第30話 憔悴のフレッドと海賊ボネット

 ジャマイカ海軍駐屯地においてその日、スパロウ号奪還に向けた会議が開かれていた。エヴァンズ艦長に与えられた船の奪還命令を受けて、作戦を練るための議論がなされている。

「スパロウ号はジェニングスに鹵獲ろかくされたままだ。海軍の威信にかけてスパロウ号を取り戻さなければならん。生き残ったスパロウ号の乗員たちは幸いにも体力を取り戻し、アストレア号とグレートウイリアム号で艦隊業務についている。エヴァンズ艦長の傷の具合も治癒へ向かっているがまだ完ぺきでない。それでも彼はスパロウ号を奪還したいと強く願っている。海賊共和国という非合法な集合体はますます強大になっており、我々が一掃できないことを周辺の国は嘲笑しているのだ。非難でなく嘲笑だよ?このほうがどれだけ屈辱か考えてみたまえ。アルマダの海戦以降我々は海上を制覇している。国王陛下の海軍が尊敬されこそすれ嘲笑されるとは饒舌しがたい苦痛だ。海賊共和国とやらを崩し、国王陛下への畏怖と我々の権威を取り戻すのだ。スパロウ号の奪還はそのきっかけとなるだろう」

 そう話しているのはグレートウイリアム号のベイカー艦長だ。その場にはアストレア号のスミス艦長の他、海賊共和国の瓦解を進めるため近隣にいた船の艦長たちが集まっていた。そしてようやく自力で歩くことが可能になったスパロウ号のエヴァンズ艦長もいた。


「皆さん、スパロウ号奪還のために集まってくれて感謝をする。私は船を奪われた艦長として裁かれ、処刑されることを覚悟をしている。だが、奪われっぱなしでは後悔ばかりだ。温情の命令書を受けて何としてもスパロウ号を奪還するつもりであり、そのときは生き残った乗員たちも一緒だ。傷の治癒はまだだが、これ以上奴らをのさばらせておくわけにいかん。みんなで案を練って奪還を成功させようでないか」

 彼の強い意志に頷く艦長たち。その後作戦が練られていく。


 会議を終えたエヴァンズ艦長はグリーン副長のもとへ立ち寄る。置き去りの島から脱出した乗員たちのうち、グリーン副長とフレッド、10名ほどの乗員たちはアストレア号に配置されていたが、アストレア号ではすでに副長ポストが埋まっていたため、グリーン副長は自ら望んでフレッドと同じ階級にいた。それは人が変わったようにふさぎ込むフレッドを心配してのことだ。どうみてもフレッドの精神状態は到底航海に耐えうるようなものでない。置き去りの島では気が張っていたので何とか目的を探し出し、自分の立ち位置を求めていたのだが、島から脱出した後、再びふさぎ込むようになっていたのである。

 

「スチーブンソン君の様子はどうなのだ?」

 エヴァンズ艦長はゆっくりながらも小さな宿まで自力で歩くとグリーン副長に尋ねる。グリーン副長はフレッドの様子を見かねて自分の身銭から安宿の代金を払い、フレッドに養生をさせているつもりなのだが、それがかえってふさぎ込みを誘発していることに気付かなかった。

「家族のことがわだかまりとなって苦しいようです。娘の顔を思い出せず、そればかりか妻を傷つけたまま別れていることがふさぎ込みの原因でしょう。このままでは航海で的確な判断と動きができません。何かフレッドに良い風が吹かないものだろうかと思いますが……」

 そう言って部屋へ案内する。


 そこには海戦や航海に関する書物が床に散らばり、その中で必死に書物を読んでいるフレッドの姿があった。

「勉強に励んでいるようだな、スチーブンソン君。これだけ勉強をしていれば昇進試験はうまくいくだろう」

 そう言って声をかけるが、フレッドは振り向きもしないでいる。

「いや……彼は自分で自分を追い詰めていますよ。試験はひとつの生命線なのかもしれませんが」

 そう言ってグリーン副長はフレッドに近づき肩をたたいた。

「スチーブンソン君、食事でもどうだ?エヴァンズ艦長がおごってくれるそうだぞ」

 グリーン副長の言葉でようやく来客に気付いたフレッドはゆっくりと立ち上がると軽く会釈をした。その姿にエヴァンズ艦長はあまりの変わりように驚く。

 すっかりやつれた男の姿……まだ置き去りの島にいたころのフレッドの方が生き生きとしていた。


「目的を失った船は幽霊船になるだけだ。グリーン副長、彼にとって風を招かねばならんな。家族に合わせた方がよいのではないか?」

 エヴァンズ艦長がグリーン副長に耳打ちする。

「マリサと連絡を取ることは可能です。グリンクロス島のウオルター総督は彼女の父親です。マリサが行動するにあたり、必ずその島を訪れるはずです。アーティガル号が持つ特別艤装許可書は総督がだしたものであり、前提条件として海軍への協力があります。もちろんこの情勢で自衛のための艤装でもありますが、その前提条件を使う手があります」

 グリーン副長はなぜ”青ザメ”が海軍に協力をしていたか事情を話す。

「なるほど……こんなときに自分の船がないのは辛いものだ。まずは今日のメンバーに話を持っていこう。彼が前に何とかしないといけない」

 2人は小声で話をすると部屋を出ていった。

 その後、フレッドを交えて食事をしたのだが、やはりフレッドは変わっていた。こうである、という自分の言葉が言えないようだった。


(彼は置き去りの島で危機感を学んだはずだ……。危機感だけでなく何かもっとほかのものがスチーブンソン君を苦しめている……それはいつか彼がいっていた貴賤結婚のことか……)


 フレッドの背後にマリサの姿を重ね合わせる。海軍の情報では姪のマリサとアーティガル号の乗員たちは、スパロウ号の乗員の行方を掴むことと家族の救出のために、海軍の作戦のひとつとして海賊化をした。国王の恩赦の流れがある中、その有難みを知っているマリサ達は海賊から足を洗うだろう。


(マリサ、スチーブンソン君を苦しみから救うことができるのはお前だけだ。その苦しみは身分を問わない環境にいたお前でないと解放できない)

 

 グリーン副長は当面の宿代を払うとその場を後にする。意見を聞こうにも戦時中に仕えたウオーリアス提督はすでに引退をしている。自分の素性を知る者は一部の上層部だけだ。マリサを殺すという本来の目的がなくなり、和解をしているグリーン副長の素性をいつまでも隠し通せるものではない。本来の貴族としての職務を全うしなければならないことも事実だ。領地に妻がいるのだが政略結婚だったためかあまりかかわっていない。そうした自分の残された課題にとりくんでいかねばならないだろう。


(暗礁に乗り上げないように航海をしなければならないな……)


 思いを巡らせながら港へ向かうグリーン副長の姿をフレッドはうつろな目をしてみている。フレッドはかなり昇進へ気持ちが焦っていたのだが、焦れば焦るほど勉強に集中できなくなり、昨今は誤答を生み出している。これがさらに焦りをうみ、よりどころとなるものがないだけに自分が壊れそうでならなかった。


 夜、宿を出て酒場へふらふらと出ていくフレッド。張り詰めた何かが切れた。

「こんばんは、士官さん。癒されにきたのね」

 対応をしたのはマリサよりいくらか若い女だ。おそらく金に困ってこの仕事を選ばざるを得なかったのだろう。

「旦那、その娘は最近入ったばかりですぜ。お得にしておきますから指名してやって下せえ」

 店の奥で主人が声をかける。フレッドは言われるまま頷くとそのまま娘に抱き着いてしまった。


「おっと、旦那、気持ちはわかるがここじゃいけねえよ。ソフィア、旦那を部屋へ案内しな!」

 ソフィアと呼ばれたその娘はいったんフレッドの腕を離すと、よりそって部屋へ導いていく。


 そこは海軍の乗員たちがよく行く売春宿だったのだ。


 夜の沖合に黒い雲が現れ、星々を隠していく。風も強まっており、何か起きそうな気配だった。


 

 

 1717年の夏。

 ここにある男が海賊として生まれる。ジェニングスと同じように土地を持つ裕福な男であり、航海のことを何も知らないうえに海賊となるには全くの素人であったが、給与制で乗員を雇うと馬力がある船を買ってリベンジ号と名付けた。

 彼の名前はスティード・ボネット。裕福な紳士として結婚をしたもののうまくいかず、人生を海賊として送ることとしたのだ。航海経験はないが兵士として戦いの経験があったボネットは、まずアメリカ東海岸からバルバドスにかけて船を襲った。植民地にとって海賊による略奪や焼き討ちは宝だけでなく生活や生産に必要なものまで入らなくなり、住民に不便を強いることとなる。

 一通り海賊行為を行ったボネットはうわさに聞く『海賊共和国』に入り、もっと大きな仕事をしたいと考えるようになる。

「ここで我々だけで海賊行為を行っていても所詮小さなことだ。もっと名を上げたいと思わないか。カリブ海には海賊による自治が行われている海賊共和国がある。そこで私は強い海賊から教えをもらうつもりだ」

 ボネットの言葉に歓声を上げる仲間たち。何より海賊共和国に迎えられるのは名誉だと思った。そして航海の経験があまりないボネットに不満を持っていたので強い海賊の指揮下に入るのもよいと考えた。もちろんボネット自身も自分の航海の力量を知っていたので仲間たちの不満を感じていたのである。


 

 ナッソーを目指し航海をするリベンジ号。ところがここで事件が起きる。

 海賊による略奪や焼き討ちなどを警戒していたスペイン海軍の船を遭遇してしまったのである。いくら帆走船であっても軍艦相手では分が悪い。

「逃げろ!、まともに相手にしたらこっちがやられる」

 声をあげて退避を指示する。しかしスペイン船はこれまでのボネットの行いを知っており、逃すことなくリベンジ号を捉えた。


 ズドーン!


 銃撃音があたりに響く。甲板に倒れこむボネット。


 銃弾はボネットの片足を貫き、重傷を負わせる。すでに片足の先の感覚がなく、ボネットは仲間に引きずられるように昇降口陰に寝かされる。

 船長の負傷に慌てた乗員たちはスペイン船から逃れようと必死である。だが、スペイン船はそれ以上追ってくることがなかった。負傷して動かないボネットを死んだと思ったのだろう。彼らの目的はボネットだった。


「大丈夫かい、船長。止血を急ぐから何とか我慢してくれ」

 乗員たちが止血を見よう見まねで試みる。船医がいない海賊船でできることは止血しかなく、まともな手当てができない。ナッソーへ行くまでにどこかで船を拿捕し、船医に手当てをしてもらわないといけないだろう。痛みをこらえながらボネットは航海の経験がほとんどない自分を今更に呪った。ボネットだけでなく、リベンジ号の70名の乗員たちはこれまでの航海と略奪の実績から、効率の上がらないボネット船長に対して不満を持ち始めていた。船長の目が届かない場所に来ると小声で不満を言い、内心、船長交代を望んでいたのである。


 

 9月。

 リベンジ号と重傷を負ったボネットは目的地であるナッソーへたどり着くことができ、そこでさっそく巨頭のホーニゴールドとエドワード・ティーチに出会った。2人はボネットのリベンジ号に興味を示し、歓迎をする。

「ナッソーで私も実績を上げたい。私はこの通り傷を負って船長として指揮はできない。船を差し出すから私を弟子にしてくれないか」

 ボネットは航海経験が浅いことを話し、ホーニゴールドに申し出る。

「このナッソーにはベテランの海賊がいるぜ。ではエドワード、ボネットを育ててくれ」

 そうホーニゴールドから言われたエドワード・ティーチに断る理由はない。エドワード・ティーチはリベンジ号の指揮権と70人の海賊を配下とすることになった。ボネットもエドワード・ティーチのもとで航海術と戦術を学んでいくのだ。これはリベンジ号の乗員たちにとってもありがたい話で、結果的に反乱を起こすことなく自然と船長交代となったのだ。


 こうして新たにホーニゴールドの船レンジャー号とエドワード・ティーチの船、そしてボネットが使っていたリベンジ号の3隻で艦隊が組まれたのである。彼らはさっそく略奪をはじめ、翌10月にはもう1隻を拿捕して艦隊に組み込んだかと思うと、次々に略奪をし、その後3隻の船を襲撃して荷を奪った。

 しかしここでもイギリス船は襲わないというホーニゴールドの主張が守られていた。目の前に獲物がいるのに手出しできないこの主張にさすがのホーニゴールド派の海賊たちも不満を持ち始める。

 ホーニゴールド派として実力を上げてきたエドワード・ティーチは今やホーニゴールドと並んでフライング・ギャングのひとりとなっていた。計算深い彼への支持はホーニゴールドを超えつつあった。


 

 海賊共和国の脅威はイギリス国内でも深刻な問題となっており、各国から対応を迫られている。アメリカ植民地に駐留していたイギリス海軍がこの状況に彼らが人員だけでなく武装船や武器を増やし、戦力として海賊という言葉以上だと報告するほどだった。

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