第十五話:瀕死の魔王


『あの勇者カイネ一党ほどじゃあないにしても、だ。

 オレたちにだって、何かできることがあるんじゃないか?』


 きっかけは、そんなパシアスの思いつきから出た一言だった。

 《地獄》の底を目指して旅立ったカイネの背を、黙って見送ってから数日。

 パシアスが借りた豪華な宿の一室で、俺たちは次の探索計画を練っていた。

 やること自体は、いつもの通り。

 深度『四』を目指し、そこから深度『五』への安定した探索ルートを探す。

 ギルドで魔獣の討伐依頼や、資源の採集任務があれば、ついでに請けておく。

 いつも通り、変わらない。

 最強の勇者とその仲間たちが、前人未到の魔王退治に挑んだとしても。

 こっちは、何も変わらないはずだった。


『そうだ、オレたちだって呪層の完全浄化を目指して戦ってるんだ。

 たった一人の勇者――しかも、年端も行かない女の子だ。

 それに全部任せて、オレたちは呑気に浅い層で穴掘りをするだけか?

 違うだろう、それは!』


 自分で自分の言葉に酔った、パシアスによる単独演説ソロコンサート

 これ自体は、稀にあることだった。

 普段なら、俺は何か特別に思うことはなかっただろう。

 ダナもユーウェインも、「またか」と呆れた顔をするだけだ。

 基本、パシアスは言い出したら他人の言うことなんて聞きやしない。

 それでも、労力を惜しまねば多少の軌道修正を行うことぐらいは可能だ。

 要は、パシアスの「何かをやり遂げた」という欲求さえ満足させたら良い。

 その時も、本当ならそうするべきだった。

 ……だけど。


『よし、流石だなぁフォルテ!

 お前だったらそう言ってくれると、オレは信じてたよ!』


 心底機嫌良さげに、パシアスは笑っていた。

 逆にドナとユーウェインは、信じられないといった眼で俺を見ていた。

 普段だったら、俺がパシアスを真っ先に諌める役だ。

 それを起点にして、馬鹿な思いつきの軌道修正を行うのが常だった。

 なのに、俺は全面的に賛同してしまった。

 こうなれば、後はもうやる以外になくなった。

 ダナは何も言わず、ユーウェインは俺を睨みながらパシアスを煽て始めた。

 ……勇者じゃない俺にも、やれることがあるかもしれない。

 パシアスの無責任な思いつきを、この時ばかりは天啓と勘違いしたんだ。

 そして俺たちは、新たな探索計画を立てた。

 とは言っても、やること自体は普段と大きくは変わらない。

 単独の斥候として俺が先行し、確認したルートをパシアスたちが進む。

 ただ、目標は「深度『五』を踏破し、深度『六』以下」を目指すに変わった。

 冷静な頭は、それがどれだけ無謀な計画かは理解していた。

 理解して――それでも、夢を見る衝動を誤魔化し切れなかった。


『お前ならできるさ、フォルテ。

 後ろにはオレたちがいるんだから、勇気を持って進もうぜ』


 一党が稼いだ資産を切り崩し、買い揃えた高価な対呪詛装備。

 それに身を包んだ俺を、パシアスはそう言って送り出した。

 馬鹿な夢を見た俺は、奇跡的にも深度『五』の毒沼を突破できた。

 パシアスたちも、意気揚々と俺の探索したルートを進んだ。

 ――もしかしたら、本当に上手く行くんじゃないか。

 そんな子供じみた夢を、悪夢という現実に蹂躙されるとも知らず。

 俺が最後に――死ぬ直前の、最後に見た光景。


『■■■■■■■■■――――――ッ!!』


 それがまた、俺の目の前に立ち塞がっていた。

 心臓は冷たく、流れる血が凍てついていく。

 死の予感……いや、死神の手そのものが、命の緖を掴んでいる。


「ぅ……ぁ……っ」


 恐ろしい。

 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい!

 胸にあったはずのなけなしの勇気に、魔人に対する敵意と憤怒。

 そして、俺がカイネの代わりにならねばと、微かに抱いていた決意。

 一切合切が、まるで塵のようにかき消されてしまった。

 動くこともできず、震えるばかりの俺を竜が見下ろしている。

 一対の紅蓮の眼、牙の並んだ大顎。

 見たくもないのに、恐怖に固まった身体では目を逸らすこともできない。


『■■■■■■■■■■ッ!』


 竜が吼える。

 嫌な音を立てて、その口が開かれた。

 喰い殺すのか、あるいは未知の手段で縊り殺されるのか。

 どうあれ、想像できるのは絶望ばかり。

 抗おうという意思すら、根こそぎ挫かれてしまった。

 毒と瘴気で黒く染まった牙が、ゆっくりと――。


「何をしているんだッ!!」


 叫ぶ声が、凍りついた思考を揺らした。

 それと同時に、紅蓮の炎が迫る黒を塗り潰す。

 真っ赤に焼ける視界は、しかしすぐに闇が覆い尽くした。

 《鎧》で強化された魔獣の外皮すら、簡単に燃やしてみせた《炎竜》の一撃。

 だがそれは、黒い竜を焼くにはまるで足りない。

 動けないままでいる俺を、一本の腕が強引に抱え込んだ。

 

「イグナール……!」

「この大馬鹿者がっ、何故さっさと逃げ出さなかった!」


 イグナールは、常になく焦燥に駆られているようだった。

 炎の残滓を払い落とす竜を睨みながら、急いでその場を離脱しようとする。

 背中から噴き出す炎を翼の代わりに、イグナールは一気に加速した。

 それでも、俺はまだ動けないままだ。

 手足を、心臓を、恐怖という鎖がキツく締め付ける。


「どういうことだ……!

 何故、『奴』がこんな場所に……!」

「っ……イグナール……?」


 激しい動揺が伝わってきた。

 それは、単純に危機的状況に置かれているから、という理由とは違う。

 俺と同じく、イグナールもまた恐怖に震えていた。

 カイネを例外とすれば、《都市》でも最強格の勇者が恐れている。

 あの黒い竜は、一体――。


!!」

「…………は?」

「アレが魔王、この《地獄》の呪層を支配する《蛇王》ザッハークだっ!!

 あの姿、私が戦ったものと同じだ、間違いない!」

「《蛇王》……ザッハーク……?」


 魔王。

 地上に現れてから、数百年。

 世界を蝕み続けている、人類の敵対者。

 未だにただの一柱も討伐されていない、真性の怪物。

 そして、カイネが命を賭して討ち取ったはずの。

 

『■■■■■■■■■■――――ッ!』

「っ……!?」


 ただの咆哮が、激しく脳を揺さぶる。

 俺を担いだ状態とはいえ、イグナールは全霊で逃走を図っていた。

 《翼》を使った時と比べても、速度に大きな差はない。

 風を置き去りにする高速移動――これを、続けているはずだ。

 にも関わらず、黒い竜……《蛇王》ザッハークの姿は一向に遠ざからない。


「嘘だろ……!?」


 思わず呻く。

 黒い竜は、恐ろしく巨大だ。

 竜ではあるが、背に身体を支えるような翼もない。

 大木も同然の四肢に力を漲らせ、大地を蹴って駆け抜ける。

 魔王の肩書きには似つかわしくない、それは獣の動きだった。

 地を這う獣――けれど、その速度。

 炎を噴いて飛びイグナールと同じ……いや、それよりもほんの僅かに速い。

 悪い夢でも、ここまで酷くはないはずだ。


「ッ……くそっ、あれだけ弱っているなら、逃げ切れるかと踏んだが……!」

「弱っ……!?」


 さっきから驚き過ぎて、自分でもわけが分からない。

 弱っている。弱っている?

 あんな天変地異を具現化させて、竜の形に無理やり圧縮したような奴が?

 混乱して乱れる脈拍を、どうにか落ち着けようと息を吸う。吐く。

 恐ろしい。それは変わらない。

 アレは死だ、俺にとっての死だ。

 だから胸に刺さる恐怖は変わらず――けど、その姿を改めて見た。

 そして、イグナールの言葉が真実であることを知った。


「…………?」


 我ながら、信じがたいことを呟いてしまった。

 《蛇王》ザッハークは、その巨体に無数の傷が刻まれていた。

 翼は無いのではなく、背に一対あったはずのモノが、根本から千切れているようだ。

 首の付け根――いや、肩の辺りか?

 そこにも左右それぞれ、抉り取ったみたいな傷跡が刻まれている。

 これだけでも、十分過ぎる重傷だった。

 けど、一番深い傷は胸のど真ん中に刻まれていた。

 さながら、大地が裂けた亀裂みたいに。

 暗い闇を覗かせる傷口から、今もドス黒い血が溢れ出していた。

 どう見ても致命傷。

 真っ当な生き物なら、死んでなければおかしいぐらいだ。


「……やはり、カイネは魔王を仕留めていたんだ」


 戦慄と恐怖で、イグナールの声は今も震えている。

 震えながら呟いた今の言葉には、同時に強い歓喜も混ざっていた。


「いや、死にかけてるとは思うけど、アイツはまだ動いて……!」

「そうだ、《蛇王》ザッハークは瀕死だ。

 翼を千切られ、三本あった首の内、二本も抉り取られている。

 その上で、あの胸の傷は心臓にまで達しているのだろう。

 ――遠からず、ザッハークは死ぬ。

 それは間違いないはずだ」


 呟く声には、願いと祈りが込められていた。

 死ぬ。

 あの魔王は、恐るべき人類の大災厄は。

 もうカイネとの戦いで死ぬ寸前だと、そうイグナールは語る。

 確かに、彼女の言う通り。

 《蛇王》ザッハークは瀕死の状態だった。

 放って置いても、遠からず死ぬ。

 そう確信できる程度には、ザッハークは弱っているのは間違いない。

 だけど。


「……イグナール」

「アレがいつ死ぬのか。

 私も丁度、同じことを考えていたところだ」

「やっぱりそうなるのかよ……!」


 呻く。それはできれば考えたくはない、最悪の予感だった。

 ザッハークは遠からず死ぬ――が、すぐに死ぬわけじゃない。

 あと三日ぐらいで死ぬのか、それとも一ヶ月先か。

 もし、完全に絶命するまでに数日も掛かるとしたら……。


「あの化け物、このまま地上に到達するんじゃ……」

「あぁ、その可能性は十分あり得る。

 ザッハークの呪紋は《毒》だ。

 あの魔王は、存在そのものが世界を蝕む凶悪な呪毒。

 仮に地上に出た瞬間に死んだとしても、その屍からは大量の毒が撒かれるだろう。

 万が一、そうなれば……」


 ……汚染が、《都市》一つで済めばまだ良い方だ。

 死んだ魔王の毒が、風に乗って他の土地にまで流れ込んだら、どうなるか。

 それは本当に、最悪の可能性だった。


「ザッハークにトドメを刺す。

 サーレの考えていた予定の通りだ」

「だったら……!」

「が、今は無理だ。

 奴は瀕死だが、それでも私たちだけで仕留められるほど弱くはない。

 フォルテ、それはお前も分かるはずだ」

「っ……」


 イグナールの言葉は、どこまでも正しかった。

 死にかけても尚、ザッハークの速度は《炎》で飛ぶイグナールよりも速い。

 このまま追いつかれて、二人で戦ったとして。

 勝ち目があるかどうかなんて、考えるまでもない話だった。


「……悪かった、イグナール」

「謝罪は良い。それより、今は手伝ってくれ」

「分かった……!」


 恐怖で強張っていた身体だが、今は思う通りに動かせる。

 《翼》の聖痕に祈り、その力を飛び続けるイグナールへと分け与えた。

 瞬間、その速度が跳ね上がる。

 追ってくるザッハークの姿が、一気に遠ざかった。

 後方から響いてくる咆哮は、怨嗟の声に近い気がした。


「戻り次第、サーレと共に対策を練る。

 奴がこのまま地上を目指すつもりなら、もう一刻の猶予もない」

「…………」


 聖痕の力を維持しながら、イグナールの声に頷く。

 《蛇王》ザッハーク。

 カイネの手で、既に死ぬ寸前まで追い込まれていた魔王。

 それですら、俺一人では絶望して立ちすくむしかなかった。

 ――俺は本当に、カイネの代わりが務まるのか?

 答えの出ない疑問と、望みに届かないことへの焦り。

 針が突き刺さったみたいに、心臓が強く痛んだ。

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