第29話 駆け引き
マリサ達によって救出されたハリエットとエリカ。そして計画を実行したマリサ達。彼らは目的地である、別の入り江を目指した。ジェニングスの手下が残っているかもしれない。とにかく急いだ。
入り江には1隻のスクーナー船が停泊していた。ここはそこそこの船なら停泊できる深さがあったので近くまで船を寄せることができたのだ。そしてメインマストにはマリサ達とは違うデザインの海賊旗が挙がっていた。
馬車の音を聞きつけて乗員が手を振っている。トムとギルバート、そしてアーティガル号とは無縁の乗員だろうか。マリサの知らない乗員たちがいた。
「アイザック、船だ。歩けるか?」
マリサは荷馬車を止めるとアイザックの肩に手をやる。ずしりとアイザックの重みがマリサに伝わる。
「……大丈夫だといいたいが……やはり痛いのはどうも……」
アイザックの様子を見てトムが船を降り、乗船を手伝う。
「こうなることもあろうかとオルソンはハミルトン先生をこっちへよこしたんだ。まあハリエットとエリカの健康状態が気になったんだろうがな」
「さすがお父さまだ。全く……僕を信用してないってことかい。なんだか寂しい気もするがなあ……」
アイザックは痛みをこらえながらトムとマリサにもたれ、船へ乗り込む。
「錨を上げろ!グリンクロス島へ向かう」
マリサの声で乗員たちが動く。まるでどこかの海賊が出港するかのようである。
「彼らはホーニゴールド派か?よく協力してくれたな」
見慣れぬ乗員たちをみてマリサがトムに尋ねる。
「実はな……彼らは
トムは離れていくニュープロビデンス島を見つめた。
ジェニングス派を裏切り、敵に回した以上長居をすることはできない。とにかく急がねばならなかった。
マリサ達はいったんグリンクロス島でハリエットとエリカを総督のもとで保護してもらい、自分たちはアーティガル号と合流するつもりでいたのである。ジェニングスがどうでてくるかわからない。2人を船に乗せたまま航海をするわけにいかなかった。グリンクロス島なら海軍の船も寄港するのでその抑止力に任せるのである。
一方、略奪と拿捕を終えニュープロビデンス島ナッソーを目指しているベルシェバ号とアーティガル号。
島影が見えたところでリトル・ジョンが檣楼にいるメーソンの方を見る。すると期待通りの合図が返ってきた。
「そうか。無事にスクーナー船は消えたか。2人は救出されたのだな」
状況に満足をしたリトル・ジョンは次の計画に移るため、連中に合図をする。
急にバタバタと連中が動き出し、叫び声が船内から聞こえた。
「うわああっ!たいへんだ!」
いくつもの怯える声がしてこれ見よがしに身振り手振りをし、何かを訴える。
(いいぞ!お前たち、みんなシェークスピア劇団だ)
リトル・ジョンがほほ笑む。今や連中含めて皆、一級の俳優陣である。
この様子にベルシェバ号の乗員たちが気づき、何が起きたのか不安になっている。そう、2隻の船は互いの声が届かない距離に離れていたのである。
リトル・ジョンは檣楼にいるメーソンへ次の指示を出す。
それを受けてメーソンは確実に、はっきりとベルシェバ号へ向けて信号を送った。
――伝染病が発生。風下に投錨し隔離――
この信号をすぐに理解したジェニングス。
「アーティガル号で伝染病が発生している。感染するぞ!離れろ」
ペストをはじめ、治療法や薬もない病は航海においてひどく恐れられた時代である。アーティガル号がこのままナッソーへ行けば島全体に広がる恐れがあるが、アーティガル号には船医がいることを知っていたので彼らの対応を理解したのである。
帆を広げ船足を速めるベルシェバ号。
アーティガル号の連中は船がみえなくなるまで演技を続けると、やがて何事もなかったかのように船首を回し、グリンクロス島を目指した。
「オルソン、家族救出にあたって策を練ってもらったことをマリサは感謝しているだろうよ。さて、これで我々は立派に追われる立場だ。ジェニングスを敵に回した今、ホーニゴールド派もどのように向かってくるかわからない。いずれは彼らと対峙する時が来るだろう。商船として従事しするなら相応の覚悟が必要だろう」
「そうだな、襲われる側となればかなりのリスクだ。知っての通り、海賊共和国は航海の脅威となっている。戦争が終わり、どの国の船も安全に航海をすることができなければならないが、海賊たちはその大きな支障となっているのが現実だ。当然、各国から国に苦情が殺到しているのを国王陛下もご存じだ。リトル・ジョン、君なら海賊の横行にどう対応する?」
オルソンの質問にリトル・ジョンは考え込む。
アーティガル号は風向きを読みながら帆を広げていく。
「戦争が終わった今なら船や乗員たちは暇を持て余しているだろうし、海軍様にことごとく討伐をお願いする……」
リトル・ジョンの言う通り、フレッドやほかの乗員たちがそうであったように航海がないと港勤務となったり仕事を干されたりで貧乏する人々が増えるだけである。リトル・ジョンも私掠船時代、私掠行為で国へ貢献したものの、戦争が終わると私掠は保護されなくなり貧乏を経験している。それなら仕事を与えるべきだと思った。
「まあ、それは誰もが思うだろう。乗員たちも手柄を立てれば報酬を頂けるし、名誉なことだ。ただ、海は広すぎる……すべての海賊たちをみつけて捕らえるのは賢いとは言えないだろう。私なら恩赦という手を考える。国王陛下のお触れなら海戦しなくても伝達するだけで済むことだ」
「そういえば昔そのような事があったな……。オルソンは何か情報を掴んでいるのか」
リトル・ジョンに言われてオルソンは一笑する。
「あくまでも過去の事例から考えたまでだ。英語を話せない国王陛下がどこまで海賊による交易の損失を外交の危機とみているか気になるね。これまで海賊は島の総督とつながって保護してもらう代わりに略奪で得た資金を献上することがあった。国だけでなく植民地でもそうだった。しかし今や各国は海軍をもち、多くの武装船と人員を備えている。海賊という私的な軍隊を持たなくてもよいということだ。……時代は変わった。いつまでも時代遅れのままじゃいけない。ナッソーの海賊たちがそこに気付けるかということだな」
そう言ってオルソンは決闘の際に負った傷を見つめる。傷は治ったがしっかりと傷痕が残っていた。
マストには相変わらず貴族の紋章のような旗が海賊旗として掲げられている。
「そろそろエリカちゃんの旗を降ろしておけ。これ以上海賊旗として使うとエリカちゃんが泣くぞ」
リトル・ジョンが連中に言う。そう、この旗は元々タペストリーであり、海賊旗ではない。
連中が笑いながら旗を降ろすとリトル・ジョンは丁寧にたたんだ。これまで海賊行為をするときだけに揚げていた旗は太陽の光や雨風にさらされて傷んでいる。
「お疲れ様!」
連中をねぎらうとリトル・ジョンはたたんだ旗をマリサの船室へもっていった。
海は人間たちの思惑に関係なく、昨日と或いは一年前と同じように船を運んでいる。だが、オルソンの言う通り時代は確実に変わっており、国際問題と世論は政治を動かしていった。
そんな中で海賊共和国は全盛を迎えている。こうしている間にも一獲千金を狙うために海賊となる者がいるのだ。
ナッソーへ到着したベルシェバ号。ここでジェニングスはヴェインからマリサが家族を救出し、逃げたことを知る。
「なんてことだ!まんまと騙されたのか」
怒りで体が震えるジェニングス。ベラミーとウィリアムズだけでなく、マリサ達も自分のもとを去ったことに虚しささえあった。
「どうする?追いかけるか。だとしてもどこにいるかわからねえ」
ジェニングスの指示を待つ手下たち。
「……いや……追いかけるのは得策ではない。ベラミーと違い、マリサ達は我々の宝や船を奪ったわけでないのだ。ただ、今度海上であったなら
ジェニングスがそう言うと、この意外な答えに彼らは言葉が出なかった。ジェニングスなら執拗に追いかけて船を焼き討ちにするだろうと思ったからである。もちろんジェニングスの真意を理解できる者はいなかった。
ジェニングスは確かにマリサ達の行動に腹を立てた。しかし元々読み書きができて見聞を広めていたジェニングスは、海賊共和国の構造や実態に脆さを見出してある考えを持っており、ジャマイカへ残している財産の未練さえあった。
(ここへきて私は何を迷っているのだ?私には優秀な部下や武装船もある。ホーニゴールドさえ押さえればこの海賊共和国は私の手に収めることができる。それなのになぜか迷いが私の判断を鈍くする。この迷いはいったい何なのだ……)
この迷いがマリサ達の裏切りに執着しない理由だった。
ヴェインやほかの仲間はジェニングスの迷いに気付いていない。彼らは誰よりも稼ぎたいと思っており、その考えで日々を過ごしているのである。
「今日は盛大に酒を飲もう。迷っている奴らはこれですっきりしようじゃないか」
自分で言い聞かせるかのようにジェニングスが仲間に声をかける。とたんに歓声があがり、男たちはそれぞれ飲み屋や娼館へ繰り出した。
その夜は考え事をして言葉が少ないジェニングス。周りで彼の様子を気遣っている仲間たち。
「よう、しけた顔をしているじゃねえか。何があった?」
声をかけたのは巨頭のひとり、ホーニゴールドだ。彼は船長を罷免されたあと、エドワード・ティーチをはじめとする26人の海賊を連れて行動を別にした。(22話)すでにこのときにはエドワード・ティーチに船を任せ、自身は島の要塞化に取り組み島の総督を自称していた。
「お前が船長を罷免されたときの気持ちがわかるような気もするよ、ホーニゴールド。わたしの有効なカードは離れてしまった」
そう言って酒を飲むとホーニゴールドのコップにも酒を注ぐ。
「ああ、”青ザメ”の奴らか。住民を手懐けたり商売をしたりでおかしな海賊だったな。だがよジェニングス、海賊は自由なんだぜ。ここに束縛なんてものはない。束縛なんてものは偉い連中がやることだ。マリサ達はそれを知っていたのさ」
ホーニゴールドに言われて苦笑するジェニングス。
「私はマリサの家族を拉致し、ある程度の自由を与えていた。女子供であるからそのあたりも考慮した。もし殺していたらマリサは必ず全面的に戦いを挑んできただろう。結果的に双方に甚大な被害はでていないが、そうしたことも考えて策を練ったのだろう。それにしても艤装船アーティガル号の熟練した船乗りであり、海賊経験も長い奴らはなぜ積極的に海賊行為をしなかったのだ?」
ジェニングスはそこが疑問だった。
周りは酒に酔った海賊たちでにぎやかである。略奪で得た金を酒と女に使い、この世の春を謳歌していた。
「マリサが”光の船”を壊滅に導いた話を知っているだろう?”光の船”の捕虜収容所はとんでもなく地獄だったらしい。昔の拷問部屋のように生かさず殺さずを実行していた場所だった。マリサは捕虜となった仲間やほかの海賊たちをそこから救い出した。助けられた海賊たちの一部は戦後も海賊となってここへきているし、それを選ばなかった連中のなかには商船アーティガル号の乗員として従事することを選んだものもいる。それだけじゃなく恩赦をグリンクロス島の総督からもらうことで、それまでの海賊行為を罪に問われなくして命を救っている。マリサは頭目として彼らを困難から救い出したんだよ。処刑されることなく命を救われたことで有難みを感じたを感じた彼らは、海賊行為でなく商船として従事する道を選んだ。そしてな、”青ザメ”の以前の船であるデイヴィージョーンズ号には海軍の男が乗っていたんだ。戦時中、”青ザメ”は海軍と協力関係にあったからだ。俺はその男とこのナッソーで会ったことがある。今でも奴らは海軍とつながっていると見てるぜ。それを考えなかったのか?」
「海軍と?」
ジェニングスは考えることがあった。そう、配下にしているスパロウ号は海軍の船だ。しかも多くの乗員たちを殺し、残りを置き去りにしている。
(まさか……マリサはこのことを知っていたのでは……)
ジェニングスの天秤が大きく傾いた。
娼館ではホーニゴールドの一番弟子であるエドワード・ティーチが黒髪の女を抱いていた。エドワードはアフリカの部族の王子だった奴隷のブラック・シーザーに操舵を教え、計算深く先読みをしながら略奪の実績を上げていた。そして他の海賊に比べ、日誌という形で記録を取り、どんなことでも情報として蓄積していたいわば頭脳派の海賊だった。それは海賊行為をしながらも相手を殺さないという主義が物語っていた。
娼婦は海賊にさらわれて逃げ場もなくこの仕事をするしかなかったが、エドワードは気に入って自分を指名してくれる。それが救いだった。
「どうしたの、エドワード。体が熱いわよ」
抱かれる中でいつもよりエドワードの体が熱いことを感じた娼婦。不思議に思い、体を観察する。
「熱があるかもしれん……。なあに、海賊だって風邪をひくんだ」
エドワードは確かに熱っぽく、頭痛もしていた。そう、彼は風邪だと思っていた。
「そう?」
娼婦は微笑むと取り越し苦労だろうと思うことにした。そして一瞬目を開けたときにエドワードの横腹からみぞおちあたりに赤い花のような発疹がいくつもあるのを見つける。
「お前がここにいてくれるだけで安心して航海に出ることができる。できるならお前を船に乗せたいと思うほどだ……」
娼婦の視線を自分に向けさせたエドワード。そのまま何度もキスをする。
娼婦は一抹の不安を覚えたが、エドワードに抱かれるうち、そのことを気にしなくなった。
海賊の駆け引きはあちこちで進んでおり、海賊共和国に大きな波がやってくるのも間近だった。
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