第42話 海賊の狂気

 グリンクロス島を第2の海賊共和国とするためにスパロウ号が襲撃したころ、抵抗勢力とされた海賊たちは我が物顔でカリブ海から大西洋全般を荒らしていた。

 それは社会への挑戦でもあったのかもしれない。とはいえ、彼らの全てが海賊の時代がいつまでも続くとは思っていなかった。薄々、時代の流れが変わっていることを感じながらも船長の言うなりに働く海賊もいたわけである。船を降りる(海賊をやめる)とはそれだけ覚悟を必要とすることだった。

 

 バハマの植民地総督並びに遠征隊の司令官を拝命して4月22日にロンドンのテムズ川を出帆したウッズ・ロジャーズとその一行はまだ航海の途中であり、ニュープロビデンス島ナッソーへ到着するまで空白の時間が生じている。本来なら先遣隊のピアースがそれまでナッソーを統括し、ウッズ・ロジャーズを総督として迎えるはずだったが、ピアースは抵抗勢力に恐れをなして逃げている。

 海賊共和国ナッソーは恩赦を受け入れるものと抵抗勢力とに分断された構成となっていた。もちろん、これはウッズ・ロジャーズの目論見もくろみでもあったのだ。

 巨大勢力と化したゲリラ集団を少ない戦力でつぶすには内部から崩壊させるのが良い。このことにマリサ達も気づいていたが、ジェニングスの策略にはまり海賊集団へ加わったときには静観をしていた。そしてそれは”青ザメ”時代、自分たちは先駆けて恩赦を受け入れた海賊であったといことが影響していた。時代遅れの海賊(buccaneer)だった彼らはいつしか時代を読み、社会情勢を睨みながら行動する集団として変わっていったのである。

 

 

 巨頭だったジェニングスが恩赦を受け入れて投降しナッソーを去っていった後もホーニゴールドはニュープロビデンス島ナッソーを少しでも良くしたいと思い、島に残ってピアースに進言をし、その後も自治のために尽力していた。しかし先遣隊のピアースは逃げてしまった。もうナッソーの港には海軍の船はいない。

 このことにホーニゴールドはひどく気落ちし、自分の無力を悟る。そして表立った行動を避けるようになった。

 

 ナッソーの2大巨頭はここに崩れたのである。

 

「良い子になったジェニングスの旦那とホーニゴールドはもう過去の人物だ。これからは海賊共和国を俺が仕切る。そうさ、この俺がナッソーの総督だ。海賊は略奪してなんぼのもんだ……戦わねえ臆病者はおうちでママに子守歌でも歌ってもらいな。おめえら、一緒に本当の海賊の姿を見せつけてやろうぜ」

 ラーク号からレンジャー号へ名を変えた船上でヴェインが仲間を鼓舞する。もはや怖いものなしだった。力と残虐性を備え各地で略奪行為を繰り返していくヴェイン。海賊共和国ナッソーはヴェインの支配下となった。


 しかし同じ抵抗勢力の海賊であるエドワード・ティーチと大きく違っていることがひとつだけあった。それは交渉力である。

 良家の出身であるエドワード・ティーチは文字を読み書きできただけでなく知識もあったので、あらゆる社会・集団・個人と交渉することができたのだが、ヴェインは文字を読み書きできず知識もなかった。それは教育が末端まで及ばなかった当時では珍しくないことであり仕方のないことだった。貧しき人々は教育よりも食べること、金を稼ぐことが先決だったからである。(マリサの後見人であるオルソンが使用人の子として屋敷へ来たマリサに教育をしていったのも、文字の読み書きがあれば生きていく力となることを知っており、その先にマリサを高級娼婦として貴族や王族に差し出すことで自分の地位を高めようとの企みもあった)

 読み書きできないゆえの交渉力のなさは後にヴェインの失策を招くこととなる。


 ヴェインの支配によって以前よりも基盤が脆弱ぜいじゃくとなった海賊共和国。それはホーニゴールドが『海岸の兄弟の誓い』の下で、自由かつ平等な海賊たちの自治を行ったものとは違っていた。国の役人と対等に交渉をし、自分の知識を役立たせようとしたホーニゴールドと違い、ヴェインは王様気取りだった。ホーニゴールド派とジェニングス派が一触即発しかけたときにホーニゴールドが機転を利かせて抗争を避けたようなあの機転をヴェインはもちあわせていなかった。(18話 海賊黄金時代の始まり)


 

 ここへ略奪行為を終えてある海賊が帰還する。マリアンヌ号を操るポールスグレイブ・ウイリアムズとその仲間である。

 ウイリアムズは盟友ベラミーを嵐による難破で失い、自分たちの海賊集団で略奪行為を行っていた。(25話 ベラミーの終焉)人が変わったように残虐な行動をとることがあり、それは紳士的な海賊として名を知られていたベラミーの最期を認めたくないかのようだった。

 

 久しぶりにナッソーの港へ降り立ちあたりを見回す。

(なんだ?……様子がおかしい……)

 そう思いつつ行き交う海賊たちの表情を見る。そう、それはいつもの刹那的な海賊たちだ。しかし何か違う。ホーニゴールドやジェニングスがいたあの頃と何か違う気がしたのだ。


「よう、ウイリアムズ、いくら稼いだんだ?凱旋ってところかい?」

 飲み屋の前である海賊が声をかける。

「まあな。稼いだといってもだんだんしけた稼ぎだ。カリブ海は海賊対策に動く海軍がいるし海賊対策をしている商船もいる。……やりづらくなったよ。手っ取り早く港を襲撃するかな」

 そう言って再び自分の船マリアンヌ号を眺める。この船であらゆる船を襲撃した。ベラミーと共に海賊行為をしていたころは考えや気持ちを共有し連携して略奪行為をしたものだ。ベラミーはとてもいい相棒だった。しかしそのベラミーは昨年(1717年)4月に嵐による難破で死んでいる。

 

(あれからもう1年たったのか……。ベラミー、やっぱりお前がいないと物足りないぜ。海の怨霊デイヴィージョーンズロッカーでもなんでもいいから顔を見せてくれ……)


 マリアンヌ号と共に活躍したウイダー号。そのベラミーの船は北アメリカのコッド岬沖に沈んでおり姿を見ることは叶わない。マリアンヌ号にウイダー号の姿を重ねながらウイリアムズは飲み屋へ入る。


「おう、ウイリアムズ。久しぶりだな。1杯どうだ?」

 店へ入るなりまた別の海賊があふれんばかりにビールが注がれたコップをもって現れる。

「ありがとうよ。ここは相変わらずだな」

 ウイリアムズはそう言って店の一角に席をとると一気にビールを飲みほした。

「いい飲みっぷりじゃあねえか。まあ気楽にやってくれ。今ナッソーに小うるさい海軍の人間はいねえからな。知っているだろう?ピアースはフェニックス号に乗って逃げちまったんだよ。このナッソーからな」

 そう言ってその男と店にいた他の客たちは大笑いをした。どうもピアース逃亡は飲みのネタとなっているようだ。

「ああ、噂はきいている。じゃあ、ナッソーを掌握しているのは海軍じゃないんだな。誰が掌握している?」

 そう聞いたウイリアムズだが何となく予想はついていた。ジェニングス、ホーニゴールドが去り、エドワード・ティーチ、バージェスの他に巨頭として海賊の頂点に立ちたいと思う男は奴しかいない。


「ヴェインだよ……。奴はもう天下を取ったような気分でいるぜ。俺たちの総督だとよ……。笑わせるぜ……」

 そう言って海賊は吐き捨てるように言う。

「それはみんなの総意なのか。民主的に物事を決めるんじゃないのか」

 ウイリアムズの予想が当たっていた。

「いいや、そんな選挙はしてねえよ。奴は誰もが恐れる海賊になりやがった。ジェニングスよりも冷酷な海賊だ。総督って自分が言っているだけさ。総督というより王様みたく思ってんじゃないのか。ナッソーはホーニゴールドがまとめ上げた海賊の自治による共和国だ。だから独裁じゃいけねえんだよ。ヴェインはそれをわかっちゃいねえ」

 海賊はビールをもう1杯飲むと大きくため息をつく。

「……ウイリアムズ、俺は恩赦を受け入れるよ。だから今は略奪をしていない。やがて正式な総督としてウッズ・ロジャーズがここへ来るからな。……俺も時代の流れにのるよ……」

 寂しげな彼の姿を残し、ウイリアムズは店を出る。


 行き交う人々の噂はヴェインの行為を良しとする者、歓迎しない者とに分かれている。ウイリアムズが感じた違和感はこれだった。

 

(ここはもう俺が来る場所じゃない。……せいぜい稼いでくれ、ヴェイン。俺は南大西洋を目指す)


 そうつぶやくとウイリアムズは仲間に出帆準備を急がせ、早々にナッソーを後にした。その後彼は再びナッソーを訪れることをせず、マダガスカル方面で活躍していく。

 

 

 一方、ホーニゴールドの愛弟子エドワード・ティーチは恩赦を受け入れず、旗艦船アン女王の復讐号を操りカリブ海から北アメリカへとその行動範囲を広げていた。

 これまで冷静沈着だった彼は梅毒の進行により性格がゆがみつつあり、時折異常な行動を見せるようになった。ぎょろりとした目は異様に相手を捉え、まるで死霊のように見るものを震え上がらせた。そして長く伸びて編まれた髭には小さなリボンが施された。それだけでなく導火線を編みこんでいることもあった。予想がつかない人物像の仕上がりは海賊の恐ろしさを一般人に知らしめることとなる。

 

 人々はエドワード・ティーチを”黒ひげ”と呼ぶようになった。



 北アメリカ・バージニア州スポッツウッド総督は”黒ひげ”の襲撃にどう対処したらよいか思いあぐねていた。港を襲撃されたらひとたまりもない。すでに何隻もの船が被害を受けていた。戦争が終わった今、敵はスペインやフランスでなく海賊なのだ。

「これ以上奴らの好き放題させるわけにいかぬ。いったいいつまで海賊の蛮行が続くのだ……」

 貴族の出身であるスポッツウッド総督の下へ海賊による植民地襲撃や商戦の略奪など海賊行為による被害のニュースが届けられる。交易により住民の生活の向上と植民地を豊かにしていくはずなのに、それが崩れてしまっている。


(海軍の協力が必要だ……植民地経営を圧迫させないためにも何とか手を打たねばならん……。国王直轄植民地を海賊の手に渡してはならぬのだ……)

 

 そうしている間にも港界隈では海賊による略奪の情報が飛び交かう。こうした情報は港を出入りする船の船乗りたちの方がよく知っている。しかし彼らも海賊に会わなかったから無事に港へ入っているのであり、もし海賊の略奪が近海で起きるようなことがあれば港が封鎖され交易は中止されるだろう。

 スポッツウッド総督の肩には国王直轄植民地の保守という責任が重たくのしかかっている。

 いかにして”黒ひげ”エドワード・ティーチを捕らえ、植民地周辺の海域の安全を保つか。今はそのことだけで頭がいっぱいだった。


 

 アメリカ植民地を震撼させた”黒ひげ”エドワード・ティーチ。だが、植民地の中にはスポッツ・ウッド総督と真逆の対応をする者がいた。

 領主直轄植民地のひとつ、カロライナ植民地のチャールズ・イーデン総督である。

 領主直轄植民地とは投資家がお金を出し合って作られた植民地である。いわば私営だ。国王直轄植民地が国の管理下にあり、あれこれ報告をする義務があったのに対し、領主直轄植民地は利益重視であり、法令や秩序の順守がゆるかった。その総督であるイーデン総督も当然のように利益を重視した施策をとっていた。


 ”黒ひげ”エドワード・ティーチはイーデン総督のこの方針に目をつけ、ある取引をもちかける。

「イーデン総督閣下、私はこれまでアメリカ植民地近海を荒らしまくりました。私の名はナッソー以上に知れ渡りどこでも私を恐れているでしょう。こうして今私が総督閣下の前に立っているようにあなた方の隙をついて上陸することはいとも簡単なことなのです」

 そう言ってきれいに編まれた黒いひげの下から歯を見せる。そして務めて威厳と敬意をもって話し続けた。

「私と取引をしようじゃありませんか。私たちはあなたの下で恩赦をうけたいと願っています。もしあなたが恩赦をくださるのなら私たちはこの植民地の安全を保証し、利益をもたらすことを約束しましょう。信用が必要であるなら……手付として私の船に乗っている黒人奴隷を提供します」

 なんとエドワード・ティーチは仲間である黒人奴隷の乗員を何名か手付金として差し出すというのである。

 自由社会である海賊船には身分や宗教、人種に関係なく集まっていることがある。それは“青ザメ”時代のマリサたちも同じことだ。現にアーティガル号にも東洋人のオオヤマや逃亡奴隷だったラビット(のちにウオルターが買い上げた形となっている)がいる。その奴隷出身でありながら同じ海賊として戦ってきたエドワード・ティーチの仲間をイーデン総督に贈呈するというこの申し出を計算深いイーデン総督は断る理由がなかった。


「私は付き合い上手な男だ。君たちとの付き合い方を心得ている。我々の植民地の安全と利益のために君たちとの取引に応じよう。仲間の奴隷たちも肉付きが良くて力がありそうだ。有難くいただくとするよ」

 奴隷を手付金として差し出すと聞いてイーデン総督は機嫌がいい。総督裁量の恩赦の権限は領主直轄植民地でも同じであり、自分にもその権限があった。エドワード・ティーチとその仲間の赦免状を書いて投降させるだけで植民地の安全と利益がもたらされるのだ。とてもおいしい話である。

「なかなか話のわかる総督とお見受けしました。では今後ともよろしくお願いいたします」

 そう言って長く編まれたひげをなでると満足そうに頷くエドワード・ティーチ。


 エドワード・ティーチは自分の取引が間違いないと思っている。簡単に恩赦を受けるには法と秩序の緩い領主直轄植民地が一番だ。ここなら簡単に赦免状を手に入れることができる。


(海賊共和国は永遠じゃない……。法と秩序が保たれた国ならいざしらず、ナッソーは海賊たちの自由な意思と掟による自治だ。だがそれもいつまでも続かない。やがて海賊共和国ナッソーは終わりを見せる。そう遠くない未来だ)


 梅毒のせいで考えが集中できないこともたびたびあり、そうかと思えば狂気ともとれる行動をしてしまうことがある。怖さもどこかへ吹き飛んだ。植民地には医者がおり、梅毒治療のため陰茎に注入する水銀も手に入れることができる。もちろん医者がいることや陰茎への水銀注射は気休めに過ぎない。医者でも治せない病気、それが梅毒だからだ。梅毒に罹患した者は生きながらにして地獄へ落された気持ちになる。中には殺してくれと懇願する者や自ら命を絶つ者もいる。病気の進行によってやがて自分を見失い苦しむのなら死んだほうがましだと思えてしまうのだ。

 海賊として戦って生き延びてもいつかは梅毒により死ぬだろう。海賊共和国が永遠でないように自分の命も限りがある。生きたいという思いとどうせ死ぬなら好きなように生きたいという思いが交差する。これがエドワード・ティーチの狂気を引き起こしていた。



 数日後、彼はイーデン総督への贈り物である奴隷出身の仲間たちにいつもよりたくさん酒とパン、肉を提供する。彼らは何も知らされておらず、喜んで食べた。彼らが食べ終わったころ、エドワード・ティーチはあっさりとこう告げた。

「喜べ。もうお前たちは嵐の恐怖と銃や砲撃による死の恐怖から逃れられる。船酔いの心配もなくなり毎日同じ星空を眺めて眠ることができるんだ。今からお前たちはイーデン総督閣下に仕える奴隷だ。せいぜいかわいがってもらいなよ」

 その言葉とともに総督側から迎えがやってくる。もちろん人間としてではなく商品としてだ。

「裏切ったのか、船長!俺たちは何も悪いことをしてねえぞ!」

 激しくエドワード・ティーチをののしる声が響く。

 たちまちによって拘束・連行されていく奴隷出身の仲間たち。その目は恨みとも諦めともつかぬ目つきだった。


(悪いことをしてねえ?何を言っている……俺たちは悪党だ……泣く子も黙る海賊だぜ……)

 エドワード・ティーチはそう言ってほくそんだ。


 エドワード・ティーチとほかの仲間たちはこの後、イーデン総督の下に投降をし、赦免状を手に入れることができた。これで海賊行為の罪を許されたのである。

 

 エドワード・ティーチの船アン女王の復讐号にはまだ奴隷出身の仲間が残っていた。エドワードが最も信頼するアフリカのとある部族の王子ブラック・シーザーである。部族間の争いに負けた部族は勝った部族から奴隷商人の仲買を経て奴隷船へ運ばれる。ブラック・シーザーもそのひとりだったが、エドワード・ティーチに奴隷船が襲われた際に海賊化した。彼はとても有能で頭もよく、操舵をすぐに覚えて的確に船を動かしていた。そのため彼はイーデン総督に差し出されることはなかったのだ。何よりエドワード・ティーチは彼を奴隷と考えていなかった。ブラック・シーザーは奴隷として連行された仲間をみて静観するしかなかった。エドワード・ティーチの信頼を裏切れば明日は我が身である。


 そうしてブラック・シーザーの迷いはエドワード・ティーチの狂気にのまれていった。

 

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