第二十二話:フォルテとカイネ
「……なんで」
「うん?」
「なんで、そんな真似を」
震える。
喉から絞り出した声は、どうしようもなく震えていた。
分からない。
何故、《転生》で魔王の身体を奪ったのか。
何故、俺を殺して自分の肉体で《転生》するように仕向けたのか。
分からない――いや、分からないわけじゃない。
カイネが語った通りなら、それは全ての魔王を討ち取るためだ。
最強の勇者であっても、人間の肉体では最後までは耐え切れない。
だから、より強い魔王自身に《転生》を果たした。
が、予想外のザッハークの抵抗を受けてしまい、思惑通りには行かなかった。
その解決策として、俺がカイネの身体を得るように行動した。
理屈としては、余さず理解できる。
糸が一本につながった、そんな気分だった。
けど。
「カイネが……お前だけが、そこまでする必要はないだろ……?
ザッハークを倒せば、この辺りの呪層は浄化できる。
残ってる魔王は七柱も、そっからどうすれば良いか考えられるだろ。
お前一人が、何もかも背負うことなんて――」
「私以外には、誰も倒せなかったからだよ」
響く言葉は、突きつけられた刃の先端のように冷たい。
表情も態度も、何一つ変化はなかった。
カイネは感情を交えず、どこまでも冷静に語る。
「少なくとも、五百年。
その間、人類は魔王に対してほとんど一方的にやられっぱなしだった。
最大限に抵抗しても、呪層の拡大を遅らせるのが関の山。
滅んだ国は数え切れず、無事なのは七つの《都市》と僅かな国だけ。
大陸一つが、丸々地の底に沈んだ場所もあるんだよ?」
「カイネ、それは……」
「私はね、フォルテ。本当に小さい頃から、ずっと言われてきたんだ。
『お前こそが真の勇者』、『お前だけが魔王を討ち倒せる』。
『お前のために、我々は多くの時間と命を費やした』。
『お前にならば、全てができる』――って」
「…………?」
それは……どういう、話だ?
カイネの幼少期。
そういえば彼女は、どういう生まれなんだ?
「私は教会に育成された。孤児だって聞いたけど、本当のところは分からない。
どうあれ、私は彼らにとっては貴重な『研究成果』で、『実験動物』だった」
「っ……カイネ、ボクは……!」
「別に、恨んだりはしてないよ。
サーレのことだって、君は直接は関係ないんだから」
「……一体、何の話なんだ? 研究成果とか、実験動物だとか」
何故か、酷く取り乱した様子のサーレ。
あくまでも穏やかに、カイネの声に感情は見えなかった。
「どうして、私が聖痕を七つも持ってると思う?」
「え?」
「半分はね、後から移植されたものなんだよ。
私が生まれついて持ってた聖痕は、《転生》と《浄化》。
あとは《力》の三つだけ」
「…………は?」
なんだ、それは。移植?
聖痕を他人の身体に移すなんて、そんなこと――。
「できるよ。ほら、フォルテだってそう。
君だって、私の身体に《転生》が刻まれた心臓を移植されたでしょう?
やってることは、それと同じだよ」
「ぁ……」
「ギルドに登録した探索者が、《帰還》の奇跡を刻むことを義務にしてるのも、それが理由。
例え死んでしまっても、聖痕は無事なら回収できるからだよ」
「……マジかよ」
呟いたのは、パシアスだった。
顔には、信じ難いと大きく書いてある。
荒唐無稽な陰謀論だと、笑って流せれば良かった。
けど、カイネの話が嘘でないのは、サーレの反応から察してしまった。
「あー……ごめん。今のは、ちょっとつまらない話だったね。
フォルテの疑問に答えただけで、他意はないんだ。
教会のやってることとか、表沙汰になったら拙い話なのは分かるけど。
今の人類に余裕がないのは分かってるし、私自身、別に恨みなんてないからね」
「…………」
そうあっけらかんと言われては、こちらも反応に困る。
カイネの声に、偽りの響きはなかった。
そして戸惑う俺たちを見ながら、彼女はとうとうソレを言葉にした。
「私は、勇者だから魔王を倒す。
できることはそれだけで、それだけを望まれてきた。
だから、私はその通りにするだけ」
「……それだけの、ためにか?」
「できることをやるのが、そんなにおかしい話?」
答えられる者なんて、一人もいるはずがなかった。
カイネは正しい。
誰もが彼女に、その役割だけを期待してきた。
生まれて、十数年の人生を、彼女は生きてきたはずだ。
持っているはずのあらゆる可能性を、予め決められた使命のみに捧げる生き方。
……それは、奴隷と何が違うんだ?
深く考えもせずに、誰も彼もがカイネに責任をおっ被せたんだ。
俺だって、同罪だ。
彼女のことを、『最強の勇者』だなんて持て囃した。
それを背負うのが、一人の少女だと考えもせずに。
「――けど、それだけなら、正直ここまでやる気はなかったかな」
「……? それは、どういう意味だ?」
「約束したって、そう言ったでしょう?」
すぐには理解できなかった。
約束。カイネと交わした、約束。
思い当たるのは、一つ。
「私が、全ての魔王を倒す。
フォルテとそう約束したから、私はがんばる気になったんだよ?」
「いや……それは……それだけで?」
「そうだよ」
「何で」
「……何でだろうね?」
そこは曖昧になるのか。
首を傾げる様は、こんな状況でもなければドキリとしたかもしれない。
ほんの少しだけ、カイネは悩んだ表情を見せた。
けど、それもすぐに消えた。
滲むような、喜びの火を灯した微笑み。
……ホントに、こんな状況でさえなければ、どれだけ良かったか。
「フォルテが、ちゃんと私を見て、話してくれたからかな。
今までの私は、役割を果たすことしか知らなくて。
世界とか人類とか、正直に言ってあんまり興味がなかった。
やるべきことはあっても、やる気が無かったんだ。
だけど、フォルテのおかげで、その気持ちが少しだけ変わったんだよ」
「……カイネ。だから、お前は……」
「全ての魔王を殺して、貴方との約束を果たす。
それは役割だからじゃない、今は私が本気でやりたいこと。
そのために魔王の身体まで奪ったし、必要だから貴方も一度殺した。
上手く望んだ通りになってくれて、今はホッとしてる」
「……そう、か」
吐き出す息が、重たい。
カイネは最強の勇者であり、純真な少女だった。
俺と彼女が出会ったのは、本当に偶然だ。
その偶然の、些細な邂逅が、彼女の心に大きな変化を与えてしまった。
それを悪いことだとは、思いたくはない――けど。
「……これから、お前はどうする気なんだ? カイネ」
「先ずは、新しい身体に慣れるところからかな。
《転生》も完了したばかりだし、まだ全然本調子じゃないんだ。
我ながら恥ずかしい話だけど、持て余してる」
「慣らしが終わったら、どうするんだ?」
「地上を呪詛で汚染する」
「ッ、カイネ……!?」
言葉には、迷いも躊躇いも一切無かった。
驚きを露わにするイグナールを、彼女は一顧だにしない。
カイネの眼は、俺だけを見ていた。
「この身体は、もう魔王と同じだから。
活動するためには、どうしても一定以上の呪詛が必要になる。
だから地上を活動可能な程度に汚染して、それから他の魔王を仕留めに行く」
「そんなことをしたら、魔王を倒す以前に、人間が生きられなくなる!」
「サーレなら知ってるでしょう?
《都市》の防御なら、大半の汚染は遮断できる。
今の私が動けるぐらいの呪詛なら、《都市》内部に被害は及ばない。
元々、《都市》自体が『そういう状況』も想定して設計されてるんだから。
問題はないはずだよ」
「それは……」
カイネの指摘に、サーレは言葉を詰まらせた。
正しいと、そう思ってしまったんだろう。
イグナールも口を閉ざし、パシアスは絶句しっぱなしだ。
だから俺だけは、問いを重ねた。
「……地上にあるのは、《都市》だけじゃない。
《都市》外で暮らす人たちも、大勢いる。
それをお前は、どうする気なんだ?」
「どうもしないよ。
警告はするし、ある程度は《都市》で受け入れられるでしょう?
けど、私がやるのはそこまで」
「大勢死ぬんだぞ」
「魔王を倒さない限り、最終的には皆死ぬ。
十ある内の七を犠牲にして、三が生き残る。
釣り合ってないように思えるだろうけど、ゼロに比べたらずっとマシ。
それが私の結論で、必要な最低限の犠牲。
他に、これ以上の解決策なんて無いよ」
「っ…………」
認めたくはない。
認めたくはなかったが、カイネの考えは正しかった。
人類はジリ貧で、呪層の拡大を遅らせることしかできない。
いずれ破綻することは、目に見えていた。
けど、カイネなら。
彼女なら、本当に全ての魔王を殺せるかもしれない。
そのために地上を汚染し、大量に犠牲を出したとしても。
「いつか必ず絶滅する」という、終末の未来と比べれば上等かもしれない。
だからサーレも、イグナールも反論できなくなってしまった。
カイネが語る「最低限の犠牲」より、良い結論が見つからないんだ。
……分かってる。
俺だって、サーレたちと同じく理解している。
これよりも正しい答えなんて、どれだけ頭を捻っても出てこない。
「汚染については、そう心配しなくていいよ。
私が魔王を全て倒したら、後はきちんと除去してあげるから。
全部綺麗にすれば、再開拓だってそう難しくはないはずだ。
だから、後は全部私に任せて――」
「ダメだ」
「……フォルテ?」
否定の声は、自分でも驚くほど簡単に喉の奥から飛び出していた。
ここで初めて、カイネの表情が揺らいだ。
心底以外そうな顔をしている彼女に、俺は言葉を続けた。
「ダメだ。お前のやり方を、俺は認めない」
「どうして? 他に方法なんて無いのに」
「それでも、ダメだ。
お前の言うやり方じゃあ、犠牲が出る」
「……言ったよね?
十の内の七を殺して三が残せるなら、全てがゼロになるより良いって。
フォルテだって、それぐらいは」
「それで、お前も最終的に犠牲になるんだろう? カイネ」
「…………」
声が途切れた。
俺の問いかけに、カイネはすぐには答えなかった。
それが何よりも明確に、正解を示していた。
「最後に、地上の汚染は綺麗に除去するって言ったな」
「……そうだね」
「今のお前は、魔王の身体だ。
呪詛による汚染がなければ、生きられないはずだろ」
「うん。だから、最終的には私も死ぬね。
けど、それは別に問題じゃないでしょう?」
「どうして、そう思う?」
「私の命は、十と比べたら一にも満たない。
全ての魔王を殺したら、勇者の役目はそれでおしまい。
後は残った三が増えるために、一に満たない私の命を犠牲にする。
――ほら、完璧な計算でしょう?」
「っ……」
カイネは、本気だった。
嘘偽りなく、その考えを正しく実行する気だ。
だから、俺も躊躇はなかった。
「ダメだ、それは認められない」
「……どうして?」
「大勢を犠牲にするのも、お前を生贄にするのも。
俺は絶対に認められない。当たり前だろ?」
「それで魔王は殺せて、世界はきっと平和になるのに?
もう貴方も、勇者になろうと苦しまなくて済む」
「…………」
「フォルテだって、認めてるはずだよ。
私が言う方法以外に、打開策がないことぐらい。
だったら――」
「俺がやる」
「………………なに?」
「俺が、
我ながら、なんと幼稚で稚拙な結論だろうか。
けど、他に出せる答えなんてなかった。
カイネに、正しさしかない馬鹿な結論を実行させないために。
思い付いた方法は、これ一つ。
俺が、魔王を倒す勇者になることだけだった。
其の言葉に、誰もが呆気に取られた顔をしていた。
それはカイネも例外じゃない。
やや呆然として――それからすぐ、表情は笑みに塗り替わる。
悪戯を思い付いた、子供のような微笑みだ。
「できると、本気で思ってるの?」
「やってみなくちゃ分からないだろ?」
「私に任せれば、全部終わらせてあげるのに」
「それが嫌だから、俺が勇者になるって言ってるんだ」
「……そっか。でも、そうだね。
私の身体を上げたから、今はフォルテが勇者で間違いはないのか」
笑う。カイネは笑っていた。
少しだけ天を仰ぎ、それから視線をこちらへと戻す。
蒼い瞳の中に、赤黒い炎が燃えているのが見えた。
「フォルテの言いたいことは分かったよ。
貴方が勇者として、私の代わりに全ての魔王を倒す――それで良いんだね?」
「あぁ」
「……迷わず言えちゃうのは、本当に素敵だと思う。
けど、フォルテ。本当に分かってる?」
言葉と同時に、黒い風が強く吹きつけてくる。
それは恐ろしい濃度の呪詛だった。
「全ての魔王を倒す。
――それはつまり、今の
「……一緒に協力する、ってのは無しか」
「今は貴方が勇者で、私が魔王。
相容れないよ。私は、私の最善の結論を変える気はないの。
だって、それが一番犠牲の少ない方法だから」
「……そうか」
心臓が痛む。
この結果が不可避であるとしたら、神様は随分と悪趣味だ。
「なら――やるしか、ないな」
「そうだね。今は私が魔王で、フォルテが勇者。
結論は、戦って決めようか」
闇が渦巻く。
カイネの裸身に、物質化した呪いが黒衣となって纏わり付いた。
露出したままの肌には、赤黒い呪紋が脈打っている。
その装いは、完全に魔王そのものだった。
覚悟を、決めるしかなかった。
「やるか」
「うん、やろうか」
そして、
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