第33話 父と子
アイザックが負傷したため、治療を兼ねてアーティガル号との合流を待つマリサ。トムとギルバートは港の仕事を手伝ったり漁師を手伝ったりして合流を待っている。
マリサがジャコバイト派に戦いを挑むことを制止したウオルター総督はマリサの気持ちがわからないでもなかった。ジャコバイト派は本国やアメリカ植民地、島しょ部など様々なところにおり、とてもマリサ達だけで制圧できるものではないことを心得ていたのだが、海賊たちが利用されていることに我慢ならなかったのである。
総督はアーティガル号がグリンクロス島へ到着するまでに何とかマリサを説得し、ジャコバイト派の制圧を諦めさせねばと思った。
そんなある日、ついに待ち望んでいた情報が総督のもとに入る。例の国王の布告が書面としてもたらされたのだ。
マリサはアイザックやトム、ギルバートと共に総督に呼ばれ、その書面について説明を受ける。
『全ての海賊に対して1年以内にイギリスの植民地総督へ投降すれば、翌1718年1月5日以前に犯した海賊行為の罪を許す』
「なるほど……。ベイカー艦長の話の通りだな。国王陛下はすべての海賊を討伐するより、まずは数を減らしてからとのお考えなのだろう」
マリサは予想通り恩赦という手段が用いられることを有難く思った。
「国王の恩赦の布告にあわせて各植民地の総督と副総督にも恩赦を出す権限が与えられることとなった。恩赦で命が助かるならそれにすがりたいと思うのは当たり前のことだ。ただ、反社会的な意識を持ち続けている者はこの恩赦も受け付けないだろう。ジャコバイト派だけでなく、国に反感を持つ者は海賊に限らずいるものだ。海賊のすべてがジャコバイト派に利用されているわけではない。何度も言うがジャコバイト派の掃討は軍部がやることだ。例え艤装された船に乗っていてもお前たちがやるべきことでない。そこを理解しなさい」
ウオルター総督はそう言ってマリサを見つめる。
「じゃあ、この気持ちはどこに?ジャコバイト派によって踊らされたジェニングスがあたしの家族を拉致し、結果的にあたしたちは海賊化しなくてはならなかった!しかもジェニングスはスパロウ号を奪っただけでなく乗員の命を危険にさらした!ジェニングスは卑怯な人間だが、彼は利用された人間だ。ならば陰で利用している者をつぶすのが本当じゃないのか」
マリサは気持ちが高ぶってウオルター総督に激しく言い寄る。
「落ち着け、マリサ。このままお前たちがジャコバイトに向かってもそれは越権行為だ。すでにフランス国王ルイ14世の崩御のニュースが入っている。ということはフランスへ亡命をしているジェームズ・エドワード・フランシス・スチュアートを次の国王が保護するかどうかはわからないということだ。気持ちがもどかしいのであれば私にも考えがある」
つい最近までエリカをかわいがってくれた総督が厳しい顔で目の前に立っている。それは総督という立場であるからだ。
「……わかりました。今はアイザックの治療とエリカ、お義母さんの安寧が優先でしょう。アーティガル号は合流が遅れています。何かあるのかもしれません。それまであたしもエリカのそばにいます」
マリサがそういうとようやく総督の顔から厳しさがなくなった。
エリカは優しい大人たちに囲まれて食もすすんでいた。表情も少しずつだが和らいでいる。ずっと仏頂面だったマリサに比べてエリカは子どもらしさを取り戻しつつある。毎日シャーロットやアーサー、使用人たちが遊びの相手をし、島のあちこちへ連れ出して人々の営みや自然に触れさせたからだ。
まだ奴隷の意味も分からないエリカはプランテーションで働く奴隷たちに笑顔で挨拶をし、時には手伝いをしてみることもあった。そして文字に興味を持っていることもあって、新聞や町の看板などあらゆる文字を読んでは意味をたずねていった。文字の吸収と知識欲はアイザックにマリサの幼いころを思い出させる。アイザックもエリカの変わりようを頼もしく思っていたのである。
「なんだか君と似ているなあ。君も幼いときはあんな感じだったよ」
アイザックはエリカの様子にマリサの幼いころを重ねている。マリサは総督の屋敷からさらわれて以来、オルソン家で教育を受ける傍ら使用人として働いていた。マリサはどんなことにも興味を示し、音楽以外は何でも覚えていった。
「エリカが変わりつつあるのはシャーロットの影響も大きいよ。シャーロットの人柄は総督以上だからな。住民たちに人気があるのも頷ける。それにしてもアーティガル号はまだ来ないのか。予定ではあたしたちの数日ぐらい後にこの島へ来ると思っていたのだが」
マリサがそういうのも無理はない。マリサ達がグリンクロス島へ来て1週間以上たっている。アーティガル号ぐらいの大きさの船ならとっくに到着していてもおかしくないのである。
そしてついにマリサ達の思いが届いたのか、翌日待ち望んでいたアーティガル号が港へ入港する。海賊旗を揚げておらず、それはジェニングスから離れて海賊化という目的を失ったということだろう。
アイザックはその知らせに気持ちが早まったが、まだ傷は癒えてなかったので屋敷で待機をすることにした。父親であるオルソンはウオルター総督とマリサを通じて親交がある。挨拶に来ることはわかっていた。その際にハミルトン船医は真実を話すだろう。
(お父さまにこれ以上心配をかけたくないが、どうやらその願いは届かないようだ……)
後悔というものはない。やるだけやって結果としてそうなったのだ。自分の人生の結末はそれで十分だと思っている。
「無事に合流できてよかった。なかなか到着しないのでとても心配をしたよ。みんな、お疲れ様!」
アーティガル号は投錨するとマリサ達の出迎えを受ける。
「お互い無事でよかった。まずは作戦がうまくいったことを祝おうといいたいところだが、それはお預けだ。アーティガル号がここへ来るまでに何隻かの海賊と出くわし、遠回りをしなければならなかった。襲われる立場になったらたまったもんじゃないぞ」
そう言ってリトル・ジョンが疲れ切った顔をみせた。それでもなんとか乗り切ったようで連中もほっとしているようだ。
「とりあえず総督に会って状況をきこう。情勢がかわりつつあるようだから知っておいた方がいい。オルソンとルークもアイザックの様子を見てくれ。ケガをしてまだひとりで歩けるわけじゃないからな」
マリサがそう言うとオルソンやルークは総督に会うということでおしゃれをした(海賊の服のままでは失礼にあたることを貴族のオルソンとルークは心得ているので常にそういった服を荷物に入れていた)。リトル・ジョンも小綺麗な服を着用してオルソン、ルークと共に総督の屋敷へ向かう。
「やあ、オルソン伯爵、お久しぶりだ。あなたまで船に乗っているということはアーティガル号に何かあったということだな」
総督は使用人にお茶の準備を急がせ、マリサ達を着座させる。
「お察しの通りです。アーティガル号はジェニングスの策略により海賊化をしなくてはならなかったのです。しかしマリサの家族を救出した今はその必要もなく、我らはジェニングスの元を離れ、海賊旗を無事タペストリーに戻すこととなりました。今の立場は海賊に追われる商船です。ご挨拶が遅れました。隣にいるのは次男ルーク。アメリカ植民地で見聞を広め、国へ帰る途中でした」
そう言ってオルソンはルークをウオルター総督に紹介をする。
「初めまして、ルーク。ここへはすでにアイザックも来ているよ。救出作戦の際に負傷して今は治療に専念している。オルソン伯爵も後で見舞ってあげたらよいでしょう。彼にはハミルトン船医がついています。直に完治しますよ」
「ご配慮感謝します。こちらからもナッソーの状況を話したく思います」
オルソンがそういったところでお茶がふるまわれる。そして国王の恩赦の話やナッソーの海賊たちの動きなどが情報交換された。
「オルソン伯爵、マリサは海賊を操っているジャコバイト派の討伐をしたいというのだが、あなたはどう考えるかね」
唐突な総督の言葉にマリサは目を見開く。
(お父さま、余計なことを!)
「ジャコバイト派討伐は軍部の仕事です。我々一介の元海賊が相手にできるほど小さなものではないでしょうから、マリサが何と言おうと反対です。これはマリサの後見人としての意見です」
オルソンはすました顔で言った。それはマリサの性格をよく知っているからだろう。
「私とあなたの意見が一致してよかった。私も同じ考えだ。ということでマリサ、ジャコバイト派の討伐はお前の仕事ではない。どうしても気持ちが収まらないなら何か手を考える。早まったことをしてはいけない。なぜならお前はアーティガル号の乗員たちをまとめる立場だ。お前が道を誤ったら彼らも道ずれだ」
ウオルター総督は相変わらず厳しい顔をしている。
マリサは自分の気持ちをどうしたらいいのかわからないでいる。このままやられっぱなしなのか。それでは怒りが収まらない。そのまま黙り込んで一礼すると執務室を出ていく。
一息ついて屋敷の庭から港を眺める。
港にはアーティガル号をはじめ漁船や商戦が行き来しており、その日も海軍の小型のフリゲート艦が寄港して水や柑橘類などを調達していた。
この庭はあの日フレッドと和解をし、ダンスを踊った庭だ。あの日までフレッドを疑って嫌悪していたが、それが誤解だと知って和解し信頼関係を結んだのである。(本編18話 ジェーンの悲しみと舞踏会)
(フレッド、あんたもお父さまやオルソンと同じことを言うだろうか。あんたとはまたすれ違ったままだな……)
グレートウイリアム号のベイカー艦長からフレッドとグリーン副長の無事を確認できたことは嬉しかった。ただ、直接フレッドにあったわけでない。フレッドはマリサが船に乗ることを良く思っていなかったのだろう。自分を避けていたのは確かだ。
(それでも……あんたに会いたい……。フレッド、愛している……)
マリサの思いは届かない。手を差し伸べても受け止めてダンスの相手をするフレッドはそこにいない。
マリサが気分を晴らしていると後方からにぎやかな声が聞こえた。
「母さん、母さん、抱っこして」
その声はエリカだ。屋敷の人々に優しくしてもらうばかりか、プランテーションや町など連れ出してもらうことで表情がよくなってきており、孫がかわいくてたまらない総督は甘いお菓子や子どもが食べそうな料理をふるまい、よく食べさせていた。
「かわいいエリカ、お着替えが済んだのね」
マリサはエリカを抱き上げると頬ずりをする。
「母さん、ここの人はみんないい人。あのおうちみたいに怒る人はいないもの。だからご飯もおいしい」
エリカは使用人にかわいく髪をまとめてもらい、そればかりかお嬢様のような服を着せてもらっている。
「その服はシャーロットお嬢様の昔の服を仕立て直したのよ。もう着られないからということでくださったの。それをエリカ用に作り直したわ」
そう言ってハリエットとシャーロットがやってきた。
「シャーロットはいつ結婚するんだ?好き嫌いでなく家の存続のためにそれは必要なことだぞ」
そう、シャーロットは双子の姉である。どこかの殿方と結婚をして家を存続させねばならない。
「そうね、マリサみたいにいい出会いがあればだけどね」
そう言ってため息をついた。シャーロットも結婚しなければという思いはあるのだが今ひとつ気持ちが向かない。
「あたしがいい出会いをしたって?フレッドがデイヴィージョーンズ号に乗り込んだのは、連中を処刑から逃すためのあたしと総督との取引だったんだぜ。それも一方的な。終わり良ければすべて良しとはなったが、それをいい出会いというのかといえば違うんじゃないか」
マリサがそういうとエリカが足元にしがみついてきた。
「母さん、難しい話をしないで。お姫様のお話をしてちょうだい」
エリカはいろんな大人に甘えている。怒鳴り散らす大人はおらず、安心しているのである。
「あらあら、それなら私がたくさんしてあげますよ。婆やもそういった話は得意なの。母さんはこれから仕事のお話を他の人たちとしなきゃならないから私と一緒にいましょう」
シャーロットはランドー婆やを呼ぶとエリカを連れだした。
マリサは彼女たちを見送ると再び執務室へ入る。
「シャーロットは夢ばかり見ていて結婚をしようとしない。お前とシャーロットは言うことを聞かないという点では同じだ」
ため息をつく総督。さっきまで厳しい表情をしていた総督と別人のようだ。
「お嬢様として蝶よ花よと育てられたシャーロットがそれに満足をしていたとは限りません。以前、デイヴィージョーンズ号がここへ寄港し、あたしが使用人として働いていた際、あたしになりすまして海賊の相手をしていたことがありました。それは自由に生きているあたしがうらやましくてならなかったということでした(本編20話 海賊シャーロットと海岸の兄弟の誓い)。彼女のその気持ちがわかりますか」
マリサの言葉に目を閉じるウオルター総督。
「……緑豊かなこの島にいたらそんな気持ちとなるだろう。ただ、マリサ……現実はそうなんだよ。世の中は男優位の社会ばかりだ。お前のように頭目という立場にあり、男と同列ばかりか身分や立場、宗教さえ問わない社会にいるほうが稀有なものだ。人々は皆平等であるという神の教えはあるものの実際は身分制度があり、そのもとに社会生活をおくっている。シャーロットはもう立派な大人だ。それを理解しているものの、まだ自分に納得がいかないのだろう。そしてこの際に言っておくが、船に乗っている黒人奴隷だったラビットについてだ……」
「ラビットが何か?」
「逃亡奴隷のラビットは恩赦をうけても商品として売られる奴隷だった。そのままでは逃亡奴隷として捕まる可能性があったので私が買い上げた。人身売買をお前が嫌っているのをわかっていたが、解決のためにそうさせてもらった。そのことを謝っておかねばならない。許してくれるか?」
総督の謝罪に驚くマリサ。
「心配なさらないでください。お父さま、あたし自身も”光の船”のガルシア総督に1袋の金貨で買われました。すでにラビットと同列です。それともその金額は高すぎましたか」
マリサは屈辱的なあの場面を思い出す。商品として買われるということで心に傷をうけたのである。しかしいつまでもそれを引きずっているマリサでなかった。
「いや……私のかわいい娘をそんな金額で買うとは許せんことだ。お前はどんなに金貨を積まれても買えないほどかわいくて仕方がない娘だよ」
思ってもみなかった総督の言葉に目を見張るマリサ。さっきまで自分の考えに反対をし理解もしてないと思われた総督が自分をこのように言っているのである。この言葉にマリサは心のわだかまりが小さくなるのを感じると、こみ上げる感情を抑えられず、総督の胸元に飛び込む。
「お父さま、そんな風に思ってくれるのですね……」
その感情は育ての父であるデイヴィス、後見人のオルソンへも持つことがなかったものだ。いつも誰かに遠慮をし距離を置いて育ったマリサは人とのかかわりと家族がわからない状況を生み出していた。しかし結婚をして家族を得たことでマリサは心も成長をしていたのである。
「お前が愛しいからこそ、フレッドとの結婚を約束させた。お前への処刑を逃れさせるためにどうしたらいいかずっと考えていた。戦争を生き延びて本当に良かった……。こうして今目の前にお前がいることは神様の贈り物といっていいだろう」
総督は涙ぐんでいた。仕事上家族であっても厳しいことを言わなければならない上に、まずは島の平穏無事を守ることが仕事である。自分の感情を押し殺すこともたびたびあるのだろう。
父と子……。当たり前の信頼関係がようやくマリサとウオルター総督の間に結ばれた一瞬だった。
ウオルター総督に挨拶を済ませたオルソンとルークは負傷しているアイザックの様子を見に部屋を訪れる。ハミルトン船医はとても難しい顔をしてオルソンとルークを出迎えた。
「やあ……お父さま。ご無事で何よりだね……」
アイザックは緊張して胸の鼓動が鳴りやまない。負傷し、包帯でぐるぐる巻きにされた腿が痛々しい彼は椅子にもたれかかっている。
「お前もその姿では女遊びもできまい。これは神の思し召しだろう」
オルソンは内心、アイザックの無事を喜んでいる。しかしその平常心をハミルトン船医の言葉が乱してしまう。
「オルソン……あんたの大切な息子は重大な病に侵されている。見てくれ」
そう言ってハミルトン船医はアイザックの包帯をほどき、鼠径部から陰部を見せる。
「……梅毒だ……間違いない。そしてアイザックは水銀を持ち歩いていた。おそらく各地の港から手に入れて注射器で陰茎に注入することをやっていたのだろう。彼がアーティガル号に乗った理由のひとつが水銀を手に入れることだったんだ」
そう言ってオルソンに確認をさせると再び包帯を巻いていく。
「なんてことだ……あれほど過ぎた女遊びをするなと注意をしていたのに……。オルソン家の秘密を知ったおまえは水銀治療に意味がなく体に害をもたらすことだけだと理解しているだろう?」
オルソンは天を仰いだ。隣にいるルークは言葉が出ず、目を見開いている。
女遊びが過ぎたアイザックは梅毒に罹患していた。この時代、航海や戦争で梅毒の感染が広がっていたのである。
「お父さま、僕は自分で幕引きを図るよ。僕は海賊となってしまったマリサを忘れられず、女を抱いてしまった。でも今はマリサと共に戦って死ぬことができたら本望だと思っている。けっしてオルソン家の名に傷をつけない。それは約束をする。……お父さま、本当にごめんなさい……」
気持ちを抑えきれないアイザックが涙をこぼしてく。
「……お前は息子だ……どのように人生を送ったとしてもそれは変わらない。後悔するような死に方をするな、アイザック……」
息子を抱きしめるオルソンもむせび泣いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます