アポトーシス
舞寺文樹
アポトーシス
二十一世紀の末。世の中の主流だった資本主義は、腐敗に腐敗を重ね、堕落していった。経済格差の広がりは一向に縮まることはなく、むしろ広がっていった。
資本家たちは全てを
人間は道具と捉えられ、使い物にならなくなったら殺される。資本家は逮捕されると、警察や裁判官に金を積む。そうすれば、法の番人でさえも、その大金に目が眩み、錯誤捕獲された猫のように釈放されるのだ。
資本家の元で働く一般の庶民の生活は、飢餓と、体の衰えに対する恐怖だけで構築されていた。
「うっ……。」
一人の男性が過労で倒れた。胸の辺りを押さえて、膝から崩れ落ちた。
次の日、彼は穴に投げられた。畑の畝のように縦に何列も掘られた穴には、生身の人間の死体がゴロゴロと転がり、ハエがたかっている。棺なんて贅沢なものはない。
体が衰えたり、怪我をしたり、病に付すようなことがあればたちまち私たちの生命の糸はプツリと切られるであろう。私たちはただ生きていると言うことだけしか誇ることがなかった。むしろ生きてさえいればいいとしか思わなくなった。生きていると言う状況だけが、その状況こそが、人間であることのただ一つの証明だった。自殺を考える余裕なんて私たちには無かった。
二十二世紀半ば。堕落しきった資本主義は、革命によって幕を閉じた。広場には、大量の資本家が集められ、順々に殺された。
「やめろ!お前らは俺にしたがってさえいればいい!俺が言った通りに働けば……」
悪魔たちの断末魔は聞くに耐えなかった。パンッと乾いた銃声が鳴り響き、大きな悪魔は腹を押さえて崩れ落ちる。が、まだ生きている。私たちの労働と、仲間たちの命で出来上がったその脂肪のせいで致命傷は免れたらしい。しかし、すぐに心臓に二発目が撃ち込まれ、撃沈した。腹部と胸部から流れる血はまるで石油のようだった。
それからしばらくすると、より平等な社会を目指す流れから社会主義が流行した。
「おいおい、金がちゃんと入ってくるぞ」
「ああ、ほんとだこれで生きられる」
庶民たちは、飯を頬張って、本を読んだ。
「なあ、お前は仕事が好きだろ?」
「まあ、そうだな」
「俺はあまり仕事は好きじゃ無いんだ。でもお金はもらえる」
「たしかにそうだな」
「これって、平等なのか?」
「それはいったいどういうことだい?」
社会主義の世の中になると、「平等」「公平」「配分」なんて言葉が世の中を支配した。そしてそれらとはいったいなんなのだろうと追求していった結果、普遍的な「それら」というのは存在しないのではないのだろうか、と言う風潮が高まっていった。
結果、世の中の人々たちは共産主義を掲げ、大統領も、国家主席も、首相も存在しない、万人対等な世界を目指し始めたのだ。
世の中は西暦三千年代に突入した。共産主義の風潮が高まりを見せた後、革命に革命を重ね、国の支配層の人物を下野させては、殺戮を繰り返し、何百年もかけて、共産主義の世界が出来上がった。
支配層がいなくなった世界はたちまち混乱し、戦争が勃発。しかし資源不足から停戦。結局人々はコスモポリテースとなり、生活を始めた。
「なあ、これで生活するって言っても、お金がなきゃ何もできないぜ」
「バカ言うなよ、店なんかもうどこもやってないだろ。金があったって無駄なだけだ」
「確かにな。人類が目指してきた平等って、本当にこれなんだろうか」
「わからねえ。でも少なからずこの世の大半の人はそう思ってるはずだぜ。でも、誰かに殺されることもなく、生きていられるんだ。お前だって、歴史の勉強しただろ?」
「ああ、先人たちは、道具のように扱われ、使い物にならなくなったら殺されたんだろ?」
「そうならないために今みたいな世の中になったんじゃないか」
「そうだな。でも学校も廃止されるらしいぞ。頭の良し悪しが不公平だからって。本当にそれで大丈夫なのか?」
「直接民主会議で決まったことだ。これが一番なんだよ。そう思うしかない。これこそが平等だと……」
そう思うしかない。それが人類にとっての大きな分岐点だった。
さらに一、二世紀、時が経った。そこに広がる共産主義社会の人間たちは、もはや人間とは微塵も思えなかった。目に力はなく、ただ、せかせかと働くだけだった。夕方五時。チャイムがなり、一斉に道具を置いて家へ歩き始める。家の形も全て同じ。髪型も、洋服も、唯一違うとすればその人の身体的な容姿だけだ。
この世界では生まれた瞬間に、将来が全て決まる。私は建設族だった。ただひたすら朝の九時から、夕方五時まで家を作る。人間の出生と、死亡のバランスを見ながらただただ釘を打つ。もちろん全て同じ形の家を、同じ材質で、同じ手順で作っていく。別に違和感は感じない。なぜなら生まれた時からこうだからだ。
他にも配給族なんてのがある。これは毎日決まった時間に、各家々に食事を与えにまわる。食事は調理族の人が作った、饅頭のようなものだ。中には苦い何かが入っている。一応人間に必要な栄養素は詰まっているらしいが。
この世界にはお金というものが存在しない。なのでいくら働いても給料は出ない。しかし、その人、一人ひとりが、人間という動物の種族の一つの細胞として捉えられている。なのでその細胞が欠乏すれば、人間という種族の安定性は損なわれる。人間は進化の過程で、この考え方が出生前から脳内に焼き付いている。だから、見返りがなくても、せっせと働くのだ。
不満はないのか?その通り。ないのだ。なぜなら、これが本当の「平等」で「公平」な「配分」だからだ。
私はただひたすら壁に釘を打ち付けていた。そろそろ家が完成しそうだ。
「そろそろ、完成」
「次は、北の二番郭。五日後着工」
この世の会話なんてこんなもんだ。世間話とか、そんなものは存在しない。なぜなら世間なんて生まれたら真の意味での「平等」は損なわれてしまうのだから。
雨の日も人間はロボットのように働く。シュレッダーにかけた紙のような鋭い雨が体を打ち付ける。しかし、「痛い」とか「つらい」なんて言う人はいない。なぜならみんな同じ状況だからだ。
私は上部の壁の釘を打ち終わり、下へ降りようと、腰を上げた。その途端、足を滑らせ、足場からおよそ二メートル下へ転落してしまった。私は頭を打って意識を失った。
私は妙な生温かさと、頭痛で目を覚ました。ふと横に目をやると、人の顔面が迫り、そして、私自身も人の上に横たわっている。
「う……」
「あぁ……」
あちこちから人間のうめき声が聞こえてくる。私はゆっくりと体を起こし、人の上に立った。嫌な感触。しかし、私はそれを我慢して、人の上を歩いて行った。若い人間が多い。しかしどれもが健康体では無いようだった。腕がなかったり、
私はなんとか人間の山を超え、アスファルトに出た。頭上に「生命廃棄物最終処理場」と書いてある。
「生命廃棄物?」
私は、どうやらこの世界ではもう使い物にならない。つまり死滅細胞として、処理族にここまで運ばれてきたのだろう。もう少し目覚めが遅れていれば、今頃は……。
この過剰にこじらせた共産主義の世界。もはや共産主義とも言えるかどうか怪しいこの世界の人間は、アポトーシスという能力を、進化の過程で手に入れた。つまり、世の中の循環的に、自分はいない方がより良いと、脳が勝手に判断しする。すると、反射的に死滅するのだ。例えば、体が衰えたり、怪我をしたり、病に伏したりすると、意思とは関係なく、その人間の生命の糸はプツリと切れるのだ。別に怖いことなんかでは無い。この世界をよりよくするために、みんなが平等に持っている能力なのだから。
しかし、私みたいに、まだ若かったり脳に異常が生じると、アポトーシスが正常に機能しない場合がある。そう言った場合はこの生命廃棄物最終処理場で処分されるのだ。
私は生命廃棄物最終処理場の脇の道をあてもなく歩いた。ただ下を向いて、歩き回った。処分する機械の無機質な音は響き渡るが、処分される人間の断末魔は一切聞こえない。なぜなら洗脳されているからだ。長い長い歴史にその脳は蝕まれたのだ。彼らにとってここで殺されるのは決して異常ではないのだ。
私は、小さなタンポポの花を見つけてしゃがみ込んだ。
さっき人の上を歩いた感触が蘇る。私は「嫌な」感触を「我慢」しながら歩いた。なんだか、頭の中に光線が走ったように、頭が「痛む」。
「嫌な感触?我慢?痛い?」
なんだか今まで頭のどこかにあった様々な何かが溢れ出てきた。
タンポポに顔を近づける。鮮やかな黄色が「綺麗だ」と思った。
私はこの世で唯一の感情保持者となった。強く頭を打った衝撃で、脳の器官が異常をおこし、長年の歴史の洗脳が解かれ、本来の人間として生まれ変わった。
私はその施設を後にし、あてもなく彷徨う。死んだ目をした、細胞と化した人間たちが働く。あてもなく彷徨っている私を気にすることもなく、ただただ物を運ぶ。切る。くっつける。その作業の単純さに対して私は「つまらない」と思った。
その途端。私の心臓は鷲掴みにされたように収縮した。アポトーシスが反応したのだ。私は胸を押さえて崩れ落ちる。まわりの人間達はそんなのお構いなしに、仕事を続ける。
目の前を狩猟族の群衆が通過する。私は最期の力を振り絞り立ち上がった。そして狩猟族の一人の腕を引っ張り
アポトーシス 舞寺文樹 @maidera
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