第九話:穏やかな日常
久しぶりに出る街の通りは、常になく賑わっていた。
《地獄》からの呪いを阻むため、高く築かれた城壁の内側。
呪層に潜む魔王に抗うための城塞都市とはいえ、そこには人々の営みがある。
最前線であるからこそ、ここには多くの人や物の流れが多く集まる。
そのため、賑やかなこと自体はいつものことだが……。
「公には、カイネの魔王討伐は成功したことになっている」
そう言ったのは、傍らに並ぶイグナールだった。
呪層に挑む探索者――勇者たち向けの商店が、見渡す限り軒を連ねている。
冒険用の道具を売る店や、武器や防具を商う店。
他にも酒場や、呪層で得た収穫物を売り捌く換金所も多い。
そのため、行き交う人々の数も特別に多い通りだ。
普段から慣れた道だが、今は知らない場所を歩いている気分だった。
「普段以上の喧騒もそのためだ。
これでも、数日ほど前はずっとお祭り騒ぎだったからな。
大分落ち着いた方だ」
「な、なるほど」
説明を受けながら、辺りに視線を巡らせる。
目深にかぶったフードが、万一でも外れないよう注意しながら。
「大丈夫だよ、フォルテ。
念には念をで、《奇跡》で偽装も施してあるんだから」
俺の手を握って、サーレは楽しげに笑った。
彼女が言った通り、今の俺――いや、俺たちは変装をした状態だ。
サーレもフォルテも《都市》では顔を知られているし、今の俺は言わずもがなだ。
ただ買い物に出かけただけで、大きな騒ぎにはしたくなかった。
――呪層で巨大ウーズと戦ったのが、大体二日ほど前。
その間、教会の奥に籠もって治療や休息に専念していた。
幸い、傷はサーレの《治癒》のおかげですぐに痛みもなくなった。
身体も休めて体力が戻ってくると、まぁ、流石に落ち着かなくなってくる。
死んで目覚めてから、一度も街には出ていないんだ。
現在の俺の状態を考えれば、軽々しく表を歩くわけにはいかない。
それは分かるが、ずっと教会に押し込められてるのも気分が宜しくない。
なので、物は試しにとサーレに外出できるか訪ねてみたら……。
「じゃあ、折角だから一緒に買い物に行こうか?」
……と、こうなったわけだ。
イグナールも同行し、サーレの《奇跡》で変装して今に至る。
ちょっと思ってたのとは違うが、あまり贅沢も言えない。
呪層に下りる時に、一応外に出はしたが。
その時も人目を避けるため、教会の『秘密の通路』なるものを使っての移動だった。
だから街の中を歩くのは、本当に久しぶりだ。
「……正直に言えば、胸が痛む」
「イグナール?」
「彼らは無邪気にはしゃいでいる。
カイネが、魔王を討ち取った。
教会の発表を素直に信じ、その偉業を讃えているんだ」
「……嘘を言ってる、というわけでもないじゃないか」
渋い顔のイグナールに、サーレも曖昧な笑みをみせる。
「カイネが魔王を討ったのは、恐らく事実だ。
教会の観測結果から、そういう結論なのは間違いないよ」
「だが、直接確かめたわけではない。
呪詛の減衰も止まってしまい、呪層が消える気配もない。
……言いたくはないが、魔王はまだ生きている可能性が高いと。
そう予想したのは、お前も同じだろう?」
「そうだね。だからボクは、フォルテの《転生》に縋った。
起こるべき奇跡を、今度こそ確かなものにするためにね」
「…………」
前の時みたいに、棘のある言い合いではない。
むしろ、二人とも自責や後悔の色が滲む声だった。
魔王に挑むカイネ、その助けになりきれなかったこと。
何も知らない都市の人々を、結果的には騙してしまっていること。
そのどちらも、彼女たちは罪に思っている。
僅かに重苦しい空気が、街の賑わいの中に混ざり込んだ。
「……まぁ、それはそれとしてだ」
良くない流れだ。
我ながら強引だとは思うが、無理やり話を変えることにした。
声は努めて明るい調子で。
「俺は、ちょっと散歩ぐらいのつもりだったけど。
買い物に行くって、具体的に何を買うんだ?
確かまだ聞いてなかったよな」
「あぁ、これからまた呪層に挑むからな。
足りない装備や、君に必要そうな道具を買い揃えておきたい」
「後は日用品もねー。
ここ数日はずっと忙しくて、色々不足してるんだ」
「そうか」
呪層での探索を終えた後、次の探索のために必要なものを買う。
これも、なんだかちょっと懐かしいな。
前の一党の時は、買い出しは大体が俺の仕事だった。
メモを片手に、店を何件もハシゴしたっけな。
……そこまで考えて、ふと気になった。
アイツらは――パシアスの一党は、今はどうしてるだろう?
思い出すのは、スカした面のいけ好かない男のことだ。
聖痕を持たない俺に声をかけ、一党に加えてくれた勇者。
良い奴……ではなかった。
じゃあ悪い奴かというと、「良い奴ではなかった」という結論になる。
情に厚いのは間違いない。
悲しいことがあれば泣き、嬉しいことがあれば笑う。
ある意味では、これほど裏表のない男もそういないだろう。
裏表がない――良い言葉のようだが、パシアスの場合は少し違った。
不幸や不運を耳にすれば、涙ながらに義憤に駆られる。
それは良い、そこまでは良い。
しかしパシアスの場合、「自分がこう思ったからこうに違いない」と思い込むのだ。
結果、「自分が正しい」と思ったことに突っ走る。
巻き込まれるのは、あの男と距離の近い者――つまり、俺とかだった。
そもそも、俺が呪層での単独偵察が多かったのも、主な原因はパシアスの奴だ。
『フォルテは勇者じゃないかもしれないが、勇者と同じ――いや、それ以上のことができる。
絶対だ、間違いない。オレはそう信じてる!』
――と、大体これだ。
パシアス以外の仲間――俺は仲間じゃないが――も、基本これに乗っかっていた。
悪意という裏はない、パシアスは善意の男だからだ。
けど、その善意は自分本位で他者を顧みない。
だから悪い奴じゃないかもしれないが、間違っても良い奴ではなかった。
……どういう経緯で死んだのか、俺はまったく覚えてないが。
あの人と面が良いだけの馬鹿野郎と、その腰巾着たちは、今はどうしているのやら。
もう、こうなった俺には関係ない話かもしれないが。
考えると、ほんの少しだけ心臓が痛んだ気がした。
「――フォルテ? 聞いてるかい?」
「んっ!? や、ごめん。聞いてなかった」
「また悪いクセが出たねぇ」
吐息が感じられる距離。
顔を間近に寄せながら、サーレは囁くように言った。
相変わらずと表現して良いか分からないが、彼女はホントに距離が近い。
女性同士のコミュニケーションとは、こんなものなんだろうか?
いや、一応中身の俺は男なんで。
できれば、その辺りは考慮して貰えないものか。
「諦めろ、フォルテ。
サーレは個人的に気に入った相手には基本それだ」
「そ、そうなのか」
「誰彼構わずってわけじゃないから、そこは誤解しないで欲しいなぁ」
そう言いながら、サーレはごく自然な動作でこちらの腕に抱き着く。
柔らかな感触と体温が、服越しにこれ以上なく密着してきた。
…………良くないな。
これは、本当に良くない。
普段からゆったりとした白衣を着てるので、見た目からは分かりづらいが。
サーレはとても、その、女性として魅力的な体型だ。
それを距離感ゼロでぶつけてくるは、最早暴力と言っても過言じゃない。
いくら身体がカイネでも、その心臓である俺は男なのだ。
一応、助けを求める意味でイグナールを見るけど……。
「止めると、止めた分の反動で次が一層激しくなるだけだぞ」
「詰んでるじゃん……!」
「なに、何の話?」
言外に「諦めろ」と宣告されては、こっちはもう嘆く以外に術はない。
不思議そうに首を傾げながら、サーレは遠慮容赦なく二の腕を締め付けた。
と、とりあえず、この状況をどうにかせねば……!
「で、ええと、何か話をしてたんじゃなかったか?」
「あぁ、そうだったそうだった」
「あまり店先で話し込んでは邪魔になる。
さっさと入ってしまおう」
店先?
そういえば、いつの間にやら足を止めての立ち話になっていた。
で、その店はというと。
「…………」
見上げて、思わず固まってしまった。
別にいかがわしい店ではない。
そういうのは、裏にある『土竜通り』の領分だ。
今目の前にあるのは、むしろ高級店の一つ。
それほど大きくはないが、城みたいにしっかりとした石造りの建物。
入口に掲げられた大看板には、不気味ながらも凛々しい蜘蛛の姿が描かれている。
蜘蛛が張り巡らせる巣の一部が、この店の名前の形になっていた。
曰く、『レディ・スパイダー』。
底辺探索者だった俺でも知っている、探索者向けの高級服飾店だ。
……繰り返すが、別にいかがわしい店じゃない。
けど、この店は。
「あの、サーレさん? イグナールさん?」
「諦めろ」
「俺まだ何も言ってないよ??」
「君に必要な装備も買い揃えるって、そう言っただろ?」
いっそ厳かな表情のイグナールと、小悪魔みたいに笑うサーレ。
特にサーレは、絶対に逃さないとばかりに腕をホールドしてくる。
「カイネは装備関係は、結構無頓着だったからね。
君はカイネとは違うから、備えられるなら万全に備えておくべきだ。
そうだろう?」
「それは、まぁ、確かに」
「じゃあ大人しく着せ替え人形になろうね?」
「本音がダダ漏れぇ!!」
そう、レディ・スパイダーが扱うのは女性用の商品なのだ。
逃亡を図ろうにも、片腕はサーレにがっちりとホールドされている。
い、いや、まだこれなら振り解けるかもしれない。
イグナールが手助けしてくれたら……。
そこまで考えたところで、がしっと右肩を掴まれた。
「諦めろ、フォルテ」
「う、裏切り者……!」
「いやぁ、イグナールは最初っからこっち側だしね?」
くそっ、端から味方がいなかった!
こうなればもう、抵抗できる可能性は欠片もない。
無力な俺は、女だけの聖域に引きずり込まれてしまった。
……で、どうなったかというと。
「じゃ、先ずは下着からだね」
「そっから!?」
「呪詛耐性の高い下着は重要だぞ?
外をどれだけ固めても、微量でも中に入ってくるのは珍しくない。
そんな時、下着がただの布では事故が起こり得る。
いくら勇者でも、呪詛が身体に浸透するのは避けるべきだ」
「ま、まぁ、そうだな。
確かに、衣服の呪い除けは大事だよな、ウン」
「じゃあ早速、これを着けてみようか」
「……待て、なんだコレ。
布地が薄すぎて透けてないか!?」
「白蜘蛛の縦糸だけで編んだ最高級品です。
同じ呪い蜘蛛の糸から作った物と比べて、呪詛耐性はなんと八割増し」
「薄く見えるが強度も折り紙付きだ。
ナイフで刺したぐらいなら傷一つ付かない」
「そ、それは確かに凄いが……一体値段はどのぐらいに……?」
「上下合わせて金貨五十ぐらいか?
効果を考えれば、むしろ安いぐらいだな」
「ごじゅっ……下着ひと揃えが、鎖帷子並み……!?」
「はいはい、教会の経費で落とすから値段はご安心だ。
それよりさっさと試着しようねー」
「あっ、ちょっ、分かった、分かったから無理やり脱がすな……!?」
……大体こんな感じである。
どうにか試着用の小部屋から二人を追い出し、息を吐いた。
しかし衣服ははぎ取られ、身に付けているのは肌着ぐらいで……。
「……ダメだ……!!」
堪らず、部屋に置かれた姿見から目を逸らす。
磨かれた鏡の表面に映し出される、美しい少女の肢体。
先日の傷はサーレが治療してくれたので、白い肌には染み一つない。
……見てはいけない。
この状態になってから、今日まで。
俺は意識して、カイネの身体を見ないようにしてきた。
今は同じ身体でも、自分と彼女は違う。
男である俺が、無遠慮に見て確かめるなんて、そんなのはダメだ。
そう自分を戒め来た……わけ、だが。
「……着ないわけには、いかないよな」
手渡された白い下着。
多分、サーレ辺りは着てるか直接確認してくるだろう。
上手く誤魔化す手段がない以上、観念するしかなかった。
改めて自分の――いや、カイネの身体を見る。
艶のある肌に、慎ましく柔らかな肉感。
そして、淡い光を宿した複数の聖痕。
……どんな勇者でも、聖痕が刻まれる数は多くても三つ。
けれどカイネが持っている聖痕は七つ。
故に彼女は、人々からは《七つ星》の異名で……?
「……え?」
その事実に気付いて、思考が止まる。
姿見に映し出されているのは、肌着一枚のカイネの身体。
羞恥や男の衝動的な欲求は、この時はどちらも吹き飛んでいた。
何度も確かめるが……やっぱり、おかしい。
カイネに刻まれている聖痕の数。
それはどれだけ数えても、六つしか見当たらないのだ。
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