3
「ただいま、オババ」
「おかえり」
家に入るとオババは囲炉裏のすぐ横に座していた。尻の下には藁で編んだ敷物を敷いている。オババは長い火箸で軽く炭をつつきながら、しわくちゃの顔にさらにしわを寄せてエリーを見る。エリーはその変わらぬ表情を見て、安堵する。
薬草を保管している棚に向かい、今日取ったものを種類ごとに分けてつぼに入れる。一番古いものを取り出しながら考えるのは、今日出会った不思議な人たちのことだ。
綺麗で汚れのない服を着て、からりと笑う二人組。優しそうな喋り口と、まっすぐモエギ族を思う心に、少し感動してしまった。明るい口調のわりに表情の変化が乏しく見えたのは、少し違和感があった。グローリーシティの人はそういうものなのかもしれない。
「何かいいことでもあったのかい」
「え? ああ、あのね……この前助けたうさぎが今度は二匹で会いに来てくれたの」
「隠し事はわしには通じないよ」
自然な口調で返したつもりが、オババにはいとも簡単に見破られてしまう。背後を見ると、オババは鋭い視線で自分の向かいの席を指す。エリーは薬草を入れた皿を持ったまま、大人しくそこに座った。
火の熱がじんわりと頬に当たる。温まりすぎないよう皿を少し離した位置に置く。
「……グローリーシティの人に会ったの」
恐る恐る告げるもオババは何も言わない。黙って続きを促している。
「私と同じくらいの歳の男の子、二人。一人が腕に酷い傷を負っていてね、治したの。なぜ森に来たのかは、モエギのことを知りたいからだって言ってたよ。自分たちが犯してしまったことを、きちんと理解したいんだって」
「何かおかしな素振りは見せなかったかい」
警戒心剥き出しのオババの視線に、エリーが射竦められそうだ。普段から人を疑うことをしないエリーにとって、それは恐ろしくも、悲しくも思えた。
「特には……。あ、そういえば、片方の男の子が私と目が合った瞬間、倒れたの。怪我をしていたのは腕だったけど、その時はお腹を抱えていた。気のせいかもしれないけど」
「……その男の名と、特徴は」
「名前はソウ。特徴……髪の毛の色は、こんな感じだったかな。茶色っぽい感じ。緊張してたのもあって、それ以外はあまり」
エリーは自分の髪の毛を持ち上げてみせる。オババはそれを聞いて頷くと黙ってしまう。
「でもあの二人、悪い人には」
「エリー」
「……ごめんなさい」
オババはその時の状況だけを聞いている。エリーの下手な擁護は必要でないのだ。
「お前の優しさは理解しておる。腕を治したことも責めるつもりはない。だがもう会うのはやめることだ。会う約束をしているのなら、もうここへは来ないよう言うのじゃ」
オババには明日の約束があることも、全てお見通しなのだろう。きゅっと唇を噛みしめる。
普段なら素直に出てくるはずの返事が、今日はなかなか出てこない。わかっているのだ。グローリーシティの、そしてダストリーシティの人間の危険さも、それを未然に防ぐことの重要さも。オババは特にその思いが強いことも知っている。しかしどうしてもあの二人が悪い人だとは思えなかった。そして新しくできたつながりを、やっとできたつながりを捨て去りたくなかった。
「エリー、お前は」
「わかってる。私はエヴァルト家の娘。そして偶然にも選ばれし子。いずれモエギの長になる。悲劇を繰り返しちゃいけない。力の暴走は防がなくちゃいけない。そのために動く」
矢継ぎ早に言い募るとオババは口を閉じる。パチッと火が爆ぜる。オババは吊るしてある鍋をゆったりとかき混ぜる。考える時間を与えているのだ。それはオババの優しさでもある。でも結局は気持ちを整理するためだけに与えられた時間だ。答えは変えられない。
「オババは、見たんでしょう。暴走を」
「……ああ。恐ろしいものだよ。体中の力という力が勝手に放出されて、兵士の体は耐え切れずに破裂する。モエギの命も同時に尽きる」
若紫色の瞳が揺れる。普段は力強い光を宿すそれも、この話をするときだけは頼りなげになる。
モエギ族の癒しの力は万能ではない。大きな怪我を治すほど体力を消耗する。連続で、永久に、使用し続けることなど不可能だ。もしその限度に逆らって使用し続ければ、やがて力は暴走する。本人の意思や力に関係なくただひたすら癒し、力の源泉が枯れれば生命力にまで手を出す。そうして吸い尽くされた結果、モエギ族の人間は死を迎えるのだ。
戦争で連れ去られた人々の多くは、それを理由に死んだらしい。満足な食事も与えられず、毎日負傷兵を癒すことだけを義務にしていた。逆らえば体罰が待っている。オババが若い頃の話だから、エリーは話で聞くことしかない。暴走も見たことはない。それでもとても恐ろしいことだというのはわかる。
「だから、オババは条約を結んだんだよね……」
「そうだ。必死になって駆けずり回ったよ。そうして今のモエギがある。わかってくれ、エリーよ」
「うん……」
オババはエリーの祖母だ。そしてモエギ族の長だ。エリーを大切にすると同時に、モエギ族を守っていかなければならない。
オババに視線を向ける。生気がみなぎる瞳がある。一方でその体は小さく、腰は曲がっている。今では家の中で一日のほとんどを過ごす。
「わかりました」
「すまないな、エリー」
小さく首を振る。
長の家系の娘であることに加え、強大な癒しの力を持っている。それでエリーは浮いてしまい、友達の一人もいないことはオババもわかっている。だがオババは長だ。孫可愛さに判断を狂わせてはならない。いずれはエリーも、オババと同じように行動する立場になる。
「せっかく選ばれたから、頑張るよ」
「選ばれし子……か。ああ、そうだな。そうだ」
オババが噛みしめるように呟く。オババは昔からその言葉でエリーを慰めてくれた。同時に、その言葉を口に出すたびに、とても悲しそうな顔をする。それはエリーの不遇を思っているだけではない気がする。
オババはエリーから目を逸らすために鍋に体を近づける。頃合いだとでも言うように椀に中身をよそう。
こうしていつもそこに宿る感情は誤魔化されてしまう。だからエリーは聞けないままだ。しかしそれはオババの優しさなのだと、エリーは信じている。
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