「オババ、薬草摘み行ってきます」

「ああ、行ってきな、エリー。ユニコーン様のご加護があらんことを」

「オババにもユニコーン様のご加護を。いい天気だけど無理しないでね」

 部屋の隅のベッドに腰掛けるオババに、笑顔を返す。しわだらけの顔の中に、一対の凛々しい瞳がある。若紫色のその瞳は老衰した今でも輝きを失わない。そんな祖母を見るたびにまだ大丈夫だと思わされる。

 薬草用の籠を持ち、家から出る。朝の陽ざしがエリーを照らす。ふわりと風が吹いて木々の葉が歌いだす。集落を取り囲む森は優しく揺れて、モエギ族を包み込んでくれる。森に包まれているこの感覚は、とてつもない安心感を与えてくれる。

 エリーの家の前に続く通りを歩く。左右に並ぶ家屋の住人らは、今日も各々の仕事に精を出していた。その前を子供たちが走って駆け抜け、親は笑う。中には畑の手伝いに行きなさいと叱られている子もいる。そこには温かさが確かにあって、自然と顔が綻んでいく。

 エリーは村の様子を少し眺め、家と家の間の横道に逸れようとした。

「うわっ」

 視界の端で小さな男の子が転ぶ。地面に服の裾から剥き出しの膝がめり込む。エリーは考える間もなく男の子に駆け寄っていた。

「大丈夫?」

 男の子を助け起こし、膝の具合を見る。細かい砂利が肌に擦り傷を作り、石のせいで肉が抉れている部分もある。男の子はまだ自分に起こったことが理解しきれていないようで、呆然と膝を眺めていた。

 傷から血が滲み、一筋流れる。

 男の子の顔が歪む。

 エリーは耐え切れずその子の膝に掌を向ける。傷に向かって癒しの力を使おうとした瞬間、膝とエリーの手の隙間に知らぬ手が入る。顔を上げる。集落の女性だった。

「うちの子がご迷惑を。エリー様のお手を煩わせるわけにはいきません」

「迷惑なんて。傷が深そうですし、少しだけでも治療は……」

「いいえ。エリー様の心遣いは大変嬉しいのですが、あまり甘やかしてもこの子のためにならないので……」

 女性はエリーをまっすぐに見つめ、そっと笑みを形作る。静かに作られた壁にエリーの指先が少し丸まる。

「あ! とつぜんへんいの人だ!」

 二人の沈黙を男の子の大声が切り裂く。体が強張り、心臓の鼓動が早まる。

 エリーの顔を指さし、かたことの発音で言われたその言葉。女性はすぐさま男の子の指を下ろさせ、やめなさいと叱る。今の声で傍にいた村人が数人振り返る。エリーの姿を認め、皆一様に作業に戻る。

「すみません、エリー様。息子が大変な失礼を」

「いいんです。じゃあ私は行きますね。どうかお大事になさってください」

 笑顔を見せてその場を去る。籠を肘に提げ、日差しの温かさを享受し、その恩恵に笑みをこぼす。そんないつも通りを装って、元々通ろうとしていた横道に入る。通りの喧騒が遠のく。足を運ぶ速さが自然と早まる。そのまま集落を速足で抜け、森の中に駆け込んだ。

 木々の間に細くつくられた小道を歩いていく。少し行けば高い木々が周りを覆い、村からはエリーの姿が見えなくなる。足を止める。大きな息が一つ漏れた。

「突然変異」

 先程の子供の言葉を繰り返してみる。自分自身の声が耳に突き刺さる。ぎゅっと心臓を掴まれる気分だ。

 右手を目の前に持ってくる。細くて、小さくて、力のなさそうな見た目。

 それでもエリーの癒しの力は、普通のモエギ族と比べ物にならないくらい大きい。ごく稀に生まれてくるのだとか。オババはエリーを選ばれし子と言う。集落の人々は陰で突然変異と言う。その力を恐れても、疎んでもいる。

 エリーは首を大きく振って、雑念を振り払った。その時、葉擦れの音がして茂みからうさぎが飛び出してくる。うさぎはエリーの方を見ても逃げ出すそぶりはない。

 モエギ族は森と共に在る一族だ。普段から森の生き物と対話をし、触れ合い、助け合いながら生きている。どうしても食べるものが足りない時は、祈りを捧げ、ユニコーンに赦しを乞い、森に分け入る。糧をもらう代わりに、モエギ族は森の生き物を治療する。そうして均衡を保ちながら、共存している。

「おはよう」

 エリーはうさぎの前にしゃがむ。掌を上にして、手を差し出した。素直に近寄ってくるうさぎだが、その動きはどこかぎこちなかった。

「どうしたの?」

 体をよく見ると、後ろ足を怪我しているようだ。よたよたと近づいてきたうさぎの足に手をかざす。

 腹に力を入れ、体を巡る力の欠片たちを集める。腹の内側が若干熱くなってくる。その熱と共に集めた力を手に導く。エリーの手が淡い水色に光る。光に包まれたうさぎの足の傷は、見る見るうちに塞がった。

「これで動くかな?」

 エリーは汗一つない顔でうさぎに問いかける。うさぎは礼をするかのように鼻先をエリーに押し付けた。そして軽やかに走り去っていく。思わず口元に笑みを浮かべる。元気になった姿を見るのは、やっぱり何よりの喜びだ。

(また動物を助けたのかい、エリー)

「あ、マホメガ!」

 背後で草をかき分ける音が聞こえた。同時に耳に声が伝わるようにも、脳に直接聞こえているようにも思える声がする。いつ聞いても不思議な声で、聞き慣れた声。

 振り返るとユニコーンが立っていた。白銀の毛が太陽の光を受けて輝いている。長い角が鋭く空に伸び、力強い筋肉は毛並みの下で脈打っている。艶やかな毛並みから覗く口元は、エリーからすれば微笑んでいるように見えた。

「我らモエギ、友を助け、友に助けられる……。もしかしたらあの子は私たちを探していたのかもしれないね」

(そのおかげでわたしはここにいる)

「いや、マホメガは友というか……あ、今は友達だけど、あの時は……」

 マホメガが穏やかにこちらを見ている。その表情を見て肩の力が抜けた。

「……傷、痕にならなくてよかった」

 マホメガの横に立ち、腹のあたりを撫でる。そこには真っ白な毛が生えそろっていて、何も違和感がない。

 だが数年前にはここに酷い傷があったのだ。銃かナイフか、無知なエリーに判別はできなかったが、とにかく血がたくさん流れていたことは覚えている。今にも死にそうだったユニコーンを見つけ、助けた。それ以来マホメガとはよく会って喋る仲だ。

(今日は何か摘むのかい?)

「そう。薬草を。癒しの力があっても、年齢には敵わないから……」

 籠に視線を向けたマホメガに頷く。自然と並んで歩き出す。二足歩行と四足歩行の足音が、森の中でまばらに響く。

(老衰……君のおばあ様だね)

「あ、ごめんなさい。マホメガのくれた力を馬鹿にするわけじゃないんだ。この力もすごく有難いし、私はこの力のこと嫌だとかない。寧ろ……」

(慌てなくていいよ、エリー。たしかに言い伝えではユニコーンがモエギに癒しの力を授けた。そうだとしてもおとぎ話の域だ。わたし自身もあまりわからない)

「そっか……転生、だっけ」

(そう。ユニコーンは数百年周期で転生を繰り返す。その使命は引き継がれても、記憶は完全に残るわけじゃない。そもそも覚えきれるわけでもなし)

 穏やかに笑んで喋るマホメガは、確かにエリーよりかなり長い年月を生きてきたように見える。言葉一つ一つの重み、その落ち着きが違う。

 もう友という感覚が強くてつい忘れてしまうが、ユニコーンは本来神聖な存在だ。モエギ族はユニコーンを信仰して生きている。そんな神様に馴れ馴れしく話しかけ、触れ、時を過ごすというのはおこがましいのかもしれない。

(エリーはエリーのままでいい。どうかわたしの友としていておくれ)

「えっ! 私、口に出してた?」

(いや……エリーはわかりやすいから)

「なにそれ、いじわる!」

 マホメガはいやらしく口角を上げる。鼻の穴を膨らましてエリーをからかう様はとても信仰対象には見えない。空いた手でマホメガの横っ腹を叩く。マホメガは鷹揚に構え、楽しそうに笑い声を漏らすだけ。

(ほら、ついたよ)

 マホメガは鼻先を前方に向かってしゃくる。目の前に少し開けた空間が広がっている。他の場所より日当たりがよく、木漏れ日が地面にまだら模様を作っている。エリーはその空間に小走りで出る。額、心臓の順に拳を当て、最後に腹の前で合掌する。そうして森の糧に感謝を捧げてから、オババの体にいい薬草を探し始めた。マホメガは邪魔にならない位置で脚を折り、エリーの様子を見つめる。

「マホメガ、やっぱりオババに会うのはだめ?」

(ああ。すまない)

「ううん。マホメガの言う通り、神様は神様のままがいいよね、きっと」

 地面を少しずつ移動しながら薬草を摘んでいく。枯らすわけにはいかないので、各ブロックから少量ずつ取るのを意識する。

「どんなものにでも縋りたいけど、それじゃだめだってわかってるんだ」

 エリーの声は森の木々に吸収されて消えていく。自分に言い聞かせるような声音に、マホメガは返事をしなかった。

 しばらくエリーが草をちぎる音だけが響く。

(……君は優しいね)

「急にどうしたの? オババはたった一人の家族だもん。当たり前だよ」

(いいや。そうじゃないよ)

 表情でマホメガに問い返しても、柔らかく微笑むだけだ。まるで親のような、兄のような、姉のような、慈愛に満ちたその表情に、鼻のあたりがツンとする。

「ありがとう」

 マホメガはおもむろに立ち上がり、エリーの横にやってきた。エリーの頬にそっと自身の頬をすり合わせる。

 こうしてマホメガと会うたびに、癒しの力を持っていてよかったと思うのだった。


       〇 ● 〇

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