第二十一話:七つ目の聖痕


 カイネの持つ七つ目の聖痕は、《転生》だった。

 確か、死んで目覚めたばかりの時に、サーレは言っていた。

 『カイネの死体は、心臓が抉れて無くなっていた』と。

 それが致命傷なのだと、深く考えもしなかった。

 俺と同じで、彼女も《転生》の聖痕は心臓に刻まれていた。

 そしてそれを、魔王に対して使った。

 だから彼女の亡骸からは、心臓が無くなっていたんだ。

 混乱する頭でも、どうにかそこまでは理解することができた――けど。


「よい、っしょっ」


 気の抜けた声を漏らしながら。

 纏わりつく肉を引き千切り、カイネが心臓の内から這い出す。

 一瞬、偽物ではないかとも考えた。

 魔王がカイネの魂を奪って、そっくりに見せかけてるのではないかと。

 だが、そんな幼稚な願望はすぐに打ち砕かれる。


「フォルテ」

「っ……」


 同じだ。

 たった一度だけの邂逅でも、心臓に刻みつけられている。

 カイネの声だ。

 偽物では断じてない、本物の彼女の声だった。

 下がりそうになる足を、ギリギリで堪える。

 俺は改めて、彼女の姿を見た。

 一糸纏わぬ裸身を晒していること以外は、以前と全く同じ姿。

 いや……一つ、違う点があった。

 白い肌の上を縦横に走る、赤黒い紋様。

 呪紋シジルだ。

 カイネの身体には、大きな呪紋がハッキリと浮かび上がっていた。


「……あまりジロジロ見られると、私も少しぐらいは照れるんだけど?」

「え、ぁ、いやっ、悪い……!」

「良いよ。今のフォルテは『私』なんだから、恥ずかしいとは思わないし」


 クスクスと笑うカイネ。

 ……彼女が生きていたこと、いや生き返ったことを。

 俺は喜ぶべき、はずなのに。

 変わらない声と、変わらない表情で笑う。

 その様子に、何故か、酷く不吉なものを感じてしまったのだ。

 こんなにもカイネは変わらないのに。

 何故、彼女の身体には呪紋が刻まれている?

 何故、こんなにも強烈な呪詛を纏っているんだ?

 分からない。分からない。本当に?

 本当は分かっているのに、ただ、目を背けてるだけじゃ――。


「……フォルテ」

「ッ――カイ、ネ?」

「私が怖い?」

「いや……それは、違う」


 違う。違うはずだ。

 俺は、カイネ自身を怖がってるわけじゃない。

 俺が恐ろしいのは、きっと、彼女が選んでしまった『何か』だ。


「この状況で、すぐにそう答えられるのは本当に凄いと思うよ。

 『こうなる前』から、大抵の人は私を怖がってたのに。

 流石だね、フォルテ」

「……なぁ、カイネ。一体、君は何を……」

「話しても良いけど、ここで立ち話は嫌だな」


 問いかけを遮り、カイネはマイペースに話を進める。

 まぁ確かに、こんな場所で立ち話するのも気分は良くない。

 心臓が潰れた以上、ザッハークはもう死んだはず。

 それなら、早いところ脱出を――。


「じゃあ壊すから、気を付けてね」

「は?」


 壊す? 何を?

 なんて疑問を、口にする暇すらなかった。

 辛うじて見えたのは、カイネが右腕を掲げた瞬間だけ。

 肌を這う呪紋が不気味に輝き――そして、破壊が引き起こされた。

 《浄化》がなければ、余波だけで死んでいたかもしれない。

 膨大な量の呪詛が、嵐の如く荒れ狂う。

 魔王の亡骸は、内側からバラバラに打ち砕かれた。


「ッ……カイネ……!!」


 名を呼び、咄嗟に手を伸ばす。

 届かない――押し流される……!?

 天地を見失い、ただ呪いの渦に呑まれかけたが――。


「大丈夫」


 優しげな声と、柔らかい指先。

 伸ばしたはずの手を、逆に掴まれて。

 黒く染まったカイネは、俺を強く引き寄せた。


「私は、此処にいるよ」


 果たして、その言葉に何と返せば良かったか。

 躊躇い、声を詰まらせる俺に対し、カイネは変わらず笑っていた。

 吹き荒ぶ呪詛は晴れて、視界が戻る。

 ザッハークの肉は跡形もなく、両足が地面に触れた。


「……あれ、ここは……?」


 視線を巡らせて、気が付く。

 その場所は、俺たちがいたはずの《薄闇の森》ではなかった。

 木々はおろか、草の一本すら生えていないすり鉢状の荒野。

 毒と瘴気が吹き溜まる、まるで巨大な蟻地獄。

 俺たちが立っているのは、その丁度一番深いところだった。


「ここは最下層――ザッハークのねぐらだった場所」

「……は?」

「多分、さっき死体を吹き飛ばした時、うっかり底まで抜いちゃったかな。

 ……うん、まだ制御が上手くできてないな。

 《転生》したばっかりだし、大目に見て欲しい」

「大目に、って……」


 深度『二』から、最下層まで?

 一体、どれだけ力があればそんな真似ができるんだ?

 理解が、まるで現実に追いつかない。

 カイネの様子に、おかしいところは見当たらなかった。

 それが逆におかしいのだと、理性が警鐘を鳴らしている。

 けど、だったら――だとしたら。

 俺は、どうすれば。


「――フォルテっ!!」

「フォルテー、無事かい!?」

「ちょ、すげェ瘴気だけど大丈夫かコレ……!?」


 聞き慣れた三人の声が、頭上から響いてくる。

 見上げれば、イグナールに抱えられたサーレとパシアスがいた。

 《炎》で上手く姿勢を維持しながら、ゆっくりとこちらに下りてくる。

 俺と同じように、カイネもそれを見ていた。


「あぁ、イグナールとサーレも来たんだね。もう一人は、知らない人だ」

「……パシアスだよ。俺の元仲間……いや、今も仲間だ」

「ふぅん?」

「……? フォルテ、一体誰と話を――」


 《浄化》で呪いが薄まった最下の地に、イグナールたちも降り立つ。

 そして彼女も、あり得ざる姿を見て絶句してしまった。

 抱えていたサーレとパシアスは、ぼとりと地面に落とされた。


「痛っ。イグナール? いきなり、どうし……っ」

「……ん? フォルテが、二人……?」


 イグナールと同様に、サーレも言葉を失う。

 パシアスだけは、意味が分からずに混乱した顔だ。

 それを眺めるように見ながら、カイネは笑っていた。

 愛らしい微笑みと共に、右手を軽く振ってみせる。


「久しぶりだね。サーレ、イグナール。

 やっぱり、一緒に来られたのは君たちだけだったね」

「……カイネ……カイネ? 本当に、カイネなのか?」

「そうだよ、イグナール。私はカイネ。

 見間違いじゃないし、ちゃんと足もあるからね」

「そ、んな……だって、カイネは死んで、だから、その身体は、ボクが……」

「フォルテの心臓を、移植してくれたんだよね。

 ありがとう、サーレ。君は私の望む通りにしてくれたよ」

「…………」


 微笑み、柔らかい声で語りかけながら。

 カイネは俺の手を離し、改めて仲間二人の方へと向き直った。

 足は、自然と距離を取っていた。

 気付いているだろうが、カイネは何も言わなかった。

 離れる俺とは逆に、イグナールとサーレは勢いよく駆け寄る。

 二人とも、その表情は様々な感情でぐちゃぐちゃになっていた。


「カイネ、カイネ! 本当か、本当に君なのかっ!?」

「仮に私に化けた魔獣や魔人がいたとして、それを見抜けないなんて言わないよね?」

「見間違えるはずがないよ、ホントにカイネだ……!

 けど、どうして、ボクは確かに、君の死体を見たはずなのに……?」

「んー、どこから説明しようかなぁ」


 イグナールも、サーレも。

 どちらも、今はカイネのことしか見ていなかった。

 半ば縋るような状態の二人に、カイネは困った風に笑っている。

 俺はその様を、少し離れた場所で見ていた。

 ……あぁ、きっと。これがあるべき形なのだ、と。

 自然にそう考えながら。


「……大丈夫か、フォルテ」

「パシアス……」


 この場でただ一人、カイネについては良く知らない男。

 パシアスだけは、彼女ではなく俺の傍に寄ってきた。

 明らかに困惑した表情で、こっちの顔と三人組を見比べている。


「俺は、大丈夫だ。流石に少し疲れてるけど、それだけだよ」

「そうか。じゃあ、アレは一体どういう話なんだ?」

「……あの、黒髪の女の子が、カイネだよ。

 ほら、今の俺とそっくりだろ。見た目」

「カイネ……あれが、本当に?」

「間違いない……と、思う」


 今さら問われると、少し自信がない。

 ただ、イグナールたちも彼女がカイネ本人だと認めている。

 だったら、俺から言うべきことなんてないはずだ。


「まぁ、あの美少女が本物のカイネかどうかは別にして……

「…………」


 良いも悪いもない。

 魔王は死んで、勇者が帰ってきた。

 それで良い。こんな幸福な結末ハッピーエンドが他にあるだろうか。

 イグナールも、サーレも、どちらも嬉しそうだ。

 偽物の俺が出る幕なんて、もうどこにも。


「……良いも悪いも、大丈夫だろ。これで、全部」

「しっかりしろよ、フォルテ」


 遮るパシアスの声には、強い焦りが滲んでいた。

 いや、焦りというよりも……それは、恐れか。


「っ……パシアス?」

「お前が今、何を考え込んでるかは知らないけどな。

 もう一度目をちゃんと開けて、見ろよ。

 ……お前、アレが本当に大丈夫に見えるのか?

 あのお嬢さん、とんでもない呪詛が渦巻いてるだろ」

「…………」


 パシアスの言う通りだった。

 仲間二人と、和やかに言葉を交わしているカイネ。

 今の彼女の内には、ザッハークを超える濃度の呪いが感じられる。

 イグナールたちが影響を受けていないのは、それをカイネが制御してるからだ。

 裸身に赤黒く輝く、複雑に刻まれた呪紋。

 それは本来、人間の身では決して現れるはずのないものだ。


「……カイネは、《転生》の聖痕を使ったんだ」

「なんだって?」

「ザッハークの心臓に、彼女の聖痕が浮かび上がっていた。

 それで、俺がその心臓を破壊した直後に……カイネが、心臓の中から、でてきて」

「……フォルテ」


 パシアスの声には、嫌な響きがあった。

 けれど、耳を塞ぐことはできない。

 そんなことをしても、意味などないからだ。


「アイツはホントに、勇者で良いのか?

 あの怪物の心臓を使って、《転生》したってことは」

「パシアス」

「今は、アイツが――」

「パシアス……!」


 ダメだ、それ以上は。

 いや違う、分かってる。分かってるんだ。

 その可能性は、頭の片隅にずっと考えていた。

 考えて、見ないフリをしていただけだ。

 それを認めてしまったら、全部台無しになってしまう。

 だから、それを考えては。


「――そうだね。今は私が、魔王になるのかな?」

「ッ……」


 気が付くと。

 カイネは、俺の方を見ていた。

 傍にいるサーレや、イグナールではなく。

 彼女の蒼い瞳は、俺だけを映していた。

 魔王。

 その唇から紡がれた言葉に、二人の仲間は困惑した表情を見せている。

 気にもとめず、カイネは続けた。


「フォルテと約束したからね、私が全部の魔王を倒すって」

「……何を、言ってるんだ。カイネ」

「ザッハークと戦ってる時に、気付いたんだ。

 勝てるは勝てるけど、人間の身体じゃ魔王全てを倒すのは厳しいかもって。

 だから、丁度良いと思って、

「…………」


 声の軽さは、それこそ世間話をしている時と大差ない。

 なんでもないことのように、カイネは恐ろしい言葉を口にしていた。


「そしたら――うん、恥ずかしい話だけど。

 ザッハークの奴、思った以上にしぶとくって。

 完全に殺したつもりだったのに、まだ死にきっていなかったんだ。

 おかげで心臓の奥に、半ば封印みたいな形で押し込められてね。

 それでも、時間が経てば身体を奪い取るのは難しくない。

 魔王もそれを察して、無理やり呪層の底から地上に出ようとした。

 《転生》が完了し、私が魔王の肉体を得た時。

 呪詛の汚染がほとんど無い地上だったら、私を殺せると考えたんだね」

「……つまり、ザッハークのあの行動は……」

「死ぬ前の、最後の悪足掻きではあったんだよ。

 ただそれが、死なばもろともで私を仕留めようとしてただけの話」


 言葉を失う。

 一体俺は、今のカイネに何を言えばいい?

 そもそも彼女は、何を考えて俺たちと話をしているんだ?

 真意が読めない。

 全ての魔王を倒すためだと、彼女は語っているが。


「……心臓に封じられてる状態でも、ザッハークの行動はある程度は干渉できた。

 一時的に動きを止めるとか、逆に特定の行動を取らせたりとか。

 大したことじゃなかったけどね」

「……カイネ? 一体、何の話を……」

「ありがとう、本当に。

 あの時、

「……ぁ」


 肺腑が冷たくなった。

 そうだ、どうして気付かなかった。

 死にかけのザッハークの心臓には、カイネがいた。

 それは、つまり。


「最初に出会った時から、フォルテが《転生》の聖痕を持ってるのは分かってた。

 だからね、咄嗟に思いついたんだ。

 私の元の身体は、《帰還》で教会に戻ってるはず。

 フォルテも、死んでしまえば同じように教会に《帰還》できる」

「……おい、待てよ。まさか」

「お察しの通りだよ、フォルテの元仲間の人。

 私は、フォルテを襲ったザッハークを止めなかった。

 聖痕が刻まれた心臓さえ無事なら、それ以外は潰れても問題なかったからね」


 笑う。笑っている。

 カイネは無邪気に、愛らしく微笑んでいる。

 自分の悪戯が成功したことを喜ぶ、ただの少女のように。


「サーレなら、聖痕を調べれば《転生》の力に気付く。

 そこに私の死体があれば、きっとやってくれると信じてた。

 心臓と身体、二つがあれば『生き返らせられる』。

 ホントに、良くやってくれたよ」

「……カイ、ネ……」


 サーレもまた、言葉を無くしていた。

 イグナールも同様に、口を閉ざしたままだ。

 そんな反応を、カイネは気にも留めていなかった。


「――元の私の身体と、六つある聖痕。

 それだけあれば、フォルテならやってくれる。

 まだ息の根が止まりきっていない、魔王にトドメを刺すために。

 貴方なら絶対に、ここまで来てくれるって。

 私は、そう信じてたんだよ」

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