第47話 使用人マリサとアイザック
ジャマイカで海軍からグリンクロス島に起きている異変を聞き、まずは海賊に抵抗している組織と接触をしなければならないマリサたち。すでにマリサがウオルター総督の娘であることはヴェインをはじめ一部の海賊たちは知っていることだ。今までは海軍が立ち寄るという抑止力があったが、その隙をついてヴェインに脅かされた海賊たちと
総督やエリカたちの安否はわからない。マリサは気が気でなかった。それでもここへきて今までどのような困難も乗り越えたマリサの気力が高まる。もっとも、それはジャマイカでフレッドと久しぶりに会い、思いを共有できたことが起因している。
作戦にあたってスパロウ号の正式な艦長であるエヴァンズ艦長はグリーン副長とフレッド、士官候補生のクーパーをアーティガル号へ乗り込ませることを決めた。スパロウ号奪還のためのいわば先遣隊である。何と言ってもグリーン副長とフレッドは”青ザメ”時代デイヴィージョーンズ号に乗っており、マリサたちと共に過ごしたことで人間関係ができている。それなら作戦をうまく実行するだろうとの判断である。
これには連中はもちろんマリサも驚いた。夫であるフレッドと叔父であるグリーン副長と行動を共にするのである。だからと言って船上ではそれぞれの立場があるので、海軍の3人は連中と同じ扱いで寝泊まりしてもらうことにした。連中に余計な気を使わせたくなかったのである。
マリサたちはグリンクロス島へ運ぶ荷を積むため、島嶼部だけでなくアメリカ植民地へも立ち寄る。海賊が島を占拠したため、一般の商船が恐れて立ち寄らなくなってしまったグリンクロス島は、今まで交易によってもたらされた作物や薬草、肉となる畜産物など多くが入らず、住民の生活は困難を期していることが予想された。
船倉には南部植民地から仕入れた小麦のほか、各植民地からも米・豆やトウモロコシが積まれ、ジャマイカからはコーヒーが積まれた。甲板には何頭もの生きた牛やヤギがつながれ、連中が世話をすることになった。アーティガル号の甲板はまるで牧場のようだった。その家畜のえさとなる草もつんでおかねばならない。アーティガル号はどうみても商船だ。船に施されている艤装が飾りに見えるほどだ。
「こんな状況だと海賊と交戦しにくくなるな」
船で連中の食事を任されているグリンフィルズは商品である牛を眺めて、これを調理できないことを悔しがる。牛たちはとても太っていて見るだけでおいしさが伝わってくる。
「これはあくまでも商品だということを忘れるな。問題はこれらを買うのは住民か海賊かということだ。あたしは島の組織と接触しなければならない。海賊がこれらの荷に関心が行くように商売を進めてくれ」
マリサは主計長のモーガンに頼み込む。あらゆる意味で計算強いモーガンは海賊との取引もたけている。
「任されたぜ、安心してマリサたちは作戦を進めてくれ。なんたって俺たちは毎日家畜の世話をちゃんとやってきたんだ。海賊が家畜の糞の始末をするなんざ思っちゃみなかったぞ。俺たちのアーティガル号の甲板にこの太った牛が糞垂れた朝なんて俺はもう一度夢を見ようかと考えたほどだ」
モーガンの言葉にその場の連中が大きく頷く。
家畜の世話は乗員のだれもが分け隔てなく当番で行った。当然、グリーン副長とフレッドもアーティガル号に乗っている限り、連中と同じようにしなければならない。連中は助け合って家畜の世話をしていた。
この言葉のやり取りを聞いてモーガンやグリンフィルズ、甲板にいる連中など大笑いである。そんな状況だったが、久しぶりの海戦が予想されることからその気持ちは引き締まっていた。
グリンクロス島へはあとわずかだ。特別艤装許可証に基づき、アーティガル号は海軍の作戦に協力をする。単独での作戦となるが、後から追ってくるアストレア号、グレートウイリアム号はスパロウ号奪還のために動くだろう。自分たちはその突破口を作らねばならない。
「リトル・ジョン、船のオーナーとして再度あんたに船長就任を要請する。ここまできて断るなよ。アーティガル号は新たな局面に来ているんだ。何年船長代理をやってきたんだ?いい加減イエスと言ってくれ」
マリサはもうひとりのオーナーであるオルソンと共にリトル・ジョンに言う。
「……嬉しいね、そこまで言ってくれて俺は嬉しいよ……。だが俺は船長としてふさわしくない。船長代理でよろしく頼むよ」
笑顔で返しながらもどこか陰のあるリトル・ジョン。何が彼をここまで固辞させているのかマリサたちはわからない。
「やれやれ……魚にまた逃げられたな」
そういうオルソンは諦めずにいる。リトル・ジョンの陰を何とかしたかったのである。
作戦にあたってリトル・ジョンを気にかけるオルソンはルークと船に残り、乗り込み組にはアイザックが加わることになった。また、かつてデイヴィージョーンズ号に於いて副長として乗船していたマリサの叔父・グリーン副長はアーティガル号をリトル・ジョンとともに操りながら商船の立場での侵入を試みようとしていた。
月の満ち欠けを見ながら彼らは新月が近いことを知る。夜になって星々が煌めく静かな海原にグリンクロス島のかすかな島影が浮かび、月明かりに関係なく羅針盤はその方向を示した。
マリサたち乗り込み組とフレッド、クーパーはアーティガル号から2艘のボートに分かれて乗り、島の裏手からの上陸を目指す。アーティガル号はいったん近海に回り後日港へ入るようになっている。それまで連中は時間稼ぎをするだろう。
ボートが島へ近づくとかすかに男たちが酔っ払って騒ぐ声が聞こえた。島の地形は何度かここを訪れている”青ザメ”の連中が詳しいし、何より屋敷のことはマリサとけがの療養でしばらく滞在していたアイザックが詳しい。フレッドとクーパーは内部からスパロウ号奪還のために動くこととなるだろう。
「マリサ、たしなみは心得ているかい?」
アイザックが微笑む。それは何かを覚悟しているようにも見えた。かといって絶対的な強さを表しているものではない。
「……もちろんだ。あまり使いたくないけどな」
マリサはアイザックの様子が時折刹那的になることを感じている。それでも共に活動できるのは嬉しかった。
上陸地点を確認するとマリサたちは僅かなろうそくの火を頼りに裏手から上陸し、屋敷への侵入を目指す。残った者はそのまま港の一角にいる組織を探し出し接触するのである。マリサの情報から、以前海賊を住民と共に追い払ったシャーロットは港町にいる可能性があるときいたからである。乗り込み組やフレッドもマリサの顔とそっくりな女性がいればわかるだろうとみていた。
東の空が少し白んできた。マリサとアイザックはまず屋敷を取り囲む手つかずのサトウキビのプランテーションの茂みに入り、様子をうかがった。そこは奴隷たちがいなくなり、管理することもなく荒れ放題だ。
マリサたちは屋敷の東側にある洗濯場へ忍びこむ。ここは以前、マリサが侵入してきた海賊を撃退した場所でもある。あの時活躍した湯洗いのかまどは今も使われているようで、湯が沸かされていた。おそらくこれから朝一番に洗濯をし、それから朝食づくりに入るのだろう。しかしそれをだれが食べるのか、マリサはとても気になった。
ふと、そこへ女の使用人がふたりやってくる。彼女たちは屋敷が占拠されて後も総督の世話をするといって逃げなかった使用人である。食べること、掃除をすること、洗濯することなど総督の人柄を考えて世話をしたいと思ったのだ。
「まったく、
小声でぶつぶつ言いながら洗濯物を抱えており、その中に白いシャツやマリサが見覚えのある柄の小さなドレスがあるのを確認する。
(あれはエリカの服だ。シャーロットのドレスを仕立て直したものだ。間違いなく、ここにエリカがいる……。あの白いシャツはお父さまのものか……。お父さまも無事であるようだ)
エリカのドレスをアイザックも覚えており、まさかそんなことでウオルター総督とエリカの無事を確認できるとは思ってもみなかった。やってきた使用人たちはマリサやアイザックとも面識があるだけでなく、この屋敷の使用人として過ごしたことがあるマリサと仲が良かった。(本編16話から21話)
マリサは彼女たちの近くへ寄ると小さな声で呼びかける。思わぬ声におしゃべりをやめる使用人たち。
「人手はいらないか?男の使用人候補もいるぞ」
マリサの声にアイザックも立ち上がる。ふたりの使用人は驚いただけでなく、それが助けに来てくれたものだと理解をし笑顔になる。
マリサは思わず声を上げそうになった使用人たちへ静かにするように合図をし、自分たちは屋敷へ使用人として潜り込むから手伝ってほしいと耳打ちした。そのことに納得をした使用人たちはさっそく使用人頭のところへマリサとアイザックを連れていく。
マリサが来たことは屋敷に残って総督とエリカ、ハリエットの世話をしていた使用人たちにとって大きな希望となった。それでもできるだけ平然としなければならない。マリサは毒物を売っていた商人から髪粉を買っており、すぐさま目立ちすぎる髪にまんべんなく付けた。茶髪となったマリサは女優マリサそのものである。
使用人頭と会い、海賊が出入りするようになった屋敷の人手不足解消のため、新たに雇われたということにしてもらった。髪粉をつけた上に白いリネンのキャップをかぶり、使用人姿のマリサはどう見ても海賊とは思えない。アイザックもまた、かつらを長くつけていなかったため風貌から貴族の子息だと気づけないほどであった。
ウオルター総督はマリサとアイザックを使用人として雇うことを許可し、海賊掃討と救出作戦の成功を祈らずにいられなかった。
海賊が襲撃した際、逃げた奴隷たちやほかの使用人、娘のことを海賊たちから尋問されつつも逃げたことだけを認め、行方は知らないと言い通している。シャーロットが港の住民に慕われており、恐らくそのあたりにいるだろうと見当をつけていたが、それは口に出さなかった。
マリサと使用人たちは食事の準備のため厨房へ入った。しかし以前マリサが働いた時よりも明らかに食材が不足し、あるいは食べ散らかした形跡もあった。
「
使用人頭から近況を聞いたマリサ。やはり港を占拠されたことの物資不足があるようだ。
少ない食材で何とか作ったのがジャガイモのスープだ。古くなって
懐かしい声が聞こえる。成長したエリカの声だ。
「ばあちゃん……泣かないで。エリカも泣きたくなる」
そこにはハリエットを慰めるエリカの姿があった。
「大丈夫……もう大丈夫だからね」
マリサはスープをテーブルへ置くとふたりを抱きしめる。
「……母さん……?」
エリカは目深にリネンのキャップをかぶった使用人の正体に気付いたようだ。そしてハリエットは涙を流してうつむいていた。
「ばあちゃんは国へ帰りたいって……。このままここで死んじゃうんじゃないかってよく泣くの」
エリカが言う通りだろう。ハリエットはやせており、目もくぼんでいた。かつてのハリエットの姿の片りんもないほどである。ジャコバイト派に拉致されたあとジェニングスの隠れ家で軟禁生活を送り、その後助かったもののグリンクロス島で再び軟禁状態となってしまった。そのことがハリエットの精神を傷つけていたのである。
「お義母さん、必ずあたしが国へ連れて帰ります。今、海軍の手が入って作戦に入っています。どうか気を確かに持って平然として過ごしてください。エリカをお願いします」
小声で話しかけるマリサに何度も頷くハリエット。今度こそ国へ帰りたい、そんな思いでもある。
マリサはふたりに自分の正体を海賊に言わないことを約束させると置いていたスープを勧めた。
数日後、港が騒々しくなる。アーティガル号が入港したのだ。深酒をして熟睡していたスパロウ号の海賊たちは見張りの大声に起こされる。
「あいつらは馬鹿か?グリンクロス島がどうなっているか知らねえでグリンクロス島へ来るとはな」
スパロウ号の甲板で嘲笑するかのように出迎える居残りの海賊たち。その中にはあのフェリックスもいた。もともと”青ザメ”にいた彼はマリサの働きによって恩赦をもらいながらも海賊へもどった唯一の人間である。
「なんで……なんできてしまったんだよ……俺はお前たちに危害を加えなければならねえんだ。……くそったれ!今更に自分を呪うぜ」
海賊に戻った自分はグリンクロス島襲撃に加わっただけでなく、今や仲間がいるアーティガル号を襲わねばならない。
「見てみろよ、うまそうな牛が出迎えているぞ。アーティガル号は海賊船から牧場になっちまったんだぜ」
ある男の言葉に笑い転げる海賊たち。
「まあ、すぐに襲撃はしなくてもよいぞ。奴らの積み荷を確認してからだ。船はいつでも奪うことはできる」
小声で指示するレイモンド船長。スパロウ号の船長となるよう、ヴェインからいわれたものの、海軍でも下働きが多かったレイモンドはフリゲート艦スパロウ号を持て余していた。それだけでなく海賊たちをまとめ上げることにも自信がなかった。
フリゲート艦スパロウ号、それだけで周りがビクつくので救われていたほどである。
アーティガル号が港へつけられると主計長モーガンが商売をするため先に降り、集まった人々に売買を持ち掛けた。取り囲んでいる人々の中には海賊も多くいたが、それをわかったうえでの商売だ。リトル・ジョンは船をグリーン副長に任せて手伝いをするため降りてくる。
「グリンクロス島は物が不足していると聞いたから商売で入った。新鮮すぎる牛肉や鶏肉もあるぞ。ただし生きたままだ。酒やコーヒーも積んでいる。小麦もあるぞ。ないのは弾薬と火薬だけだ」
モーガンの説明に大笑いの海賊たち。
「おめえら、グリンクロス島が海賊の島となっているのを知らねえできたのか。ジェニングスから逃れたおめえらをヴェインは苦々しく思ってんだよ。だが生きのいい牛と美味い酒をもってきていることは評価してやる」
スパロウ号の主計長と思われる男がやってきた。
「俺たちが海賊を続けるにはちょっと男っ気が足りないんだ。何せ頭目は女だからな。仲間になると相手を嵐へ引き込んでしまうからジェニングスから離れたわけだ」
そばで聞いていたリトル・ジョンはそう言って援護をした。
アーティガル号の積み荷は目論見通り、物不足の島の需要により全てさばかれる。モーガンが赤字にならない程度の儲けしかとらなかったので海賊たちは喜んで買っていったのである。特に生きた牛は好評だった。
海賊共和国ナッソーでも海賊相手に商売をしていたアーティガル号だからできたのかもしれない。
アーティガル号が港へ入ったことで、スパロウ号のレイモンド船長が部下たちに目を離すなと指示を出す。船を沈める方が拿捕をするよりも簡単だ。フリゲート艦ならいとも簡単にアーティガル号を沈めることができるだろう。
アーティガル号に遅れてグレートウイリアム号、アストレア号、そしてレッド・ブレスト号がグリンクロス島へ向かっている。作戦は順調に進んでいた。
オルソン家で育ての母イライザと共に使用人として働いていたマリサはとてもてきぱきと仕事をこなし、礼儀知らずで横暴な海賊たちをうまくあしらっている。これは屋敷の使用人たちの励みとなり、できるだけ平然として働くことができるようになった。
アイザックはというとさすがに使用人としての経験がないので、見習のように言われたことをやっているだけだった。
「海賊にならねえか。もっと稼ぐことができるぞ」
そのような誘いを受けて事もあるが、アイザックは病持ちだから船には乗れないといって笑って断っている。
海賊が出入りするグリンクロス島となってからは外の情報が入りづらくなっている。それでもあちこちの海へ出ては略奪や襲撃をする海賊から断片的に情報が耳に入った。
それは総督だけでなく、港の酒場の賑わいの中でも聞くことができた。シャーロットは海賊相手に酒を提供しながら、外の様子を聞き出している。
「おう、おめえはこんなところで酒を出しているだけじゃ稼ぎも知れているだろう?何なら俺がお前を買ってやってもいいぜ」
そう言って無精ひげを生やした海賊が酒を持ってきたシャーロットの腰に手をやる。こういったことを何度ここで経験していることか。以前のシャーロットならキャーキャー言っていたのだが、シャーロットもまた、マリサのように海賊との付き合い方を覚えてきており、その都度、相手をうまくかわしていた。
プランテーションで働いていた奴隷たちは魚の加工場にかくまわれ、密かに作業をしている。シャーロットのこれまでの人望が今大きく役立っているのは間違いないことだ。国や身分、宗教などを問わない海賊集団”青ザメ”の考え方はマリサを通してシャーロットにも影響を与えていたのである。
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