第十二話:勇者パシアス


 荒れ野を、風の如く駆けていく。

 やがてサーレの指示する方向に、その光景が見えてきた。

 地響きを立てて暴れ回る、一頭の大蜥蜴。

 大木と見紛うほどに発達した、二本の後ろ足。

 それと比較すれば随分と貧弱そうな前足には、鋭い爪が伸びている。

 人間ぐらいひと呑みにできそうな大顎は、剣にも似た牙が幾つも並んでいた。

 背中から胴体をぐるりと囲う形で、赤い呪紋が不気味に輝く。

 敵意と飢餓に濁った眼は、常人であれば睨まれただけで心臓が止まりそうだった。


「《捕食者プレデター》だね。

 深度『四』では、一番強い大型魔獣。

 あの呪紋は《強化》で、あの巨体を文字通り強化してるんだよ」


 傍に並んだサーレが、大蜥蜴について解説してくれる。

 姿だけなら、何度か見た覚えがあった。

 枯れた荒野に、王者のように君臨する怪物。

 挑もうなどとは、欠片も考えなかった。

 ただ気付かれぬことを祈って、身を潜めた記憶しかない。

 けど、今は違う。

 胸に以前ほどの恐怖はなく、挑む理由が怪物の足元にあった。


『■■■■■■■■■■――――っ!!』

「ひっ……ぃ、くそっ、助けて……!」


 プレデターから逃げ惑う、一人の男。

 身に付けた装備はボロボロで、手足も血の赤に染まっている。

 何人もの女性を魅了してきた美形も、今は埃や泥で汚れて見る影もなかった。

 知っている。

 あのいけ好かない金髪の男を、俺は知っていた。

 如何にも勇者然として、誰に対しても理想的な善良さを見せる。

 そのクセ、身勝手な振る舞いで周りを振り回すことに躊躇いがない。

 いや、そもそもその行いを『身勝手』とすら思っていない、ロクでもない男。

 ソイツは間違いなく、俺の知っている勇者パシアスだった。


『■■■■■■■――っ! ■■■■■っ!!』

「来るな……!!

 あぁ、なんで、なんでだよ……! なんで、こんなことに……っ」

「…………」


 息も絶え絶えで、口から出る言葉は意味のないものばかり。

 パシアス以外の姿は見当たらない。

 見すぼらしい格好で、戦意の折れた情けない顔で必死で逃げ続ける。

 そこにいるのは、俺の知らない勇者パシアスだけだった。


「先ずは私がデカブツを叩く。

 フォルテはその隙に、救助者の確保を」

「っ、分かった」


 思考の沼に嵌まりかけた意識は、イグナールの声で引き戻された。

 そうだ、考えるのは後にしろ。

 助けると決めて、幸運にもパシアスはまだ生きていた。

 何があったのかとかは、助け出した後で確認すれば良い。


「大丈夫かい、イグナール?」

「誰の心配をしているんだ、サーレ。

 お前こそ、フォルテの方を頼むぞ」

「任されよう。君も気を付けて」

「分かっている」


 サーレに応えてから、イグナールは加速する。

 同時に、燃える炎が失われた右腕を補うように燃え上がった。

 炎によって形作られる拳。

 イグナールはそれをぐっと握り固めて、真っ向から大蜥蜴の顔面に叩きつけた。

 爆ぜる炎の勢いは凄まじく、音を立てて怪物の顔面を焼き焦がす。

 

『■■■■■■■■■■■■■――――っ!?』

「な、なんだ……!?」


 突然の爆発と、プレデターの口から迸る絶叫。

 驚きに足を止めるパシアスへと、こちらも急いで駆け寄った。


「パシアスっ!」

「!? まさか、フォルテ――?」


 ……声は、当然違う。

 今の俺の身体は、カイネのものだから。

 それでも名を呼んだ瞬間、パシアスは俺の名前を口に出していた。

 振り向き、予想とはまったく違う顔を見て、薄汚れたイケメン面が驚きに固まる。

 こっちはこっちで、言葉に詰まってしまった。

 ……何で、俺の名前が出てくるんだよ。


「え、ぁ、違……? き、君は……??」

「っ……そんなことより、早く離れるぞ! 死にたいのか!?」

「君こそ落ち着いて。大丈夫、イグナールなら一人でも負けないから」


 俺やパシアスとは対照的に、サーレは冷静そのものだった。

 戸惑う馬鹿の腕を掴んで、強引に引っ張る。

 イグナールは大丈夫だとしても、怪我人を戦闘の余波に巻き込むのはマズい。

 ほとんど引きずる形で、サーレと共に急いでその場を離れた。

 その間も、イグナールと怪物の戦いは続く。


『■■■■■■■■■■――――っ!!』

「はァッ!!」


 プレデターは、荒野最強の魔獣に恥じない恐るべき怪物だった。

 《強化》の呪紋が輝く巨体と、そこから繰り出される暴力。

 爪や尾を振り回し、大きな顎で噛みつく。

 ただそれだけの単純な動きしかしないが、単純だからこそ脅威だった。

 正面から戦うには、あまりに危険過ぎる。

 そんな魔獣を相手に、イグナールはただ一人で、真っ向から渡り合っていた。

 ……いや、『渡り合う』どころか、むしろ圧倒さえしていた。


『■■■■■■……っ!?』

「ふん。私もまだ、この状態での戦闘は不慣れでな。

 丁度良い肩慣らしにはなるな」


 燃え盛る炎。

 それで失った右腕を補い、身体の半ばを覆う形で纏っている。

 腕も拳ではなく、今は竜の爪に似た形状に変化していた。

 イグナールの異名は《炎竜》。

 彼女の持つ聖痕――《剣》と《鎧》、それに《炎》。

 三つを同時に使用した姿は、確かに《炎竜》の呼び名に相応しいものだった。

 赤く燃える装甲は、魔獣の爪を容易く弾く。

 逆に叩き込まれた炎の爪は、分厚い大蜥蜴の外皮を焼き潰した。


「凄い……」

「だろう? イグナールは強いんだ」


 思わずこぼれた呟きに、サーレは胸を張って応えた。

 本当に、見惚れてしまいそうだ。

 カイネとは異なる、それは鍛え上げられた戦士の強さだった。

 助けなんて必要ないんじゃないかと、そう思ってしまうほどだ。


「……な、なぁ」

「…………」


 震える男の声。

 見れば、腰を抜かしたパシアスが地べたに座り込んでいた。

 自信家で、常にふてぶてしいぐらいに堂々とした態度を見せていた男が。

 今は弱った犬みたいな顔で、俺を見上げている。

 心臓に感じる疼きが、どういう種類のものであるのか。

 俺にはなんとも判断がつかなかった。


「た、助けてくれた……んで、良いんです、よね?」

「……他の二人はどうした?」

「お前――あ、いや、君は、一体……?」

「まだ、仲間が二人いるだろう。どうしてお前しかいないんだ?」

「ち、がう。仲間は、三人いたんだ」


 痛み。

 なんの躊躇いもなく、恥じることもなく。

 パシアスは、仲間は三人いたと口にしたのだ。

 感情の行方を、見失いそうになる。


「一人、ここよりずっと下で、死ん……行方が、分からなくなったんだ。

 オレは、オレたちは、アイツを探しに来たんだ。

 だって教会に、《帰還》はしてなかった。

 つまり、まだ生きてこの《地獄》のどっかに、いるってことだろう?

 そうしたら、オレたちで助けに行かないと……!

 仲間なんだから、そうするのは――」

「それで、連れて来た残りの二人はどうしたんだよ」


 声が掠れる。

 言葉は自然と、詰問するように厳しくなってしまった。

 心がひび割れて、身体も弱ったパシアスを。

 臆面もなく、かつての俺を『仲間』と呼ぶコイツを。

 そんなつもりはないのに、責めるみたいな言葉を浴びせてしまう。

 ……本当に、そんなつもりはないのか?


「……気持ちは分かるけど、もう少し冷静に」


 サーレの指が、腕や肩に触れる。

 穏やかに響く声が、耳から胸へと染みるようだった。


「……ごめん」

「良いさ、落ち着かないのも無理はない」

「……二人は……ダナと、ユーウェインは、やられてしまった」


 パシアスは、震えた声で呟いた。

 思い出された恐怖と戦慄で、その瞳も激しく揺れていた。

 頭を抱え、自慢だったはずの金髪を激しく掻き毟る。


「やられた、やられちまったんだ……!

 ダナも! ユーウェインも!!

 深度『五』に入って、いきなり襲ってきた、あの化け物どもにっ!!」

「……パシアス、その化け物ってのは」

「チクショウ、おかしいだろっ!?

 フォルテの時だってそうだ!!

 あんなおかしな化け物、これまで一度も出くわさなかったのに……!」

「おい、パシアス! ホントに落ち着けって!」


 錯乱寸前の男の肩を掴んで、少し強めに揺さぶる。

 相当、恐ろしい目に遭ったのは間違いない。

 だからこそ、唯一事情を知ってるコイツに喋らせないと。

 予想通り、パシアスは俺が死んだ時のことも知っているようだ。

 そっちもどうにか吐かせて……。


「フォルテっ!!」

「ッ!?」


 サーレが鋭く発した警告。

 それが届いたのと、冷たい予感に身体が総毛立ったのは、ほぼ同時だった。

 半ば反射的に、パシアスの手を引っ掴む。

 《翼》の聖痕による加速状態への移行は、文字通り一瞬だ。

 一瞬、その刹那に足元の地面が破裂した。

 間抜け面を晒すパシアスを引きずり、俺とサーレは急いで飛び退く。

 鋭い牙に似たモノが、髪の先端を掠めた。

 ギリギリ、まさに間一髪だ。

 荒れた大地を砕きながら、何か巨大なモノが這い出てくる。

 果たして、その姿は――。


「……なんだ、アレ」


 現れた異形に、自然と声が震えていた。

 見た目は、とんでもなくデカい百足(ムカデ)だった。

 大量の足がわさわさと蠢くのは、なかなか生理的な嫌悪を刺激してくる。

 ただ、それだけなら単に気色悪いだけだ。

 真に悍ましいのは、百足の頭から人間の身体の一部が生えていることだ。

 胸から上辺りと、腕と足。

 それらが無造作かつ乱雑に、百足の外皮に溶け合う形で生えていた。

 しかも。


「ぁ……い、ぃぃぃ……苦……っ、し……たす、け……」


 ……そんな状態にも関わらず、生きている。

 目の焦点は合わず、漏れる声もうわ言で、意識がまともにあるかも怪しいけど。

 それでもまだ、生きていた。

 完全に、悪夢でしか見ないような絵面だ。


「ダナ……!」


 おまけに、それは知ってる相手の面だった。

 胸糞悪過ぎて、どうしようもなく吐き気がこみ上げてくる。

 引きずったパシアスは、完全に恐慌状態だ。


「あぁ、ダナ! ダナ! くそっ、クソッタレ!!

 生きてる、まだ生きてるのに、あんな……っ!」

「……怪物の方は大怪虫ワームだけど……マズいな。

 アレをやった奴が誰なのか、心当たりがある」

「っ、ホントか?」

「あぁ、できればこの場にいるのは『成果物』だけであって欲しいけど……」


 サーレが唸った直後、火の粉を撒きながらイグナールが飛んできた。

 地面に派手な着地を決める彼女の表情は、強い緊張が感じられた。

 さっきまでとは、明らかに違う。


「イグナール!」

「こちらは大丈夫だ。だが、良くない状況だ」


 イグナールはこちらの呼びかけに、言葉だけで応じる。

 彼女の眼は鋭く、今しがた戦っていた大蜥蜴を見ていた。

 ……いや、違う。

 見ているのは、身体のあちこちが焼け焦げた大蜥蜴じゃない。

 その頭上に浮かんでいる、三人の怪物の方だ。


「そんな……ユーウェイン……っ!!」


 パシアスが悲鳴じみた声で叫んだ。

 怪物たちは、見た目だけなら人間の老婆に近かった。

 黒い襤褸ボロを纏った格好も含めて、姉妹のように良く似た三人。

 それだけなら見分けも付き難いが、それぞれ間違いようのない大きな特徴があった。

 一人の顔には眼球と瞼(まぶた)が無く、まるで二つの穴が空いたかのよう。

 一人は両耳を完全に貫通する形で、太い鉄串が突き刺さっていた。

 そして最後は、裂けたような口を汚れた針と糸で乱暴に縫い付けている。

 閉じ切っていない唇から、濁った血がダラダラとこぼれていた。


「イヤっ……! 助けて、助けてよォ!!

 誰か、誰かぁ……!!」

「……っ」


 老婆に似た三人の怪物。

 連中が異様に長い腕でぶら下げているのは、バラバラになった女の身体だった。

 首に胴体、本数の足りていない手足。

 どれも繋がっていないのに、血は一滴も流れず、女はまだ生きていた。

 パシアスが叫んだ通り、その女はユーウェインだった。

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