第十八話:決戦前


 魔王の活動再開が確認されたのは、それから二日ほど後のことだ。

 イグナールとの訓練を終え、身体を休めた直後なのは不幸中の幸いだった。

 俺たちはすぐに装備を整えて、封鎖された呪層へと向かった。

 いよいよ、魔王――《蛇王》ザッハークとの決戦だ。

 そう考えただけで、心臓が微かに痛んだ。


「気負いすぎるな、フォルテ。

 万全とは言い難いが、それでも君は十分にやってくれている」


 こちらの緊張を感じ取り、イグナールが左手で肩に触れる。

 心臓の鼓動は早いままだが、俺の心は落ち着いていた。


「大丈夫だ。ありがとう、イグナール」

「……訓練に当てられた時間は、たったの二日だったが。

 それでも、三つの聖痕を同時に使えるようになったんだ。

 正直に言って、私も驚いている。

 君は本当に、よくやってくれているよ」

「《浄化》も長時間の発動維持までやれるようになったんだろう?

 凄いじゃないか」


 イグナールに続いて、サーレも称賛の言葉を向けてくれる。

 確かに、聖痕は三つまでなら同時に使用できるようになった。

 《浄化》も、発動を維持した状態で継続的に戦闘可能だ。

 たった二日の訓練で、そこまでやれるなら上々だと。

 分かっている――けど、足りない。

 カイネなら、本物の勇者だったら、こんなものじゃないはずだ。

 彼女は六つの聖痕を自在に操り、《浄化》も常に使い続けられたそうだ。

 その領域には、まだ、とても……。


「辛気臭い面をしてるな、フォルテ!

 こっからはお前の働きに掛かってるんだ、しっかりしてくれよ?」

「……うるさいな、分かってるよ」


 あと、耳元で大声出すのはやめろ。

 パシアスをぎろりと睨むが、向こうはどこ吹く風で笑っている。

 ホント、調子が戻ってきやがったなコイツ。

 ……いや、違う。そうじゃない。

 仲間二人を失ったのは、ほんの数日前だ。

 平気なはずがない。

 ただ、傷が見えないように内側へと沈めているだけのはずだ。

 ……それはきっと、俺に気を遣わせないためのやせ我慢だ。


「? どうした?」

「いいや、何でも無い」


 首を傾げるパシアスから、さっと視線を離す。

 言いたいことは幾らでもあるが、それを口には出さない。

 今はそれよりも、目の前のことに集中したかった。


「深度『二』……反応は、まだ遠いね。

 間に合って良かったよ」


 《奇跡》を記した経典を片手に、サーレはそう呟いた。

 辿り着いたのは、鬱蒼と生い茂る《薄闇の森》。

 記憶が刺激されて、微かに頭と心臓が痛む。

 覚えている。多分ずっと、忘れることなんてない。

 この心臓には、最強の勇者の姿が消えることなく焼き付いていた。


「奴が現れる前に、手順を確認しておこう。

 《蛇王》ザッハークの姿を目視した時点で、フォルテは《浄化》を展開。

 パシアスは《鼓舞》を私たち全員に施して欲しい」

「分かった」

「了解、お任せを」

「前衛は私とフォルテの二人が務める。

 サーレは《奇跡》と《治癒》の聖痕で、全体の支援を。

 パシアスは《鼓舞》の維持を最優先で頼む」

「ボクも足手まといにならないよう、努力するよ」


 森は静かで、まだ呪詛の気配も薄い。

 少し暗いだけで、本当に穏やかな森のようだった。

 そんな中、魔王と戦う前段階は過ぎていく。


「多分に推測は含むが、魔王とはいえ奴も生物なのは間違いないはずだ。

 つまり狙うべき急所は、首か心臓だ。

 元々のザッハークの首は三本だったが、二本はカイネがもぎ取ったようだ」

「軽く言うけど、あんな太い首を二本も潰したのか……」

「まぁ、カイネだからね。

 こっちが一本でも同じことができるかというと、自信はないかな」

「いやぁ、普通に無理じゃないか?」


 無理なんて言ってられないが、自分にそれが可能ってヴィジョンはまるで見えない。

 ……首、首か。

 太いとか、そんな表現じゃ足りないだろ、アレ。

 樹齢千年の巨木を、ただの人間が剣一本で切り倒すとか。

 難易度的にはそれと同等か、もしかしたらそれを遥かに上回るかもしれない。


「……首が困難なら、やはり心臓だな。

 ザッハークの胸には、大きな亀裂に似た傷痕があった」

「そうだね。ボクも、あの傷が魔王にとっての致命傷じゃないかと考えてる」


 イグナールに続く形で、サーレが魔王の傷について語る。

 確かに俺も、あの胸の傷痕は気になっていた。


「あの傷からは血が流れ続け、止まる気配もなかった。

 カイネの一撃によって、ザッハークは心臓に致命的なダメージを受けた。

 傷を塞ぐこともできずに、死に瀕した状態で地上へと這い上がろうとしている。

 それが最後の悪足掻きのつもりか、それとも別の意図があるのか。

 流石に、そこまでは何とも言えないけどね」

「……どういう意図であれ、ここで仕留めれば終わりだ。

 絶対に、あの化け物の心臓を止めてやる」


 口から出た言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。

 胸元を、纏った装甲の上から抑えた。

 心臓の鼓動が、また少しだけ早まった気がする。

 落ち着け、逸るな。

 呼吸を整えて、高ぶりかけた神経を鎮める。


「……勝とう。絶対に。

 カイネのやり残した仕事を、俺たちで果たすんだ」

「あぁ、私たちならできる。絶対にだ」

「無事に勝てたら、今度こそ盛大にお祝いでもしようか」


 左手をぐっと握るイグナールに、穏やかに微笑んでみせるサーレ。

 二人を見て、俺も改めて決意を固めた。

 そこで、背中をぽんと叩かれた。パシアスだ。


「頑張れよ、フォルテ。

 お前ならできるって、いつもオレは言ってただろ?」

「……そうだな。それで毎度、単独で危険な位置に放り込まれてたよな」

「そりゃ、お前のことを信じてたからな!

 絶対にできるって、間違いなく確信してたんだ。

 今は、流石にちょっと悔いてはいるけどな」

「…………」


 パシアスの語る言葉は、複雑な響きで胸に届いた。

 信じている。

 その判断に嘘はなく、結果として俺や他の仲間たちを死なせてしまった。

 間違いなく、それについてはパシアスは反省も後悔もしている。

 ただ、その上で。

 この馬鹿野郎は、未だに俺を信じていた。

 サーレやイグナールも、信頼してくれているのはその通りだ。

 けど彼女たちは、どうしても俺を通して『カイネ』のことを見ている。

 しかしパシアスだけはフォルテという個人に対し、揺るぎない信頼を向けてくれていた。

 ……くそ、自覚的に言ってるなら最悪だ。


「ふむ」

「どうしたんだい、イグナール?

 フォルテたちの方を、じっと見ちゃって」

「いや――話に聞いた印象よりは、仲が良いのだな、と。

 こんな状況で言うことでもないが、少しばかり微笑ましいな」

「ハハハハ、分かる分かる。良いよねぇ、友情って感じで。

 あ、今のフォルテが可愛いからって、変なことしたらダメだからね?」

「ええ、流石に命が惜しいんで。そこは弁えてますとも」

「オイ変な話するのやめろよ、マジで」


 これから俺たち、魔王と戦うんだぞ??

 俺の反応リアクションに、他の三人は声を出して笑った。

 いや、まぁ、無駄に緊張すりゃ良いってもんでもないのは確かだが。

 なんだか、おかしな空気になってしまった。

 けど、別に不快じゃない。

 仲間たちと笑い合いながら、冒険の地に立っている。

 そう考えると、何とも言えないむず痒さがあった。

 ……叶うならば、こんな時間が続けば良いと。

 ふと、そんなことを考えた――矢先に。


「……っ!?」


 風が吹いた。

 穏やかだった森の空気をさらう、一陣の強い風が。

 深度『二』では、決してあり得ない濃度の呪詛。

 遠くに、獣の咆哮を感じる。

 右手の聖痕に祈りを込め、《浄化》の光を拡げる。

 直後に、呪いを帯びた毒の風が吹き抜けた。

 森の木々は、それを浴びた瞬間には等しく枯れ木と化していた。


「来た……!」


 つい数秒前とは一転し、緊張に強張った顔でサーレが呟く。

 まだ遠い――けど、もうその姿は見えていた。

 枯れ落ちた森の向こう。

 黒い炎が燃えるように、地の底から這い上がる巨影。

 今この瞬間にも、奴は死に落ち続けているはずだ。

 にも関わらず、絶望的なまでの呪いを撒き散らしながら、魔王は現れた。

 《蛇王》ザッハーク!


『■■■■■■■■――――――ッ!!』


 断末魔に似た叫びは、死の恐怖を喚起させる。

 歯を食いしばり、《浄化》の光を維持し続ける。

 ――落ち着け、アレはもう死に体だ!

 戦える。勝てる。絶対に。

 まだ距離の遠い魔王の姿を、目を逸らさずに睨みつけた。

 睨みつけ――そして、視線が重なった。

 ザッハークの、赤く濁った眼差しと。

 こっちの視線が、完全に重なっている。

 魔王は、俺を見てる。


「くそ、アレでホントに死体寸前なのかよ……!」

「そうだ! 万全の状態の奴は、あんなものではなかった!」


 パシアスが《鼓舞》を乗せた《風》を吹かせ、イグナールの《炎》が燃える。

 サーレは経典の上で指を踊らせ、記された《奇跡》を発動する。

 聖痕ほどの効果はないが、身体能力や攻撃、防御力の強化。

 それらを瞬時に重ねて、戦う準備は完成した。


「行けるか、フォルテ!」

「っ……あぁ、行ける、大丈夫だ!」


 落ち着け。

 魔王と目が合ったぐらいで、動揺するな。

 イグナールの声に頷き、拳を握る。

 この身体はカイネのもので、魔王からすればまさに天敵の姿だ。

 それに意識を向けるぐらい、おかしなことじゃない。

 今は妙なことは考えず、ザッハークを仕留めることにだけ集中しなければ。


「手筈通りだ。繰り返すが、サーレとパシアスは自身の身を最優先に。

 私たちが戦うには、そちらの支援が必要だ」

「分かってるよ、フォルテとイグナールも気を付けて!」

「ヤバかったら逃げて来いよ!」

「……それができたら苦労はしないって」


 逃げたら、後は《都市》は目と鼻の先だ。

 苦笑いで返して、改めてザッハークの方を見た。

 黒い竜はゆっくりと、枯れた森を踏み潰しながら迫ってくる。

 恐怖はある――が、身がすくむほどじゃない。

 今なら、戦える。


「さぁ、本番だな……!!」


 叫び、《翼》の聖痕を発動させる。

 俺自身と、傍らに立つイグナールも対象にして。

 瞬時に加速すると、真っ直ぐにザッハークに向かって飛んでいく。

 漂う呪詛は、全て《浄化》の光が押しのけてくれる。


「これで三度目だな、ザッハーク……!!」


 唸る声で、イグナールは言った。

 その言葉には、燃えるような敵意と憤怒が込められていた。

 炎が猛る。

 パシアスの《鼓舞》と、サーレの《奇跡》で強化された聖痕の力。

 それを激しく燃焼させて、イグナールはさらなる加速を見せた。

 背中から炎を噴き出し、全身を《炎竜》の装甲で包み込む。


「先ずは挨拶代わりだ、受け取れ――――!!」


 この戦いの一番槍。

 自らの《炎》と、こちらの《翼》。

 二重に加速したイグナールは、巨大な炎の爪で魔王の顔面をブン殴った。

 炸裂する大気と爆ぜる炎、そしてザッハークの咆哮。

 混じり合う不協和音が、決戦の始まりを告げる号砲となった。

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