第一話:勇者になれない男


 ――俺は、勇者にはなれない。

 

 現実というどん底に沈み込んで、その事実を噛み締める。

 身体はロクに動かせず、視界は酷くぼやけていた。

 そんな状態でも、意識はハッキリしている。

 けどそれは、間違っても幸運なことじゃなかった。


「っ……く、そ……!」


 掠れた声。

 多少毒を吐いたところで、何かが変わるわけじゃない。

 それでも、己の不幸を呪わずにはいられなかった。

 俺は死ぬ。

 恐らく、あと数秒も後には。


『ギ、ギギギ、ギ』


 錆びた金属同士が擦れ合うような、そんな耳障りな鳴き声。

 それを発しているのは、見上げるほどに巨大な怪物だ。

 ソイツは概ね、蛇に近い形をしていた。

 ただし普通の蛇は、人間を一呑みするほどデカくないし、首も五本もあったりしない。

 多頭蛇ヒュドラだ。

 俺の乏しい知識でも分かるぐらい、危険で有名な魔獣ベスティア

 巨体を覆うように輝く呪紋シジルは、噂通りなら『再生』の魔力を宿してるはず。

 こんな、『浅い』深度をうろついて良い怪物じゃない。


『ギギギギ、ギギギギギギ』


 五つの首を揺らして、蛇は嫌な鳴き声を上げ続ける。

 ……いや、笑ってるんだ。コイツ。

 自分の毒気を浴びて、麻痺して動けなくなった哀れな獲物おれを。

 数秒後に死ぬ可能性は、多少低くなったかもしれない。

 その代わりに、化け物に嬲られて苦しみながら死ぬ可能性が高くなったが。

 ――畜生、畜生!

 呪いの言葉を吐こうにも、喉から出てくるのは掠れた吐息ばかり。

 そもそも、俺は何を呪うべきだ?

 自分の運命? 目の前の怪物? 救ってくれないクソッタレな神様?

 それとも低深度の呪層で発生した未知の異常調査とか、怪しげな仕事を取って来た仲間?

 聖痕ルーンを持たない俺を、単独ソロで偵察に出した頼もしき勇者様か?


『――お前なら大丈夫だよ。

 いつも助けられてるオレが言うんだから、間違いないぞ』


 付き合いの長い美形面が、そう言って俺を送り出した最後の場面。

 それが頭の中で、やけに色鮮やかに浮かんできた。

 ――コイツが走馬灯って奴か。

 死の間際に見る映像としては、短い上に退屈なものだった。

 聖痕も無しに勇者の真似事をしようとした凡人には、相応しい末路だろう。

 諦めが精神を麻痺させ、ただ訪れる瞬間を待つ。

 どうせ死ぬなら苦しくない方が良いが、相手は嬲る気満々の化け物だ。

 どうしようもない――どうしようもなく死ぬ。

 勇者じゃない俺は、化け物に殺されて死ぬ。

 ……けど、なんだ?

 さっきから、何も起きないような……?


『ギャアアアアアアァァァァッ!?』

「っ……!」


 毒気に汚染された森を、多頭蛇の咆哮が揺さぶる。

 咆哮――いや、違う。

 それは断末魔の絶叫だった。

 鉛みたいに重い身体をどうにか持ち上げ……そして、見た。

 『再生』の魔力を発動させ、呪紋を真っ赤に燃やしている多頭蛇。

 不死身とまで言われるその化け物が、バラバラに引き裂かれているのを。

 黒く濁った毒血がぶち撒けられる中に、『彼女』がいた。

 艶めく夜色の髪を揺らす、黒衣の少女。

 小柄で、身体つきも決して良いとは言い難い。

 なのに見ているだけで、魂を引き込まれるような『強さ』がある。

 両手の甲と、右眼。

 そこから星に似た輝きが瞬いているのが見えた。

 間違いなく、聖痕の光だ。

 神が人に与えた、魔と戦うための聖なる欠片。

 その輝きを宿す者だけが、人々からは『勇者』の称号で呼ばれる。

 俺には、決して手の届かない光。

 ……しかも、見間違いじゃないのなら、彼女はもしや――。


「大丈夫?」

「……!!」


 あまりに衝撃的な光景で、完全に忘我の狭間だった。

 いつの間にやら黒髪の少女――助けてくれた女勇者が、俺の前に立っていた。

 歳は……見た目だけなら、多分かなり若い。

 美人というよりは、可愛らしいと言った方が似合う顔立ちだ。

 もしかしたら、十代の前半ぐらいか。

 そうだとしたら、まだ子供言っても差し支えない年頃だ。

 ……俺の半分程度の年齢だな。

 考えると、あまりの格差に嫌になってくる。


「……おじさん? 大丈夫? 生きてる?」

「っ……ぁ……!」


 再度声をかけられ、慌てて返事を……しようと、して。

 言葉は出てこずに、熱い血の塊が喉の奥からこみ上げてきた。

 そうだ、俺は死にかけていたんだ。

 骸となった多頭蛇、そこから溢れ出した毒気もヤバい。

 多少の耐性があろうと無関係に、少しの呼吸で命が削れる。

 心臓の鼓動は乱れ、このままだと――。


「はい、これで良し」

「…………えっ?」


 死ぬ、と。

 否応なく、覚悟を決めねばならなかった瞬間。

 黒髪の少女は、それをあっさりと壊してしまった。

 倒れている俺に、少女は右手をかざす。

 その手の甲で、眩しいぐらいの輝きを放つ聖痕。

 勇者だけが持つ力の証明。


「おじさんと、後はこの辺りの毒気は全部浄化したから。

 ごめんね、私はこういうの平気だから。

 どうにかするのが遅くなって」

「……あ、いや。ありがとう、ございます」

「畏まらなくていいよ、私の方が歳下でしょう?」


 呆然とするしかないこちらに、少女は淡く微笑んだ。

 黒い格好も合わせて、まるで夜空に浮かぶ月のような笑顔だった。

 ……助けられておいて、抱いてしまった嫉妬心が酷く恥ずかしくなる。

 そうだ、そんなことを少しでも考えるなどおこがましい。

 この少女が誰なのか、俺は知っていた。


「じゃあ、その、改めて。

 助けてくれてありがとう、君は――《七つ星》のカイネ、だよな?」

「そうだよ、私はカイネ。知ってるんだ?」

「知らない奴なんて、《都市》で暮らしてる人間なら一人もいないだろう」


 不思議そうに首を傾げる少女、カイネ。

 変わった娘だとは聞いていたが、どうやら噂は本当だったようだ。

 ……恐るべき魔と戦うため、神から人に授けられた奇跡。

 それこそが聖痕であり、多くの勇者は持っていても一つか二つ。

 三つまで刻んでいる者はかなり稀だ。

 が、カイネはそんな常識を覆す。

 彼女が持つ聖痕の数は、合わせて七つ。

 《七つ星》の通り名も、輝く七の聖痕の輝きに由来する。

 この数は、長い教会の歴史でもぶっちぎりでトップのはずだ。

 勇者の中の勇者、人類最強。

 史上初の『魔王討伐者』になるという期待を一身に背負う、まさに希望の星だ。


「そう? 私、有名なんだね」

「……もしかして、自覚なかったのか?」

「あんまり。ナルも『民衆の評判など君が気にする必要はない』って、そう言ってた」

「……そうか」


 まぁ、そうだよな。

 いきなり知らない名前が出たが、多分カイネの仲間だろう。

 《七つ星》の勇者は強過ぎて、それに着いてこられるのは同じ勇者でも稀。

 だから彼女は、『例外』である少数の仲間としか呪層には入らない……らしい。

 伝聞の知識だから、どこまで事実なのやら。


「立てる? おじさん」

「えっ? あ、あぁ、大丈夫。ちょいとまだ痺れるが……」


 促され、どうにか立ち上がった。

 一瞬ふらつきそうになるが、それぐらいだ。

 毒の気配は、綺麗さっぱり消えていた。

 俺自身の身体だけじゃない。

 改めて、周囲の状態を確認する。

 ついさっきまでは、多頭蛇の毒に汚染されていた森の中。

 命を奪う瘴気も、触れただけで肉を溶かす毒沼も。

 今はもう欠片も見当たらない。

 全て、一切の痕跡も残さず《浄化》されていた。


「すげぇ……」


 仮に、同じ《浄化》の聖痕を持つ勇者がいたとして。

 果たしてこれと同じ真似をできる奴が、他にどれだけいるだろう。

 カイネが最強と呼ばれるのは、聖痕の数が多いからではない。

 至極単純に、彼女が『一番強い』からだ。


「凄くはないよ」

「……そりゃ謙遜か?」

「ううん。私の《浄化》は、綺麗にし過ぎるから」

「? どういうことだ?」

「どうしてもね、範囲も広くなるし。

 毒とか以外のモノも綺麗にしてしまうから、あまり良くないんだ。

 加減って、難しいよね」


 右手――《浄化》の聖痕を見下ろし、カイネは一つため息を吐いた。

 眉間にしわを寄せて、悩みを見せるその横顔は。

 勇者というより、年相応の少女だった。


「まぁ、さっきのおじさんみたいな場合は便利だけどね」

「……そうだな、ホントに助かったよ」

「どういたしまして」


 カイネはまた、淡く微笑んだ。

 俺が抱いた醜い感情など、まったく無関係に。

 彼女は強く、美しかった。


「じゃあ、お礼をして貰わないと」

「んっ? あぁ勿論、俺が支払える範囲ならいくらでも……」

「お金は良いよ、助けた人から取るほど困ってないし」

「そ、そうか」


 まぁ、人類最強の勇者だもんな。

 《都市》の各種ギルドから貰ってる報酬が、それこそ唸るほどあるはずだ。

 勇者の使いっぱしりでしかない凡人とは、何もかもが違う。


「おじさんは、この辺りの道は詳しい?」

「詳しい……って言って良いかは、分からないが。

 ただ斥候だし、来た道のマッピングぐらいは」

「良かった。迷子なんだ、私」

「…………迷子?」

「あ、恥ずかしいから繰り返すの禁止」

「そ、そうか。悪かったよ」


 微妙に頬を膨らませる少女に、慌てて頭を下げた。

 若干気分を害したようだったが、すぐに気を取り直して言葉を続ける。


「今日は単独(ソロ)で、深度『八』ぐらいまで様子見にもぐってたんだけど」


 呪層深度『八』。

 魔獣ベスティアの巣窟であり、魔人ディアボルスの勢力圏である呪層には『深さ』が定められている。

 人体には有害な、魔獣どもには空気と同じ呪詛による汚染度。

 聖痕を持つ勇者でなければ耐えられず、例え勇者でも潜れる深さは限界がある。

 今、俺たちがいる森で深度『二』――常人が抵抗可能な、ギリギリの深さ。

 優れた勇者でも、異常無しに到達可能な深度は『七』までとされていた。

 それが、様子見のために『八』とか。


「うっかり魔獣の群れにたかられて、それはまぁ追い払ったんだけどね。

 最後の最後で、罠に引っ掛っちゃって」

「罠?」

「うん、別の場所に強制的に転移させる罠。

 咄嗟に座標の変更はできたんだけど、流石に細かい指定までは無理だったんだ」

「…………」


 発動してから、転移先の座標を変える。

 そんな馬鹿げた真似をしたなんて話、初めて聞いたわ。

 言ったのが最強の勇者でなければ、出来の悪いホラ話として一笑に付してたろうな。


「それで?」

「転移した先が、この森だった。

 全然知らない場所で、しばらくうろうろしてたんだけど……」

「結局、道が分からなくなった、と。

 だから迷子か、オッケー把握した」


 なんともレベルの違う迷子だ。

 本人からしたら笑いごとじゃないだろうが、つい笑ってしまった。

 それについては、カイネは気を悪くしなかったようだ。


「道、分かる?」

「あぁ、この森とその近辺なら大体な」

「それは凄いね」


 凄い、と。

 皮肉で言われたのなら、軽く受け流せた。

 だけどカイネは、本心からそう思って言っている。

 それが分かってしまったから、何気ない言葉はモロに俺の心を抉った。

 彼女は、その痛みには気付かない。


「助けたお礼ってことで良いから、ついてきて欲しい」

「……分かった。君は命の恩人だしな。

 呪層深度『二』の《拠点ベース》まで案内すれば良いよな?」

「できたら、もといた深度『八』まで戻りたいな」

「そっちは分からんし俺が絶対死ぬんだけど??」

「冗談」


 真顔のまま小首を傾げる、その仕草だけはやたら可愛かった。

 声はマジっぽくて、一瞬肝が潰れたけどな。


「《拠点》までで良いよ、そこまで戻れば分かるから。

 道中の危ないことは、私にお任せ」

「頼もしい勇者様だね」

「勇者だからね」


 笑う。

 最強の勇者様は、笑う時は普通の女の子だ。

 何年も未練がましく呪層を這いずって、これが一番の発見かもしれない。

 皮肉な話だとは思ったが、存外悪い気分でもなかった。


「名前」

「うん?」

「おじさんの名前。

 私はちゃんと名乗ったのに、まだ聞いてない」

「あ――そうか、そうだった。

 いや悪い、うっかり忘れてたよ」


 自分みたいな路傍の石の名前なんて、彼女に教える必要はない。

 そんなつもりじゃなかったが、無意識にでも考えていた可能性はあった。

 非礼を侘び、一瞬の躊躇いを覚えながらも、改めて自分の名を告げた。


「フォルテだ、家名はない。

 《拠点》までの短い付き合いだと思うが、宜しく頼む」

「こちらこそ、お手数おかけします」


 目の前に差し出された、細くしなやかな少女の手。

 刻まれた聖痕の光が、夜空の星のように微かに瞬いていた。

 その輝きを見るだけで、心の奥が酷くざわつくが。

 決してカイネには悟られぬよう、そんな自分を押し殺して。

 俺は素直に、彼女からの握手に応じたのだった。

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