第36話 葛藤
憔悴しきっていたフレッドは何とか自分を取り戻し、本来の任務に就くこととなった。奪われたスパロウ号を奪還するという大きな任務がある彼らは情報を集め周到に準備をするだろう。国王の恩赦の布告に合わせて恩赦を受け入れる者、受け入れない者とに分断され、海賊たちの戦力の落ちるときが狙い目だ。数々の戦争を勝ち進んできた規律ある海軍と略奪でまとまっているように見える海賊では強さが違うのである。
ジャマイカでノアズアーク号とわかれたアーティガル号はエリカとハリエットを国へ送るため、グリンクロス島に立ち寄る。そのまま本国向けの荷を積んで航海する段取りだ。
いつも仏頂面のマリサだが、ジャマイカを出て以来それが緩んでいる。これは今までになかったことであり、連中は何かが起きるのではと警戒をしていた。フレッドとマリサの間に起きたことを知らないからだ。それは一方的に流血事件を予告し、ハミルトン船医と共に身構えたハーヴェーの言動が起因していた。
「お、おい……マリサがカモメに向かってほほ笑んでいるぞ……
「グリンフィルズの話では過去最短でジャガイモの皮むきをしたらしい。刃物を持たせて大丈夫なのか」
「夜な夜な船倉で猫と一緒にネズミをとっていたという話もあるぞ」
というようにマリサの変化について連中はうわさ話を作っては広めて娯楽としている者もいる。航海中はとかく同じ風景の連続なのでこうした娯楽も必要なのだが、根拠のないうわさ話は迷惑なことである。
「お前たち、本当はマリサの表情がいいことを喜んでいるんだろう?ならば静かに今まで通り生活をすることだ」
リトル・ジョンが見かねて連中に忠告をする。
「お父さま、マリサに何が起きたというんです?確かに以前に比べて厳しい顔の回数が減っていますが」
マリサと航海をして誰よりも日が浅いルークもその変化に気付いている。
「フレッドと会う目的を達成し、成果を上げたということだ。本当は連中はそのことに気付いているんだが、ああやって噂話をして喜んでいるのかもしれないな」
そういうオルソンもマリサとフレッドの間にあったわだかまりがなくなったことを喜んでいる。マリサがさらわれて屋敷へきたときから後見人としてマリサの成長にかかわっており、マリサの生い立ちを理解して屋敷を出ても生きていけるように文字の読み書きや貴族のたしなみなど教育をしてきた。根幹にはマリサを貴族や王侯相手の高級娼婦として差し出すことで自分の立場を良くしたいという企みもあったが、それはマリサが海賊となったことで消え去った。
「僕たちはこのあとグリンクロス島でマリサの家族とアイザックを乗せ、国へ帰るだけなんだろうか。せっかくマリサに会えたからもう少し冒険をしたいんだが、それは無理な話なのか。僕が主人公ならこの先に事件があって活躍したいと思うんだ」
ルークは密航して自分より長くアーティガル号に乗船していたアイザックが羨ましくてならない。
「少なくともこの船に乗っているなら冒険は海賊稼業以外だ。冒険というならウオルター総督が与えた特別艤装許可証と海軍への協力命令に基づくものでなければならない。遊びや略奪であってはならないのだ」
オルソンはそう言ってルークをいさめる。
「わかりましたよ……お父さまはいつもアーネスト兄さまとアイザックのことばかり気にかけている。僕の気持ちなんてちっともわかっていないんだ」
ルークはあきらめ顔で船内へ入る。
(アイザックの様に酒と女に浸ればよかったのか?でも僕はそんな生き方を望んじゃいない。どこにこの気持ちをぶつければいいんだ……)
半ばいら立ったまま、大砲を磨いていく。少なくともそうすることで気持ちを落ち着かせるほかなかった。
アーティガル号は海賊が出没しやすいカリブ海周辺を避け、北寄りの針路をとり迂回する形でグリンクロス島へ到着する。ここでも港
船が港へ到着するなりマリサとオルソン、ルーク、ハミルトン船医は総督のもとへ急いだ。他の連中は荷降ろしが待っており酒を飲む暇もなかった。
「アイザック、少し顔色がよくなったな」
ハミルトン船医はさっそくアイザックの傷の治癒状態を確認し、もう心配ないことをその場にいるオルソンとルークに伝える。ただしそれは傷についてであり、あの病気のことではない。医者といえば何でも治せると思われているが実際は治せない病気がまだまだある。なぜそのような病気を引き起こすのか原因や治療法・薬もわからずもどかしさが残ってばかりだ。アイザックの梅毒にしても女遊びが原因だろうといえるが、ではなぜ女遊びが過ぎるとそうなるのかわからない。罹患した患者にとっても水銀の蒸気にあたったり水銀を陰茎に注入したりすることで治ると信じており、ともかく、効くと誰かが言ったらそれにとびつくしかなかった。
「病気のことはもう覚悟をしているよ。だから先生は他の連中のけがと病気に気持ちを向けてくれ。僕は最後までアーティガル号の乗員のひとりとして働きたいんだ」
傷が癒えてきたアイザックは包帯をとると立ち上がり、歩き始める。それは覚悟を決めた一歩だった。
ことの重みに父親であるオルソンはいたたまれず、アイザックを抱きしめる。
「おまえの人生だ。だがこれ以上わたしを心配させるな」
「アイザック、病気のことは僕からどうすることもできないがアイザックと同じくマリサの力になりたいと思っている。一緒にやろう」
ルークもそばで声をかける。
そのアイザックは言葉を返せないでいた。というより返す言葉がなかった。身を案じてくれる父と兄になにをもって報いたらよいのか。
そのまま何度も頷き涙をこぼす。
総督の執務室ではマリサが心配していた状況は解決しスパロウ号奪還に向けて海軍は動き始めていることを伝える。
「そうか、いよいよ海賊共和国にくさびが撃たれることとなるだろうな。国王の恩赦の布告はまだ正式にはナッソーへ届いていない。イギリス政府はヴィンセント・ピアース艦長とフェニックス号をナッソーへ送り込むということで、それをうけてホーニゴールドたちがどう動くかだ。まだ安心はできない。もう少しお前の家族をここへ滞在させてもいいのだよ」
ウオルター総督の言う通り確かに海賊たちはまだ
「お父さま、そんなに孫がかわいいならシャーロットにさっさと相手を見つけたらどうなんです?エリカはスチーブンソン家の家族です。あたしが責任をもってエリカとお義母さんを国へ連れて帰ります」
マリサはあっさりというと総督はため息をついた。
「お前と同じでシャーロットのじゃじゃ馬ぶりは相当なもんだ。あれを飼い慣らすことをできる者がいたらすぐにでも結婚させる」
「お父さまのその心配がなくなる日はきっときます」
マリサは総督の気持ちがなんとはなしにわかっていた。
その後、総督はハリエットとエリカを執務室へ呼ぶ。マリサにフレッドの様子について報告を求めるためである。
マリサがジャマイカから帰ったことを心待ちにしていたのは他でもない、ハリエットだった。家から拉致されてそのままナッソーへ送られ、助け出された今はグリンクロス島に身を置いている。長い間家を留守にしており、そのことも心配だった。自分は無事であるということを知らないまま、家がどうかなっているのではないかと不安でならなかった。一日も早く家へ帰りたい、その思いだった。そしてマリサの目的でもあったフレッドの様子も聞きたかった。母として息子の様子を見て力になりたいと思い一緒にジャマイカへ行きたかったのだが、エリカを残すわけにはいかずマリサに任せたのである。
「母さん!また会えた」
なかなか母親に甘えることができないエリカはマリサを見ると駆け寄って抱っこをねだる。マリサはそんなエリカを抱き上げると頬にキスをした。
「かわいいエリカ、いい子にしていた?」
抱き上げたエリカはまたもシャーロットの別の服を仕立て直したものを着ており、髪を愛らしく結い上げてもらっていた。あまりこのように贅沢をさせていては元の市民の生活に戻ることが難しいとハリエットは危惧している。しかし総督の孫かわいさの行動とシャーロットや使用人たちのエリカをお人形のようにしてしまう行動に悪意を感じられず、そのことを言えないでいた。
「フレッドの様子はどうなの。あなたがこうして帰ったということは何かいい方へ向かったということね」
そういうハリエットも拉致されてからのやつれた顔でなく、あの堂々とした一市民の顔である。
「フレッドはもう大丈夫です。昇進のことと……貴賤結婚のことが彼を苦しめていました。でもようやく自分を取り戻しました。今頃は船に乗っているはずです」
マリサはそういうとウオルター総督に貴賤結婚の重みを話した。海賊だったマリサを助けるためとはいえ、貴族と市民の結婚は人々に
「そうか……。
総督も安堵の表情だ。
「フレッドが無事でよかったわ。アーティガル号はいつ出帆するの?私とエリカはもう国へ帰ることができるのよね」
ハリエットはそわそわしている。自分の家へ帰りたいと思うのは当然のことだ。
そこへ島の役人が大慌てで駆け込んでくる。
「港沖に沈没しそうな船が流れ着いています。海賊にやられたのでしょうか。とにかく確認をしていただけませんか」
彼の話では港沖に被弾したりマストが折れたりした船が流れ着いており、生存者もいるようだとのこと。
マリサとウオルター総督は他の役人たちと共に港へ急ぐ。生存者がいるならすぐにでも助け出さなければならない。
港へ降りたマリサ達が目にしたのは役人の言う通り、命からがら逃げてきたというような船だ。漂流に近い形で島への海流に乗ってここまでたどり着いたようだ。すでに何艘かのボートが生存者に気付き、救出に向かっている。アーティガル号からもボートが出ているようだ。
「あれは間違いなく海賊にやられたのだろう。戦争が終わり他国の軍隊が船を襲撃することは考えにくい」
総督は役人や港の漁民たちに声をかけ、廃船同様の船を安全な場所まで曳航するよう指示を出す。そのまま港へはいってきたら港内で沈没し出入りする船の邪魔になってしまうからだ。
その後生存者たちはボートで救助されると港の宿まで案内される。傷の手当の後、新鮮な水と食べ物が出され、彼らはむさぼるように食べた。
ウオルター総督一行は状況把握のために聞きたいことがあった。
「何があなたたちの船に起きたのだ?どう見ても海賊にやられたとしか思えないが、船を拿捕するのでなく人や船を沈めようとしたのか」
ウオルター総督の問いに彼らは水を飲んで一息つくと感情をあらわにして答える。
「あいつらは卑怯だ……。海賊たちは国王の恩赦を受けて足を洗ったんじゃないのか。俺たちはもう安心だと思ってアメリカ植民地から帰る途中だったんだ……。そこを狙われて……畜生め!あいつらいきなり海賊旗を揚げてきたんだ。荷を取り上げられただけでなく船長や仲間を次々に銃殺し、海へ投げやがった!俺たちは怖くて船倉の奥に隠れていた……。もう死ぬんじゃないかと思っていた……」
涙ながらに語る彼の言葉。話によれば昨日襲撃を受けたということである。ということは近くに海賊がいるということだろう。
「国王の恩赦の布告は正式にまだナッソーへ届いていない。イギリス政府は正式に布告をするため、ナッソーへピアース艦長とフェニックス号をナッソーへ派遣するということだから布告を知らないか拒否しているかだろう。そうまでして乗員を殺し、船を拿捕でなく破壊していることから、彼らは余程余裕がないとみえる」
ウオルター総督の言う通り、ナッソーにとって初の海軍上陸となるべきピアース艦長とフェニックス号はまだナッソーを目指している途中である。海軍を恐れてこうした無謀な海賊行為をする輩もいて然るべきだ。
海域はまだ危険な状態だ。海軍に護衛してもらうか相当の艤装を施して航海をしなければやられる。海賊船は1隻ならまだしも船団を組んでやってくることもある。もし船団で襲われたらアーティガル号も立ち向かうことは難しい。
マリサにあの屈辱的な記憶が蘇る。
”光の船”との海戦で当時使っていたデイヴィージョーンズ号は囮としてスペインの艦隊をイギリス海軍へ導いたが、策略により2隻の敵船に挟まれた。船を拿捕され自身と連中は捕らえられてしまった。
目の前で海賊旗に穴を開けられ、海へ放棄されたあの屈辱である。自分が否定されたかのように衝撃だった。
アーティガル号をそのような目に合わせることは避けたい。しかしこのまま黙って海軍が何とかするのを待っているだけだろうか。それはマリサだけでなく”青ザメ”だった連中も同じ考えである。
「お父さま、ジャコバイト派は軍部が相手にするというのなら海賊は海賊が相手にしても問題ないですか」
マリサは自分たちがジェニングスを裏切り、ナッソーを出たことでアーティガル号も狙われていることを理解したうえで自分たちができることは何か考えていた。
この問いかけにウオルター総督はしばらく考え込んでいた。娘の身の安全を考えるならこれ以上マリサに危ない橋を渡ってほしくない。それは親として当然であろう。
「……どうすれば一番いいか考える。待ってくれ……」
「それでは遅すぎます!」
マリサが叫んだが、総督はそれ以上答えることなく屋敷へ帰っていった。おそらく役人たちと話し合わなければならないのだろう。
そもそもアーティガル号の特別艤装許可証は自衛(Self-Defense)のためであり、海軍への協力命令で相手への攻撃ができる。それはこれまでにも総督が使用目的を明らかにしている。しかし戦争が終わった今はそのような状況になく、自衛として使うだけだ。つまり、相手から何某かの攻撃を受けなければこちらから仕掛けることはできない。勝手にそのような行動に出れば自分たちが海賊とみなされてもおかしくないのだ。
マリサはもどかしさで唇をかむ。いっそのこと海賊化をしてナッソーの海賊たちに反旗を
マリサのこの気持ちがわからないでもない総督は何とかいい方法がないかと探っていた。
港では海賊に襲われた船の件を受けてリトル・ジョンが古参乗員のひとりであるハーヴェーとアーティガル号をどう運営するか相談をしている。オーナーであるオルソンとマリサが屋敷へ行っている間に自分たちの考えをまとめておかねばならない。
ナッソーを出たアーティガル号は今や艤装を施した商船という立場だ。運ぶものは荷であり、艤装は自衛のために使われるものである。
「商船として航海をするのはまだ危険が多すぎるというのがオルソンの見解だった。特に俺たちはジェニングスを裏切ったことで余計に狙われている。相手が1隻ならなんとかなっても船団で来られたら手の出しようがない。商船として動くならこの島と国への定期便とする本来の航海がまだいいだろう。アメリカ植民地やカリブ海周辺は避けたい」
リトル・ジョンの意見にハーヴェーが同意する。”青ザメ”が私掠だったころからの古参乗員のひとりで、大耳ニコラスが戦死し、グリーン副長も海軍へ戻った後、船長代理であるリトル・ジョンの良き相談相手となっていた。
「俺もその意見でいいと思うよ。それより……リトル・ジョン、いつまであんたは船長代理なんだ?もうとっくに船長としての技量はあるんだぜ。連中とマリサもそう思っているのになんで船長になることを拒むんだ?」
ハーヴェーの言うとおり、リトル・ジョンは相変わらず船長に就任することを拒み続けている。彼はもともと別の私掠船に乗っていたが”光の船”に船ごと捕らわれた後、あの嘆きの収容所(Campamento de lamentación)に入れられ、非人間的な扱いをされた。その際にマリサの育ての父であるジョン・デイヴィスと出会い、同じジョンという名前から親しみを持ち、彼を尊敬していた。
ハーヴェーの問いにリトル・ジョンは答えるでもなくただ含み笑いをして首を振っているだけだった。そのことにハーヴェーは何かしら理由があるのだろうと思い、彼自身が納得するまで待つこととした。
時代遅れの海賊(buccaneer)は商船としての道を選び、海軍の作戦により海賊(pirate)化した。そして任務が終わり再び商船として航海をするはずだった。しかし根っからの商船でなかったがために海上輸送の安全を壊す海賊たちを見ているだけというわけにいかなかった。
ウオルター総督と”青ザメ”の古参の連中にある共通した考えが思い浮かぶ。
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