第十話:消えた聖痕


「カイネの聖痕の数?」

「あぁ、今数えたら六つしかなかったんだけど……」


 手早く着替えを終え、勢い良く小部屋から出る。

 そして扉のすぐ傍で待っていた二人に、即その疑問をぶつけた。

 こんなこと、もっと早く気付くべきだった。

 カイネの身体ということで遠慮して、ロクに見てなかったせいだ。

 問われた二人――サーレとイグナールは、難しい顔で互いに視線を交わす。


「少し、失礼するぞ」

「え、あっ」


 言うが早いか、イグナールの手が伸びてきた。

 羽織ったばかりの上着を、左手だけで器用にまくり上げる。


「カイネの聖痕だが、腹に刻まれているのが《鎧》の聖痕。

 右手の甲には《浄化》、左手の甲には《剣》」

「で、両眼にも聖痕があって、右には《力》、左には《雷》が刻まれてる」


 サーレも顔をぐっと近づけて、両方の目を覗き込む。

 俺は下手に動けず、固まるしかなかった。

 そしたら今度は、背中を柔らかい手付きで撫ぜられた。

 驚き、軽く身を竦めてしまった。


「背中にあるのは《翼》の聖痕。

 これで六つ。普通に考えたらあり得ない数だよね。

 まぁ聖痕の数は、多ければ強いってわけじゃないんだけどさ」

「手数が増えるのは事実だ。

 ただ、一つの聖痕しかなくとも、その力を十全に扱えれば数の差は覆せる。

 逆に複数の聖痕を同時に、かつ万全に操れるのなら、その戦力は計り知れない。

 結局のところ、聖痕を持つ勇者の才能と練度の問題だな」

「そ、そういうもんなのか」


 聖痕の確認を終えると、サーレもイグナールもすっと手を離した。

 距離はまだ、微妙に近いままだけど。

 早鐘を打つ心臓を落ち着けようと、何度か深呼吸をしておく。


「……ただ、カイネはそれらの常識とはまったく別の次元にいたがな」


 そう呟くイグナールの声には、畏怖が混じっていた。

 彼女も、《都市》では最強に近い実力者のはずだ。

 片腕を失った今でも、その事実は変わらないだろう。

 サーレの方も、難しい表情のまま口元だけは笑みの形で取り繕っている。


「全ての聖痕が最強で、それを涼しい顔で幾つも幾つも操ってみせる。

 前人未到だった深度『八』以下も鼻歌交じりだ。

 何もかもが規格外――それがカイネという勇者だった。

 一応仲間として付き合っていたボクたちですら、彼女を理解してたとは言い難い」

「……つまり?」

「私たちが知るカイネの聖痕は、今確認した六つだけなんだ」


 ……それは、地味に衝撃な事実だった。

 七つの聖痕を持つが故に、カイネは《七つ星》の勇者と讃えられた。

 なのに、刻まれた聖痕が全部で六つしかない。

 一体どういうことなんだ?


「カイネが持っている聖痕の数に関しては、カイネ本人の自己申告なんだよ」


 サーレは言う。

 手にはヒラヒラしたドレスのような衣服を持ってるが、気にしないでおく。

 何故かこっちにぐいぐい押し付けてくるけど、手で押さえて抵抗の意思を示す。


「《浄化》、《剣》、《鎧》、《雷》、《力》、《翼》。

 ここまでは、私もサーレも知っているし、使うところも確認している。

 ただ七つ目の聖痕に関しては、その片鱗すら見たことはないんだ」

「一応、ボクも本人に直接聞いたことはあるんだけど……」

「なんて言ってたんだ?」

「曰く、『秘密兵器だから秘密』――だってさ」

「…………」


 言いそうだな……うん、如何にもあの少女が言いそうな台詞だ。

 本人、ちょっとした悪戯ぐらいのつもりだろうけど。


「むしろ、これに関しては私の方から聞きたい。

 フォルテ、今はお前がカイネの身体を動かしている。

 七つ目の聖痕について、確認はできないか?」

「そう言われてもな……」


 イグナールに言われて、俺は改めて自分の――いや、カイネの身体を意識する。

 右手、左手、両眼に腹、それから背中。

 神の奇跡を宿した力の断片、聖痕の脈動を感じ取る。

 心臓にあるのは俺が持っている《転生》だから、除外して。

 ……やっぱり、六つしかない。

 カイネの身体には、それ以外の聖痕は存在しなかった。


「……うん、やっぱり六つだけだな」

「そうか。……サーレはどう思う?」

「考えられる可能性としては、使い切りの聖痕かな」

「そんなのあるのか?」


 驚く俺に、サーレは頷く。


「君みたいに、体内に聖痕が刻まれてるのと同程度にはレアケースだけどね。

 あるにはあるんだよ。一度使ったら力そのものを失う聖痕とか。

 あと……使ったら、使用した勇者本人が死ぬ聖痕」

「……それは」


 カイネは、魔王と相討ちになって死んだと推測されている。

 それはつまり――そういうこと、なのか?


「残念ながら、カイネ本人から聞いたわけじゃないし。

 どれも推測の域を出ないけどね」

「彼女ほどの者が『秘密兵器』と口にするぐらいだからな。

 ……自己犠牲の聖痕であるなら、私たちに伏せていたのも理屈に合う」

「…………」


 表情を陰らせるサーレとイグナール。

 二人の話は、筋が通っている。

 カイネの聖痕が六つしかない理由も、七つ目をあえて語らなかった理屈も。

 ただ……何故か、本当に何故か分からないけど。

 俺の中で、何かが引っかかっていた。

 根拠もなく、重大な見落としをしてるんじゃないかという不明の違和感。

 単なる気のせいかもしれないが……。


「――やぁ、御機嫌よう。

 気に入った服は見つかったかい?」

「っ」


 急に声をかけられて、心臓が思いっきり跳ねた。

 胸を押さえて振り向くと、そこには一人の淑女が立っていた。

 黒いドレスに白い帽子、年齢は見た目だけなら二十代後半ぐらいか。

 高価そうな、だけど決して華美に過ぎない指輪や首飾り。

 紐で緩く纏めただけの金髪を揺らして、その女性は穏やかに笑っていた。

 青い瞳が、俺を値踏みするように見ている気がする。


「お騒がせして申し訳ない、レディ・パトリニア」

「パトで良いって言ったろう、イグナール。

 それと店が繁盛してる分には、店主としちゃ文句は無いさ」


 居住まいを正し、イグナールは一礼をする。

 それに対して淑女――パトリニアは気安く応じた。

 店主……つまり彼女が、このレディ・スパイダーの……。


「……あれ、サーレ。確か《奇跡》で偽装してるって」

「パトは偽装とか幻とか、そういうのの対策バッチリなんだよ。

 だから今も、ボクらのことはちゃんと見えてるんだ」

「防犯上、必要なスキルだからね。

 あぁ、私は『知ってる』側だから安心しなよ」


 笑うパトリニア。

 彼女の眼は、ずっと俺のことを捉えていた。


「……で、こっちが例の?」

「そうだよ、パト。

 まだ慣れてないから、優しくしてやって欲しい」

「イジメやしないよ、客は大切にする主義だからね」

「…………」


 レディ・スパイダー。

 パトリニアは、そんな店の名前を体現したような女性だった。

 丁寧で物腰柔らかく、けれど言葉遣いや仕草に硬さはない。

 気品を感じさせながらも、接近を許してしまう気安さも同時に存在する。

 一国一城の主とは、こういう人のことを言うのだろう。


「アンタも、そう緊張しなくていい。

 ちょっと顔を見に来ただけだから、取って食ったりはしないよ」

「あ、いや、俺は別にそんな……」

「……ふむ。面の方はカイネそのままだね。

 髪や瞳の色は、ちょいと変わってるようだけど」


 意味もなく狼狽えてしまったが、パトリニアは気にしなかった。

 顔を近づけ、注意深く視線を巡らせる。

 ……どうにも、距離が近い女性ばかりだな。

 サーレやイグナールとはまた違った女の魅力に、目眩がしそうだった。


「ちょいと頼りなさそうだが、悪い奴じゃあなさそうだね。

 正直、サーレから話を聞いた時はどうしたものかと思ったけど……」

「す、すいません」

「アンタはどっちかっていうと被害者だろ? 謝る必要なんてないよ」

「この場で謝罪するべきなのは、サーレだけだな」

「いやホント、申し訳ないとは思っているので……」


 急速に小さくなるサーレ。

 その件については、俺も協力を承諾したのでそろそろ勘弁してやって欲しい。

 別に本気で責める気はないようで、パトリニアは言葉を続けた。


「いきなりカイネの重荷を丸々背負わされて、大変だろうがね。

 何とか踏ん張ってやって欲しい。

 サーレもイグナールも、これで結構弱ってるからね」

「それは……はい、勿論」


 ……本人たちの前だけど、躊躇いなく突っ込んでくるな。

 言われた二人は、反論もなく沈黙していた。

 失われたはずのカイネという希望。

 それを今、俺がギリギリのところでつなぎとめている。

 あくまで『代理』に過ぎないことを肝に銘じて……。


「――けど、アンタはアンタだ。

 たまたま代役を任されたとしても、アンタはカイネじゃない」


 心臓を、正面から射抜かれた気がした。

 パトリニアは笑っている。

 力強く、抱きしめるみたいに。


「私の一時凌ぎな言葉じゃ、そう響かないかもしれないけどね。

 自分を忘れずに、できることをやりなさい。

 アンタはアンタであって、他の誰でもないんだからね」


「……はい」


 頷く。

 頷くしかなかった。

 今は他に、何の言葉も出て来なかった。

 それは、サーレとイグナールの二人も同じのようで。

 俺たちの間に、僅かに重い空気が流れ出す。

 が、パトリニアは軽く手を打ち合わせ、それもあっさりと払ってみせた。


「悪いね、なんだか湿っぽい空気にして。

 お詫びと言ったらなんだが、今日の買い物はサービスしとくよ」

「そ、そんな、別に」

「細かいことは気にしなさんな、中身は男なんだろ?」


 楽しげに喉を鳴らし、パトリニアは俺の肩をバシバシと叩いた。

 見た目に似合わず、意外なぐらいに力が強い。

 その力強い手で、肩をガシッと掴まれる。


「そうだ、あっちの棚から一着、私が奢ってやろうか。

 遠慮しなくて良いから、好きなの選びなよ」

「好きなの……って、待って、値札の金額がおかしいような」

「おかしかないよ、ウチは適正価格より安いぐらいさ」


 桁が、さっきの下着より更に一つ違うんですが。

 もう胸甲鎧とか、ものによっては全身甲冑より値が張るのも珍しくない。

 それで商品字体は、ひらひらと可愛らしかったり、妙に露出度が高かったり……。


「待って、まさかコレを俺が着るの!?」

「だから遠慮するなって」

「遠慮じゃないっすよ!?」


 なんでこんな、背中がパカーンって開いてるの。

 い、いや、確かに似た装備の女勇者とか、知らないわけじゃないけど。

 これをいざ自分が着るという話になると、抵抗感が凄い。


「見た目は不安かもしれないがね。

 ここにあるのは教会の《奇跡》に、私の裁縫師としての腕。

 それに呪層の稀少素材が合わさって完成した、二つとない傑作ばかりだ。

 強度こそ同じ価格帯の鎧にゃ負けるがね。

 それでも、この服だけで防具として使える程度には頑丈だよ」

「そ、そんなに」


 改めて聞くと、本当に凄い話だ。


「――ま、カイネは生身で十分だから、あんま興味を示さなかったけどね。

 だからアンタは遠慮せず、色々試してみようじゃないか」

「俺はカイネの代わりじゃないって、そう言ってませんでしたっけ……!?」

「それはそれ、これはこれだよ」


 つ、都合が良すぎる。

 抵抗しようにも、パトリニアの力は有無を言わさない。

 頼れる二人の仲間も、「諦めろ」と顔に書いて見守る構えだ。

 ……これは完全に詰んだか。


「そういえば――アンタの名前、フォルテって言うんだっけ?」

「? はい」


 抵抗は無意味と判断し、観念して身体の力を抜いた時。

 ふと、パトリニアはそんなことを聞いてきた。

 こちらが頷くのを見て、女主人は珍しく口を閉ざす。

 その様子に、イグナールが首を傾げた。


「パトリニア、彼をご存じなのですか?」

「まぁ、そうなるかね」


 かなり歯切れの悪い返事だった。

 けど、どういうことだ?

 こうなる前の俺を、パトリニアが知ってる理由はないはずだが……。


「……アンタ、元はパシアス一党のメンバーだったろ?」

「っ――なんで、それを?」

「同じメンバーの一人が、ウチの客でね。心当たりはないかい?」

「……あります、ね」


 ……なるほど、そういう繋がりか。

 こちらの表情を見ながら、パトリニアな言葉を選んでいるようだった。


「客から聞いた話を、余所に漏らすのは普段はやらないんだけどね。

 そいつがちょっと前に、アンタの名前を出しながら盛大に愚痴ってたんだよ。

 まぁそれ以前から、ちょこちょこ聞いてはいたんだ」

「それは……どういう愚痴か、聞いても?」


 気になってしまった。

 それ以前の愚痴というのは、想像がつく。

 多分、概ね役立たずをいつまで飼っておくのか、とか。

 そういう内容なのは予想がつくし、それだけなら聞く気もなかった。

 けど、ちょっと前っていうのは……。


「確か、三日ぐらい前だったね。

 リーダーが『呪層に潜ってフォルテを探す』と騒いで、言っても聞かないとか。

 《帰還》の奇跡で、遺体が教会に戻ってないなら可能性はあるってね。

 悪いけど、その時はアンタとその名前が結びつかなかったんだ。

 愚痴を聞くだけで、特に何も言えることは――って、大丈夫かい?

 顔色が随分悪いようだけど」

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