第十三話:三黙の魔女団
「助け、助けてっ!!
お願い、こんなの、こんなのは嫌ァ……!
助けて、助けて、助けて……!」
「ユーウェイン……!」
「行くな馬鹿っ!」
恐怖で、間違いなく頭の中はぐちゃぐちゃなはずだ。
そんな状態でも、パシアスは仲間の声に応えようとした。
俺はそれを止めるしかない。
気持ちは分かるが、アレはもう――。
『…………』
そんなこちらの様子を見ながら、怪物どもは笑った気がした。
同時に、女の――ユーウェインのパーツを手放す。
落とした先にいるのは、大蜥蜴の怪物だ。
何故か微動だにしないプレデターの上に、バラバラの身体が触れる。
触れた瞬間、ユーウェインの肉は大蜥蜴の外皮と完全に一体化してしまった。
同時に、不気味に輝く紋様が大蜥蜴の身体に浮かび上がる。
恐らく、あの老婆三人の誰かが何かをしたんだ。
『■■■■■■■■■■――――ッ!!』
大蜥蜴と、それと融合したユーウェインの口から咆哮が轟いた。
そこに理性はなく、動物的な本能もない。
操られた狂気だけが、不自然な殺意混じりに撒き散らされる。
パシアスはその場で膝を付き、ただ呆然としていた。
「……《暗黙》、《沈黙》、《寡黙》。
ギルドでそういう通称で呼ばれてる、
これまで、何人も犠牲者を出してきた
緊張の滲んだ声で、サーレが三人の怪物について語る。
上位魔人……!
魔獣と同じく、強力な呪詛を宿した人間の敵対種族。
動物的な本能で動く魔獣と、異なる点は二つ。
一つは、人間並みかそれ以上の知性を有していること。
もう一つは、他の生命に例外なく強い悪意を持ち、恐ろしく残酷なこと。
今やったみたいに、犠牲者を弄ぶ行為を特に好む。
……
そいつらでも、向けてくる悪意は反吐が出そうなほどだった。
この魔女たちから感じるのは、その時のものより遥かに悍ましかった。
『…………』
魔女の姉妹は、ここまで一度も声を発していない。
微かな音もなく、老婆の姿をした怪物たちは笑っていた。
三人で顔を近付けて、哀れな『元人間』を見下ろし、それを嘲っている。
まるで、悪戯が成功した子供みたいに。
「ッ……あいつら……!」
「犠牲者たちは私が相手をする!!」
あれだけパシアスを諌めておきながら、俺の心臓は一瞬で沸騰した。
後先を考えずに突っ込みかけた時、イグナールの声がそれを制止してくれた。
顔を上げ、そちらを見た。
イグナールの視線は俺の方は向かずに、呪い渦巻く怪物たちを捉えていた。
「フォルテ、君はサーレと二人で魔女団の相手を頼む。できるな?」
「っ……あぁ」
頷く。できる、やってやる。
仲間なんて、一度も思ったことはなかった。
なんなら恨んでるし、できれば二度と顔をみたくないぐらいだ。
だとしてもこんな惨い目に遭って良い理屈なんて、少しも考えられなかった。
「……な、なぁ、あいつらは、助けられるんだよな?」
絶望に掠れた声。
パシアスは、縋りつくようにそう問いかけてきた。
けれど、それに対する答えは。
「無理だ、あの状態から戻す術はない。
楽にしてやるのが慈悲だ」
「…………」
「そ、んな……!」
イグナールの言葉は、率直に事実だけを告げた。
元に戻す術はない。
だからこそ、自分が相手をするとイグナールは言ったのだろう。
怪物たち――魔女団は、すぐに襲っては来なかった。
大蜥蜴も、大百足も。
まるで、「待て」と言われたペットみたいに動かない。
魔女たちは、こちらの様子を眺めながら音もなく笑っていた。
……俺たちが狼狽えて、戸惑ってる様を楽しんでやがる。
殺すだけなら、いつでもできると言わんばかりに。
「一人で二体相手なんて、大丈夫かい?」
「誰にものを言ってるんだ、サーレ。
そっちこそ、敵は悪名高い三黙の魔女団だ。
不覚を取ってこちらの手間を増やす、なんて真似だけは御免だぞ」
「勿論、心得てるとも」
流石に場慣れしてるだけあって、二人は冷静だ。
心臓は、逸るように強く鼓動している。
ニヤニヤと笑う魔女どもの面が、心底腹立たしかった。
「パシアス」
「え、ぁ、えっ?」
「お前も戦え、とまでは言わない。
だけどせめて、《鼓舞》をくれよ」
「……な、なぁ。さっきから、フォルテって呼ばれてるけど。
まさか、お前、本当に……?」
「その話は後だ! 今は奴らを倒すのが先だろっ!」
思わず叫んでしまった。
パシアスはビクリと身を竦ませ――けど、顔付きは少しだけマシになっていた。
それから、震える右手を掲げて、ぐっと握ってみせた。
手首の辺りに、聖痕が刻まれているのを俺は知っていた。
掲げられた右の拳を中心に、熱を宿した風が渦を巻く。
風が触れた身体に熱が移ると、それは指の先まで流れ込む。
「これは……?」
「……なるほど、勇者パシアス。
《勇気の風》については、ボクも話ぐらいは聞いたことがあるよ」
驚くイグナールと、興味深げに頷くサーレ。
パシアスに刻まれた聖痕は、《鼓舞》と《風》、そして《剣》の三つ。
その内、《鼓舞》と《風》を合わせた力が《勇気の風》だ。
《鼓舞》の聖印は、精神の高揚や身体能力の強化などを対象に施す。
これを《風》の聖痕によって広範囲にばら撒くのが、パシアスの
効果の高さについては、傍で見てきた俺は良く知ってる。
全身に力が漲るのを感じながら、こちらも拳をぐっと握り締めた。
「後は、こっちで何とかする。
お前は巻き込まれないよう、下がってれば良い」
「っ……わか、った」
悔しげに、苦しげに。
言い返すこともできず、パシアスは己の無力を受け入れた。
俺は、そちらを見ることはしなかった。
打ち拉がれた男の顔を見て、喜ぶような自分は嫌だったから。
「――待たせたな」
『…………』
魔女団は、相変わらず物音一つ発していない。
ただ、無言のまま俺たちを嘲り笑うだけ。
敵意を向けた瞬間、止まっていた怪物どもが動き出した。
『■■■■■■■■■■■――――――ッ!!』
「お前らの相手は、この私だ!!」
咆哮に負けない声量で、イグナールが激しく吼えた。
《鼓舞》の力を受けた《炎竜》は、真っ赤な軌跡を描いて跳躍する。
俺たちも、負けてはいられない。
「サーレ!!」
「あぁ、行けるよフォルテ!」
言葉を交わしながら、《翼》の聖痕を発動させた。
魔女たちは空中に留まったまま、俺たちのことを見下ろしている。
高く高く飛び上がり、魔人たちに真っ直ぐ挑みかかる。
加速した知覚では、世界は緩慢に流れていく。
しかし、如何にも鈍そうな魔女はこちらの動きをしっかりと捉えていた。
襤褸の裾が弾け、下から異様に長い『腕』が伸びてきた。
一人の魔女につき、合わせて六本。
複数の人間の腕を材料に造り上げたそれは、蜘蛛の足にも似ていた。
「気色悪いなっ!?
フォルテ、アイツらの呪紋に気を付けて!
詳細は不明ながら、生き物を
サーレの言葉は届いているが、応える余裕はなかった。
彼女より数歩前に出て、左手に意識を向ける。
《翼》の聖痕は、同じ出力で維持したまま。
視界の中で、三体の魔女が複数の腕を踊らせる。
肌に赤黒い呪紋を輝かせ、手には赤錆びた大鉈や鎌、鋏が握られていた。
魔女たちは、笑っている。
馬鹿な獲物が飛び込んできたと、本当に嬉しそうに。
――上等だよ、クソッタレども。
すぐに吠え面かかせてやる。
「おおおおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉッ!!」
しなる鞭の如く、老婆たちの魔手が襲ってくる。
俺は腹の奥から叫んだ。
同時に左手を強く握り締め、それを全力で振り抜いた。
輝く光の軌跡。
聖痕が生み出した《剣》の一撃は、魔女たちの武器を数本纏めて粉砕する。
向こうは想定すらしていなかった事態のはずだ。
案の定、醜い老婆の面が動揺に揺れた。
『…………!?』
「ははははははは! 凄いな、聖痕の同時使用!
もうできるようになるなんてねっ!」
ほんの僅かながら、致命的な隙を晒した魔女団。
そこを狙って、サーレが哄笑を響かせながら突っ込んだ。
細い体つきとは裏腹に、繰り出される蹴りは稲妻と見紛うばかり。
唇を縫い付けた魔女――あれが《寡黙》か?――の面に、爪先が突き刺さる。
骨が砕ける鈍い音、続く蹴り足で更に音が重なった。
『…………!!』
表情を嘲りから憤怒に歪ませ、二体の魔女がサーレを狙う。
呪紋を光らせた魔手が、
「させるかっ!!」
が、その間にこちらが割って入る。
振り下ろした《剣》は、腕の一つを半ばから切断した。
返す刀で別の腕も切り裂こうとした、瞬間。
「なっ――!?」
死角から伸びてきた魔女の手が、俺の右腕を掴んだ。
ざわりと、肌が粟立つ。
致命的な呪いが、節くれだった指から流し込まれようとしている。
痛みもなく、身体が引き裂かれそうな感覚。
恐らくは《分解》の呪紋。
触れた相手をバラバラにしてしまうなら、それは恐るべき呪いだ。
両眼が空洞となった老婆が、口元を勝利の確信で歪めている。
だから。
『ッ!?』
右手から発した《浄化》の光。
その輝きに呪いを消し飛ばされた魔女の顔は、最高に無様なものだった。
今回は制御も効いて、腕を焼くような真似はしなかった。
が、《浄化》を使うと同時に《剣》の光は消えてしまっていた。
流石にまだ、三つ纏めて使用するのは難しいようだ。
咄嗟の対応で、攻撃する手段を失った――が。
「十分だよっ!!」
その隙間を、サーレの声と蹴り足が埋めてくれた。
《鼓舞》による強化と、《翼》の加速。
二つが合わさった踵の威力は、大上段から落とされた鉄槌そのものだ。
醜い顔面を潰され、無音の悲鳴を吐き散らす魔女。
右手の《浄化》は解除し、すぐさま左手の《剣》に祈りを注ぐ。
この邪悪を必ず討ち滅ぼす、そのための祈りを。
『ッッ――――……!!』
真っ直ぐ伸びた光の刃。
それは狙い違わず、空洞の眼――《暗黙》の魔女を刺し貫く。
枯れ木も同然の身体を、《剣》の切っ先は大した抵抗もなく切り裂いた。
ドス黒い血を撒き散らして、魔女の一体が沈む。
サーレに顔を砕かれた《寡黙》は、苦しげながらもまだ健在。
残る耳に鉄串をはやした魔女、《沈黙》だけは無傷だ。
ただその表情は、これまで見た中で一番酷く歪んでいた。
『…………!!』
「なんか喋れよ、この化け物」
罵って、左手の剣を握る。
一体仕留めたが、それでもまだ数の上では互角だ。
「油断せずにね、フォルテ」
「分かってる」
並ぶサーレに頷き返し、俺は二体の魔女を見た。
――やれる、俺は戦えてる。
心臓の鼓動が早い。
《鼓舞》の力だけではない、精神の高揚。
それらを血肉で感じ、改めて《剣》を構えた。
「ぶっ殺すっ!」
『…………!!』
俺の殺意を受けて、《寡黙》と《沈黙》は音のない叫び声を上げた。
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