第40話 スパロウ号の襲撃

 アーティガル号が航海へ出てまもなくのことである。グリンクロス島の港へあのノアズアーク号が入港する。

「エズラ船長、なんでグリンクロス島向きの荷を受けたんですか?本国向けなら運搬費用をたくさんもらうことができただろうに……俺たちにうまい酒でもふるまおうってことですかね。それなら喜んでいただきますぜ」

 仲間たちの声にこだわって小綺麗に服装を整えたエズラ船長が笑みを浮かべる。

 彼らは海賊だったが、国王の恩赦の布告をうけ、マリサがジャマイカへ行く際に共に行動をしジャマイカ総督へ投降した。今は船の艤装を解き、真面目に商船として働いている。投降した後、船の仲間が無職になってしまうと生活苦から再び海賊化しかねなかったため、そのままジャマイカ総督の口利きで商船としての仕事をもらって仲間を養っていたのである。

「船長の俺をいじめるなよ。海賊じゃなくなった俺は商売のことや海賊の襲撃の恐怖で緊張の連続なんだ。あまり高い酒をねだるなよ。ここはアーティガル号も商船として入ってくる。ひょっとしたら会うことができるかと思ってな……」

 エズラは内心マリサ達に会えるのを期待していた。彼らの拠点となっているグリンクロス島へ行けば情報もつかめるだろうと思った。ノアズアーク号が海賊船として働いた期間はスペイン継承戦争末期から投降したついこの前までだ。私掠船として活動をしていた彼らもまた、平和になったことで私掠船として活動できなくなった。その結果が海賊化だった。他の私掠中仲間と同様に戦争に振り回され、国のいいように使われていたのである。


 ノアズアーク号が港へ入ると早速ジャマイカからの荷を降ろされていく。特にジャマイカ産のコーヒーは重宝される。グリンクロス島にはコーヒーのプランテーションがなく、ほぼ輸入に頼られていた。紅茶も同様で、遠く東インドから運ばれてくるためとても高価な飲み物だった。庶民が紅茶を口にすることは余程のことがないと機会がなく、コーヒーの方が良く飲まれていた。本国同様にコーヒーハウスがグリンクロス島にも存在し、社交場となっていた。紅茶の運送時間という輸送コストを抑え、広く庶民へいきわたるようになるには、後にティー・クリッパー船(高速帆船)が現れるのを待たねばならなかったのである。

 

「無事で荷を運ぶことができたことを神に感謝するよ」

 エズラは荷受けの商人にこのように言うと代金をもらう。一獲千金で長く暮らしてきたエズラとその仲間は、お金を稼ぐことがこんなにも難しいとは思ってもみなかった。

「国王の恩赦の布告によって海賊の時代は終わっていくんだ。あんたたちは時代を読んだことで生き残りを図ることができるんだよ。次の荷を待っているからな、せいぜい真面目にやってくれ」

 荷受け商人は笑い、一軒の店を紹介した。

「船長は乗員の統率が第一だ。乗員を大切にしない船長は反乱を起こされる。1杯のビールでもおごってやれ」

「ああ、ありがとうよ。仲間たちも酒を飲むことを楽しみにしている」

 エズラはそう言って仕事が終わった仲間を引き連れて店へはいっていく。さすがに全ての飲食をおごるということはできないので、最初の2杯だけおごるという約束だった。それでもそんなエズラの気持ちを理解した仲間たちは有難く飲んでいく。


 まったくもって平和な時間だと思われた。グリンクロス島は気候の関係で湿度は高くなく、気温が高くても蒸し暑さは感じられなかった。その過ごしやすさが島を訪れるものにとって癒しと感じるのだろう。


 そうしてエズラたちがほろ酔い加減になっていた時のことである。


 何やら外が騒がしくなった。

「海賊船だ!しかもフリゲート艦だぞ!女と子どもは隠れろ!」

 たちまちキャーキャー言う女たちの悲鳴と逃げ惑う人々の声が響き渡る。

「すまんが店を閉じさせてくれ。あんたたちも早く逃げることだ」

 店の主人はそう言ってエズラたちを追い出すと固く店に鍵をかけた。


「フリゲート艦の海賊ってまさかスパロウ号じゃ?」

 仲間のひとりが心配して言う。

「どうやらそうらしい。俺たちも身を守らねえといけねえぞ」

 エズラは持っていた望遠鏡を取り出し、港へ向かっている船を確認する。船はフリゲート艦とスクーナー船2隻だった。おそらくスクーナー船は途中で海賊化となったのだろう。まだ中途半端な艤装である。スパロウ号が襲撃するにあたり、急遽仲間を増やしたと思われた。


「スパロウ号だ……港を襲撃するのになんて仰々しいんだ」

 エズラは仲間と共にノアズアーク号へ向かう。艤装を解いたとはいえ、自分たちが襲われるかもしれないというリスクさえあった。


(特別艤装許可書をもつアーティガル号がうらやましいぜ)


 そうつぶやきながら急いで桟橋を駆け上がった。自分たちができることは逃げることだけである。


「急げ!とにかく急げ!狙われたくなかったら急げ!」

 エズラは緊張で汗だくになっている。こんな緊張は海賊時代にはなかったからである。


 ノアズアーク号の帆は海賊の出現に慌てた仲間たちによって急速に錨が巻き上げられ展帆された。スパロウ号に狙われたら木っ端みじんである。とにかく一刻も早く逃げるしかなかった。


 

 このノアズアーク号の動きを見たスパロウ号の海賊は大笑いである。

「なんて無様ぶざまなんだ!海賊を抜けたとたん、あんな腰抜けになってしまいやがった。レイモンド船長、一発ぶちかましてやろうぜ」

 海賊のひとりがレイモンドに提案する。海賊たちはレイモンドの弱気に気付いていない。むしろ海軍経験があるということでレイモンドに頼もしさを覚えていたほどだ。

「ああ、沈めない程度に驚かしの一発を送ってやれ。ただし俺たちの目的はあの船じゃない、グリンクロス島の制圧だ」

 緊張を隠しながらレイモンドは仲間へ砲撃を命じる。


 ズドーン!


 仲間の笑い声と共にスパロウ号からノアズアーク号へ向け、一発だけ砲撃される。砲弾はメインマストのトップセイルに被弾し、衝撃で船が揺れる。その揺れにより展帆のためヤードへ登っていた乗員の幾人かが落下し海上へ沈んでしまい、ノアズアーク号の乗員たちは急いで彼らをロープで引き揚げ、島を離れていく。1発だけの砲撃であったが、ノアズアーク号の連中を恐怖に陥れるには十分だった。

 

 スパロウ号のレイモンド船長はそれ以上ノアズアーク号に手を出すことをさせなかった。いまここでノアズアーク号を沈めてしまえばスパロウ号の海賊たちが興奮し収支の付かなくなる恐れがあったからである。スパロウ号の海賊たちは略奪と島の制圧という野望で目的を同じにしている。そこには規範があるわけでなく、何かのきっかけで崩れてしまう可能性もあった。海軍経験のあるレイモンドはそれを危惧し、余計な興奮を避けたいと考えていた。


 

 恐怖におびえながらも外海へ逃げ延びるノアズアーク号。

 そのノアズアーク号の乗員たちはスパロウ号の姿が視界から離れたことでようやく落ち着きを取り戻す。

「みんな無事か?船の損傷が他にないか調べろ」

 仲間に指示をし、再び望遠鏡でスパロウ号がおってこないか確認をするエズラ。

「ナッソーを失った奴らはグリンクロス島を襲撃し、海賊の拠点とする気だろう。海軍はこのことを掴んでいるのか?アーティガル号もグリンクロス島を拠点としている……まずいな……海軍、いや近隣を行き交う船にも情報を入れておいた方がいいぞ」

 エズラは乗員たちにジャマイカへ針路をとることを指示する。近隣の船舶に情報を入れながら海軍駐屯地があるジャマイカへ再び赴くのだ。


「船長、奴らがそのままグリンクロス島に居座るということはウオルター総督を人質にとるということですか」

 乗員たちも事の展開に困惑している。

「人質というより利用するだろう……。殺すよりも利用した方がメリットは大きいからな」

 エズラの言う通り、国王の代理となる総督は海賊にとってうまみのある人物である。自分たちの野望を達成するにはなんでもするだろう。


 海賊の野望は着々と進んでいる。それは再び海賊共和国を興そうとする夢みたいなものだ。社会の動きから時代を読むことができない彼らには野望の達成だけが目の前にぶら下がっており、それを掴むしかなかったのである。



 

 アーティガル号が航海のため不在となりノアズアーク号もグリンクロス島から逃げだしたグリンクロス島。その港から少し離れてスパロウ号が停泊している。レイモンドはスパロウ号をここへ停泊させて動く要塞代わりとした。それはニュープロビデンス島ナッソーでホーニゴールドが行っていたやり方を真似ていた。このように何かを、誰かを真似ることで自分自身を鼓舞するしかなかった。

 

 艤装したスクーナー船2隻が港へ入り、多くの海賊たちが先陣として上陸する。

 通りでは人々がキャーキャーと逃げ、あらゆる建物へ隠れていく。住民たちは窓やドアを閉じ、じっと息をひそめて海賊の動向をみていた。

 海賊たちはあたりかまわず銃音を響かせ隠れている住民たちを恐怖に陥れていく。


 マリサの双子の姉、シャーロットがよく来る魚の加工場でも働いていた人々が建物の奥に身を潜めていた。

「マイケル、あんたこのまま海賊たちに好き放題をさせる気かい?シャーロットお嬢様と一緒に島を守ったことを忘れやしないだろうね。このまま黙っているなんてあたしゃ許さないよ」

 加工場と仕切っている店主のマイケルは、過去にグリンクロス島が襲撃されたとき、シャーロットと共に海賊に立ち向かっている。この時の仲間は今も港界隈にいるし、この加工場にもいる。マイケルの妻はそれを知っており、身を潜めたままのマイケルをけしかけたのである。

「お前に尻を叩かれるほど俺は落ちぶれてないぞ。見てな……行動する機会は必ず来る。シャーロットお嬢様もそれを伺っているだろう。なんの情報もないのに闇雲に動くのは命知らずのやることだ。俺はまだ生きたいよ。お前のためにな」

 そう言ってマイケルは妻にキスをした。

「無理するんじゃないよ、あんた」

 妻はマイケルを抱きしめると彼の男らしさに惚れ直す。


 加工場にいる人々もシャーロットが登場するのを待っている。彼らにとってシャーロットは港の女神そのものだった。


 

 海賊の襲来と港の異変は小高い丘に建てられていた総督の屋敷からも確認される。

 ノアズアーク号に向けて撃たれた一発の砲撃音に総督や使用人たちは何事かと屋敷の外へ出た。

「海賊たちが上陸しているようです!港を占拠するつもりなのでしょう。私と役人とで身はお守りしますからここを離れましょう」

 元海賊で今は警護として雇われているアーサーが他の役人たちと共に総督のもとへやってきた。上陸した海賊がどれくらいいるのか掴むことはできないが、どう考えてもアーサーと役人だけでは太刀打ちできない数だろう。

 抑止力として頼るべき海軍の船も不定期の寄港なので今は不在である。


「港沖にある船は海軍の船じゃないのか。フリゲート艦だぞ」

 総督は望遠鏡を取り出すと停泊している船を確認する。


 それは確かにフリゲート艦だった。およそ300人規模の乗員を乗せる船である。しかし海軍旗は揚げられておらず、代わりにメインマストには誰もが見ただけで恐怖にかられるあの旗がはためいていた。

「海賊旗だ……海軍の船じゃなく海賊船なのか。あの船で港を襲われたら大変だ。住民の命も危ぶまれるだろう。アーサー、確認してみてくれ」

 総督の話を聞き、アーサーは望遠鏡を借りて自分の目で確かめる。確認できたのは確かにフリゲート5等艦だ。

「おっしゃるように元は海軍の船ですね。ナッソーの海賊の巨頭のひとりだったジェニングス一派が鹵獲ろかくしたスパロウ号です。置き去りの島へ流された生き残りの乗員たちはすでに奪還のために動いているはずです。この状況をどうにかして知らせたいのですが、まずは総督閣下の身の安全が第一です。そしてシャーロットお嬢様もここを離れていただかねばなりません」

 アーサーがそう言っても港を占拠されたら動きが取れないだろう。

 ウオルターは首を振る。

「いや、私はここへ残る。ここで逃げたら国王陛下の島を放棄したことになる。私は逃げずに海賊と対峙するつもりだ」

 ウオルターのこの発言はアーサーや役人たちを驚かせた。

「海賊は総督閣下に刃を向けるかもしれませんよ、お考え直しください!裏手からお嬢様と共にお逃げください。海賊たちは我々がひきつけます」

 アーサーが説得するがウオルターは動こうとしない。アーサーと役人がその後も説得を試みるもウオルターの意思は変わらなかった。

 

 そこへシャーロットが駆け込んでくる。

「お父さま、またもや海賊の襲来よ。ここへ向かっているわ。いよいよ私の出番ね……アーサー、見ていて頂戴。まずは奴隷たちを避難させないといけないわね」

 シャーロットはいつ準備したのかピストルやカットラスをもって構えている。これにはウオルターも驚き、目を丸くした。

「何をやっているんだシャーロット、遊びじゃないぞ。マリサのまねごとをしても返り討ちに会うだけだ。無理だ、簡単に物事を考えるな」

 ウオルター自身も逃げないで屋敷にとどまるといってアーサーたちを困らせているのだが、シャーロットも海賊を恐れないで立ち向かう気満々で困らせている。


 そうこうしているうちに遠くから海賊の雄たけびにも似た声が聞こえだした。

「アーサー、お父さまをお願い。私はプランテーションの奴隷たちを避難させるわ。ほかにも武器を扱える男の使用人もつれていくから大丈夫。また後でね」

 そう言って笑顔のシャーロットは男の使用人たちを引き連れてプランテーションへ向かった。


「アーサー、君は娘に何を教え込んだ?私は警護を頼んだはずだぞ!」

 ウオルターの顔が険しい。無理もない。大切な娘が剣と銃を持って海賊から奴隷たちを守るというのだ。

「謝罪は後程たくさん致します。それよりも海賊がこの屋敷へ来たらどのようになさるおつもりですか。役人たちも彼らを討伐できる状況にないのです。ここへ残るとおっしゃるなら私はどう動けばよいのか指示をください」

 アーサーはシャーロットに頼まれて剣の手ほどきと銃の扱いを教えていた。それは飾りのような受け身のお嬢様ではなく、自ら行動できる能動的なお嬢様でありたいというシャーロットの願いを聞いたからである。シャーロットがマリサの生き方に強く憧れていたのは言うまでもない。

 ウオルターは深く考え込んだ。そしてアーサーに指示を出す。

「アーサー、海賊は私に危害を加えず利用する気だろう。だから君はシャーロットの後を追いかけてくれ。シャーロットが何か考えているのなら助けてやってくれ」

 ウオルターの言葉にアーサーは彼の決意を感じる。そして黙って頷くとプランテーションの方へ向かった。


「アーサー、君は警護という職よりも船に乗るべき男だ。私はもう君を束縛するつもりはない。何を優先させるか考えて行動したまえ」

 ウオルターはそうつぶやくと執務室の椅子に腰かけ、海賊たちが来るのを待った。

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