第十一話:翔ける翼


 買い物は迅速に済ませた。

 ほとんど切り上げた形に近いが、それでも必要な分は買い揃えた。

 衣服の他に、呪層に潜る際に必要な消耗品も含めて。

 その足で、俺は――俺たちはそのまま、《都市》の外壁へと向かう。


「……確かに、君の遺体が《帰還》していないかどうか。

 一度だけだが、確認があった。

 遺族ではなく同じ探索者ということで、重要だとは思っていなかったよ。

 その時は、まだ君の《転生》も完了していなかったんだ。

 『フォルテはまだ《帰還》していない』と、嘘の記録で誤魔化した。

 だから――その、すまない、ボクのせいで……」

「サーレのせいじゃないさ」


 通りを抜け、探索者以外は入れない外壁に通じる道を駆ける。

 誰のせいでもない。

 思考だけは善良な馬鹿が、囮に使った奴を本気で探そうと危険地帯に飛び込んだ。

 責任があるとすれば、それを選択した本人だけだ。

 他の仲間たちも、きっと止められなかっただろうからな。

 あの馬鹿は――パシアスは、思い込んだら人の言うことなんて聞きやしない。

 聞かないどころか、何を言っても頭の中で都合の良い風に解釈する。

 どうしようもない。

 本当にどうしようもない野郎だ。

 聖痕を持たない俺を、一番危険な探索役のカナリアとして使ったのもアイツだ。


『勇者でなくとも、お前だったら危ない仕事も十全に果たしてくれる。

 オレはそう信じているからな!』


 ――これを、欠片の悪意もなく言ってのけるのだ。

 どうしようもない。

 悪気がないのがなお悪いタイプだ。

 自分は良いことをしている、だから何も恥じる必要はない。

 本気でそう信じ込む無神経さと、本当に裏表だけはない人格の善良さ。

 これに加えられるのが、聖痕を三つ持つ勇者としての確かな実力だ。

 勇者パシアスとその一党は、間違いなく《都市》でも指折りの力を持っている。

 だから、俺が何かをする必要はない。

 何かをする必要なんて、ないはずなんだ。


「……本当に行くのか?」

「行く。最悪、俺一人でもやるつもりだ」


 《都市》の外壁。

 その上に立って、口を開く《地獄》の大穴を覗き見る。

 イグナールの確認に対し、俺は迷わず頷いた。


「パシアスが……あの馬鹿が、勝手に死ぬ分にはどうだって良い。

 仲間としての情は、まったくないわけじゃないけど。

 それでも、呪層の探索中に死ぬのは当たり前のことだ。

 ……俺だって、カイネだって死ぬ時は死ぬんだ」

「…………」

「ごめん、今のは失言だった」


 サーレが息を呑む気配を感じ、即座に謝った。

 どうも、気分が落ち着かない。

 見捨てたって、別にどこから文句も出やしない。

 そう分かった上で、馬鹿な選択をしようとしている。


「……アイツは、俺を探してるそうだ。

 どうやって死んだのかは、俺も覚えてないけどな。

 けど十中八九、探索役として前面に出されてる時に死んだはずだ。

 全部、パシアスの奴が判断したことだ」

「カナリアか。

 聖痕持ちでない人間を使うという話は、聞いたことはある。

 だが、パシアスほどの勇者の一党がそれをやっているとは……」

「知らなかっただろ? アイツ、外面は抜群に良いからな」


 自身の無知を恥じるように、イグナールは難しい顔で唸った。

 仕方のないことだ。

 多分知ってるのは、ギルドの人間含めて一部だけのはずだ。

 だからまぁ、それはいいんだ。


「あの馬鹿は、本気で悔いてるんだろうな。

 だから、まだ《帰還》してないなら可能性がある、なんて。

 そんなことを考えて、呪層に潜るとか言い出すんだ。

 ……流石に、そんな理由で死なれるのは、こっちの寝覚めが悪くなる」


 カイネたちほどではないにしても、パシアスの一党は強い。

 リーダーであるパシアスは、聖痕三つ持ちの勇者だ。

 アイツ自身も戦えるが、それ以上に味方を支援する能力に長けている。

 他にも二人、聖痕持ちの勇者であるダナとユーウェインがいる。

 ダナが持つ聖痕は一つだが、強力な《鎧》を纏う前衛のタンク役だ。

 自己主張は乏しいクセに、ユーウェインに乗せられて良く俺を馬鹿にしてたな。

 ユーウェインは、レディ・スパイダーで愚痴ってた張本人。

 《炎》と《矢》の聖痕を持つ、パシアス一党のメイン火力だ。

 実力はあるが、それを鼻にかけて他人を見下すのが好きな嫌な女だった。

 リーダーのパシアスにゴマを擦るのだけは忘れない。

 ……改めて思い返すと、ホントにろくな奴らじゃないな。

 助ける必要があるのかと、ちょっと考えてしまう程度には。


「フォルテ。君が気にしてるのは、昨日の巨大ウーズだろう?」

「あぁ。あんなのが《結晶ヶ原》にいるのは、やっぱりおかしい」


 イグナールの言葉に頷く。

 パシアス一党は強い。

 深度『四』までなら特に危険はないし、深度『五』でも十分戦えるだろう。

 死の危険があれば、退くぐらいの判断力もある。

 ……ただし、今は『死の危険』を真っ先に知らせる俺が不在だ。

 そんな状態で、リーダーであるパシアスは見捨てた仲間を救おうと張り切ってる。

 加えて、昨日の《結晶ヶ原》で起こった異常事態だ。

 本来なら深度『六』以下に生息する魔獣が、何故か《結晶ヶ原》に現れた。

 異常が発生した理由や原因は、まったく不明だ。

 けどこれと似たことが、他の場所で起きてない保証がない。


「だから――助けに、行きたい。

 行かないと、こっちが見捨てたみたいな形になる。

 それで本当に死なれたら、それこそ気分が最悪なんだ」

「分かった。君がそう言うのなら、私も同行しよう」

「あ、ボクも行くからね。勿論」

「……ありがとう。ホントに、助かるよ」


 二人とも、ほんの少しの躊躇もなかった。

 その言葉が嬉しくて、つい笑ってしまった。


「助けに向かうのは良いが、探すアテはあるのか?

 呪層は広い。闇雲に探索するのでは難しいと思うが」

「とりあえず、俺たちが普段使っていたルートを辿ろうと思う。

 深度『四』の奥……『五』の手前ぐらいまでは、いつも同じはずだ」

「ある程度の距離まで近づけば、《奇跡》で聖痕の反応を辿る術があるよ」


 それは頼もしい。

 徒手空拳で探すよりは、ずっと希望が持てる。

 ……パシアスたちが潜ったのは、恐らく三日前。

 俺がいた頃なら、もう深度『四』を越えていてもおかしくはない。

 ただ、斥候役を欠いた状態での進行速度は正直不明だ。

 手間取って、足止めでも食らっていてくれれば楽なんだけど。


「では、先ずはフォルテの知っているルートを探ろう。

 サーレは《奇跡》による探知を常に行っておいてくれ。

 少なくとも二日から三日、対象と我々の距離はそれだけ開いている。

 いちいち丁寧に探索している余裕はないだろう」


 言いながら、イグナールは俺の肩に左手を置いた。


「普通に進むのでは、追いつくのは難しい。

 だからフォルテ、カイネの――君の聖痕を使う必要がある」

「聖痕を?」

「そうだ、背中に刻まれた《翼》の聖痕だ」


 《翼》。

 意識すると、腰の裏辺りがほのかに熱を持つのが感じられる。


「カイネの《翼》は、その名が示す通りに飛行も可能だ。

 だがその本領は加速能力にある。

 それも自身だけではなく、仲間に対しても同時に使用できる。

 浅い深度はこれで一気にすっ飛ばせば、追いつける可能性も高くなるだろう」


「…………」


 確かに、その力を使えば可能性はある。

 ただどうしても、不安が胸の奥から湧き上がってきた。

 俺は聖痕を――カイネの力を、正しく使いこなせるのか?

 まともに扱えると言って良いのは、まだ《剣》の聖痕だけだ。

 《浄化》はやけくそ気味に、半分暴走したのを振り回したに過ぎない。

 暴走して、力に焼かれるのが俺だけなら良い。

 けど今回は、サーレとイグナールも《翼》の加速を施す必要がある。

 もしその時に、力を制御できずに暴発させてしまったら……。


「大丈夫だ、フォルテ」


 力強い声。

 イグナールは正面から俺の名前を呼び、軽く肩を叩いてみせた。


「お前一人ではない、私たちがいる。

 例え《翼》の制御を誤ったとしても、フォローぐらいはできるつもりだ」

「イグナールの言う通りだよ。

 心配なのは分かるけど、自分だけで背負い過ぎだね」


 微笑みながら、サーレはぽんと背中を無でる。

 それはちょっとくすぐったくて、思わず身をよじってしまった。

 二人揃って、楽しげに笑う声が漏れた。


「大体、カイネだって《翼》で飛ぶのはかなり雑だったからね。

 そういう意味でも慣れっこだよ!」

「雑と言うべきか、荒いと言うべきか。

 まぁ、どちらでも大して意味は変わらないか。

 ……兎も角、カイネも概ねそのような感じで、私たちはベテランだ。

 そう心配することはない。

 適度な緊張感は必要だが、張り詰め過ぎては逆にミスをする」

「……そうだな、ありがとう」


 笑って、頷く。

 不安は未だに根深く、心の内から簡単にはきえない。

 それでも、二人の言葉で腹を括れた。


「もう大丈夫だから、行こう」

「良し。聖痕の使い方は、もう心得ているな?

 基本は全て同じだ。

 だから、先ずはやってみろ」

「最初は自分だけ、それに慣れたらボクとイグナールにも感覚を広げるんだ。

 落ち着いて、焦らず。

 けど力を感じたら、速やかに掴み取るように」


 二人の助言を耳で捉えて。

 俺はそのまま、《翼》の聖痕に意識を集中させた。

 基本は変わらない。

 祈るように意思を示せば、聖痕はすぐに応えてくれた。

 《翼》の名前の通り、身体の全てがふわふわと軽くなっていく。

 油断すれば、どこかにすっ飛んでしまいそうだ。

 そうならないよう、意識は重く保つ。

 軽すぎる身体が、風に流されてしまわないように。


「できたか?」

「あぁ、大丈夫」


 応えると、イグナールは「よし」と小さく呟いた。

 ……カイネならばきっと、一瞬でこの場から翔び立てたはずだ。

 カイネじゃない俺は、できることをやるしかない。

 《翼》の聖痕が安定したのを確信し、今度はそれを仲間の二人に向ける。

 丁度、鳥が二つの羽根を広げるように。

 思いの外スムーズに、聖痕の力はサーレとイグナールを包み込んだ。


「ん――初めてでこれなら上出来だな。

 サーレ、《奇跡》の方はどうだ?」

「もう準備万端だよ!」

「よし。フォルテも、問題はないな?」

「あぁ、平気だ」


 迷わず頷く。

 意識して出力を抑えているのは間違いない。

 それを考慮しても、《翼》の聖痕は驚くほど安定していた。

 巨大ウーズとの戦闘を経験して、少しは成長できたか。

 もしそうだとするなら――。


「行こう!!」


 抑えられない喜びに、心臓が高鳴る。

 自分を鼓舞する意味でも、大きく声を張り上げた。

 飛ぶ。

 《翼》で軽くなった身体は、渡り鳥の素早さで《地獄》の穴へと飛び込んだ。

 羽根もなく、風を切り裂いていく感覚。

 前はあれほど恐怖を感じた、呪層への自由落下。

 けれど、今はまるで恐ろしくない。

 心臓の鼓動は、弾む心の動きを表しているようだった。


「案内も任せて良いんだな!」

「あぁ、ついて来てくれ!」


 《結晶ヶ原》に降り立つと、止まらずに駆ける。

 イグナールとサーレの前を行き、通り慣れた呪層のルートへと向かった。

 こちらが加速しているせいで、それ以外の世界は酷く遅い。

 感覚の違いにはまだ慣れないが、それでも道を見失ったりはしない。

 何年も――本当に何年も、慎重に探索してきた道だ。

 身を低くして通り続けてきたルートを、今は疾風の如く駆け抜ける。


「凄いな……!」

「逸る気持ちは分かるが、冷静にな!」


 同じ速度を共有したイグナールが、諌める言葉を寄越してきた。

 分かっている。

 彼女の忠告を、理性は正しく理解していた。

 その上で、高揚する自分を誤魔化し切れないでいた。

 蠢くウーズは何度も見かけるが、動きがあまりに遅すぎる。

 すぐ脇を過ぎても、向こうは反応すらできていなかった。

 あっという間に結晶の原野を過ぎ去り、次の場所が見えてきた。

 深度『二』、カイネと出会った地でもある《薄闇の森》。

 鬱蒼と茂る木々の間を、薄い瘴気が漂う。

 この森は、身を隠すのに長けた小型魔獣の巣窟だ。

 どこに潜んでいるか不明な獣に襲われぬよう、注意しながら探索せねばならない。

 そう、本来ならば。

 けれど今は、一足飛びで景色が置き去りになっていく。

 記憶にあるルートを正確に辿り、障害となる木々は綺麗に避けて。

 前へ、前へと走り続ける。


「いやぁ、絶好調だね。これはちょっと凄いんじゃないか?」

「確かにな。ただ、少し飛ばし過ぎかもしれない」

「なに、いざとなればフォローに入ろう。

 せっかく調子が良いのだから、今はまだ任せるべきだと思うよ」

「……そうだな、私も同じ意見だ」


 後ろにいる二人の会話を聞いてる内に、深度『二』も抜けた。

 《奇跡》による探知には、まだ何も引っ掛かっていないようだった。

 だからそのまま、深度『三』へと突入する。

 結晶の原野、暗い森林と続いて、今度は荒涼とした景色に変わる。

 深度『三』から『四』、《巨獣の餌場》。

 大型魔獣の生息地であり、危険度は『二』から上とは比較にならない。

 さて、反応は――?


「……ん、感ありだ。

 まだ距離はあるけど、前方真っ直ぐ行った先に聖痕の反応だ。

 お目当ての相手かまでは分からないけど」

「急ごう」


 サーレの報告を聞いて、更に速度を上げる。

 自由に駆ける速度があまりに心地良くて、笑い出してしまいそうだ。

 以前の何もできなかった頃とは、あまりに違い過ぎた。

 ただの便利なカナリア扱いされていた時とは、あまりにも……。


「……パシアス」


 もし仮に、見つけた反応がパシアスのものだったとして。

 アイツは、今の俺を見てなんと言うだろう。

 ふと、そんなことが気になってしまった。

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