第32話 国王の布告とアン・ボニー
1717年9月。イギリス本国ロンドン市。
ここでも海賊の対応が考えられていた。海賊の略奪で船や荷を奪われて損害を受ける荷主、保険金を支払う保険会社もこのままでは立ち行かないとみて政府に対応を訴えている。そして野放しといってよい海賊たちの対応を国外からも迫られていた。
どこにいるかわからない海賊と全面的に戦うのか?ほかによい方法がないか話し合われ、ある男が1つの提案をする。
「海賊の恩赦を国王に求めてはどうか」
そう提案をしたのはウッズ・ロジャーズ船長だ。彼は裕福な家柄の船乗りで私掠船を操っては戦時中に功績をあげていただけでなく、1709年2月に南アメリカの無人島であるファン・フェルナンデス諸島の1つの島からセルカークを救出したことで有名になっていた。(セルカークはスコットランド出身の私掠船の航海士で、置き去りの刑にあい4年間島で生き延びた後、救出された。セルカークをモデルとした物語『ロビンソン・クルーソー』をダニエル・デフォーが出版している。)またウッズ・ロジャーズの顔には戦時中にスペイン船を拿捕した際、口蓋に受けた銃弾の傷(しばらくマスカット銃の銃弾が口蓋に残っていたのだが、それは手術によって取り除かれた)があり、顔の形が変形していた。
「戦わずして略奪しまくっている海賊の罪を許すというのか!そんなことをしたら各国の笑いものだ。国王と国の威信にかかわるのでないか。私は反対だ!海賊に屈服するなんて国民がどう思うか考えただけでおぞましい」
このようにウッズ・ロジャーズの提案に猛反対する者もいた。だが過去には国王の恩赦で海賊が罪を許された事実もあったことから、ロジャーズ船長はその目的を次のように説明をする。
・全ての海賊が恩赦を受け入れるとは限らないが、受け入れる海賊と受け入れない海賊ができることで、ナッソーの分断を図ることができる。
・国はいずれ海賊に対して反撃を行うが、恩赦で海賊をあらかじめ減らすことができる。
国としてもいつまでも海賊たちを野放しにしておくわけにはいかない。同じ反撃をするならある程度の数を減らしておく必要があり、そのために恩赦は有効というわけだ。
1717年9月5日、イギリス国王ジョージ1世は恩赦法に基づき海賊への恩赦を申し出る。
『全ての海賊に対して1年以内にイギリスの植民地総督へ投降すれば、翌1718年1月5日以前に犯した海賊行為の罪を許す』
この『投降する海賊に対する恩赦』は書面化され、布告された。この衝撃的なニュースは本土を出入りした船の乗員たちによって広められ、時間がかかったが、やがて海賊たちの耳にも入る。文字の読み書きができない海賊には信号で布告の内容が送られ、周知が図られていた。
国王の布告の後、海賊との話し合いのために先遣隊としてヴィンセント・ピアース率いる船がナッソーへ送られることとなる。
このニュースはニュープロビデンス島ナッソー『海賊共和国』にもまず、書面で入った。船乗りからもらったという恩赦の書面がもたらされ、文字を読むことのできる者がその場の海賊たちに向けて読み上げる。
『全ての海賊に対して1年以内にイギリスの植民地総督へ投降すれば、翌1718年1月5日以前に犯した海賊行為の罪を許す』
「恩赦だって?俺たちの罪が帳消しになるのか」
「縛り首にならなくてすむんだぜ」
「俺たちが略奪した宝を横取りする気じゃないのか」
「英語を話せない国王は自分が何言っているのかわかんねえのかもな」
「俺は恩赦なんかいらねえよ。これからも海賊として稼いでいくつもりだ」
酒場で海賊たちが騒ぎ立てる。これはいいニュースなのか悪いニュースかを判断するのは自分である。しかも恩赦の布告だけじゃなく、ピアース船長がナッソーへ送られ、その後正式に国から総督としてウッズ・ロジャーズがやってくるというのである。ということは海軍の船も当然やってくるだろう。
島を要塞化し、海賊共和国の総督を名乗っていたホーニゴールドは対応に迫られた。
いつかは海賊の自治によるこの島へも国の手が伸びるだろう。それは感じていたのだが、現実味を帯びてくると緊張が止まらなかった。
「しばらく考えさせてくれ」
ホーニゴールドは即答を控える。
その酒場には娼婦や店の女だけでなく、客として酒を飲む女がいた。マリサよりは若いが勝気なのは同じであった。ただ、思慮深さは年齢が上のマリサの方があった。この女は感情がよくあらわになっており、仏頂面が多いマリサと違いがあった。
「国王に頭を下げるの?ばかばかしい!ジェームズ、あたしはそんな弱っちい男なんてごめんだね」
そう言ってビールを飲み干した。
「まあ、そうはいっても恩赦は海賊にとってありがてぇもんだぜ。アン、お前みたいに抱かれるだけの女はわからねえだろうがな」
女の名前はアン・ボニー、男の名前はジェームズ・ボニー。アンは元々弁護士である父親と妾の間に生まれた子で、妻と仕事と家を捨てた父親はアンの母親とアメリカ植民地へ渡り、そこでも資産を作っていた。成長したアンは勝手に船乗りのジェームズ・ボニーと結婚したことで父親の怒りをかい、勘当されていた。そのためナッソーへ流れ着いたのである。アイルランド人であるアンはイギリスに対して反感を持っていたので国王の恩赦に対し従うのはばかばかしいと思っていた。
ジェームズ・ボニーは裕福なアンと結婚することで財産を相続するつもりだったが、アンが勘当されたことでその野望も夢と化し、稼ぐことができる仕事として海賊となることを思いついたのだ。
「全くよ、お前が勘当されるなんて思ってもみなかったが、ここじゃお前の家の財産より稼げる可能性が無きにしも非ずだ。国王の恩赦の期日までにはまだ時間がある。俺は可能性に賭けるとするぜ」
酒場にいる周りの海賊たちの様子をうかがっているジェームズ・ボニー。まずはどこかの海賊と顔をつながねばならない。
そこへ黒髪の娼婦がジェームズに近づいてくる。この女はこれまでにもオルソンの息子、ルークにも声をかけていた(ルークは相手にしなかったが、それでも彼女は美しく、腰が大きな女性だった)。女も稼ぐためには色目を使わねばならないのだ。
ジェームズは彼女の姿を見て思わず微笑む。男なら普通の反応だろうが、アンはこれが許せない。
「何よ、あんた!あたしが目の前にいるのになんて
そう言って顔を真っ赤にしてジェームズの顔を思いっきりひっぱたく。
バチーン!
ひっぱたかれたジェームズはそのまま椅子から転げ落ちる。
「ただ笑っただけだろう?……何をしやがる」
ジェームズは頬をさすりながらよろよろと立ち上がる。
周りの客は思いもがけない余興だと他人事のようにこれを楽しんでいた。
「アン、お前は女じゃなく男だったらよかっただろうな」
椅子に座りなおすとジェームズはアンを落ち着かせようとなだめる。
「うるさいね!そんなことは百も承知だよ。あたしは生まれたときから男として育てられてんだ。今更何を言ってるんだよ!」
アンは嫉妬深くご機嫌斜めである。
アンは父親と妾との間に生まれた、いうなれば望まれない子だった。そのため女の子でなく男の子として育てられていた。父親の仕事を事務員として手伝う傍らで父親に反旗を翻す機会をずっとうかがってきた。
そんなアンもやがて女として隠せるものでなくなり父親は良家との縁談を計画をしていた。
それを機会だと思ったアンは貧しい船乗りのジェームズのもとに駆け込んだのである。父親はひどく立腹し、アンを家の恥だとして勘当に踏み切ったのだ。
このアンとジェームズの会話を聞いてひかれた男がおり、2人分のビールを持つとそれぞれに差し出す。
「俺のおごりだ、飲んでくれ。俺はフェリックス。海賊なんてものはお前たちのような気合がないとやっていけねえんだ。どの船に乗っている?どの船長のもとで働いている?」
声をかけた男は”青ザメ”時代からマリサ達と活動をしていたフェリックスだった。その場にはフェリックスほか、一緒にアーティガル号を降りて海賊化をした7名の連中もいる。彼らはアーティガル号が海賊化していなかったころ、スペイン財宝艦隊の難破を聞きつけ、自ら望んで海賊へ戻っていた。
「いや、まだ船に乗っていない。これからひと稼ぎしようと考えている。フェリックスといったな。お前は年季が入った海賊のように見えるが海賊となって長いのか」
ジェームズ・ボニーは有難くコップを受け取るとビールを飲む。ジェームズ・ボニーにとってフェリックスは年配だ。そう思うのも無理はない。
「俺は海賊”青ザメ”の時代から海賊をやっている。一度縛り首の憂き目にあいかけたが頭目マリサに助けられた。その命をまた海賊稼業にかけているわけさ」
そう言って”青ザメ”時代の様子を話して聞かせた。ジェームズは目を輝かせてこの話を聞いていたが、アンは冷めた様子で聞いていた。そして話が終わると吐き捨てるようにこう言った。
「海賊の頭目とか言ってるくせに結局言われた通りの男と一緒になっているじゃないの。それでもって海賊をやめて商船のオーナーとなった?で何だか知らないけどまた海賊化した?そんな自分の生き方がブレている人間が海賊をやっているなんてふざけているよ。あたしにはどうでもいい女だね」
アンはおごってもらったビールを飲み干すとコップを床に投げ捨てた。
「気を悪くしないでくれ。アンは少々きつい女でな……」
ジェームズはコップを拾うとフェリックスに笑って見せる。おそらくアンのこうした行動は日常茶飯事だろう。
「いや、マリサも似たようなところがあったから俺は気にしねえよ。ちなみに俺はホーニゴールド派の海賊だ。巨頭は他にもエドワード・ティーチやジョサイア・バージェスがいる。ジェームズ、ここで働きたいのだろう?顔をつないでやるから待ってな」
フェリックスはそういうと2人を巨頭として名を上げていたジョサイア・バージェスのもとへ案内する。
「バージェス、あらたな海賊志願者だ。何か大きな仕事をしたいといっている」
2人を紹介されたバージェスは含み笑いをすると彼らにこう言った。
「お前たち、このご時世に海賊志願だなんていい度胸じゃねえか。時代に
船長の言葉に大きく頷く2人。
「ところでお前たちは夫婦なのか?だが残念ながら『海岸の兄弟誓い』により船に女を乗せるのはご法度なんだぜ。まあそうはいっても”青ザメ”のマリサのように頭目が女だったために誓いを破った事例があったからな……それを考えたら男と同じように戦えるならいいかもしれねえな」
船長の言う通り、『海岸の兄弟の誓い』では女を船に乗せるのはご法度だった。それは男社会の船に女が乗れば男たちが浮ついて統率をとりにくい、と考えられたのだ。マリサの場合、慰み者になることを恐れた育ての両親であるデイヴィス船長とイライザはマリサに『マリサの掟』をつきつけた。マリサは掟を遵守し、身持ちの良い海賊として貞節を守り抜いた。しかしそのような事情を知らず、同じように海賊として船に乗りたいアンは船長の言葉に満足をする。
「あたしは戦うなんざ、何とも思っちゃいないよ。強くなれというんなら男と同じように腕を磨くだけさ」
アンの言動に頼もしさを感じるバージェス。この女は只者ではない、夫よりも名を上げるのではないかと思えてならなかった。
ジェームズ達だけでなく、国王の恩赦のニュースをナッソーの海賊たちは様々な受け止め方をしている。海賊は自分の首をかけて略奪をしており、捕らえられれば間違いなく縛り首だ。そして海賊の中には貧しい船乗りや奴隷、戦争が終わり仕事を失った私掠船の乗員だけでなく資産を持っていいる者もいる。ジェニングスやボネットなどがそうだ。その中には海賊行為で逮捕状が出ているジェニングスのように資産がありながらも逮捕されることを恐れて町へ帰らない者もいる。そうした者にとって国王の恩赦は有難いものであるはずだった。
一方、人質として軟禁していたエリカとハリエットを逃してしまったジェニングスは艤装船アーティガル号と熟練の船乗りたちであるカードを失い、口惜しさとイラつきで心の中は穏やかでなかった。
そんな中で何か方向を決める情報はないものかと酒場を訪れる。
そこには海賊たちが多く集まっており、ホーニゴールドが中心に立っていた。何か始まる、そんな気がする。
「ジェニングス、丁度良い所へ来てくれた。巨頭のひとりであるジェニングスにも参加してもらいたい。海賊共和国の今後についてこれから話し合う」
いつになく難しい顔をしているホーニゴールド。それだけ重要な決め事だろう。
「よかろう。ナッソーに嵐が起きそうなのは知っているつもりだ、ホーニゴールド」
そう言ってジェニングスは近くの椅子に座る。
ホーニゴールドは酒場の連中を見回すと静かに話し始めた。
「ここへ集まってもらったのは他でもない、例の恩赦のことだ。すでに出入りしている船乗りたちから情報を得ているだろうが、ジェームズ国王は我らに恩赦を与え、罪を許すと言っている。あちこちにいる海賊を捕らえて処刑する労力よりも恩赦で無力化するのが早いと思ったのかもしれん。ここは自由がある海賊共和国だ、恩赦を受けることも受けずに海賊行為を続けることも俺からは指示をしない。この恩赦をどう受け止めるか
そう言って改めて恩赦の書面を見せた。ジェニングスは文字の読み書きができない連中のためにその書面を読み上げる。
『全ての海賊に対して1年以内にイギリスの植民地総督へ投降すれば、翌1718年1月5日以前に犯した海賊行為の罪を許す』
すでに内容を知っていた者も航海を終えたばかりで情報を知り得ていなかった者も、御触れ書の内容を聞いたかと思うとそれぞれ周りの連中の様子を
「ではそれぞれの船長のもとで話し合ってくれ」
そう言って連中を解散させるとホーニゴールドはジェニングスのそばへ行き、小声でささやいた。
「お前はすでに決心しているのだろう?……俺も同じだ……」
その言葉にジェニングスは薄ら笑いをする。そう、ホーニゴールドは船長を罷免されて以来巨頭としての地位に陰りが出ていた。ジェニングスもまた、アーティガル号を逃したことでカードを失っていた。
「ホーニゴールド、すべては結果だ。結果が自分にとって納得いくのであれば、
そう言い残してジェニングスは店を出る。
こうして恩赦の布告がナッソーへ入ったのだが、ウッズ・ロジャーズの思惑通り、すべての海賊が恩赦に肯定的とはならなかった。
恩赦の受け止め方は互いに相手の出方をみていたところがあり、彼らはしばらく海賊行為を続けていた。1年という猶予期間があったためだろう。
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