第三話:絶望と共に目覚める


 そして。


「…………ぅ?」


 俺は、目を覚ました。

 今までのことが過去の夢だと気付くのに、数秒ほどの時間が必要だった。

 ……夢、夢か。

 穏やかな気持ちと、寂寥感が胸の中で混ざり合っている。

 カイネたちが帰還したという話は聞かない。

 彼女はきっと、まだ信頼できる仲間たちと共に戦っているはずだ。

 勇者じゃない俺には、そこに立つ資格はなかったが。

 だとしても、俺には俺のやれることを……。


「…………あれ」


 おかしい。

 寝ぼけた頭が、遅れて違和感に気付いた。

 寝る前の、昨日の記憶がまったく思い出せないのだ。

 いや昨日どころか、ここ数日のことがまるで空白になっている。

 カイネとの出会いは、夢で思い出すぐらいなのに。

 それに――。


「ここ、どこだ……?」


 いつも使っている、ギルド管理の貸部屋とは違う。

 白く柔らかい寝台に、同じく真っ白で清潔な壁紙と、必要最低限の家具。

 知っている。ここは多分、教会に設置されている病室だ。

 なら俺は、怪我をして治療を受けた後なのか?

 呪層地帯に入ったのは……ダメだ、やっぱり思い出せない。

 大体三日ぐらいの記憶が、綺麗に抜け落ちてる。

 まさか、記憶喪失になるぐらいに重傷だった……の、か?


「なんだ、これ」


 気付く。気付いてしまった。

 むしろどうして、今まで気付かなかった。

 頭が少し重たい――俺の髪は、こんなに長かったか?

 身体はやけに軽い――腕がまるで、女子供みたいに細くなっている。

 おかしい、おかしい。

 何がおかしい? 何もかもがおかしい。

 両手で微かに光っているのは、見覚えのある聖痕だ。

 何気なく、胸元に触れる。

 薄手の白い衣服の下。

 男の俺ではあり得ないはずの、慎ましやかな膨らみ。

 その真ん中辺りには、火傷に似た傷痕があった。

 痛みはない。

 痛みはない、はずなのに。


「ッ……ぉぇ……!」


 苦しい。

 理由は分からないが、酷く苦しいのだ。

 嘔吐感が胸の奥からこみ上げてくるけど、吐き出すものは何もない。

 上手く力の入らない手が、無意味に寝台を握り締めた。


「……は、っ、一体、何が……?」


 まだ苦痛は止まない。

 それとは別に、誰かの声が聞こえた。

 複数の――これは、言い争ってる、のか……?

 分からない。

 自分の置かれている状況も、何一つ分からないが。


「……行って、みるか」


 誰かいるのなら、話ぐらいは聞けるかもしれない。

 文字通り、藁にもすがる思いだった。

 何度か深く呼吸すれば、胸に渦巻く苦痛は多少和らいだ気がする。

 気のせいかもしれないが、今はそれで構わなかった。

 上手く力の入らない手足を動かして、寝台から下りる。

 ふらついたが、どうにか転ばずに済んだ。

 ……まるで、他人の身体みたいだ。

 いや『まるで』じゃなく、本当に――。


「……くそっ」


 頭に浮かんだ考えを、無理やり振り払う。

 病室に鏡が置いてなかったのは、幸か不幸か。

 そうして扉を開けて、廊下に出ると。


「――どういうつもりだと聞いているんだ、サーレっ!!」

「っ……?」


 ビックリした。

 この病室は、かなりしっかりと防音されていたらしい。

 扉が開いた瞬間、凄まじい怒号が耳に飛び込んだ。

 心臓が早鐘を打ち、少しだけ痛む。


「どういうつもりも何も、今話した通りだよ。イグナール」

「私の耳が腐ったのか、それともお前の性根が腐り果てたのか。

 どちらにしろ、聞き捨てならんぞ」

「乱暴だなぁ。そろそろ手を離して貰えないかな?」

「…………」


 ……ヤバいな、マジの言い争いだった。

 あまりの剣幕に、傍から聞いてるだけのこっちの身も竦んでしまった。

 廊下で相対しているのは、二人の女。

 一人は背の高い、恐らく二十代の半ばか後半ぐらいの赤毛の女性。

 体格はがっしりとしていて、鎧の上からでも鍛え上げられているのが分かる。

 顔も美人の範疇だが、傷跡も目立つので厳つい印象が強い。

 ただでさえ鋭い鳶色の眼は、今や強い敵意に燃えたぎっていた。

 もう一人は、髪も肌も全てが真っ白い女性だ。

 纏っているのも、教会の象徴シンボルである十字が刻まれた白衣。

 その白さは無垢な雪の純白ではなく、潔癖な塩の白さだった。

 浮世離れした容姿は年齢を判じがたいが、見た目は十代の半ばか後半ぐらいに思える。

 気怠げな紅い瞳が、詰め寄る赤毛の女を見上げていた。

 ……そこまで観察したところで、気付いた。

 どちらも知っている相手だ。

 確か、二人とも魔王討伐に向かったカイネの仲間のはずだ。

 彼女たちがいるってことは、魔王討伐は終わったのか?


「神に仕える聖職の身で、お前はなんということを……!」

「だったら、他にどうしろって言うんだい?

 他に手はなかった!

 今、ボクらは希望の光を失うわけにはいかない!

 脳筋の君だって、その程度のことは理解できるだろう!?」

「詭弁で己の行いが正当化されると、お前は本気で思っているのか!」

「正しいとか間違いとか、そんなことはどうだっていいよ!

 別のやり方があったって言うなら、今すぐ教えて欲しいね!」

「…………」


 さて、どうしたものか。

 周りに他の人影もなく、話ができそうなのは言い争ってる二人だけだ。

 罵り合うのに熱中し過ぎて、どちらもまだ俺の存在には気付いていない。

 ……気になることはあった。

 何故、カイネの仲間である彼女らがこんな激しくやりあってるのか。

 白衣の女性――サーレが何かをやって、赤毛の女性――イグナールが叱責している。

 構図としては、多分そういう形だろう。

 カイネの仲間は、見送った時は全部で五人いたはずだ。

 何故、この場には二人しかいないのか。

 何故、イグナールの右腕が肘から無くなっているのか。

 嫌な予感が、どんどん胸の中で膨らんでいく。


「大体、貴様は……!」

「……あの」


 見ているだけでは埒が明かない。

 なので、意を決してこちらから声をかけてみた。

 瞬間、二人の動きがピタリと止まる。

 ほとんど同時に、サーレとイグナールは俺の方に視線を向けて。


「「……!!」」


 そう、同じ名前を、口にしていた。

 カイネと。

 この場にはいないはずの、最強の勇者の名を。


「は……?」

「ッ――――!」

「……あぁ。いや、すまない。

 どうやら、見苦しいところを見せてしまったみたいだね」


 意味が分からず、俺は呆けるしかなかった。

 イグナールは顔を大きく歪めて、左手で自分の口元を抑えた。

 サーレは緩い微笑みを浮かべ、俺に向けて形ばかりの謝罪を述べた。

 何故、彼女たちは、俺を見てカイネと――。


「……罪深い、私はこんなものは認めんぞ」


 嫌悪の情を隠しもせず、イグナールは吐き捨てた。

 サーレから離れ、俺に対して視線を向ける。

 鳶色の瞳に渦巻く感情は複雑過ぎて、簡単には読み取れない。

 少なくとも、敵意や憎悪などは感じられなかった。

 ただ、その眼に写っている、俺の姿は。


「……っ、失礼する」


 目を逸し、絞り出すような声でそう言って。

 イグナールは踵を返すと、足早に廊下の向こうへと去ってしまった。

 声をかける暇も、かけられる言葉も無かった。

 ……今のは、気のせいか?

 確かに、イグナールが見ていたのは。


「……フォルテ、で良かったかな?」

「っ」


 耳元で囁かれる声に、心臓が大きく跳ねた。

 こちらがぼーっとしている間に、サーレはすぐ目の前まで近付いていた。

 白く細い指先が、確かめるような手付きで俺の顔に触れる。

 俺の顔――本当に、そうか?


「身体に違和感はあるかい?

 もしどこか痛むなら、すぐに申告して欲しい」

「な、なぁ」

「何かな? あぁ、自己紹介が必要かい?

 ボクの名前はサーレ、この教会を預かっている教区長だ。

 御大層な肩書だろう? けど、萎縮したりする必要はないよ。

 実際のところ、教会での実務はほぼ下の者任せだからね。

 言ってしまえばお飾りのようなものだ」

?」

「…………」


 教区長。

 《都市》一つの教会を預かる、高位聖職者。

 普段の俺ならビビって平伏してるかもしれない。

 が、今はそれどころじゃない。

 どうしても、確認しておくべきことがあったからだ。

 饒舌に喋っていたサーレだったが、そう聞いた途端に口を閉ざした。

 沈黙が流れたのは、ほんの数秒ほど。


「……とりあえず、腰を落ち着けて話をしようか。

 こちらに」

「……分かった」


 促され、俺は素直にそれに従う。

 さっきまでいたのとは、また別の病室。

 そこは、怪我や病気の診察を行うための場所だった。

 患者を寝かせて診る台の他、専用の道具が並ぶ棚や机。

 呪層に潜って怪我をした時とか、何度も世話になったことがある。

 この部屋は、俺が普段使っているところとは別のようだけど。


「気になるのは、自分の身体の状況についてだね?」

「あぁ」


 頷く。

 俺の手や足は、こんなに細くなかった。

 髪も肩までかかる長さじゃないし、色も灰色じゃなかったはずだ。

 胸板も薄く、まるで女性みたいな膨らみまで目に入る。

 それに、微かに輝きを放っている聖痕。

 見覚えのある光に、心臓が痛いぐらいに強く鼓動を打つ。


「……まず、落ち着いてこれを見て欲しい」


 そう言って、サーレは手鏡を取り出した。

 鏡。あぁ、それがあれば……!

 差し出されたモノを、ほとんどもぎ取るようにして受け取る。

 磨かれた表面に、すぐさま自分の顔を映した。

 そこに浮かぶのは――。


「…………カイ、ネ?」


 慣れ親しんだ、自分の顔ではなく。

 たった一度出会っただけの、美しい少女の顔だった。

 幻覚だと思いたかった。

 けど、これは紛れもなく現実だ。

 そんな馬鹿な話があり得るかと、どれだけ否定しても意味はない。

 今の俺は、カイネの姿になっていた。


「なんで……?」

「っ……!」


 極力感情を排した声で、サーレはその事実を告げる。

 何故か心臓が、キリキリと痛んだ。

 構わずに残酷な言葉は続く。


「そして、君も死んだんだよ。フォルテ。

 残念ながら、『何故死んだか』まではボクも把握していない。

 何か、死ぬ間際で覚えてることは?」

「…………」

「フォルテ?」

「……ない、覚えてない。何も。

 目が覚めたら、この教会の病室で……」

「……記憶障害か。

 これは他に欠けが無いか、確認すべきかな」

「そんなことよりっ!!」


 声は、自分で驚くぐらいに大きく荒れていた。

 呼吸が、どうしようもなく乱れる。

 鏡から目が離せない。

 カイネだ、そこにいるのは間違いなくカイネだった。

 けど、俺の知る彼女とら僅かな差異もある。

 髪はこんな灰色じゃなく、もっと綺麗な漆黒だったはずだ。

 瞳の色も、カイネは深い空の青だった。

 けど鏡に映っているのは、暗く濁った曇天の色だ。


「……一体、これはどういうことなんだ?

 馬鹿な俺にも、分かるように話してくれよ」

「……分かった。説明するよ」


 サーレの表情は硬く、苦い。

 けど、今の俺にそれを気遣う余裕はなかった。

 そうして、サーレは語り出す。

 彼女自身も混乱しているのか、その話は長く複雑で。

 俺は聞きながら、どうにか頭の中で要点だけをまとめていく。

 ――カイネたちは魔王討伐に向かい、呪層の最深部にまで到達した。

 しかしサーレだけは、足手まといになると判断して途中で離脱していた。

 残るイグナールを含めた四人と、最強の勇者カイネ。

 彼女たちは魔王と戦い、仲間の一人は早々に命を落とした。

 イグナールたちは奮戦したが、彼女も片腕を失う重傷を負う。

 他二人の仲間も似た状態で、まともに戦えるのはカイネだけになった。

 ……それでも、カイネの強さは圧倒的だったそうだ。

 ただ一人で、魔王と互角以上に渡り合うほどに。

 まだ動けるイグナールは、カイネの指示で仲間を抱えて戦線を離脱。

 カイネだけが、そのまま魔王と戦い続けた。

 そして。


「教会の《奇跡》を用いた観測で、呪層中心の汚染が急速に減少するのを確認した。

 これは呪詛の発生源たる魔王、その死によるものだと推測される」


 魔王の死。

 数百年、人類が達成できなかった大偉業。

 本来ならば、歓呼を上げて喜ぶべき話のはずだ。

 けど、語るサーレの表情は重い。


「……それを観測してから、ほぼ間を置かずに。

 《帰還》の奇跡で、カイネがこの教会に戻ってきた。

 当然ながら、遺体の姿でね」

「っ……」


 覚悟はしていたはずなのに、どうしようもなく息が詰まった。

 カイネが、人類最強の勇者が死んだ。

 あの、少し変わってる以外は普通だった少女が。

 魔王と相討ちになって、死んでしまった。

 じわじわと蝕む毒のように、現実が心の脆い部分を削る。

 俺ですら、こんなにショックなのに。

 仲間であるサーレたちは、一体どれほど……。


「……正直に言って、途方に暮れたよ。

 心臓が抉れてなかったら、寝てると勘違いしそうな状態だった。

 カイネが死んだ。

 彼女の胸に刻まれた傷が、そう言ってるような気さえしたよ」

「サーレ……」

「途方に暮れて……大体、三日ぐらいかな。

 別の死体が、《帰還》してきた」


 別の、死体。

 話の流れを考えると、その死体は。


「そう、君だよ。フォルテ。

 ……本当に、君は死んだ時のことは覚えていないんだね?」

「随分と、念を押すんだな」

「酷い状態だったからね。

 あそこまで損壊してる遺体は、ボクでもなかなか見ないよ」

「…………」


 うっかり、自分が粉々のミンチになってる絵を想像してしまった。

 実際に見たサーレの方は、グロ死体に関しては平気そうな顔だ。

 教会の責任者であるし、嫌な話だが《帰還》した遺体は見慣れてるのだろう。


「本当に酷い状態だったけどね――唯一、

「…………なんて?」

「だから、聖痕だよ。君の心臓には聖痕があった」

「俺に、聖痕が?」


 嘘だ。

 そんなはずはない。

 聖痕があるのは勇者だけのはず。

 俺は、勇者じゃない――そのはず、なのに。


「……驚くのも無理はない。

 聖痕は大抵の場合、身体の表面に現れる。

 けど稀に、肌ではなく内臓などの内側に刻まれることもあるんだ。

 ボクも記録で知ってるだけで、実物は初めて見たよ」

「けど……俺は、呪詛にほとんど耐性が……」

「ゼロではなかった、違うかい?

 聖痕を持ってはいたが、呪詛への耐性が平均より低かった。

 それでも、常人よりはかなり高いはずだよ。

 今まで、装備込みで潜った呪層の深度は?

 『五』まで行ってれば、生身の人間ではありえないよ」

「…………」


 何も、言葉が出てこなかった。

 カイネの死と、俺の死。

 勇者にはなれないと諦めていたのに、唐突に聖痕があると判明したこと。

 いきなり多くが起こり過ぎて、感情の整理がつかない。

 サーレは、そんな俺の様子を観察していた。

 その表情は、酷く苦いものだった。


「話を続けよう。

 君の心臓に刻まれた聖痕だけど、これには稀少な力が宿っていた」

「稀少な力……?」

「あぁ、《転生》の奇跡だよ。

 君の聖痕は、魂や記憶などの『君自身』の情報を永久的に保存できる。

 だから例え肉体が壊されても、聖痕さえ無事なら君は死なない。

 まぁ勿論、動かす肉体がなければ正確には『生きてる』とは言い難いけど……」

「…………」


 その説明で、十分過ぎた。

 今、俺が何故カイネの姿になっているのか。

 こちらの表情の変化を察したか、サーレは薄く微笑んでみせた。


「きっと、君が考えている通りだよフォルテ。

 ――死んだカイネの肉体に、聖痕の刻まれた君の心臓を移植して《転生》させた。

 無事に目覚めてくれて、本当に良かったよ」


 安堵と諦観、失望と絶望。

 サーレの暗い笑みを目にした瞬間、心臓がずきりと痛んだ。

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