第十六話:お前はお前だ


 ……目が覚めると、真っ白い天井が見えた。

 知らない天井――では、ない。

 逆に、ここ最近は良く見る教会の天井だった。

 いつ眠って、どこぐらい寝ていたのか。

 記憶と意識がぼやけていて、上手く思い出せない。

 死んで、カイネの身体として目覚めた時も、こんな感じだった気がする。

 そう考えると、急速に不安になってきた。

 俺はまた、死んだんじゃ――。


「起きたか?」

「っ……」


 驚き、その勢いで寝台から身を起こす。

 跳ね除けたシーツがズレて、床に落ちそうになった。

 慌ててそれを片手で掴みながら、視線を巡らせる。

 知ってはいるが、ここしばらくは聞き慣れていない声。

 その相手は、部屋に置かれた椅子に腰掛けていた。

 パシアスだ。

 呪層で見た時は、酷い有様だったが。

 今は見た目もキチンと整えて、武装ではなく洒落た私服を身に付けてる。

 記憶の中にある、いつも通りの伊達男っぷりだ。


「……俺、どのぐらい寝てた?」

「半日ぐらいだと思う。

 イグナール……さんが連れ戻して来た直後に、いきなり気絶したんだよ」

「半日……」


 そんなに、眠ってしまったのか。

 脳裏に浮かぶのは、深度『五』で目にした《蛇王》ザッハークの姿。

 この世の全てを呪う毒竜が、地上に迫っているのに。

 半日もの時間を、無駄にしてしまった。


「っ……急がないと……」

「おい馬鹿、急に立ち上がろうとするなっ」


 寝台から下りようとしたら、慌てた顔のパシアスに止められてしまった。

 跳ね除けようと思えば、多分跳ね除けられる。

 けど、そこまではしたくなかった。

 何かを言おうとする前に、パシアスの方が先に口を開く。


「落ち着けって、下でオレに言ったのはお前だろうが!

 お前が見たっていう化け物については、今他の二人が考えてる!

 勢いで動いてもロクなもんじゃないって、オレを見てれば分かるだろっ!」

「…………」


 思わず、伊達男の顔を見上げてしまった。

 ぱっと見は、記憶の中の相手と何も変わらない。

 イケすかない美形面だ。

 けど、よく見れば今は傷だらけだ。

 物理的ではなく、心とか、もっと内面の傷だ。

 ……俺にとっては、ドナもユーウェインも陰険で嫌な奴らだった。

 けど、パシアスにとっては、あの二人も仲間だったはずだ。

 それを一気に失ったんだ、傷にならないわけがない。


「……悪い。お前の言う通りだな」

「分かってくれたなら良いんだ。

 ……あぁ、お前がオレにアレコレ言ってた時、こんな気分だったんだな。

 今さらだけど、勉強になったよ」

「皮肉か、それ?」

「感謝してると受け取って欲しいね」


 笑う。俺も、パシアスも。

 抑えていた手を離して、パシアスはまた椅子に腰を下ろした。

 ほんの数秒ほど、静かな空気が流れた。


「……一応、サーレさんとイグナールさんから話は聞いた」

「そうか」

「お前、本当にフォルテなんだな」

「驚いたか?」

「年上の仲間が、いきなり美少女になって驚かない奴のが稀だと思う」

「こっちは、お前が俺を仲間扱いしてたことに驚きだよ」


 その皮肉に対しては、パシアスはなんとも言えない顔で笑った。


「……俺が死んだ時のことは、覚えてるのか?」

「覚えてる――って、言っても、オレたちは即逃げ出したんだけどな」

「やっぱり、ザッハーク……あの黒い竜に出くわしたんだな」

「あぁ。深度『五』の毒沼地帯を突破して、これなら行けると思ったらいきなりだ。

 頭では、お前を助けなくちゃと、思ってたんだよ。

 けど――ダメだった。怖くて怖くて、逃げることしか考えられなかった」

「……そうだろうな」


 無理もない。

 恐らく、その判断が一秒でも遅かったら、俺以外も死体になっていた。

 怪物が囮に気を取られている間に、他は全力で逃げる。

 まったく正しい判断だ。


「……悪かったよ、フォルテ」

「それは、何に対しての謝罪だ?」

「お前を見捨てて、逃げたことだよ。

 本当に、オレが馬鹿だった。どうかしてた。

 あの黒い化け物にお前が殺された時も、その後もだ。

 教会で《帰還》してないと聞いて、もしかしたら……なんて、考えちまった。

 あんなのに襲われて、生きてるはずがない。

 だけど、オレは認めたくなかったんだ。

 オレの判断のせいで、お前を死なせた挙げ句、それを助けもしなかった。

 自分がそんな糞野郎だなんて、どうしても認められなかった」

「……そのせいで、ダナとユーウェインも死んだ」

「そうだ。オレが――オレの、せいで……っ」


 懺悔の声は、最後まで言葉にならなかった。

 椅子に座ったまま、パシアスは頭を抱えて項垂れてしまう。

 せきを切ってしまった感情が、その眼からとめどなく溢れ出していた。


「何が《勇気の風》の勇者だよ……っ!

 そんな風に煽てられて、調子に乗って……!

 勝手に仲間を死地まで引きずってった挙げ句、オレだけ生き残るとか……!

 最悪だ、こんなの、何が勇者だよ……クソっ……!」

「…………」


 俺は、何も言わなかった。

 黙って寝台から下りて、床に足をつける。

 身体は少々重いぐらいで、動きに大きな問題はない。

 だからそのまま、項垂れているパシアスの前に立った。


「顔を上げろよ、パシアス」

「っ……」

「パシアス」

「……フォルテ、オレは――」


 躊躇いがちに、パシアスは伏せていた顔を上げる。

 何かを言おうとしていたが、関係ない。

 俺は目標が――いけ好かない美形面が見えた瞬間、右拳を振り抜いていた。

 当然、手加減なしの全力だ。


「ぶぇっ!?」


 おかしな悲鳴を上げ、パシアスは盛大に椅子から転げ落ちる。

 ……うん、あんまり宜しくはないと思う。

 が、それはそれとして、ちょっとだけスッキリした。

 赤く腫れた顔を抑えながら、パシアスはよろよろと立ち上がる。

 心底驚いた表情で、俺のことを見ていた。


「なんで今殴ったか、分かるか?」

「そ、それは……オレがお前のことを、見捨てたから……」

「違うな」


 震える言葉を、一言で切って捨てる。

 確かに、それについて恨みがないわけじゃない。

 ただ、日々斥候役なんて務めてる以上、いずれ似たことは起こったはず。

 死ぬ覚悟とは別に、そうなる危険を承知でやっていたんだ。

 だからそれについて、パシアスを責めるのは筋違いだ。


「な、なら、何で……?」

「分からないか?」

「わ、からない、教えて欲しい。頼む」


 罪の赦しを懇願する、罪人みたいに。

 パシアスは床に座り込んだ姿勢で、俺を見上げていた。

 お前がやらかした罪は、一つだ。


「お前、俺が起き上がるのを止めた時、どさくさ紛れに胸触っただろ?」

「…………うん?」

「たから胸だよ馬鹿。

 お前、俺でも触ってないのに許されると思ってるのか?」

「いやいやいやいや、ちょっと待て。待ってくれ」

「言い訳があるなら聞いてやるぞ」

「そんな小さい胸じゃ、触ったか触ってないかなんて分かんないって!!」


 とりあえず、もう一発ブン殴っておいた。

 さっきは右フックだったが、今度は上から下へと打ち下ろす形だ。

 また「ぶぎゃっ!?」と、汚い悲鳴と共に床を這うパシアス。

 さて、次は踵でも落とすか?


「待て、待てって!

 悪かった、今のは失言だったっ!」

「分かれば良いが、こっちはカイネの身体だからな。

 俺を馬鹿にするならまだしも、そっちを馬鹿にするのはダメだぞ。

 特に俺より遥かにブチギレる二人の前ではな」

「そ、そんなにヤバいのか……?

 いや勿論、下手なことを言う気はないけど」


 ヤバい、という言葉じゃ足りない程度にはヤバいと思う。

 サーレとイグナールがカイネに向ける感情は、憧れというより崇拝だ。

 俺も人のことは言えないが。

 距離が近かった分、あの二人の感情の重さは相当だ。


「だから、ホントに気を付けろよお前」

「それは分かったが……」

「? 他に何かあるか?」

「……触ってないって、マジで??」


 信じられない、って顔するのやめろお前。


「当たり前だろうが馬鹿。

 むしろ、なんで触ってると思ったんだよ」

「いや触るだろ、普通。触らないとか逆にあり得るの??」

「この身体はカイネのもので、メンタルと心臓は俺のままなんだよ……!

 それで迂闊に触れるわけあるか馬鹿!」

「いやいや、それでも今は自分の身体なんだから、ちょっとは触るだろ!?」


 やかましいわ馬鹿野郎め。

 いや、言いたいことは分かるけども。


「大体、そんな胸すら触らない状態で風呂とかどうしてるんだよっ。

 まさか身体を流してもない、なんて言わないだろ?」

「ぐっ……」


 ぎくりと、心臓が大きく跳ねた。

 口籠る俺を見ながら、パシアスはニヤリと笑ってみせた。

 チクショウ、痛いところを突かれた。


「どうなんだよフォルテ、ホントは触るぐらいはしてるんだろ?

 オレとお前の仲なんだから、素直になれよ」

「……触ってない」

「じゃあ風呂は」

「サーレとイグナールに世話焼かれてるんだよっ!!」

「…………はぁ??」


 くそっ、絶対そういうリアクションだろうから、言いたくなかったんだ!

 明かされた真実に、パシアスは唐突に夜空に放り出された猫みたいな顔をした。

 イケメンにそんな面をされると、逆にこっちが困るわ。

 「え? なんだって?」とか言われても、答えは変えようがない。


「世話焼かれてる――って、はぁ??」

「仕方ないだろ!? 俺にしてみたら、身体はあくまでカイネのものなんだ!

 風呂で洗うとか、色々ハードルが高すぎるんだよっ!」

「それで美女二人に風呂入れて貰ってるとか、お前どういう身分だ……!」

「言っとくが目隠しはしてるからな!?」

「……見えない方が余計興奮するヤツだろ、それ」

「心を読むのはやめろ」


 二人に聞かれてたら洒落にならん。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい言い合いが途切れ、互いに肩で息をする。

 ……本当に、それは初めてのことだった。

 コイツと、パシアスとはそれなりに長い付き合いだ。

 こんな風に、真っ向から言葉をぶつけ合うことなんて、一度もなかった。

 もっと早くやるべきだった?

 いや、勇者じゃない俺が、パシアスにまともに何かを言えるわけがない。

 だからこれは、カイネの代わりになれた幸運のおかげで……。


「……安心したよ」

「? 何がだ?」

「いや、正直に言えば半信半疑だった。

 教会の黒い噂だの、陰謀論だの、オレはまぁまぁ信じてる方だ。

 それでも、お前がいきなり女の子になった――なんて、言われてもな。

 直感的にはお前だって分かってたし、サーレさんたちから事情も聞いた。

 お前がフォルテなのは、頭では分かってる。

 けど、流石に見た目やら声やら違い過ぎるだろ?」

「まぁ、それはな」


 この身体は、カイネのものだ。

 だからそれは当然だ。


「けど、今話してみて、やっと確信が持てたよ。

 姿形が変わったとしても、お前はお前だ。

 オレの仲間のフォルテだよ」

「――――」


 何か言おうとして、失敗した。

 こいつはまた、適当なことを言いやがる。

 ……いや、違う。そうじゃない。

 パシアスは、ただ思ったことを口に出しただけだ。

 俺を慰めようとか、そんな意図はないはず。

 だから、今の言葉がパシアスの本音だ。

 俺は俺だと、フォルテという人間で良かったと。

 裏表なく、ただその事実を喜んでいた。

 そうと気付くと、胸の奥が微かに痛んだ。

 不快な痛みではなかった。


「……? どうした、フォルテ。

 顔を伏せて、やっぱり調子が悪いのか?」

「いや、違う。平気だ。心配しなくて良い」


 寄ってきそうなのを、片手をかざして拒否した。

 万一でも、今のでちょっと泣きそうになったなんて、気付かれたくはない。

 だからとりあえず、別の話題で誤魔化して……。


「……親睦を深めてるとこ悪いけど、そろそろ良いかな?」

「…………」


 いつの間にかやら開いていた、病室の扉。

 戸に背を預ける形で、サーレがそこに佇んでいた。

 意味深な笑みに、何故か冷や汗が流れた。


「ザッハークについて、話し合いをしたい。

 アレは放って置いたら、《都市》そのものの危機だ。

 イグナールと話したことも含めて、確認をしたいんだ」

「分かった」

「それは、オレも参加して良いんだな?」

「勿論だよ。君の戦力も、こちらは当てにしているからね」


 頷く。

 パシアスも、話し合いに加わるらしい。

 仮にザッハークと戦うことになったら、本当に大丈夫だろうか。

 そんな心配も湧いてくるが、その前に。


「なぁ、サーレ」

「なんだい?」

「今の話、どっから聞いてた?」

「君がボクらに世話を焼かれてる、って辺りかなぁ」

「…………」


 つまり、聞かれたくなかったところは丸々聞かれてしまったわけだ。

 ニコニコ笑顔のサーレに、俺は黙って天を仰ぐしかなかった。

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