腹を枕にして休むといい。座ったままより幾分楽であろう)

 ユニコーンが脚を折って座る。白い毛並みの腹がこちらに向けられているが、このユニコーンに対する疑問が真っ先に脳内を駆け巡る。

「遠慮しておく。それよりなぜユニコーンが存在している? なぜ話せる?」

(ゆっくり話してあげるから、一旦座るといい)

 ユニコーンは鷹揚な態度でソウに相対する。穏やかな雰囲気に見えるが、その瞳には有無を言わせぬ光が宿っている。逆らえば赤子の手をひねるかのように存在が消される。人間はこの生き物の前では酷く矮小な存在。自分自身がそんな風に思えて、指先に震えが走る。

 伝説上の生き物に対して警戒しているだけだと自分を納得させ、その場に座る。エリーは心配そうにソウとユニコーンの様子を見ていたが、諦めたように座った。

(まずは自己紹介からしようか。わたしはマホメガ。エリーの友だ)

「……俺はソウ」

「リンヤ」

 二人の簡潔な言葉にマホメガの目が細められる。口のあたりが少しめくれる。これは馬なりの笑顔だろうか。

(さて、ソウ……、君はわたしの存在の理由を問うたね。それならば君は、君の存在する理由を話せるかい? 人間はなぜ存在しているのか。なぜ話せるのか)

「わからない。それなら今までどう生きてきた?」

(素晴らしいね。人間はわからないことをわからないと言うのをためらう。君はまだ若いのにあっさりできてしまう)

「はぐらかすな」

 マホメガはどうもつかみどころがない。ソウの疑問も返答も全てもてあそんで、あがくさまを楽しんでいる。一方で人間を自らの子かのように褒め、その在り方を喜ぶ。

 グローリーシティに、こんな存在はいない。偉いか、偉くないか。有益か、無益か。あの街の中ではいつも二択だ。天秤の正解の皿に乗れなければ即終了。誰もが天秤の上にいる。市民学校の教官も、警察も、ソウも、リンヤも。だがマホメガは違う。そんなしがらみなど知らない世界に生きている。エリーもどちらかといえばそちらに属するが、マホメガはそれよりもっと高みから世界を見ている。

(そうだね。ソウの望む答えを言うとすれば、わたしは世界を見て生きてきた。見守っている、と言ってもいいかもしれない。何百、何千……人間からは想像できないほど長い時を使ってね)

「不死ということか」

(わたしに死という概念を当てはめるなら、死んではいる。一定の周期で体を手放すんだ。しかしすぐに転生する。そうしてユニコーンの存在というものは受け継がれていく)

「転生……? 記憶はどうなる? マホメガの脳には全ての記憶が残っているのか」

(人間が古い記憶を忘れるように、わたしも全てを覚えているわけではない。だが君たちが想像できないほど長い時の記憶はきっと有しているはずだよ)

 目の前の途方もない話に思考を放棄したくなる。それに逆らってソウの脳は勝手に動き続けた。

 世界を見守る存在がなぜ必要なのか。崇高ともいえる存在がなぜ人間の前に現れ、エリーを友などと言うのか。物珍しさに狩られる可能性もある。一所に留まっては『見守る』という行動が崩れる。ここに何かしらゆかりがあるのか。エリーと関わりがあるのか。

「モエギ族と何か関係があるのか?」

「えっ」

 ソウの問いにマホメガではなくエリーが声を上げる。気づかぬうちにマホメガに向けてばかりいた視線をエリーにずらす。エリーは慌てたように口を押さえた。そっと俯く動きで、赤茶色の髪の毛が揺れる。

 鳥の声がした。甲高い鳴き声が長く、遠く、森を抜けていく。頬を伝う汗を拭う。その指で強張った口元の筋肉をほぐす。

(聞かせてくれないかい、エリー。あれを)

「あれ?」

 ソウの動きを見て、リンヤが口を開く。久々にその声を聞いた気がした。

「モエギ族の伝承、なんだけど……」

 エリーはマホメガに視線を向ける。その顔がゆっくり上下するのを見て、口を開いた。

「   昔々のその昔

    ヒトとユニコーン

    交わった

    癒しか時か

    選べよ ヒトよ

    愛する者と

    未来のため

    ヒトは選んだ

    癒しの力

    昔々のその昔

    ヒトとユニコーン

    交わった

    ヒトは力を

    授かった

 ……この『ヒト』がモエギ族なんだって。私たちモエギ族以外にも、世界中に散らばっている癒しの力を持つ人々が、対象だと言われているけれど」

 独特の節回しで語ったエリーは、最後にそう付け足して口を閉じた。

「じゃあモエギ族の癒しの力はマホメガが与えたものってことか?」

(そうだね。わたしもよく覚えているわけではないが)

 マホメガが首をひねる。その様はまるで人間だった。エリーを友と言うだけあって、行動の端々に人間らしさがにじんでいる。

「少なくとも私たちの中ではそう伝わっていて、ユニコーンを神様として信仰しているの」

「これでエリーの言葉につながるってわけだ」

「え……?」

 エリーが困惑してリンヤを見る。リンヤの顔に答えが書いてあるはずもない。隣に座るソウは口元に指を当てて考え込んでいる。困ったエリーはマホメガに視線を移した。優しげな光を宿す瞳が、エリーに向けられた。

(エリーは最初、わたしがソウとリンヤの前に行くのを止めたろう? その時の言葉を思い出してごらん)

「普通の人間がユニコーンなんて見たら、その珍しさに捕えようとするもんさ。だから姿を見せるわけにはいかない。ところがエリーはモエギ族をわざわざ分けた」

 リンヤが人差し指を上げて、エリーに助け舟を出す。

「そっか。だからソウもモエギとマホメガが関係あるって思った。すごい、二人とも頭の回転が速いんだね」

 エリーがソウに笑顔を向ける。ソウは視線を上げた。それはエリーではなくマホメガに向かった。

「時の力とはなんだ? ユニコーン側にその力が残ったのか?」

 エリーが語った伝承は非常に興味深いものだ。ただ短く歴史を伝えるためにかなり省略されているのだろう。これだけではわからないことが多すぎる。

 マホメガはソウを見て一回まばたきをした。そして上から落ちてきた葉を、長い角でそっと避ける。ソウはすぐさまエリーに視線を移した。エリーは驚きで目を丸くする。

「えっと、私もよく知らなくて。癒しの力を授けてもらったって方ばかり、モエギは見てるから。時の力……については考えたことも……」

 エリーがマホメガに助けを求めると、マホメガがエリーの頬に顔を寄せた。角が当たらないような角度でエリーと頬を触れ合わせる。エリーは安心したように笑む。

(すまないが、わたしもよくわからないんだ。時の力と言うと、時間を操るものかもしれないが……。長い時を経て失われたのかもしれないね)

「そうか……」

 ソウはなおもマホメガを見続けたが、やがて視線を落とす。

 マホメガが真実を語っているのか、嘘を交えているのか、確信が持てない。ソウからすれば得体の知れない生き物というイメージがまだ大きいが、エリーに接するマホメガはまるで親のようだ。慈愛に満ちたその表情は人間と何ら変わりがないように見えてしまう。それほどエリーが大事なのか、それとも。

「そういえばエリーとの話が途中だったね」

 その場に降りた沈黙をリンヤが破る。そこでソウの頭にやっと自分らの目的が戻ってくる。目的はクーデター。そしてそのためにエリーを引き入れようとしているところ。それに直結すること以外に目を向ける必要はないのだ。

 前髪の上から額に手を当てる。小さく息を吐いて脳をリセットした。

(エリーとの話?)

「あ、その……二人と会うのは、今日で終わりにしたいって……」

(おばあ様?)

 マホメガの短い言葉に、エリーはハッとした顔をする。こぶしを強く握って、小さく頷いた。それから意を決したようにソウとリンヤに視線を向ける。

「オババ……私の祖母はね、モエギ族の長なの。私には両親がいないから、私がすぐ後を継ぐことになる。だから、だからね……」

 エリーの体が小さく震える。マホメガが案ずるようにエリーを見た。ソウはマホメガより前に口を開く。

「危険は早い段階で取り除かなければならない。そういうことだろう」

 エリーの顔に一瞬感謝と安堵の色が芽生える。それはすぐに罪悪感に塗りつぶされたが、根底にきっとそれは残っている。エリーを引き入れるのが無理だとしても、これから先、なにがしかの機会があるかもしれない。準備をしておくに越したことはないはずだ。

「せっかく知り合えたのに、ごめんなさい。でも私もそういう目線で、物事に対応していかなければならないから」

(じゃあこうしようか)

「え?」

 一同の視線がマホメガに注がれる。皆の視線を集めてもマホメガは全く動じる様子を見せず、穏やかな姿を崩さない。

(明日からソウとリンヤはわたしに会いに来る。そこに偶然エリーが居合わせる)

「マホメガ、でも……」

 エリーの表情は、誘惑に揺れている。かろうじて恐怖と罪悪感が勝っているようだ。

(大丈夫。この二人は悪い子たちではない。何か起きればわたしが責任を取る。せっかくできたエリーのつながりを、わたしにも守らせておくれ)

 マホメガの一押しでその均衡は崩れた。

「……ありがとう」

 今にも泣きそうな顔のエリーは、マホメガに柔らかく抱き着く。自然に触れ合う様子は、共に過ごした歳月を感じさせた。ソウは、エリーとも、マホメガとも、知り合ったばかりだ。リンヤだってその関係は始まったばかり。そもそも人生において、エリーとマホメガのような関係性になった人間は一人もいない。

 これからどう築いていくのか。そもそもそれは必要か。その関係に何か意味があるのか。

 市民学校の成績が優秀なソウでも、この手の問題は未知の領域だった。それはもしかしたらリンヤも同じかもしれないと、隣に視線をやる。

 リンヤはじっとエリーとマホメガの様子を見ていた。その瞳に映る景色は、なんだろうか。それを確認する前にリンヤがソウを見る。

(美しい絆、だな)

 なぜかソウにだけ言葉をかけるリンヤ。リンヤは小さく肩をすくめ、口角を横に引っ張るように笑った。

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