第六話:借り物の力


「フォルテ!?」


 ……焦りを滲ませた、サーレの声。

 それが頭上から聞こえてきた。

 自分が倒れていることを自覚するのに、数秒の時間が必要だった。

 視界がチカチカして、ハッキリと見えない。

 身体は特に問題は――いや。

 立ち上がろうとして、左手に鈍い痛みが走った。

 一体、何が起こったのか。


「無事かいっ? あぁ、いや、動かなくて良い!

 少し待つんだ!」

「っ…………」


 サーレの指示通り、大人しくする。

 言葉通り、彼女はすぐ傍に駆け寄ってきた。

 それぐらいには、視力の方は正常な状態に戻っていた。

 先ず見えたものは、焦りと困惑に満ちたサーレの表情だ。

 続いて、視界に飛び込んできたのは――。


「……嘘だろ」


 派手に抉れて、めくれ上がった大地の傷痕だった。

 俺の勘違いでなければ、そこはさっきまでウーズがいた辺りのはずだ。

 当然、半透明な粘獣は影も形もなくなっている。

 水晶化した草も、かなり広い範囲に渡ってバラバラに砕けていた。

 ……まさか、これを?


「そうだ、君がやったんだ」


 内心を見透かされたようで、サーレが硬い声音で語る。

 膝をついて、白い指がこちらの左手に触れた。

 痛み。それほど激しくはないが、顔をしかめる程度には痛んだ。

 《剣》の聖痕が刻まれた左手。

 手首の辺りまで、黒く焼け焦げたような痕があった。


「何が起こったか、聞いても?」

「……君は《剣》の聖痕を使おうとした。

 それで、聖痕は間違いなく発動した。

 ただ、その瞬間に凄く大きな剣が現れたんだ」

「大きな、剣?」

「自覚してなかったのかい?

 現れた巨大な光剣を、君はウーズに向けて振り下ろした。

 そうしたら、ご覧の有様だよ」

「…………」


 改めて、自分が刻んだらしい大地の傷痕を見た。

 とんでもない威力が炸裂したこと、深く刻まれた亀裂が示していた。

 ……剣を出して、一回振っただけでこの力。

 言葉が出てこなかった。


「……恐らく、制御がでてきていないんだ。

 正直、ボクも想定外だった。

 こんな、自分の身体が焼けるほどの力だなんて……」


 呟き、サーレは焼けた左手の痕に自身の右手をかざした。

 手のひらに刻まれている聖痕。

 恐らくそれが、サーレの持つ《治癒》の聖痕だろう。

 予想通り、聖痕の放つ光は暖かく、傷付いた左手に優しく染みていく。

 痛みはまたたく間に引いて、火傷もあっという間に治ってしまった。

 傷が癒えたのを確認し、サーレは一つ息を吐いた。


「よし、まだ痛みはある? 他に気になるところは?」

「大丈夫だ、ありがとう」


 返事をして、確認のために左手を動かす。

 痛みはないし、特に違和感もない。

 それなりに重傷だったと思うが、本当にあっという間だ。

 癒し手の聖痕が極めて稀少な価値であることを、改めて理解できた。


「……失敗だったかな」

「サーレ?」

「上手く使えない、ぐらいまでは想定してた。

 けど、まさか暴発するような力だなんて……」

「……こういうの、珍しいのか?」

「珍しいどころか普通はあり得ないよ。

 聖痕が持つ力の強弱は、当然個人差がある。

 けど、どれだけ強い聖痕でも、発揮する力は無意識に制限されるものだ。

 腕に力を入れたとして、それで骨を折ってしまう人間はいない。

 よっぽどの例外がない限り、自分の身体を傷つける出力なんてあり得ないはずだ」

「…………」


 サーレの言葉を聞きながら、俺は左手を見る。

 普通なら、あり得ない。

 けど、今の俺の状態は普通とはほど遠い。

 考えられる原因は、一つだけだった。


「……俺が、カイネじゃないからだな」


 自分の力で、自分の身体を傷付ける。

 普通は起こり得ない、サーレの語っている通り。

 けど、この身体は本来なら俺のものじゃない。

 言ってしまえば、今の俺はカイネの死体に憑依した悪霊みたいなものだ。

 他人の肉体と、他人の力。

 それを上手く扱えてないから、さっきみたいな暴発を招いてしまった。


「フォルテ、今日は一度引き返そう。

 戻って、どうするべきかを検討して……」

「いや、続けよう。続けさせてくれ」


 俺の言葉に、サーレは戸惑ったようだ。

 左手を握り締めて、立ち上がる。

 身体は問題なく動く。

 聖痕の力を引き出すのも、暴発した以外は問題なかった。


「要するに、俺がカイネの力を使うのに慣れてないってだけだ。

 だったら慣れるまで、それを繰り返せば良い」

「……さっきの状態を見ただろう?

 《剣》の聖痕を使っただけで、左手が焼けてしまったんだ」

「俺たちのやろうとしてることを考えれば、それぐらいの無茶は必要だろ?」

「…………それは、確かに、そうかもしれないが」


 困らせたいわけじゃない。

 けど、サーレは俺の返事に言葉を詰まらせてしまった。

 呼吸を整える。一つ、二つと息を数えながら。

 落ち着いている。頭の中は冷静だ。

 それから改めて、左手に刻まれた聖痕を意識した。


「魔王にトドメを刺して、カイネの起こした奇跡を確実にする。

 それが俺たちの目的なんだ。

 ちょっと腕が焼けたぐらいで、ビビってちゃダメだ。

 俺はそう思うけど、サーレはどうなんだ?」

「……言うじゃないか、まったく。

 分かった、そもそも君を焚き付けたのはボクだ。

 君がそれを望むのなら、付き合う義務がある」


 呆れと、微かな喜びに似た何か。

 それらの感情を混ぜたため息を、サーレはそっと吐き出した。


「ホントは深度『三』を目指すつもりだったけど、予定変更。

 君が聖痕の制御を身につけるまで、この《結晶ヶ原》を周回だ。

 ただし、使って良いのは《剣》の聖痕だけ。

 他の聖痕に関しては決して発動させないこと、良いね?」

「分かった。ありがとうな、サーレ」

「言っただろう? これはボクの義務なんだ」


 頷く。それから俺たちは、《結晶ヶ原》を進んだ。

 広大な水晶の原野に、うろついているのは雑魚のウーズばかり。

 制御の練習にはもってこいの環境だ。

 二匹目のウーズに対して、最初と同じように《剣》の聖痕を向けた。

 今度はもっと、力を抑え込むことを意識して。

 だが、そうなると今度は微かな光も出てこない。


「それじゃあダメだよ!

 もっと上手く、最適な加減で調整するんだ!」

「言うのは簡単だけどなぁ……!」


 行うは難し。

 まったくその言葉通りだった。

 獲物を見定めて、うぞうぞと迫ってくるウーズ。

 抑え込んでいるせいで、《剣》の聖痕は沈黙したままだ。

 胸の内で焦りが生じる。

 その途端、左手からまた光が大きく爆ぜた。


「怪我はボクが《治癒》で治すから。

 君は力を制御することに集中するんだ、良いね?」


 再び焼け焦げた腕に、癒やしを施してくれるサーレ。

 俺は黙って頷いた。

 続く三匹目は、これまでよりは少しだけ上手く行った。

 暴発する《剣》にふっ飛ばされることはなく、ウーズだけを叩き潰す。

 ただ、それでもまだ力の余波が凄まじい。


「まだ、上手く《剣》の形を纏めて切れていないんだろうね」


 左手の火傷は変わらない。

 痛みは、残さずサーレの《治癒》が拭い去ってくれる。

 ……まだだ。

 まだ、カイネの真似事の欠片すらできていない。

 これでは、とても足りなかった。


「……まだ続けるんだね?」

「続けたい。頼む」

「良いよ、ボクもとことん付きあうつもりだ」


 そう言って、サーレは微笑んだ。

 制御の訓練のため、ウーズ狩りは続く。

 四、五匹目までは結果に大きな変化は無し。

 六、七、八匹目。

 このぐらいから、左手の火傷は徐々に軽くなってきた。

 九、十、十一、十二匹目。

 火傷はほぼ受けなくなり、《剣》の状態にも変化が現れてくる。

 最初の方、《剣》のサイズは常人の身の丈よりはるかに巨大だった。

 その上、一振りするだけで爆ぜて消えてしまう。

 とても剣と呼べる代物じゃなかった。

 何度も繰り返す内に、少しずつ《剣》の形が纏まっていく。

 今では常識の範囲での大剣サイズで、何度か振っても砕けることもない。


「でも、まだまだ力の制御が粗いかな」


 とは、最強の勇者を良く知る教区長さまからの評価だ。

 言う通り、まだまだ甘い。

 火傷も負わなくなり、《剣》の状態も安定してきた。

 二十三、二十四、二十五、飛んで三十八匹目。

 そこまでウーズを切り刻んでも、《剣》の聖痕は力を維持したまま。

 生み出した《剣》は一度も砕けていない。


「お見事」


 パチバチと、手を叩く音。

 乱れた呼吸を整えてから、俺はそちらを向いた。

 微笑むサーレは、本当に嬉しそうだった。


「最初は不安だったけど、見事に制御をものにしたね。

 カイネの《剣》にはまだ及ばないけど、それでも十分凄いよ!」

「そうか、良かった」


 カイネの《剣》を、俺はちゃんとは知らない。

 だから、第三者からの評価は素直にありがたかった。

 俺が彼女の戦いぶりを見たのは、一度だけ。

 しかも目に映したのは、切り取ったような僅かな部分のみ。

 その超人的なイメージと、自分の動きがどうしても重ならなかった。

 足りない。

 まだまだ足りない。

 カイネの、最強の勇者の代わりには、まだとても足りなかった。


「……さぁ、今日はもう十分だろう。フォルテ」


 触れる指先は、冷たいけれど温かい。

 また思考の海に溺れていた俺を、サーレはそっと引き戻した。

 ……ありがたいけど、距離の近さはどうにかならないものだろうか。

 吐息のかかる位置に立って、サーレは俺の左手を包むように握っていた。


「流石に初日から酷使のし過ぎだ。

 癒やしてはいるけど、細かいダメージの蓄積はあるかもしれない。

 ――成果は十分に得た。

 一先ず、今日はこれで満足しておかないかな?」

「……ん、分かった。ありがとう、サーレ」

「礼を言うべきは、ボクの方じゃないかな」


 笑う。

 きっと止めてくれなければ、このまま延々とウーズ狩りを繰り返したはずだ。

 焦燥が心臓を焼いて、痛みを発し続けている。

 勇者になれなかった俺が、本当にカイネの代わりになれるのか?

 問いは刃となって、胸の奥に喰い込んだままだ。


「そら、また考え込んでるな?」

「あ――いや、悪い」

「やっぱり、そこは今後の課題かな。

 まぁ今は静かだし、危険もなさそうだから構わないけどね。

 近くにいたウーズは、君があらかた狩り尽くした後だ」


 サーレの言う通り。

 《結晶ヶ原》は静かで、俺たち以外には誰もいない。

 そこら中で蠢いていたウーズも、今はどこにも見当たらなかった。

 本当に、酷く静かだ。


「…………ちょっと、静か過ぎないか?」


 疑問が頭を過ぎる。

 この場所は、結晶化した草木とウーズ以外には何もない。

 だから多くの探索者にとって、ここはさっさと通過すべき通り道だ。

 定期的に、増え過ぎたウーズの駆除を行う時以外、人が留まることは少ない。

 だから静かであることは、何もおかしくはないはずだが……。


「…………」


 サーレは沈黙していた。

 表情には針のような緊張感が走り、視線は鋭く周囲を観察する。

 ……気のせいか、さっきより少しだけ空気が重くなってきたような。


「呪詛が濃くなってきてる。

 深度『一』だからって、気を抜き過ぎたな」

「? どういうことだ?」

「何かが起ころうとしてる――あるいは、もう既に起こってるか。

 警戒して、フォルテ」


 ついさっきまでの、弛緩した雰囲気は完全に消え失せていた。

 美しい《結晶ヶ原》の景色も、今は得体の知れない怪物の巣窟としか思えない。

 不意に、心臓がずきりと痛んだ。

 ほぼ同時に、冷たい予感が背筋を駆け巡る。


「サーレ!!」


 名を呼び、半ば反射的に身体が動いた。

 白い彼女も、決して反応が遅れたわけではない。

 ただ、その『何か』はあまりに速く、そして唐突だった。

 足元から滲み出し、一瞬で波濤の如く吹き出した大量の粘体。

 蒼白い光を放つそれは、俺とサーレをあっという間に呑み込んでしまった。

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