第31話 アイザックの覚悟

 無事にエリカとハリエットを救出したマリサ達はスクーナー船が海賊に狙われる可能性もあり、船足を速めて航海をしていた。

 

「マリサ、エリカのことで少し話をさせて頂戴」

 グリンクロス島への航海中、ハリエットがマリサにある話をする。

 それはハミルトン船医とハリエットの見立てであるが、エリカが一般的な子どもとしてはふさわしくない成長をしているとのことだった。マリサは大人に囲まれて成長しており、子どもの成長といえばオルソンの息子たちしか知らない。また、長く航海をしていたためか子どもの成長について知らないことがたくさんあった。

「エリカは表情があまりないの。あなたもそういうときがあるけどエリカはそれ以上よ。そして痩せすぎなせいかすばしっこさがない。子どもの成長期に小さな家で軟禁されたことと、海賊たちに常に見張られて泣けば怒られるの生活が続いたことも原因だと思う。本当にかわいそうなことだわ」

 ハリエットは申し訳なさそうに言った。軟禁されている間は努めてエリカのことだけに集中し、守ってきたつもりだったが、軟禁生活は確実にエリカの成長に必要なものを奪ってしまったのだ。

「……それはあたしにも責任があることです。あたしが警戒をして対策をしていたらこんなことにならなかった。ごめんなさい……スチーブンソン家へ嫁いだのにフレッドを傷つけただけでなくお義母さんとエリカを危険にさらしてしまった……ごめんなさい……」

 マリサは今更に責任を痛感して涙を抑えられなかった。だからこそ拉致という卑怯な手段をとった奴らを許すことができなかった。


(あたし達の敵は海賊じゃない。敵は海賊を利用しているジャコバイト派だ)


 唇をかみ、気持ちを新たにするマリサ。そんなマリサをハリエットは抱きしめ、慰める。

「あなたは十分やっているわよ。だからこうして私とエリカを助け出したでしょう?時間をかけてエリカの子どもらしさをひきだしていきましょう。フレッドが帰った時のためにね……」

 ハリエットが抱きしめたその温かみをマリサは記憶している。使用人時代、辛いことがあってもイライザ母さんは抱きしめて安心をもたらしてくれた。結婚前にハリエットとこの島でホットパイを作ったときはハリエットが自分の身を案じてくれた。

 大丈夫、きっとうまくいく……そんな気がしてマリサの表情が和らいだ。


 スパロウ号の乗員たちは無事に置き去りの島から助け出されただろうか。フレッドは自分を抱こうとしなかったばかりか避けるように航海へ出てしまった。叔父であるグリーン副長とフレッドはスパロウ号に乗っていた。海賊に襲われ、生き残りが置き去りの刑にされたということだが、2人の安否はわからない。苦しいのはマリサだけでない。ハリエットも息子であるフレッドを心配しているのだ。それをあえて口に出さないのはマリサを気遣ってのことだろうか。

 

 

 やがて幸運にもジェニングスの追手や他の海賊に会うこともなく、船は無事に目的地へたどり着いた。この時期、海賊に合わないで1隻だけで航海をするのは挑戦であり、そのため同業者を装う必要があった。拿捕されたスループ船の乗員たちは操船に集中して海賊対策はマリサ達に任せていたことが幸いした。


「グリンクロス島だ、海賊旗を降ろせ。もう海賊船のふりをしなくていいぞ」

 船長の呼びかけで演技の海賊旗が降ろされる。そして立派な商船へと変わっていった。

 

 ウオルター総督がいるこの島なら2人を保護下に置くことが可能であり、海軍の船が時折駐留することから海賊への抑止力も期待される。マリサはアーティガル号とこの島で待ち合わせをする計画だ。

 シャーロットとウオルター総督はマリサとの再会とエリカに会えたことをとても喜んだ。エリカはウオルターにとって初孫である。孫をかわいいと思うことに身分は関係ないようだった。

「エリカ、何が欲しい?どこへ行きたい?何をして遊びたい?」

 初めて見る孫、エリカを前にしてウオルター総督の顔の表情は緩みっぱなしだ。だが、エリカはあの軟禁生活のせいで警戒心ができており、なかなかハリエットやマリサのそばを離れようとしない。申し訳なさそうにするハリエットへシャーロットが助け舟を出す。

「お父さま、時間をもらうわよ。この島の環境はエリカを笑顔にすることは可能だと思うわ」

 そう言ってシャーロットはエリカの目の位置まで腰を落として語り掛ける。

「こんにちは、エリカ。わたしはシャーロット。仲良くしてね」

 マリサと同じ顔のシャーロットはエリカに受け入れられやすかったようで、直になじんでいく。

 


 マリサ達を乗せてグリンクロス島へ入ったスクーナー船の船長は、役目を終えるとマリサ達を運んだ賃金をギルバートから受け取り、今度はこの島の産物であるサトウキビや柑橘類を乗せて本来の仕事へ戻っていった。救出作戦の際負傷したアイザックは傷の手当のために総督の屋敷で厄介になり、アーティガル号の他の連中は港の仕事を手伝いながらアーティガル号との合流を待つことになった。


 その日も屋敷の一室でハミルトン船医から治療を受けているアイザック。ズボンを脱ぎ、包帯を巻きなおしてもらうがハミルトン船医の気難しい顔が気になっている。


(ハミルトン先生……やはり気が付いてしまったか……)


 そう思いつつ汚れている上着を洗濯してもらうために脱ごうとしたとき、内ポケットからあるものを落としてしまう。


 コロンコロン……。


「おっと、壊れなくてよかったな」

 とっさに小さな瓶を拾い上げるハミルトン船医。そして確信したかのように頷いた。

「アイザック、あんたが密航してまで船に乗りたかった理由がわかったよ。これを手に入れたかったんだろう?」

 小瓶の内容をすぐに理解したハミルトン船医はことの重さに項垂れる。

「僕の体を診た先生はもうご存じだろう……でも、僕はどうなろうと最後までマリサの役に立ちたい。そうしないと僕は自分を見失ってしまいそうだからだ。こんなものが気休めにしかならないことは知っている。傷を負って体を診てもらったことで先生には僕の健康状態がわかってしまったようだから、結果論としてうけとめてほしい……僕にはもう時間がないんだ」

 アイザックはある病気に罹患をしていたのである。そして覚悟を決めていた。

 ハミルトン船医はそれが今までいくつか症例を見てきており、とても難しい病気だと知っている。なにをどのように言葉をかけてよいかわからずしばらく黙っていた。

「医者としてこのことをオルソンに話す必要がある。父親であるオルソンは知る必要があるからだ。いいね」

 ハミルトンに言われ、静かに頷くアイザック。これを知ったらマリサは悲しむだろうか。いや、自業自得だというかもしれない。マリサに思いを告げられないなら役に立ちたいという思いが日増しに強くなっていった。


 

 ある日グリンクロス島に1隻のフリゲート艦が寄港する。船は”光の船”との海戦で活躍した海軍艦隊にいたグレートウイリアム号だ。グレートウイリアム号とアストレア号は置き去りの島からフレッドたちを救い出し、ジャマイカへ送り届けいていた。そしてマリサと連絡をとるためにグリンクロス島へ寄港したのである。ここでマリサとハリエットは驚くべきニュースを耳にする。


「私はマリサと連絡を取るため総督閣下にお会いする目的があったのですが、まさか当人がここへいるとは驚きです。あなたは家族を救出されたのですね。こちらも置き去りにされていたスパロウ号の乗員たちを無事に救出することができました。マリサ、あなたの情報が役にたったのです。あの島は国の管理下となり、役人が駐在して海軍の船も補給と抑止力とを兼ねて立ち寄るようになっています。入植者の計画も進んでおり、海賊が島を利用する可能性はもうないでしょう」

 グレートウイリアム号のベイカー艦長は総督を訪問すると、これまでのいきさつを話した。

「ベイカー館長、どんな言葉をかけたらいいかわからないほど感謝の気持ちでいっぱいだ……本当にありがとう」

 そう思うのはウオルター総督だけでない。その場でともに報告を受けていたマリサやハリエットもこのニュースを喜んだ。

「ベイカー艦長、お尋ねします。救出されたスパロウ号の乗員たちの中にフレッド……フレデリック・ルイス・スチーブンソンとグリーン副長もいたのでしょうか。フレッドはあたしの夫であり、ここにいるハリエット義母さんの息子でもあります。グリーン副長は”青ザメ”時代からお世話になっています。彼らは無事ですか」

 マリサとハリエットは気持ちが焦ってベイカー艦長に詰め寄る。

「無事ですから安心してください。2人とも今はアストレア号の指揮下にいます。グレートウイリアム号でもスパロウ号の乗員の一部が指揮下にあり、勤務しています。我々は海賊の横行を許すことなくスパロウ号を奪還するつもりです。実は国で潮の流れが変わる情報を得ましてね。ご存じないですか」

 そう言ってベイカー艦長はマリサの顔を見る。

「マリサ、あなたが言っていたことが本当になるかもしれません」

 海賊対策に何か動きがあるのだろうか。

「海賊行為に対する恩赦ですか……」

 ゆっくりと頷くベイカー艦長。確かにマリサはジャマイカの海軍駐屯地でそのような話をした。恩赦は海賊対策として考えられるカードだと。

「詳細はここへニュースが入った時に確認してください。今はそれ以上言えません。ただ、あなたと同じ考えを持った者がおり、その声が議会へあがったようです」

 ウオルター総督もこの情報に納得をした。それは自分も”青ザメ”の連中を救うために使ったカードだからだ。結局は恩赦による連中の命を救ったことと引き換えに犯罪人であったマーティン・ハウアド(ジョン・デイヴィス マリサの育ての親)が自首をして処刑をされたが、それはマーティン・ハウアドが納得してのことだった。

 

「そうですか……。では今後のことは追って確認をします。ところでベイカー艦長、家族の救出とスパロウ号の乗員の消息を掴むというアーティガル号の任務はこれで終わったこととなりますが、あなた方が海賊を討伐される以上、あたしたちとしてもやらねばならないことがあります。あたしたちはジェニングスを裏切っており、ナッソーへはもう入らないつもりです。しかしどうしても迎え撃ちたい相手がいます。あたしの家族を貶め、多くの海賊を利用している奴ら……ジャコバイト派をたたきたい……」

 マリサの言葉にウオルター総督が制止する。

「だめだ、マリサ。それは国がやるべきことであり、民間人が関与することではない。軍部に任せておきなさい。アーティガル号1隻でどうにかなるものではないのだ。お前は妻、或いは母としてやらねばならないことがあるはずだ。自分の身をこれ以上危険にさらしてどうするのか。残された家族に心配をさせるつもりなのか」

 いつになく総督の言葉が厳しい。今までマリサの言うことを何とか受け入れて特別艤装許可証や恩赦状もだしてくれた。海軍と”青ザメ”が協力をすることで戦争に巻き込まれることを承知してのことだ。それでもマリサ達が”光の船”に捕らわれたときは身を案じて日々神に祈っていた。マリサはこのことを知らないが、知ったとしても同じことを言っただろう。

「……利用する者がいなくなれば海賊も投降しやすくなるはずです。お父さまに反対をされてもあたしたちはジャコバイトを追います。それは海軍に対する裏方の協力であり、特別艤装許可証の使用目的に叶うものであります」

 マリサの横ではハリエットが言葉を失っている。


(一緒に国へ帰ることができると思っていたのに……守るべきものは家族でしょう?)


 重苦しい空気が漂い、沈黙が訪れる。


「母さん、母さん、一緒にお散歩へ行こう」

 エリカの声がする。そしてあわただしくシャーロット、乳母と共にエリカが部屋へ入ってきた。エリカは乳母が止めるのも聞かずにマリサとハリエットがいる執務室へ入ってきたのだ。

「来客中にごめんなさい、お父さま。エリカがどうしてもマリサのところへ行きたいっていうものだから……」

 そういうシャーロットは嬉しそうだ。ウオルター総督だけでなく自分も姪にあたるエリカがかわいくて仕方がないのだ。

 

 エリカは長い軟禁生活から助け出され、航海中に船から広い海原と空を珍しそうに見つめてきた。ハリエットの言う通り、子どもらしい発達を制限されて表情があまりない。すばしっこさがないので乳母でも十分相手にできるほどだ。


 そう、このような発達をした原因の1つが自分である。エリカに対するマリサの表情をウオルター総督は見逃さなかった。

「しばらくはここに滞在しなさい。行動をおこすのはアーティガル号がここへ来てからでもいいだろう。自分は何を守るべきで妻としてどうあるべきかそれを考えなくてはならないよ。ジャコバイト派のことはお前だけで解決ができるものでない。それは軍部が率先して行うべきものだ。そのことを忘れるな」

 ウオルター総督はそう言うとエリカに語り掛ける。

「エリカ、もっとたくさん食べなさい。そしてもっと見聞きしなさい。さて、何がほしい?。甘い砂糖菓子かな、それともお人形かな」

 満面に笑みを浮かべた総督は嬉しそうだ。やはり初孫はかわいいようである。表情があまりなかったエリカだったがこの島が安心できる場だと感じたのだろう、少しずつ警戒心を解いて表情を出すようになっていた。

「……抱っこして……おじいちゃま、抱っこしてちょうだい」

 そう言って手を伸ばす。これにはウオルター総督も驚き、そして喜んだ。ウオルターはエリカを抱き上げると満足そうに笑顔になる。

「お前が好きなだけここにいてもいいんだよ。そうしたらお母さんもきっとここへいるよ」

 その言葉を好意的に受けとめたハリエット。マリサと共に国へ帰りたいと思っていたが総督はエリカを気にかけ、マリサに母親であることを忘れさせないようにしていた。



 仏頂面のマリサは気持ちの整理がつかないでいる。そんなマリサに近づいたベイカー艦長は作戦の伝達事項があるからグレートウイリアム号へ立ち寄ってほしい旨を小声で言う。

「あなたにとって重要な話です。よければこのまま私についてきてくれませんか」

 その言葉に何かフレッドたちの身に何かあったのではと思い、マリサは承諾をする。


 しばらくして総督の屋敷を後にした2人の姿があった。



 その後、マリサがグレートウイリアム号の艦長室でベイカー艦長から聞いたのはフレッドの様子だった。憔悴しきっているフレッドは人が変わったようになっており、今の状態では航海できかねること、かつての上司であるグリーン副長が身銭を切って宿代を出し、フレッドを休息させていることなどを話した。


 デイヴィージョーンズ号へマリサの監視兼海賊側の人質として乗り込み、数々の冒険と海戦をともにしたフレッド。道のりは長かったが彼の妻となったことで家族を得たマリサはその話を信じたくなかった。しかし、ここで動かなかったら後悔するだろう。


「マリサ、スチーブンソン君を立ち直らせるために彼と会ってください。これはグリーン副長の望みでもあります。そしてそれはできるだけ早い方がいいでしょう。グレートウイリアム号は海賊討伐をしながらジャマイカへ戻ります。この船で行くことも可能です」

 ベイカー艦長がそう言ったが、マリサはしばらく考え込んだ。

「ベイカー艦長、あたしはアーティガル号との合流を待っています。あたしの仕事はアーティガル号の乗員たちの統率です。ジャマイカへはアーティガル号で行きますから、まずはあたしたちは目的を果たしてナッソーを出たことを海軍の皆さんへ伝えてください。命令を遂行し、完了したあたしたちはもう海賊ではありません」

 マリサの言葉に何度も頷くベイカー艦長。艦長室にいる幾人かの士官たちも聞いている。


「承知しました。その点は安心してください。では、あなたが来られるのを待っています。フライング・ギャング(ナッソーの海賊)が暴れる中ですが、どうか無事にお立ち寄りください」

 ベイカー艦長が右手を差し出し、マリサも応じる。


(あたしはエリカを生む前、デイヴィスの死とデイヴィージョーンズ号を沈められたこと、自分が処刑の身となったことなどが重なって自分を失っていたことがある。そんなあたしをフレッドは立ち直らせてくれた。だから……今度はお返しだよ……)

 ジャコバイト派へ憎しみと嫌悪はいつしかフレッドへの想いへ変わっていった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る