第十七話:魔王を討つために


「《蛇王》ザッハークの討伐は、この場にいる四人で行おうと考えている」


 教区長サーレの執務室。

 何冊もの紙の本が並んだ大きな棚や、如何にも高価そうな机。

 後は人ひとりが、余裕で寝転がれるサイズのソファーなど。

 広い部屋の中には、立派な家具や調度品が幾つも置かれている。

 俺たちはそのソファーに腰を下ろし、先ずはイグナールの話を聞いていた。


「四人って……その、大丈夫なのか?

 他にも、強い勇者をいっぱい揃えた方が良いんじゃ……」

「そうだな。私とサーレも、最初にそれは検討した」


 死にかけとはいえ、相手は魔王。

 たった四人だけで挑むのは、無謀ではないかと。

 疑問を呈するパシアスに、イグナールは小さく頷いた。

 確かに、それに関しては俺も同意見だ。

 イグナールやサーレたちに並ぶほど――となると、数は少ないだろう。

 けど、《都市》にはまだ名のある勇者が何人かいるはずだ。

 彼らに協力して貰えれば、ザッハークを討伐できる可能性は上がる。


「ダメなんだよ。

 数を揃えたところで、ザッハークには無意味なんだ。

 ……これは、実際に戦ったイグナールの意見だけどね」

「ザッハークが持っているのは《毒》の呪紋だ。

 奴は常に、強力な呪毒を帯びている。

 これのせいで、カイネと共に挑んだ際は、仲間一人をいきなり失う羽目になった。

 ただ、ザッハークの傍に近づいただけ。

 それだけで、浴びた呪毒に命を奪われたんだ」

「…………」


 なんだ、それは。

 イグナールと一緒に、魔王に挑んだ勇者だ。

 実力の高さについては、疑う余地は微塵もない。

 それほどの力があるにも関わらず、近づいただけで死ぬなんて。


「そ、そんなの、一体どうやって戦ったんだ?」

「先ず、私は奴とは比較的に相性が良かった。

 《炎》と《鎧》を纏えば、その熱で呪毒を焼くことができたからな。

 それと一番重要なのは、カイネの力――《浄化》の聖痕だ」

「《浄化》……」


 言われて、右手に視線を落とす。

 穢れを払い、呪いを消し去る聖なる傷痕。


「最初に一人失った直後、カイネはすぐに《浄化》の力を強めた。

 《浄化》で撒き散らされる呪毒を無害化することで、私たちは戦うことができた。

 ザッハークに挑むには、《浄化》の助けがなければ不可能だ」

「つまりだ、フォルテ。

 君は魔王と戦っている間は、ずっと《浄化》を発動させ続ける必要がある。

 一緒に戦う仲間を複数人、その影響範囲から決してこぼさぬように維持しながらね」

「……なるほど」


 サーレの補足を聞いて、一つ頷く。

 イグナールみたいな力でなければ、《浄化》無しでは魔王に近付けない。

 呪毒に耐えられなければ、そもそも戦うことすらできないんだ。

 だから、挑むのはこの場にいる四人のみ。

 それ以上増やしても、俺が《浄化》し続けられるか分からないからだ。


「……正直、無謀だと思うけどな」

「パシアスの言うことは分かる。

 だが、魔王に挑む行為がそもそも無謀の極致だ。

 ザッハークが、瀕死であることを差し引いてもな」

「話を続けよう。

 フォルテとイグナールが遭遇してくれたおかげで、魔王の存在は《奇跡》で捕捉できた。

 ……正直、どうして今まで接近に気付かなかったか謎だけどね」


 言いながら、サーレは手元の本をぺらりとめくる。

 開いたページを何度か指先でなぞると、空中に光の線が走った。


「ザッハークの反応は、現在深度『四』に入った辺りで停止してる。

 力尽きて死んだ――と思いたいけど、残念ながら健在だ。

 呪詛の反応から、未だ生きてるのは確実だよ」

「止まった詳細な理由は不明だが、消耗の回復を図っているのかもしれない。

 次に、いつ動き出すかは不明だが……」

「全力で走ったら、イグナールが飛ぶより速いんだろう?

 もし、あの位置から止まらずに走り出したら、地表に到達するまで二日はいらないね」

「……そうなったら、最悪だな」


 死にかけの魔王が、《都市》の前に現れる。

 人間の頭で想像できる、悪夢の限界だ。

 サーレがまた、本の上で指を動かす。

 空中に浮かぶ光の線が、またその形を変えた。


「……みんな知っての通り。

 魔獣や魔人など、呪層に生息する生き物は呪詛に汚染された環境に最適化されてる。

 より強い個体ほど、汚染の濃い場所でないと生きられない。

 これは魔王だって例外じゃないんだ」


 サーレの説明に、黙って耳を傾ける。

 本来、呪層の最深部に潜む魔王が、地上まで直接は現れない理由だった。

 俺たちにとって、呪詛の汚染が致命的であるように。

 呪詛を帯びた生き物にとって、汚染されてない環境は生命の維持に支障を来す。

 だから奴らは、世界に呪いを拡げる。

 魔王が自由に出歩けるほどに大地が汚染されたら、人類は終わりだろう。


「魔人なら、ある程度は汚染の弱い場所でも出てくる手段がある。

 それは魔王も同じだろうけど、地表まで這い出してくることは普通はあり得ない。

 ならば何故、ザッハークはこの深度に到達できたのか。

 奴が死にかけて、生命活動の質そのものが低下してるからだとボクは考えてる」

「生命活動の質が、低下してる?」

「もうほぼ死んでるせいで、息をするのに必要な呪詛の濃度が少なくなってるんだ。

 地表近くの深度でも、活動できるぐらいにね。

 つまり、今のザッハークは死体の数歩手前ぐらいの状態だ」


 そう語るサーレの言葉には、強い熱が込められていた。


「アイツはもう、カイネに殺された後だ。

 そのまま死ねば良いものを、悪足掻きをしてるだけに過ぎない。

 ボクらのすべき仕事は、『死にかけ』を『死体』にすることのみだ」

「……たったそれだけのことすら、困難を極めるだろう。

 だが、フォルテ。我々には君がいる。

 カイネの聖痕を使える君なら、魔王にトドメを刺すのも不可能じゃない」

「…………」


 緊張が、心臓に針のように何本も突き刺さった。

 サーレも、イグナールも。

 どっちも俺を信用した上で、その言葉を口にしてくれている。

 俺なら、カイネの代わりを務められると。

 そうなることを、俺も自分自身に課している。

 だから、何の問題もないはずだ。


「既にボクの――教区長の名で、ギルドを通じて戒厳令を発した。

 死に体の魔王が、息が続く限り地上を目指している、と。

 一部事実は伝えて、呪層への侵入も一時的に制限した。

 無駄な犠牲は出したくないし、万一に備えて地表での迎撃も考えなくちゃならない」

「ザッハークはまだ動いていない。

 奴が本格的に動き出す前に、フォルテには可能な限り訓練を施す。

 時間は短いが、やらないよりはマシだろう。

 聖痕を扱うための練度を、少しでも上げていきたい」

「……分かった」


 頷く。頷く他ない。

 ザッハークにトドメを刺し、カイネの残した仕事をやり遂げる。

 覚悟は決めた。腹は括った。

 あの黒い竜を思い出すと、腹の底から恐怖が蘇ってくるけれど。

 やれる。やると決めたんだ。

 死の影を振り払え。怯えるのは後にしろ。

 ……もし、この魔王討伐をやり切ったなら。

 俺は、本当の勇者になれるだろうか?


「サーレは引き続き、ザッハークの動きに注意を払っていて欲しい。

 私はフォルテの訓練に当たる」

「了解。できれば、教会内の修練場を使っておくれよ。

 怪我をしてもボクがすぐに治療できるし、緊急時にも対応しやすいからね」

「無論だ。呪層での実戦が一番だが、やむを得ないな」

「…………」


 話は進む。

 口を挟む必要は、感じられなかった。

 やるべきことは明白で、疑う余地もないんだ。

 俺はただ、俺の役目を果たすのみ。

 だから。


「……その訓練は、オレも参加して良いかな?」


 パシアスが遠慮なしに手を上げたのには、少し驚いた。

 魔王討伐には参加する、という話だった。

 確かに実力は《都市》でも上位だし、持っている聖痕の力も便利だ。

 だから、それ自体は別に何も思わなかった。

 けど、まさか訓練の方にまで参加したいなんて言い出すとは。


「それは――こちらは、別に問題ないが」


 ちらりと、イグナールが俺に視線を向けた。

 俺とパシアスの元の関係について、彼女も多少なりとも知っている。

 だから、心配なのだろう。

 ……わだかまりが、まったくゼロになったわけじゃない。

 きっと今も、パシアスなりの『思いつき』で動いてるのは確かだ。

 以前は、兎に角迷惑としか思わなかったが。


「俺も、構わない。

 一緒に戦うのなら、少しでも合わせられるようにしたいしな」

「ハハハハハ、流石フォルテだ。話が分かるな!」

「前のノリで背中を叩こうとするのは止めろ」


 笑いながら右手を振りかぶったので、こっちは遠慮なく叩き落とした。

 人間、そう簡単に生き方を変えられるとは思わない。

 パシアスも、きっと性根の部分は変わっていないはずだ。

 空気の読めない、馬鹿ではた迷惑な『良い奴』のままだろう。

 今はその、最後の部分だけを信じてみることにした。


「良し。では、早速訓練所に移動しよう。

 時間の猶予がない以上、最初から厳しく行く。

 そのつもりでいて欲しい」

「恐ろしい話だけど、魔王と戦うよりはマシだよな。

 なぁ、フォルテもそう思うだろ?」

「そのジョーク、笑って良いのか分からんわ」


 笑うパシアスは、既に場の空気に馴染みつつあった。

 ホント、コイツのこういうところは強い。

 俺が普通に相手をしてるのもあってか、イグナールも不快そうではなかった。

 手を振るサーレに見送られながら、俺たちは執務室を出る。

 先導するイグナールに続く形で、教会の廊下を足早に進んでいく。


「とりあえず、魔王の動きが確認されるまでは訓練ってことで良いのかい?」

「その予定だ。向こう次第であっさり変わってしまう、儚い予定だがな」

「……できれば、二度と動かずに死んで欲しいけどな」


 思わず本音が漏れてしまった。

 そうなれば、どれだけ気が楽だろう。

 パシアスは愉快そうに笑っていた。


「気持ちは分かるぞ、フォルテ!

 けど物事ってのはそうそう上手く行かないからな。

 上手く行かなかったオレが言うんだから、間違いないぞ!」

「笑えないからホント止めろよ……」

「……彼は、いつもこんな感じなのか?」


 まぁ、概ねはこのハイテンションだったかと。

 今はちょっと、仲間が全滅したダメージを誤魔化そうと無理してるっぽいが。


「……ともあれ、最優先は君の訓練だ。フォルテ。

 負傷はサーレが癒やすし、疲労に関しても《奇跡》や霊薬で無理やり補う。

 相当な負担だと思うが、許して欲しい」

「覚悟はしてるから、大丈夫だ」

「ありがとう。……魔王の活動が確認され次第、我々は迎撃に移る。

 現状、あくまで予定ではあるが、そのためのポイントも既に決めてある」

「と、言うと?」


 確認の言葉を受けて、イグナールは頷く。


「呪層深度『二』、《薄闇の森》。

 あそこなら他と違い遮蔽物も多く、図体のデカい相手よりもこちらが有利だ。

 まぁ、気休めでしかないが、そんな差でもないよりはマシだろう」


 ……《薄闇の森》。

 それは奇しくも、俺とカイネが初めて出会った場所だった。

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