第二話:再会の約束


「フォルテは勇者じゃないの?」

「見ての通りだよ」


 薄く引き伸ばされた呪詛が漂う森の中。

 《拠点》に続く道を、俺はカイネと二人で歩いて行く。

 道と言っても、鬱蒼と茂る草木に人が通れるような空間はほとんどない。

 単に『比較的安全』と確認できたのを示す目印を、一つ一つ辿っていくだけ。

 俺のすぐ隣を、カイネは慣れた動きで進んでいく。


「見ただけじゃ、分からないこともあるよ」

「まぁ、それはそうかもしれないけどな」


 言葉を交わす間、カイネの目は周囲に向けられている。

 案内はこちらに任せて、魔獣などの危険がないかを確認してくれているのだ。

 木の枝に刻まれた新たな目印に触れながら、ちらりとカイネの方を見る。

 小柄な少女だ。

 武器の類はほぼ身に付けておらず、纏った黒衣も鎧と呼べる代物じゃない。

 ……呪詛による汚染は、人体だけには留まらない。

 耐性を持つ装備であっても、汚染が濃い場所では耐久力には限界がある。

 だから呪層深くに挑む勇者ほど、身軽な格好になる傾向があった。

 強力な勇者なら、聖痕の力で武装したのと同じ状態になれるからだ。

 一方、俺の方はどうだ。

 こんな浅い場所でも、対呪詛用の装備で全身を固めなくちゃならない。

 聖痕を持つ勇者ではない、凡人に過ぎないからだ。

 これでも、装備さえ万全ならもっと深い場所まで潜った経験もあるが……。


「ねぇ、呪層のどこまで行ったことがあるの?」

「あー……行っただけ、なら。深度『五』までだな」

「凄い。その装備で?」

「いや、あの時は今の倍ぐらいは対策してった。

 それでもすぐに耐え切れなくなった、逃げ帰る羽目になったんだ」

「どれだけ備えても、聖痕無しで『五』まで入れるのは凄いよ」

「……かもな」


 頷く。

 カイネは、素直に称賛してくれている。

 事実として、俺は単なる人間としては耐性のある方だ。

 この森だって、仮に装備に異常があっても死ぬことはない。

 ただ、しばらく呼吸をしているだけであっという間に動けなくなるだけだ。

 呪詛による汚染がある限り、勇者じゃない人間は呪層では大した役にも立たない。

 それが現実だった。


「……そういえば」

「うん?」

「フォルテは、どうして一人でここに?」

「あー……」


 さて、どう答えるか。

 誤魔化すことも考えたが、カイネは真剣だ。

 真剣に、勇者ではない俺が一人で呪層に潜ってる理由を聞いていた。

 ……思ったよりも饒舌で、他人のことも細かく気にかけてる。

 良い子だ、本当に。

 こんな少女が最強の勇者で良かったと、心から思えるほどに。


「フォルテ」

「……斥候だって、そう言ったろ?」

?」

「嫌な言い方を覚えてるな」


 あまり宜しくない勇者が、耐性装備だけ着せた常人を未探索の呪層に放り込む。

 安価な記録用の魔具を持たせた上で、だ。

 例え死んでも、教会の《帰還リターン》の奇跡によって回収自体は容易。

 聖痕を持たない人間が死んでも痛手ではないし、危険の度合いを簡単に測ることができる。

 実際、俺も背負った荷物の中に記録のための魔具は仕込まれていた。


「……フォルテ。それは、あまり良くないよ」

「あぁ、分かってる。けど、これでも何年もやってるんだよ。

 所属している一党のリーダーとも、まぁ古馴染みって奴だ。

 ちょっと耐性の強い常人ってことで、便利使いされてるのも分かってる」

「…………」

「けど、それでも俺が自分で選んだことなんだ」

「……どうして?」

「どうしてだろうな」


 笑う。

 我ながら、無茶苦茶なことを言ってるな。

 ただの人間でも、別にやれることは他にもある。

 わざわざ死ぬ危険を冒してまで、呪層に潜り続ける必要はない。

 分かってる。そんなことは、良く分かってる。

 装備無しでは深度『二』でもまともに動けず、魔獣に襲われたらひとたまりもない。

 魔人なんて敵うワケもないし、呪層の解放なんて夢のまた夢だ。

 そういうのは、全部勇者のやるべき仕事で。

 ただの人間である俺が、入り込む余地なんてないと。

 分かっているのに。


「……勇者に、なりたいからかもな。

 なれるワケがないって、頭じゃ分かってるのに」

「…………」


 俺の言葉に、カイネは何も言わなかった。

 安易な慰めを口にしなかったのは、彼女なりの優しさだと分かった。

 最強の勇者である彼女には、きっと分からない。

 分からないことに、簡単には答えを出さない。

 本当に、彼女は良い子だ。


「……さて、つまんない話をしちまったな。

 もうすぐ森を抜ける、そうすれば《拠点》も見えて……」

「ごめんなさい、フォルテ」

「ん?」


 急に謝られて、少しだけ足を止める。

 カイネもまた立ち止まって、俺の方を見ていた。

 ……吸い込まれそうな、空色の瞳。

 その目の中にも、聖痕が刻まれている。

 片方ではなく、両方の眼にだ。


「あの多頭蛇、多分私が連れてきてしまった」

「……あぁ」


 なるほど。

 彼女の話では、深度『八』で転移罠に引っかかったってことだった。

 恐らく、その時たまたま近くにいた多頭蛇も転移してしまったか。

 こんな浅い場所に、あんな怪物が何故ウロウロしてるのかと思ったが。

 これでようやく納得がいった。


「確証がなくて、言い出せなかった。

 けど状況を考えれば、間違いないと思う。ごめんなさい」

「いや、良いさ。確かにヤバかったが、結果的には助けられたんだ。

 お前が頑張ってくれたおかげで、俺は死なずに済んだ。

 間違いなく、カイネは命の恩人だよ」

「…………」


 一応、今のは本心からの言葉だ。

 死にかけたのは事実だが、呪層に潜った以上は命の危険なんて幾らでもある。

 それがたまたま、カイネの不幸な事故と重なっただけの話だ。

 助けてくれたんだから、罪に思うことなんて何もない。


「……私、がんばるよ」

「カイネ?」

「がんばって、魔王を倒すよ。

 そうすれば呪層は解放されて、フォルテも危ない目に遭わなくて済む」


 魔王。

 人類の敵対者にして、呪層の発生源。

 合わせて八柱。未だに人類が彼らを討伐したという例は存在しない。

 この呪層の最も深い場所にも、いるはずだ。

 人類最強とまで言われるカイネだったら、あるいは――。


「……それは、俺のためか?」

「かな。フォルテは、私のせいで死にかけたから。

 だから、私が頑張るよ」

「最強の勇者様にそうまで言って貰えるとは、身に余る話だな」

「本気だからね?」

「分かってる」


 勿論、分かってる。

 彼女は自分のミスで俺が死にそうだったことを、本気で省みてる。

 だからこそ、この呪層地帯の魔王を討つと言っているんだ。

 ……分かってる、勿論分かってる。

 けど、その言葉を素直に喜べない自分もいた。

 人類史上、初めて魔王討伐に成功した勇者。

 きっと浅ましい俺は、その称号を得るだろう少女に嫉妬している。

 勇者が命を懸けた行いの、おこぼれを貰うだけの立場。

 そこに留まるしかない自分が、何よりも嫌だった。

 けど。


「……ほら、見えたぞ」

「ん。ありがとう」


 深度『二』である森の終わり。

 木々を抜けた先には、いくつもの大きなテントが見えた。

 呪層に挑む勇者たちのための《拠点》。

 その周辺は浄化済みであるため、呪詛の影響もほとんどない。

 だから俺も、安心して防護用のマスクを外せる。


「俺はこのまま、《拠点》に戻って報告を済ませる。

 ホントは偵察だけだったが、異常の原因はカイネがぶっ殺してくれたからな」

「…………」

「カイネ?」

「もしかして、意外と若い?」

「それでも、お前よりはずっと年上だよ」


 俺の面をまじまじと見ているから、一体何事かと思ったが。

 あまりに予想外の台詞で、思わず吹き出してしまった。

 つられて、カイネも声を上げて笑う。

 流れる空気は穏やかで、ここが呪われた地であることを忘れそうになる。


「じゃあ、私は行くから」

「あぁ、気を付けてな」

「フォルテこそ」


 戻ってきた道とは、まったく違う方へと歩き出すカイネ。

 その方向は、深度『二』では例外的な重汚染地帯に続いていたはずだ。

 大抵の勇者は避けて通る、文字通り地獄への入り口だ。

 そんな場所へと、少女は散歩でも行くような足取りで向かっていく。

 俺はただ、見送ることしかできない。


「……カイネ!」

「?」


 去ろうとしていた背中が、振り返る。

 何故、呼び止めてしまったのか。

 ここで別れたら、もう二度と会えないんじゃないかと。

 そんな不吉な予感が俺を突き動かす。

 ――俺も、一緒に連れて行って欲しい。

 喉の奥から出かかった言葉。

 紛れもない、俺自身の本心だった。

 憧憬、羨望、それから嫉妬。

 俺は勇者になりたい、なりたかった――けど、なれない。

 聖痕がないから。

 幼い頃に、呪層の探索中に死んだ両親は勇者だった。

 親の仇を取りたいのか、単純に勇者という肩書きが羨ましいだけなのか。

 分からない。

 分かるのは、俺は勇者じゃないことだけ。

 ……カイネが、俺の生命に責任を感じるような、良い子であることだけだ。


「また、会えるか?」

「……もしかして、ナンパ」

「かも、しれないな」


 笑う。

 自分の醜さを誤魔化すために、愚にもつかない冗談を口にしながら。

 そんな浅ましさに対しても、カイネは少女の愛らしさで微笑んだ。


「良いよ、また会ってあげる」

「マジか」

「迷宮通りの三丁目、好きな甘味処がある」

「おいおい、最強の勇者様が凡人にたかる気か?」

「デート代ってことで一つ」


 ……正直、断られるつもりの言葉だった。

 自分を誤魔化すことができればそれで良い、何の意味もない冗談。

 けど、カイネは真面目に受け取ったようだ。

 魔王のいる呪層の最深部までは、一緒に行けなくとも。

 最強の勇者様と街でデートっていうのは、そう悪い話じゃなかった。


「……分かった」

「ホントに?」

「ただ俺も貧乏なんだ、手加減はしてくれよ」

「善処します」


 なかなか不安な台詞と共に、カイネは一歩下がる。

 これ以上、俺の身勝手で人類の希望を引き止めちゃいけない。


「私の連絡先、ギルドの受付に伝えておくから。

 またね、フォルテ。約束だよ?」

「あぁ、またな。カイネ」


 今度こそ、それが俺たちの別れの言葉となった。

 カイネは再び呪層の深部へ向かい、俺は《拠点》へと戻る。

 ギルドに報告を済ませたら、それで俺の仕事は終わりだ。


「……またね、か」


 明日――どころか、今の瞬間にも死ぬかもしれない世界。

 再会の約束は、その多くが果たされない。

 それが常識だが。


「カイネは、最強の勇者だもんな」


 彼女に対しては、きっとそんな不吉なジンクスは無意味だ。

 俺の方こそ危ないので、命を大事に立ち回らねば。


「……楽しみだな」


 自然と、そう呟く。

 それから俺は《拠点》に戻り、報告をして。

 《都市》に戻ると、俺をカナリアとして送り込んだ仲間たちにも顛末を話した。

 ……それから、しばらく後。

 市中では『カイネとその仲間たちが、魔王討伐に向かう』という噂が流れた。

 そして、それは噂ではなく事実だった。

 多くの人間に見送られながら、選ばれた勇者の一党が呪層へと向かう。

 狙うは、呪詛の最も深き場所に潜む魔王の首級。

 未だ人類の手が届かぬ偉業に、とうとうカイネたちは挑むのだ。

 俺は、その姿を黙って見送った。

 声ぐらい駆けたかったが、とても近づける距離じゃない。

 勇者じゃない俺には、カイネの背中はあまりにも遠かった。


「……無事に、戻ってこいよ」


 再会の約束は、まだ果たされてない。

 俺にはただ、そう祈る以外にできることはなかった。

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