第八話:勇者の死


 何が起こったのかは、すぐには理解できなかった。

 赤い炎。

 それは目も眩むぐらいに燃え盛り、《結晶ヶ原》の一部を焼き払う。

 火勢は相当なものなのに、不思議とこちらに熱は伝わってこない。

 逆に炎に呑まれたウーズの残骸は、あっという間に焼き潰されてしまった。

 ひと欠片も残すことなく、恐るべき魔獣は跡形もなく消滅した。

 その様を、俺はサーレに支えられながら見ていた。


「……イグナール」


 サーレの呟いた名前には、聞き覚えがあった。

 ふと、風が吹いた。

 同時に、あれだけ激しく燃えていた炎も消え去る。

 黒く焦げた地面の上に立っているのは、隻腕の女騎士。

 炎に似た赤い髪と甲冑、多分元々の俺よりもずっと背が高い。

 カイネの仲間の一人である、イグナールだ。

 彼女は確か、教会でサーレと言い合った後、どこかへ行って……。


「……お前たち、こんな場所で何をしている?」


 文字通り、炎の如く燃え上がる怒気。

 イグナールは怒っていた。

 細めた金の瞳には、抑えがたい激情が揺らめいていた。

 その視線は俺と、特にサーレを強く睨んでいた。

 憤怒を真っ向から浴びせられて、白い肩がびくりと震える。


「イグナール、待ってくれ。ボクらは」

「言い訳は聞きたくない。

 ……教会に様子を見に行ったら、お前たちの姿はない。

 下の者に聞けば、こそこそと呪層に向かったと言うではないか。

 嫌な予感がして追いかけて来たが、どうやら正解だったようだな」


 一歩。

 独り言のように呟きながら、イグナールが一歩踏み出した。

 たったそれだけで、強い『圧』が重く伸し掛かってくる。

 一瞬、息が詰まりかけた。

 イグナールは完全に激怒していた。


「……そちらの彼女――いや、彼だったか?

 兎も角、彼はカイネではない」

「…………」


 ズキリと、心臓が痛む。


「いくらお前が亡骸に手を加えようが、カイネは死んだ。

 ……死んだ。そう、彼女は死んだんだ。

 私や他の者たちを逃すために、魔王とただ一人で戦い続けて」


 それは、サーレから聞いた話と同じだ。

 イグナールは、カイネと共に魔王との戦いの場にいた。

 そして腕を失うほどの重傷を負い、他に傷ついた仲間たちを連れて撤退した。

 ……彼女もまた、サーレと同じだった。

 最強の勇者について行けなかった、自分の無力さを嘆いている。


「現実を受け入れろ、サーレ。

 お前の行いには何の意味もない――どころか、己の信仰を裏切る行為だ。

 今一度、教区長にまで選ばれた我が身を顧みたらどうだ」

「……君と宗教議論をする気はないよ、イグナール。

 ボクの信仰はボクだけのもので、それを君に解釈されたくはない。

 何より、ボクは背信や涜神を行ってるつもりはないよ」

「カイネの死体を弄び、黄泉還りの真似事を行うのが冒涜でなくて何だっ!」


 一喝。

 《結晶ヶ原》の空気が、ビリビリと震えた。

 間近で聞いていたら、しばらく耳が使い物にならなくなったかもしれない。

 それほどまでに、イグナールの咆哮は凄まじかった。

 思わず萎縮しそうになったこちらと違い、サーレは毅然としていた。

 その程度では折れないと、真っ直ぐに仲間の視線を受け止める。


「……現実を受け入れられてないのは、君の方だろ。イグナール」

「何だと?」

「だってそうだろ? 死んだ、死んだ、死んだ死んだ死んだ!

 カイネは死んだ! もう死んだって、一体何回言うんだよソレ!

 最強の勇者が死んだ現実を、君こそまだ受け入れられてないんだ!」

「っ……違う、私は……!」

「何も違わない!

 今だってそうだよ!

 ホントは、もっと早くからこの場には駆けつけてたんじゃないのか!?」


 サーレの指摘は、こっちには完全に予想外だった。

 教会で俺たちの不在を知って、イグナールは偶然助けてくれたんじゃ……?


「…………」

「ほら、図星なんだろ? 違うなら言い訳してくれよ」

「……確かに、お前の言う通りだ。

 だが、《結晶ヶ原》をうろつく程度なら、危険は少ないと判断して……」

「カイネがホントに生き返ったんじゃないって、確かめたかったんだろ」

「ッ……サーレ!」

「違わないでしょ?

 だからあんな、深度『六』以下の怪物が現れても、すぐに手出しはしなかった。

 もしかしたら――いや、まさか。

 そんな風に考えてしまって、なかなか動けなかったんじゃないのかい?」

「違うっ!!」


 否定の叫びは、声の端々が動揺で震えていた。

 そのまま激情に駆り立てられるように、イグナールが踏み込んでくる。

 サーレは動かない。

 俺の身体を支えたまま、迫る仲間を見ていた。


「君だって、ボクと同じぐらいにはカイネの死を受け入れられてない。

 分かってるよ、分かってる。

 他の連中は受け入れて、諦めて、そして心が折れた。

 受けた身体の傷が重い以上に、アイツらは勇者の死を現実だと認めたんだ」

「黙れ、サーレ。彼らはそんなつもりでは……!」

「君とボクだけだ、まだ諦めてないのは。

 希望が失われるなんて、耐え切れない、認められない。

 そう考えてるから、彼の――フォルテの戦いに見入ってしまった。

 勇者が、希望がまだ死んでないと確かめるために!」

「私は黙れと言ってるんだ、サーレ……!」


 イグナールの姿は、まさに怒れる火竜そのものだった。

 額の聖痕が赤く燃えて、彼女の身体からは火の粉がこぼれていた。

 伸びる左手は、熱く焼けた竜の牙に等しい。

 感情的な動きで、それはサーレの喉元を捉えようと――。


「……待って、くれ」

「っ……」


 する前に、その腕を俺が掴み取っていた。

 度重なる《浄化》の使用で、黒く焦げた右手。

 それがまた、イグナールの火の粉に触れて焼ける音を立てた。


「! すまない、これは……っ」

「いい、謝らないでくれ。

 ……ありがとう、本当に助かった」


 動揺を見せるイグナールに、俺は頭を下げた。

 サーレの助けを借りても、あの巨大ウーズを仕留めるのには一歩足りなかった。

 一歩、その一歩は、俺が勇者になりきれない距離だ。

 あのままならきっと、程なく《増殖》したウーズにやられていただろう。

 イグナールがいなかったら、どうなっていたか。


「……サーレの話は、聞いていたのか?」

「聞いてた。……それも、ありがとう。

 アンタが見ていてくれたおかげで、命懸けで戦う機会を得られた。

 まぁ、最後は結局ダメだったんだけど」

「…………」


 今出せる全てを振り絞って、それでもダメだった。

 だがイグナールが助けてくれたおかげで、それは貴重な経験になった。

 本当に、心底ありがたい話だと思う。


「……私を責めないのか、君は」

「助けられたのに、責める理由がないだろ」


 イグナールが何を思っていたかと、それを俺がどう感じるか。

 その二つはまったく別の話だ。

 どうあれ助けて貰ったって事実は、揺るがないしな。


「……カイネは死んだよ、イグナール」


 ぽつりと。

 唇からこぼれたサーレの声は、凪いだ水面のように穏やかだ。

 溢れていた火の粉も消えて、イグナールも少し落ち着いた様子だった。

 激情よりも、戸惑いに揺れた瞳。

 サーレとイグナールの視線が、俺を挟んで絡み合う。


「最初は、君の言う通り。

 もしかしたら彼女が生き返るんじゃないかって、そう期待してた。

 けど、目覚めたのは《転生》した彼――フォルテだ。

 カイネは死んだ。その事実は覆せない」

「サーレ……」

「だけど彼は――フォルテは、協力すると言ってくれた。

 今だって、危険と分かってあれだけ必死に立ち向かってくれたんだ。

 必死に……本当に、必死になって。

 それを、ボクも全力で助けて、ふと思ったんだ。

 あぁ本当に、カイネは死んだんだって」


 ……きっと、カイネなら苦戦なんてしなかったはずだ。

 あんな恐ろしい魔獣だって、余裕綽々で蹴散らしてしまうだろう。

 いやそもそも、最初の不意打ちさえ喰らわなかったはずだ。

 心臓がずきりと痛む。

 どう足掻いても俺は勇者にはなれないと、剣を刺された気分だった。


「カイネは、死んだ。死んでしまった。

 けど、彼女の力は――聖痕に宿っている奇跡は、まだ残ってる。

 フォルテがそれを掴んで、ひっぱり上げてくれてるんだ」


 支える腕でそのまま、サーレは俺のことを抱き締めた。

 密着する熱は柔らかく、体温の距離は驚くほどに近かった。


「彼は奇跡だよ、イグナール。

 ボクの行ったことは、言い訳のしようもなく過ちだった。

 だけどその結果が、今のフォルテに繋がった。

 ボクはそれを、正しいことだって信じてる」

「…………お前という奴は、本当に」


 サーレの語る言葉は、祈りのように純粋で清らかだった。

 禁忌を犯した罪人ではなく、神の愛を確信した聖者の言葉で。

 彼女は、仲間であるイグナールに示してみせた。

 ここに間違いなく、奇跡はあると。

 俺は何も言えなかった。

 イグナールは、怒りよりも呆れの強まった顔で、ため息を吐き出す。


「……話は、もう分かった。

 それよりも、どちらも酷くボロボロだ。

 急ぎ治療と休息が必要だろう」


 言うが早いか、イグナールの手が俺たちを掴む。

 繰り返すが、彼女は隻腕だ。

 無事なのは左腕だけで、右腕は肘の辺りからなくなっている。

 必然、彼女が使えるのは左手のみ。


「暴れてくれるなよ、片腕はまだ慣れたとは言い難いんだ」


 にも関わらず、イグナールは俺とサーレを軽々と抱え上げた。

 小柄とはいえ二人分。

 しかも、どちらも装備はそれなりに身に付けている。

 それをまるで、ネコでも抱っこするみたいに。


「凄いだろう?

 イグナールは《火竜》の異名を持つ凄腕だ。

 特にこの巨乳から――失敬、巨体から発揮される馬力たるや。

 これが聖痕の奇跡じゃないっていうのだから、まったく驚きだろ?」

「和んでいるところ悪いが、お前は戻ったら改めて説教だぞ。サーレ」

「今の話で何故!?」

「何故も何もあるか。私はまだ、お前のした事を許したわけではないぞ」


 逃さぬとばかりにしっかり抱えて、イグナールは唸るように言った。

 それからすぐ、分かりやすく咳払いを一つ。


「私はまだ、お前のしたことを許したわけじゃない。

 だが、それと同じ程度には、お前も私を許せないはずだ。

 ……お前ひとりに罪を負わせて、責任を丸投げしてしまった。

 そのことを、謝らせて欲しい」

「…………」


 苦渋と悲哀に満ちた、イグナールの謝罪の言葉。

 サーレはそれを、驚いた顔で聞いていた。

 やがてその表情は、滲むような笑みに形を変える。


「君には、何の罪もないよ。イグナール。

 全てボクが悪いのだから、君が謝罪する理由はどこにもない」

「それでも、私の責任だ」

「……本当に頑固な奴だよね、君は」


 微笑みは苦笑いとなり、サーレは小さく吐息をこぼした。

 ……どうやら、ちゃんと和解できたらしい。

 二人の間に漂う空気は、以前と違って穏やかなものだった。


「……フォルテ」

「んっ。な、なんだ?」

「君にも、改めて礼を言いたい。

 サーレを――私の仲間を助けてくれたこと、心から感謝する」

「――――」


 何故か、返す言葉はすぐに出てこなかった。

 むしろ助けられたのは、俺の方だ。

 勇者カイネには遠く、力はまるで足りていない。

 サーレがいなければ、イグナールがいなければ。

 俺は何もできず、巨大ウーズに呑まれてしまっていたはずだ。

 だから、感謝される必要はないんだ。


「……いや、サーレも無事で良かった。

 こちらこそ、ありがとう。イグナール……さん?」

「イグナールで良い。

 こうなれば、君も私の仲間だ。遠慮はしなくて良い」


 笑う。

 イグナールも、サーレも笑っている。

 挫折を感じ、困難を乗り越えて、新たな仲間と笑い合う。

 悪くない気分だった。

 二人が和解することができたのも、本当に喜ばしい。

 ……けれど。


「……フォルテ? また考え込んでる?」

「や、大丈夫。何でもないから」

「そうかい?」


 こちらの変化に目敏く気付いて、サーレは訝しげに首を傾げた。

 取り繕った表情で、果たして誤魔化せただろうか。

 心臓が、またちくりと痛む。

 お前は勇者じゃないと、責めるように。

 ……あの巨大なウーズと戦えたのも、サーレを助けることができたのも。

 何より今、この二人に仲間として扱って貰えるのも。

 すべて、自分が《転生》の聖痕を持っていて、カイネの身体に入り込んだから。

 彼女の立場も力も、全部掠め取っただけ。

 そんな考えが、頭の奥から離れない。

 まるで呪いのように、こびりついて消えることはなかった。

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