第44話 探り合い 

 レイモンド船長とスパロウ号、そして2隻のスクーナー船からなる海賊集団によって占拠されたグリンクロス島。それは第2の海賊共和国を興さんとするヴェイン一味の計画でもあった。その計画は島が平和すぎて薄くなっていた防御のおかげであっさりと成功した。

 たくさんの商船や漁船、大きな船への荷物運搬船、渡し船などで賑わっていた港は海賊船が出入りすることとなり、拿捕や略奪を恐れた商船はここへ入らなくなってしまった。今まで島にない食材や材木・製品などは船によって運ばれていたがそれもできなくなってしまった。しかし当の海賊たちは困らない。ないなら海賊行為で略奪すればよいからである。島の住民がもの不足で生活に事欠くことがある中、海賊たちは全く気にもせずに日々を送っている。


「島の警護や役人たちは真っ先に殺されてしまった……おかげで海賊は我が物顔で好き勝手にやっている。海賊なんて馬鹿だと思っていたが、なかなかどうしてずるがしこいところもあるぜ」

 魚の加工所の主人、マイケルは少し余裕のある顔をした。

「賢いとずる賢いは違うと思った方がいいわよ。海賊が島を占拠してからなぜか海軍の船が入らなくなったでしょう?この島が海賊に占拠されたという情報は誰かによって広められている。戦争が終わった今、海軍は海賊討伐に動いているはずだわ。いくら海賊が強くても船や人員の数は海軍の方が上なのよ。戦争を何度も経験している海軍はいろんな戦術を知っている。1隻狙いの集団戦に慣れている海賊が海軍と向き合って戦えるなんて思えないわ」

 奴隷たちを港の仲間たちのもとへ避難させたシャーロットは、自身も酒場で働きながら父親であるウオルター総督の救出に備えていた。貴族であるシャーロットがまさか酒場で働いているとは思わない海賊たち。そのおかげで顔を見ても気づかないでいる。

 酒乱で○○切りでもあるマリサの噂はナッソーでも広がっていたが、はっきりとマリサの顔がわかる者は、”青ザメ”を抜けて海賊に戻ったフェリックスとあの忌まわしき嘆きの収容所からマリサに救われ、しばらく共に活動をしていた私掠船や海賊の男たちぐらいだ。自分たちはマリサに嘆きの収容所から助け出され、ウオルター総督からは”青ザメ”と共に恩赦をもらったのに、こうして裏切ろうとしている。”光の船”以降マリサと関係があったフェリックスほか7名の海賊たちは、グリンクロス島の掌握というヴェインからの命令と裏切ることの痛みの狭間で苦しんでいた。

 それが海賊化の代償とわかっていても彼らは行動するしかなかった。

 

 

 シャーロットがあえて酒場を選んだのは海賊たちの声に聴き耳を立てるためだ。お嬢様で何もできないシャーロットだったが、生活の自立だけでなく使用人としてもかなりの腕前を見せていたマリサに指摘され、自分のことは自分でやっていた。それだけでなく警護をやっていた元海賊のアーサーに剣や銃の手ほどきを受けていた。そして今は酒場に身を置き、庶民として働いている。海賊の頭目として連中をまとめ上げていたマリサの存在は確実にシャーロットに影響を及ぼしていたのである。


 

 住民たちは海賊に怯えながらも努めて今まで通りに生活をしている。海賊船に怯えながらも漁を続け、平静を保った。海賊相手に飲み屋を開き、海賊相手に商売をしていった。違うのは奴隷たちが避難したためプランテーションを管理しきれなくなったことと島の役人が殺されてしまい治安を守れなくなったということとだ。そしてシャーロットは大きな懸案事項を抱えていた。

 酒場で海賊たちが自慢げに話していた一件。占拠された屋敷に残された者たちのことである。

「お父さまのことはともかく、エリカやスチーブンソン夫人、使用人たちが残されたことは大きな誤算だったわ……。救出に行きたいけどさすがに私たちだけでは難しいわね。……こんなときマリサがいてくれたらと悔やむばかりよ……」

 シャーロットは奴隷たちや使用人たちを真っ先に逃がすことを成功していた。しかしウオルター総督のそばにいるといって逃げなかった幾人かの使用人たちや、午睡していたエリカとハリエットのことは予想外だった。後からシャーロットの後を追ったアーサーもそのことを気づかずにいたのである。

「海賊たちの自慢話を聞いている限り、総督やスチーブンソン夫人たちもまだ生きている。これは恐らくだが……海賊たちはエリカとスチーブンソン夫人を総督の客人としてみており、身分の高い人質としているのだろう。国王の代理人であるウオルター総督は対外の交渉に必要な人間だ。だから生かしておくはず。俺たちが奴らと戦うなら屋敷だけでなく港の海賊船団もすべて敵となり、それでは俺たちの力じゃ到底およばなくなってしまう。……ここは海軍の登場を待つしかないのか……」

 アーサーは漁師として働きながら海賊たちの動向を探っていた。屋敷から共に逃げた使用人たちも漁を教わりながら働いている。

 逃げた奴隷たちは海賊の目から逃れるように加工所の中で働いている。彼らはプランテーションのことを気にしていたが顔を出すわけにいかなかった。加工所の主人であるマイケルはそんな奴隷たちをかくまいながらいつも通りに働いていたのだ。


「ともかく私たちが下手に動くと後々面倒になるわ。今は何事もなかったかのように平然としていましょう。私はあきらめない……この島を海賊たちから取り戻すまでお嬢様のシャーロットはお預けよ」

 シャーロットの言葉が重く響く。父親や親族を人質に取られて一番心配をしているのはシャーロット自身だからだ。シャーロットはできるだけ住民の前で暗い顔をしないようにしていた。気を張って仲間たちを鼓舞していたのである。

「海へ出られるのは漁をする俺たちの強みだ。ここは俺に任せてくれないか……」

 海賊船の船長だったアーサーの血がここへきて活発に流れていく。


 


 一方、アーティガル号はそんな島の事件を知ることなくいつもよりも立ち寄り地を増やしては収益を増やすことに専念していた。このところグリンクロス島の近場ばかりの航海の為にあまり利益がでず、連中に不満の声が上がったからである。近場の航海を続けていたのは海賊に対する脅威からハリエットや総督を安心させようと気を使っていたわけだが、結果的に費用ばかりかさんでしまって酒さえ飲めなくなる方が重大問題だったのだ。

「商売するって簡単じゃないもんだな……。まだ海賊やっていたほうが簡単だったと思う。まあ、命を張っていたけどな」

 マリサがため息をつくと隣で収支の計算をしているモーガンが笑う。

「商売の基本は費用と利益のバランスだぜ。海賊は収支のバランスなんかありゃしない。もっとも、そんなことを考える海賊なんていないだろう」

 そう言って計算が終わるとマリサとオルソンへ収支の説明をしていく。


 相変わらず船長となることを拒み続けているリトル・ジョン、船のオーナーであるオルソン、もう一人のオーナーであり頭目でもあるマリサと主計長モーガンは今や会議室と化した船長室で経営の話を続けている。商船の維持と連中の雇用は海賊時代にはなかった問題だ。

「ではジャマイカで荷を降ろし、新たにグリンクロス島むけの荷を積む。それで今回の航海は終了だ。我慢したおかげで利益も出ている。これで安心してエリカちゃんに会えるぞ」

 モーガンにそう言われてマリサはほっとした。


 

 計画通りに最後の立ち寄り地であるジャマイカで船を投錨させると、いつものようにシフトドレスとスカート姿に着替えたマリサは、荷のことを連中に任せてオルソンやオルソンの息子であるルークとアイザックと共に港界隈の町を訪れてた。海軍駐屯地であり、多くの海軍の船や軍部相手の渡し船など様々な船が行き交っている港。こうした港へは各地から珍しいものが入ってくることがある。それを知っているオルソンは海賊時代から行きつけの小さな店へマリサと息子たちを案内する。


「やあ、ご主人。相変わらず元気そうだね。薬のせいか?」

 そう言って店へはいると、店のテーブルでうとうとしていた初老の男がびっくりして客人を見つめる。

「最後の一言は余計ですぜ、オルソンさん。こうして居眠りをするということは暇すぎてしょうがないからですよ……。戦争が終わるとこんな店まで暇になってしまう。どこか政変や内乱でも起こらないかねえ」

 店の主人がそう言ったとき、オルソンは慌てて彼の口をふさいだ。

「お前の方こそ、最後の一言は非常に問題だぞ。役人に知れたら縛り首ものだからな。今日はマリサと息子を連れてきた。大丈夫だ、この3人は貴族のたしなみを知っている。ちょっと一筋縄じゃいけない事象があってここへ来たわけだ。ご主人、何かいいものはないか」

 オルソンの言葉から何かを察した初老の男は店の奥へ行くと2つの小さな箱を持ってきた。そしてもったいぶるかのようにオルソンたちに箱を開けて見せる。そこには乾燥した植物の葉や種子が入っていた。また、もう1つの箱の中には赤っぽい岩石が入っていた。

「これは賢者の石といわれるものだね……。僕も一度しか見たことがないがスペインでこの鉱石が採取されると聞いたことがる」

 ルークの言葉に興味を示したマリサは思わずその石を手に取ろうとする。慌ててその手を止めるルーク。

「だめだ!これは有毒だ。素手で触るだなんて考えるな」

 社会勉強と称して新大陸で自由に遊学をしていたルークは広く知識を得ていた。そのことを父親であるオルソンは頼もしく思っている。

「水銀も似たようなもんだよ、兄さま。あれは薬だと信じられているが毒にしかならない。この僕がいい見本だ」

 そばでアイザックが言う。梅毒治療として水銀を陰茎に注入していたアイザックはそれをやめて限られた命を一生懸命に生きようとしている。彼は水銀が薬じゃないことをすでに悟っていた。

 オルソンはそんなアイザックの様子を見て肩をたたく。

「自分を卑下するな、アイザック。今のお前の生き方でいいのだぞ」

 ルークとマリサもアイザックの病気の進行を気にしている。アイザックの病気はいつしかアーティガル号の連中も知ることとなった。マリサはとても心配をしてハミルトン船医に何とか救う手はないかと詰め寄ったのだが、ハミルトン船医は首を横に振るだけだった。医者でも治せない梅毒に罹患しているアイザックをどう力づけていったらいいのかアーティガル号の連中は迷うことがある。しかし当のアイザックは周りに心配をされるのを嫌がった。どんなに心配をされようがどうしようもないのである。病気が進行し、やがて自分は狂気を発して死ぬだろう、それなら狂う前に死にたいと少なからず思っていた。



 彼らは目的にかなう毒物を買い求め、その後はマリサの希望でエリカへのお土産を探しに店を見て回る。

「まさかエリカにコーヒーや酒なんて飲ませられないからな……こうしてみると何がいいのか全くわからないもんだ」

 確かに子どもが喜ぶようなものはない。

「無事に帰ってエリカを抱く、それが一番の土産だよ」

 オルソンがそう言うとマリサも微笑んだ。それは海賊でなく母の顔だった。いろんな場面でマリサは母としての表情を見せている。これは海賊時代にはなかったことだ。

 ここへ来るのはフレッドと再会したあの時以来だ。貴賤結婚という言葉に心がつぶされ、何かを忘れるかのように娼婦を求めていたフレッド。そんな彼とマリサは対峙し互いに溜まっていた思いを解放した。以降のフレッドは再び船での勤務となり、グリーン副長(マリサの叔父、身分を隠して海軍で働いている。スパロウ号が奪われてからは副長職から下がり士官として働いている)と共に働くようになった。


 港を一望し、行き交う船を見つめるマリサ達。そこには一仕事終えた海軍の船アストレア号、グレートウイリアムが停泊をしていた。ジャマイカを拠点として複賊討伐にあたりながらスパロウ号奪還の機会を伺っているのだろう。そして海賊たちが吊るされる処刑台をみると、処刑されて間もない船乗りが吊るされていた。吊るされるのは海賊ばかりでなく、軍部で何かやらかした者や犯罪人も含まれる。しかし吊るされていたのは様相からみても海賊だと思われた。伸びた髭、ぼさぼさの髪、汚れた服などマリサたちには見慣れたものだ。マリサは彼らの姿に亡き育ての親であるデイヴィスやジャクソン船長の姿を重ねた。


(デイヴィス……父さんは海賊でなく犯罪人として処刑された。それもあたしの結婚を見届けての出頭だった。最後まで育ての父親として務めを果たしてくれた。ジャクソン船長も老いた海賊でありながらいつも”青ザメ”を見守ってくれた。けして2人の死を無駄にしてはいけない)


 戦後にウオルター総督から恩赦をもらい、罪を許された”青ザメ”。しかしジェニングスはそれを許さなかった。ジャコバイト派の手によエリカとハリエットがさらわれ、軟禁されてた。2人を助けるために再び海賊化し、無事に救出することができた。

 あとはどうのこうの言いながらエリカとハリエットを引き留めているウオルター総督を説得して2人をロンドンまで送り届けるだけである。これ以上2人を海賊の争いに巻き込みたくなかった。


「オルソン、どうやらあたしたちはまた何かに向かっているようだ……。海賊共和国はアーティガル号が商船で終わるのを許してくれない。また船の名づけに失敗をしたかもな」

 マリサが言うと名づけに立ち会ったオルソンは薄ら笑いをする。

「アーティガルとは女神アストレイアから教育を受けた最強の騎士の名だ。聖剣クリセイオーをもって敵軍をうち払っている。悪に怯まぬ勇気と正義の心を持つ徳のある騎士だ。その名をつけたからにはこのまま平穏無事に商船で終わるわけはないと思いたいがね」

 エドモンド・スペンサーがエリザベス女王にささげた長編叙事詩『妖精の女王』に登場するこの騎士の名前を船につけたのはマリサだ。マリサは海賊となるまでオルソンの屋敷で使用人の子として過ごし、オルソンの息子たちとともに教育を受けていた。乳母からアーサー王物語や戯曲を聞いたり、育ての母であるイライザからは毎夜聖書を読んでもらったりしたおかげで言葉の習得が早い子どもとして成長した。これは後にマリサがスペイン人の海賊集団である”光の船”に捕らわれた際、いち早くスペイン語を覚える力となっていた。状況は違っているが、マリサの子であるエリカも軟禁生活により大人ばかりの中で成長をしたため言語の習得や物覚えが早いのと似ている。

「その言葉だとあたしたちはまた海賊化しなきゃならなくなってしまうぞ。といっても正義の海賊なんて聞いたこともないけどな」

 マリサの言葉に笑う息子たち。


 そう、このまま無事に物事が終わると考えたかった。



 マリサたちが用件を済ませて船へ戻ろうとしたとき、背後から誰かが自分を呼び止める声がした。慌てて振り向くと見覚えのある顔があった。

「アーティガル号の姿を見かけたから部下にも協力してもらい君たちを探していた。ここでは詳しく話せないから海軍の事務所まできてくれ」

 その声はマリサの叔父でもあるグリーン副長(テイラー子爵・マリサの生みの母親の弟)だ。名前を隠して海軍で働いているが、これは同じ貴族であるオルソンによって”青ザメ“の連中は知ることとなった。

 久しぶりにグリーン副長と会えた喜びよりも何かしら胸騒ぎがしてマリサたちはそのまま海軍の事務所へ向かう。


 マリサたちは気が付いていなかったがアストレア号、グレートウイリアム号はある目的のために準備の最中だった。そして”光の船”との海戦で活躍をした戦列艦レッド・ブレスト(むねあかどり)号が同じくジャマイカへ向かっていたのである。


 こうしてマリサとオルソンの冗談めいた予感が的中していく。

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